3 特殊部隊
高層ビルの屋上へ辿り着き、討伐隊は班ごとに所定の位置に散らばった。班長の指示に従い、フォーメーションをとっていく。
トレーラーが停まったのは、ビジネスビルの立ち並ぶ都内の一画だった。ここの上空に張られた蜘蛛の糸を、スパイダーが通過する予定らしい。高い高度を移動する敵に攻撃を命中させるには、自らも高所へ登り間合いを詰める必要がある。地上からミサイルなどの大型兵器で撃ち落とす方が簡単に思えるかもしれないが、話はそう単純ではない。大型兵器を使用すればスパイダーもろとも蜘蛛の巣までもが破壊されてしまい、辺り一帯は人の居住できる環境ではなくなってしまう。そうなれば本末転倒で、何のためにスパイダーを倒したのか分からない。できる限り住民に被害を出さずに対象を駆逐するには、討伐隊のやり方が実は最も適しているのである。
蓮たちは屋上のタイルの上で体を屈め、両手でライフルを構えて息を潜めていた。予想に狂いがなければ、あとものの数分でスパイダーがこのすぐ上を通る。それまでは相手に気づかれないように気配を殺し、射程圏内に入った瞬間に一気に畳み掛けて倒す。それが今回の作戦らしい。
後方支援を任されているため配置は屋上の隅の方だが、それでもやはり緊張の度合いは半端ではない。頭上で日光を遮っている灰色の糸の塊を見据え、今か今かと待ち受ける。
やがて巨大な黒い影が屋上を覆った瞬間、肌が泡立つのを感じた。
(……来た!)
真上を見上げると、それはいた。
体長二十メートルほどの、大きな白い蜘蛛。鋼の如き強固な皮膚が全身を覆い、黄色い目が怪しく光る。八本の足がグレーの糸の上をなめらかに滑り、つつっ、と移動していく。
人を喰らう、異形の怪物だ。
「作戦開始!」
吠えるように曽我部が号令をかけた瞬間、討伐隊員は一斉に立ち上がり、銃口をスパイダーへと向けた。
集中砲火を腹部に浴びて、スパイダーは動きを鈍らせた。無数の弾丸が皮膚を貫き、着実にダメージを与えている。
屋上の中央部でライフルを連射しているベテランの戦士たちは、他を圧倒するような覇気を放っていた。それに奮い立たせられ、蓮は戸惑いや不安をかなぐり捨てた。狙いを定め、トリガーを一度引く。反動で体勢が崩れそうになったがどうにか耐え、足を踏ん張った。
射出された弾丸は、スパイダーの足のうちの一本に命中していた。傷から青い血が噴き出し、移動速度がさらに落ちる。蓮が確かな手ごたえを感じたのも束の間、巨大な蜘蛛はごく小さな両目を下界へ向け、腹の先から糸を紡ぎ始めた。
「降りてくるぞ。頭部を狙え!」
再び曽我部が指示を出し、隊員たちは銃の照準を合わせた。
これまでのところ、スパイダーは自身が攻撃を受けていることを認知しながらも討伐隊へは見向きもせず、ただ移動し続けていた。敵の攻撃の届かない場所まで逃げる方が、まともにやり合うよりも賢明だと判断したらしい。しかし今、脅威は無視できるレベルを超えていた。ゆえに蜘蛛の巣を突き破って下方向へ移動し、襲撃者への反撃を開始する。
醜悪な顔をこちらに向け、スパイダーは徐々に下降してきた。尻から吐き出した糸の先を巣の一部につけ、糸をしゅるしゅると伸ばしてビルの屋上を目指す。その巨躯にぶつかって巣を構成する糸が次々に切れていくが、スパイダーに気にした様子はない。少しくらい壊してもまた作り直せばいい、くらいに思っているのかもしれない。
下顎をカチカチと鳴らし、スパイダーの頭部が迫ってくる。蓮は無我夢中で引き金を引いた。体が慣れてきたのだろうか、いつの間にか弾丸射出に伴う衝撃をさほど感じなくなっていた。周りの音や声も、ほとんど耳に入らなかった。
ずっと入隊理由を偽ってきたが、これだけは確かだった―スパイダーを憎む気持ちに、嘘はない。
それから十数分ほど、討伐隊とスパイダーの攻防は続いた。
頭部を集中的に狙われて目を潰された白い蜘蛛は、八本の足をめちゃくちゃに振り回してビルへ迫った。
対する隊員たちは敵の急所を狙い、辛抱強く銃撃を続けた。
侵攻するスパイダーにより、上空に張られた蜘蛛の巣の最後の一、二層が破られるかと思われたときだった。人形を操っていた糸がぷつりと切れたかのように、巨大な蜘蛛は突然動きを止めた。巨体がぐらりと揺れ、糸の層の上に倒れる。巣は青い血にみるみる染まっていき、そこだけが灰色の風景の中でいやに鮮やかだった。
「駆除、完了。速やかに撤退する」
静かに曽我部が告げ、隊員たちは大きく息を吐き出した。ライフルを構えた腕を下ろし、仲間たちと健闘を称え合う。
荒い息をつき、蓮も側で戦っていたであろう同じ班の仲間の方を振り返った。そして、すぐに異変に気づいた。
「……渚ちゃん?ちょっと、しっかりしてや」
倒れた彼女の体を森川が揺すり、必死に呼びかけている。井上は右腕を押さえ、痛みに顔を歪めていた。迷彩服が僅かに血に濡れている。
「おい、何があったんだよ」
血相を変えて蓮が駆け寄ると、森川は泣きそうな顔で首を振った。分からないということらしい。
気づけば、佐伯が班長の岸田を連れてきていた。岸田は井上の華奢な身体を抱き上げると、三人を振り返った。
「二号車のトレーラーに医療キットが積んである。とりあえずそこまで運んで、手当てするぞ」
言うが早いか、岸田は隊員らをかき分けるようにして非常階段を下りていった。怪我人だ、道を開けろと声を張り上げ、我先にと駆け下りていく。普段見せているやる気のなさは全く感じられず、真剣さが窺えた。彼もまた討伐隊の一員であり、一人の戦士なのだ。
「あっ、あの、うちも付き添います!」
その後を森川が慌てて追い、二人はその場に残された。小走りな足音が少しずつ遠ざかっていく。
「……俺たちまで行く必要はないだろう。人手は十分だ」
そう言って非常階段へ向かう人の流れに加わろうとした佐伯の背に、蓮は声を掛けた。
「昨日のことはごめん。それと、さっきはありがとな」
「何だ、急に」
胡散臭そうに視線を向けてきた彼に、蓮は軽く笑いかけた。
「佐伯がすぐに岸田さんを連れてきてくれたから、早く対応できたんじゃないか」
一瞬視線が交錯し、佐伯は意表を突かれたような表情を見せた。顔を逸らし、歩調を速める。
「礼を言われるほどじゃない。班員として、当然のことをしたまでだ」
彼にも彼なりの優しさがあることに、蓮は気づき始めてていた。
今はまだぎくしゃくしているが、いつかこの第十八班の全員と分かり合える日が来るのかもしれないと思った。
「おそらく流れ弾だな。敵の皮膚に当たって跳ね返るやつが、たまにあるんだ」
岸田はトレーラー内に敷いたマットの上に井上を寝かせ、忌々しげに吐き捨てた。この車両の後部は救護室代わりとなっていて、簡易的な医療品が備えられている。
森川は彼女の側に寄り添い、心配そうに傷の様子を見ていた。出血はそんなにないが、かといって傷が浅いわけでもなさそうだ。
岸田は手元の救急箱から包帯と消毒液、それから薬剤の入った瓶をいくつか取り出した。そしてそれを森川へ差し出し、自分は後ろを向いてしまった。
「じゃ、すまんけど手当て頼むわ」
「……えっ?」
思わず間の抜けた声を出してしまった森川に、向こうを向いたままの岸田が申し訳なさそうに言う。
「ほら、ちょっと服脱がせる必要があるからさ」
「あー……なるほど」
男性としては、やはり抵抗があるものなのだろう。ましてや、女である自分に見られている状態で彼女を脱衣させるのは拷問に等しい。一人納得し、森川は井上の体の上に屈みこんだ。迷彩柄の戦闘服の上をそっと脱がせると、清楚な肌着に守られた白い肌が露わになった。ただし、右の二の腕には痛々しい傷がある。
幸いにも、流れ弾は掠っただけのようだった。時折岸田からのアドバイスを受けつつ、手早く処置を進めていく。
森川が包帯を巻き終わった頃、岸田が恐る恐る言った。
「もう終わったか?」
「はい」
「……よし、じゃあ確認だけ」
なるべく下着を見ないようにして、治療が正しく完了したかどうかだけをチェックする。それが済むと再度目を背け、岸田は立ち上がった。いかにも居心地が悪そうである。
「上に報告することがあるから、様子を見ておいてあげてくれ」
それがこの場を離れる建前なのか、本当に仕事を課されているのかは判断できなかった。走り始めたトレーラーの中を、彼はゆっくりと歩き去っていく。
(……班長、結局渚ちゃんを運んだだけやん)
森川はそのことに気づき、笑いそうになってしまった。もし森川が同席していなければ羞恥心を捨てて自分で治療を行っていたのだろうが、結果だけを見れば、岸田の果たした役割は井上を抱きかかえてトレーラーまで走ったことのみである。
そのとき、井上がうっすらと瞼を開いた。はっとして、森川が顔を覗き込む。
「渚ちゃん、気がついたん?」
「うん」
意識が戻った彼女が最初に気づいたことは、二つあった。
「綾音ちゃん、服、着せてくれない……?」
傷口に包帯が巻かれて手当てが完了していることと、上着を脱がされていることだ。
頬をほのかに赤らめ、下着に守られた慎ましやかな肢体を視線から隠そうと両手で覆う。救護スペースは仕切りで区切られているため他の隊員に見られる恐れはないのだが、彼女は動揺していた。恥じらう姿に、森川までもが赤面してしまう。
「ご、ごめんね」
背中に手を添えてそっと上体を起こしてやり、迷彩服を羽織るのを手伝う。上着の前を合わせると、井上はふうと息を吐いてまた横になった。
「大した傷じゃないみたいやけど、しばらくは安静にしとった方がええと思うよ」
「うん。ありがとう」
森川へ曖昧の返事をし、井上は思いつめたような表情でトレーラーの天井を見つめていた。
「渚ちゃん」
名前を呼ばれ、顔を森川の方へ向ける。真剣な眼差しから、本気で彼女のことを案じていることが読み取れた。
「何か悩んどることがあるんやったら、何でも話していいんよ?うちが受け止めてあげるけん」
「……ほんとに?」
「もちろんよ。うちら、同じ班の仲間やん」
井上は目を瞬かせた。怖々と口を開く。
「他の人には言わないって、約束してくれる?」
こくりと頷いたのを見て、彼女は堰を切ったように話し始めた。
「……私ね、通ってた高校でいじめられてたの。それも、かなりひどくて。何度も死にたいって思った」
告げられた過去に、森川は言葉を失ってしまった。いじめの詳細は語られていないが、それが凄惨なものであったことは容易に察せられる。
「でも、私には自殺する勇気がなかったの。自分で自分の命を絶つことができるほど、強い人間じゃなかったの」
話しながら、井上の声音は濡れていた。
「それで、討伐隊に入ったの。私には居場所なんてないし、生きてる意味だってないから。スパイダーと戦って、少しでも誰かの役に立って死ねたら、って」
「……渚ちゃん」
話し終えた彼女の肩に優しく手を置き、森川は言った。
「渚ちゃんは、生きていてええんよ。だって、うちらと一緒にいるこの場所が渚ちゃんの居場所やもん。辛かったやろうけど、これからは大丈夫よ」
彼女の言葉を聞いて、井上は瞳を潤ませていた。怪我をしていない方の手で目元を拭い、微笑を浮かべる。
「ありがとう。今はね、すっごく素直に思えるよ……『生きたい』って」
もらい泣きしそうになってしまって、今度は森川がハンカチを必要とする番だった。
今までは素っ気ないやり取りを繰り返すのみだったが、初めて井上と心が繋がった。そればかりでなく、彼女に生きる意欲を取り戻させることができた。それが嬉しくて、森川も涙をぽろぽろと流した。
「おかしいな。うち、涙もろい方じゃないんやけど」
井上がはにかむように笑った。満開の桜のような、温かく美しい笑顔だった。
戦いの舞台となった都市部から遠ざかり、静かな山間部をひた走っていたときだった。ガン、と鈍い音が頭上から響いた。それも一度ではなく、立て続けにだ。
蓮と佐伯は、二人とは別のトレーラー内で休息をとっていた。顔を見合わせ、天井へ視線を移す。
「……何か当たったのかな。例えば、落石とか」
呟いた蓮に、佐伯は神妙な顔つきで言った。
「いや、当たったというより、これはまるで」
飛び乗ったようだ、と続けようとしたとき、車体が大きく揺れた。バランスを崩しかけ、二人がよろめく。
車内はすっかり混乱に陥っていた。早く降りろ、との指示が飛び交い、蓮は他の隊員に倣うようにして降車した。対スパイダー用の狙撃銃を持って外に走り出て、油断なく辺りを見回す。
事態を把握するのに、さほど時間はかからなかった。
トレーラーは車道を外れて脇の山野に乗り上げ、巨木に衝突する寸前で停まっている。他の数台のトレーラーも同様の状況だ。
そして、先刻の異音の正体はトレーラーの上に立ち、討伐隊の面々を見下ろしていた。
他の車両からも、続々と隊員らが降りてくる。敵の姿を認め、曽我部は舌打ちした。仲間たちに下がるよう手ぶりで促し、その者らを睨む。
「貴様ら、政府軍の者か」
「いかにも」
リーダー格と思しき無骨な男が鷹揚に頷き、推し量るように見つめ返す。薄手のシャツの上からでもはっきりと分かるほどに鍛えられた筋肉が、この男が只者ではないことを暗に伝えていた。
なるほど、スパイダーをできる限り保護したいと考える政府側からすれば、市民に何ら被害を出していないスパイダーを狩るという討伐隊の行為は許しがたいものだ。追跡し、襲撃を仕掛けたとしても不思議ではない。
けれども蓮が奇妙に感じたのは、男たちがいわゆる軍服を着用していない点であった。皆、思い思いに私服を着ている。彼の知っている政府軍は、もっと重装備だったはずだ。こんな丸腰同然の姿ではない。
もう一つ不可思議なのは、暴走する車両に飛び乗ったにもかかわらず、誰一人振り落とされた者がいないことだ。訓練を受けた兵士であっても、それはかなり困難をきわめるはずなのだが。
「政府軍にしては、見慣れない部隊だな。今日は挨拶だけということか?」
警戒心を隠さずに、曽我部が言う。男は軽く笑って首を振った。余裕を感じさせる笑い方だった。
「残念ながら、答えはノーだ。……まあ、お前たちが見慣れないのも無理はない。我々は政府軍直属の特殊部隊で、その存在は公にされていないからな」
特殊部隊と聞き、隊員たちが僅かにざわつく。だが曽我部は怯んだ様子を見せず、男たちと対峙した。
「そちらが一戦交えるつもりならば、拒みはしない。ただし、数では私たちが勝っていることを忘れないでもらおうか。武装も私たちの方が充実している。退くのなら今のうちだ」
「……くくっ」
男の脇に立っていた青年が、こらえきれずに噴き出した。耳にいくつもピアスをつけた金髪の男性で、いかにも「遊び人」といった感じの雰囲気がある。
「澤田さん、こいつら俺たちのこと完全に舐めちゃってますよ」
「……藤宮、不用意に相手を挑発するな。任務に集中しろ」
澤田と呼ばれた男はその配下と思しき彼に、呆れたように注意した。それから討伐隊隊長へと向き直り、不敵な笑みを見せる。
「我々としても、上から下された指令がある以上、ここで引き下がるわけにはいかない」
その台詞を合図にしたように、藤宮ともう一人の男が澤田の横に進み出た。察するに、彼らはリーダーの補佐役的なポジションを与えられているらしい。
はらはらしながら蓮が成り行きを見守る中、黒縁眼鏡をかけている痩せた男は澤田らに小声で言った。
「僕と澤田さんたちで暴れて、他の連中を引きつける。その間に、藤宮はターゲットを確保するんだ」
下から見上げている蓮にも、ぎりぎり聞き取れるくらいの音量だった。
「サンキュ、松木。おいしい役目を俺にくれるとは」
藤宮がにやりと笑い、やがて澤田が口を開く。
「……作戦開始!」
まるで花火が散るように、襲撃者たちは各トレーラーの上から四方に飛び散った。着地して素早く体勢を整えた彼らに、討伐隊が狙撃銃を向ける。
次々に撃ち出される弾丸を、男たちは驚異の跳躍力を発揮して躱してみせた。大きく後ろに跳び、射程範囲から逃れる。
(人間業じゃない)
敵の動きを止めるべく、大腿部を狙って放った銃弾をやすやすと避けられ、蓮は戦慄した。トレーラーから振り落とされなかったことといい、普通の人間ではこんな芸当ができるはずがない。
おそらく他の隊員も同じことを考えていたのだろう。離れた相手へ銃口を向け、得体の知れないものを見ているような目で襲撃者らを見つめる。
澤田は仲間を守るように前に立ち、銃を構えた迷彩服の集団を眺め回した。ふと振り返り、藤宮に耳打ちする。
「あそこだ」
その瞬間、金髪の男が自分の方を向いたような気がして、蓮は全身の毛が逆立つのを感じた。まさか、彼らの言っていたターゲットとは自分のことなのか。
「了解っす。それじゃ、そろそろ本気出して行きますか」
調子よく藤宮が言う。
襲撃者たちはほぼ同時に、声を揃えて発声した。
「『能力解放』」