28 最後の戦い(1)
「しつこい人たちですね。まだ、私のことを恨んでいるんですか」
やれやれと肩をすくめてみせ、ペガサスは彼らを挑発する素振りを見せた。
「当たり前でしょう」
冷たく返した松木を、紺のスーツの男は呆れたように見た。まるで理解できない、というような目だった。
「あなた方は、自分たちが理不尽なことをしていると自覚していない。そもそも、戦場において命のやり取りはごく当然に行われることです。私は自分に与えられた任務を遂行し、その際に障害となった彼を排除しただけなんですよ。あなた方にだって、同じような経験はあるのではないですか?」
「もちろんあるさ」
今度は、澤田が応じた。
「軍の施設で戦闘訓練に明け暮れていた頃、何度も殺し合いをさせられた。弱い能力者は不良品とみなされ、処分されていった。あそこは、そういう過酷な世界だった」
話を聞いて、松木は束の間、当時のことを思い出していた。NEXTが生み出した能力者が新たに仲間に加わっては、模擬戦での勝率が低かった他の能力者が、いつの間にか姿を消している。そういうことは日常茶飯事だった。
ふと、澤田が白石を庇っている光景が脳裏に甦ってきた。跳躍力以外にこれといった能力を持たない彼女は、模擬戦でほとんど誰にも勝ったことがなかった。いつ処分されてもおかしくはない立場だった。
しかし澤田は、監督者に必死に訴え続けた。彼女の力は戦闘向きではないが、他のことに役立てることが十分可能であると。その甲斐あって白石は処分を免れ、負傷者を連れて撤退する役目を担うようになったのだ。
先刻、白石が澤田にあまり強く出れなかったのはそのせいでもある。命の恩人である澤田に、彼女は尋常ではない思慕を寄せている。彼を助けたいと思う気持ちは、誰にも負けない。けれども、だからこそ白石は澤田の命令に従った。自分を助けるために彼が与えてくれた、傷ついた者を助け、守るという使命。それに背くことなど、できるはずもなかった。
「……だったら、あなた方にも分かるはずです。私は、別に間違ったことをしたわけではありません。むしろ、NEXTに所属する能力者として当然の責務を果たした。違いますか」
にんまりと笑い、ペガサスは勝ち誇ったように言った。
「いや、お前は一つだけ間違った」
その余裕を突き崩すように、澤田が切り込む。ペガサスを睨み、鋭い眼光を向けた。
「何?」
ペガサスの表情から、笑みが消えた。戸惑いを露わに問い返す彼に、澤田は畳み掛けるように言い放った。
「お前は、人を殺すことを楽しんでいる。戦いにおいて命のやり取りが行われるのは、お前の言う通り、確かに自然なことだ。だが、それは無意味な殺戮であってはならない。互いが自分の正義を信じ、命を賭して戦う――それが戦いの本質だ」
自らの、そして特殊部隊のメンバーだった全ての者の矜持を賭けて、澤田は今ここに立っている。無念に散っていった仲間たちの想いが力に変わり、全身にみなぎるように感じた。
「あのときお前の狙っていたターゲットはユグドラシルだった。ただ止めに入っただけの藤宮を殺す必要は、お前にはなかった。お前と戦う理由は、それだけで十分だ」
少し目を細め、ペガサスは澤田をまじまじと見つめた。彼はこのとき初めて、二人を戦うに値する相手だと認めたようだった。
「いいでしょう。私はNEXTの示す理想のために、あなた方は己の信じる正義のために…どちらが正しいか、決めようではありませんか」
「望むところだ」
「準備はとっくにできていますよ」
力強く澤田が応じ、松木も冷静な声音で続く。
三人はほぼ同時にコマンドを唱え、雄叫びを上げてぶつかり合った。
白煙の中から姿を現したペガサスが、背中の翼を最大限に展開して飛翔する。ビル一階の天井すれすれまで上昇した彼は、水泳の飛び込みのような姿勢から一気に高度を下げてきた。空中で体を捻り、キックの姿勢をとる。
「所詮、あなたたちでは私の機動力に及ばない」
高らかに笑い、急降下したペガサスが回転蹴りを放つ。迫り来る敵を前に、松木は踵を返し、壁に向かって走り出した。
「怖気づきましたか?」
嘲笑したペガサスが翼の角度を調整し、水平に飛ぶ。突き刺すように繰り出されたキックを、松木は斜め前に跳ぶことで躱した。直後に壁を強く蹴り飛ばし、再び跳躍する。右肩を前に出し、松木はショルダータックルを仕掛けた。
「残念でしたね。こっちは最初からカウンター狙いなんですよ!」
勢いよく繰り出された突進攻撃は、頭上から砲弾を浴びせられるのに等しい破壊力を秘めていた。ペガサスが苦痛に呻き、衝撃で吹き飛ばされる。翼を広げて空気抵抗を増すことで、彼は床に激突する寸前で踏み止まった。どうにか着地し、忌々しげにサイの能力者を睨む。
「少しはやるようですね」
「別に。戦友の技術を、ちょっと拝借したまでです」
姿勢を乱さずに床に降り立ち、松木はクールに応じた。
以前佐伯と交戦した際に、彼は同様の技を受けて敗れている。佐伯は木に駆け上ることで松木のタックルを回避し、上方からライフルを連射することで松木に傷を負わせた。あの屈辱を忘れず、彼は密かに鍛錬を重ねてきたのだ。
確かに、最初は討伐隊にリベンジするためだったかもしれない。だが、今は違う。共通の敵を倒すために、松木は自分の持てる全ての力を発揮して戦いに臨んでいた。
舌打ちをし、ペガサスが再度飛び上がろうとする。それを阻止すべく、彼の周囲を松木は高速で移動した。灰色の影となり、正方形を描くように周りを疾走する。少しでも高度を上げようとすれば、間髪入れずにショルダータックルを喰らわせてやるつもりだった。相手がさほど高い位置にいないのであれば、先ほどのような要領で攻撃を命中させることは十分可能なのだ。
動きを封じられたペガサスに、熊の能力を解き放った澤田がゆっくりと歩み寄る。全身を厚い茶色の毛に包み、逞しい筋肉をそなえた姿の彼は、低い声で言った。
「どうやら、壁に囲まれた密閉空間では、お前の能力は活かし切れないらしいな」
近づいてくる獣戦士を、ペガサスは歯ぎしりして見た。
「第一世代の分際で……調子に乗らないでいただきたい!」
もはや彼は、自身の飛行能力に頼って戦うことを放棄していた。この状況では、それは有効な攻撃手段にはなり得ない。たとえ翼を活かせなくとも、ペガサスには強靭な脚力がある。床を蹴り飛ばし、ペガサスは一気に彼我の距離を詰めようとした。
横から回り込むようにして接近してくる松木に、回し蹴りを放つふりをしてフェイントをかける。相手が反射的に間合いを取ったのを見てにやりと笑い、ペガサスは蹴り上げかけた右足を床に下ろした。同時に、僅かに翼を振動させて推進力を増大させる。驚くべき速度で、彼は澤田へと向かっていった。
「これで最後です!」
静かに両腕を体の前で構えた澤田に、ペガサスは吠えた。左足で床を蹴って懐に潜り込み、右足を高く蹴り上げる。真下から繰り出された直線的なキックは、展開された翼によってさらに威力を増す。大理石の床から数十センチ体を浮かせ、蹴りの射程を延長。ペガサスのつま先は、真っ直ぐに澤田の首元へ向けられていた。
放たれた必殺の一撃を、澤田は上体を反らすことで紙一重で躱した。全身の力を一点に集中させ、彼はペガサスを上回る気迫で雄叫びを上げた。
「自分たちは優れているという驕り。その傲慢が、お前の限界だ」
後ろに引いた右腕を突き出し、渾身のストレートパンチを叩き込む。
「俺たちは……俺の仲間たちは、そんな単純な物差しでは測れない強さを秘めている!」
澤田の拳がペガサスの頬にヒットし、鈍い衝撃音が轟く。床に叩きつけられたペガサスは身を起こしかけたが、やがて力尽きたように崩れ落ちた。
「上階で討伐隊が戦っている。俺たちも行くぞ」
「はい」
短い会話を交わし、二人はこのフロアを立ち去ろうとした。遠くなっていく彼らの背中を、ペガサスは怪訝な顔で見ていた。痺れるような痛みに呻きつつも辛うじて上体を起こし、弱々しい声音で問う。
「殺さないのですか、私を」
熊とサイの能力者は、ぴたりと足を止めた。しかし、振り返ることはしない。
もし呼び止められて彼らの気が変われば、ペガサスは命を失うことになるかもしれない。けれどもそれ以上に、彼は澤田と松木の行動の理由を知りたかった。
「私は、あなたたちの仲間を殺したんですよ。それも、あの狼の能力者だけじゃない。NEXT本部を襲ってきた連中の半数も、私が始末しました」
戦いを経て荒くなった呼吸はなかなか整わず、ペガサスは半ば喘ぐように続けた。
「憎くないのですか、この私が。あなた方二人には、私に対する恨みなんていくらでもあるはずだ。何故私を生かし、見逃すんです」
「俺たちが、お前たちとは違うからだ」
視線を前に向けたまま、澤田が静かに答える。
彼らにとって、同胞の多くを殺したペガサスは宿敵と言っていい存在だ。藤宮を殺害したのが彼だと知った当初は、怒り狂い、我を忘れて戦いを挑もうとしたほどであった。
だが、ペガサスにも仲間の能力者がいる。彼が死ねば、残されたセイレーン、メドゥーサは仇を討とうと襲ってくるだろう。それでは、澤田たちのしたことはペガサスと同じになってしまう。憎しみの連鎖は、どこかで断ち切らねばならない。友を失う悲しみを味わうのは、自分たちだけで十分だった。
「後悔しますよ。私の息の根を止めなかったことを」
ほとんど囁くように言ったペガサスに、澤田は振り返らぬまま、片手を軽く上げて応じた。
「ああ。そうかもな」
決して視線を合わせることなく、二人はまた早足で歩き始めた。階段を駆け上がり、上を目指して疾走する。
残されたペガサスは傷ついた体を床に横たえ、自嘲気味に笑った。
「……私は、負けたのですね」
単に戦闘技術で彼らに後れを取ったばかりではない。ペガサスは、精神的な面でも澤田たちに及ばなかったと自覚していた。邪魔者を手当たり次第に蹴り殺してきた彼には、戦いへの矜持のようなものがなかった。彼は自分の力に溺れ、力を使うことを楽しんできた。澤田に言い当てられて、無自覚だった自身の内面に初めて気づかされた。
(まだまだ未熟だな、私は)
完敗だ、とペガサスは力なく笑った。職員らが逃げ出してほぼ無人となったフロアに、彼の笑い声だけが、虚しい響きを伴って微かに聞こえていた。
数階上へと到達し、討伐隊は慎重に辺りを見回した。フロア中央の吹き抜けを囲むようにいくつかの部屋があり、その中には複雑な実験器具が運び込まれている。
職員や能力者の姿は、特に見当たらなかった。まるで、どこか一箇所に集められているかのようだった。
(岩崎友美の話によれば、彼女が主に実験を受けていたのは最上階にある一室らしい。やはり、目指すべきはそこか)
奇襲を警戒するためとはいえ、こんなところで立ち止まっている場合ではない。そう判断し、曽我部が再び移動を命じようとしたときだった。
吹き抜けになっている空間を、音もなく降りてくる影がある。
「ここから先へは行かせないわよ」
「侵入者は、排除する」
妖艶な笑みを浮かべたセイレーンが、虚空に静止する。大きな翼で自身を包むようにし、防御の構えを取った。
彼女に抱きかかえられていたメドゥーサがこの階の床に着地し、無表情に隊員たちを見つめる。既に全身の皮膚を石化しており、対スパイダー用ライフルの銃撃を浴びても数分間は耐えられるように備えていた。
仲間たちを庇うように、蓮と佐伯が前に出る。
「『能力解放』!」
迷いなくコマンドを発声し、体を白い煙が包む。刹那、それを切り裂いて二人の戦士が表れる。金のたてがみと発達した筋肉を持つ、獅子の能力者。黄色の体毛に黒い稲妻のような縞模様の刻まれた、鋭い爪をそなえる虎の能力者。彼らを援護するべく、狙撃銃を構えた隊員らが隊列を組んだ。
間もなく、戦闘が開始された。
屋内の比較的狭い空間では、セイレーンの歌声やメドゥーサの毒霧を回避することは難しい。彼女たちの繰り出す攻撃を躱すのに、蓮と佐伯は四苦八苦していた。
ペガサスの場合と異なり、彼女らの能力は密閉空間でこそ真価を発揮する。野外と違って音が全方向に拡散しないため、セイレーンの歌声を意識から締め出すのは困難をきわめる。メドゥーサの放つ毒霧も、射程圏外に逃れられなければ致命傷になる。前に使ったような戦術は、ここでは使えない。相手の目を見てはいけないという制約も、蓮たちの動きを阻害していた。
メドゥーサの頭部の蛇たちがシューシューと蠢き、次々に毒液を吐き出す。左右に跳んで辛うじてそれを躱し、蓮と佐伯は床を転がった。背後を振り向き、こくりと頷く。
それを合図に、討伐隊は一斉射撃を行った。降り注ぐ弾丸の嵐が、セイレーンとメドゥーサを襲う。頑丈な翼と石化した皮膚が今のところ攻撃を受け止めているが、この状態が続けば形勢は討伐隊にやや有利に傾く。
ガガガガ、と銃弾の当たる乾いた音が響く。そのノイズが、セイレーンの歌声から束の間意識を逸らす助けになった。
銃撃が止んだ一瞬を突いて、蓮がセイレーンに飛びかかる。床を蹴って高く跳躍し、体を包む硬い翼を右拳で思い切り殴りつけた。バランスを崩したところに、左腕を振るいジャブを放って、さらに追撃を仕掛ける。セイレーンは徐々に高度を下げる一方で、相手をコントロール下に置くべく声量を上げた。口の動きも速くなる。
意識に侵入しようとしてくる奇妙なメロディーに懸命に抗いながら、蓮は攻撃を続行した。着地とジャンプを繰り返し、ヒットアンドアウェイで着実にダメージを与えていく。
隙を逃さず、佐伯も動いていた。メドゥーサの側方に回り込み、目を直接見ないように注意しつつ回し蹴りを繰り出す。キックは腹部に命中し、メドゥーサがよろめいた。
こちらを向き、毒霧を吐きかけようとしてくる彼女から、佐伯が素早く目を逸らす。後方に大きく跳び、敵の間合いから逃れた。同時に横方向に疾駆し、再びチャンスを窺う。討伐隊の銃撃と佐伯自身の近接攻撃を交互に放っていけば、少しずつではあるがメドゥーサの防御を崩せるはずだ。
不利な条件での戦いではあったが、隊員たちと連携することで、二人の戦士は第二世代の能力者たちと互角以上に渡り合っていた。
下の階で繰り広げられている戦闘の様子を、ジェームズは最上階の実験室にあるモニターで眺めていた。
その傍らでは、彼らのプランの準備が着々と進行している。ユグドラシルは装置の中に身を横たえており、首輪型の器具と電極を装着済みだ。装置の上部には巨大なアンテナのようなものが取り付けられ、また、台車に乗せられた装置は適正な位置に移動させることが可能になっている。最終チェックが終わり次第、いつでも計画をスタートさせられる状態だった。
しかし、いくらプランが順調に進んでいても、侵入者に妨害されてはたまらない。出入り口を守っていたペガサスは既に撃破され、十階付近を警備させておいたセイレーンとメドゥーサもやや苦戦している。 討伐隊が奇襲を仕掛けてくることは予想できていたが、彼らの力を少々見くびっていたかもしれない。ジェームズはそう思った。
けれども、彼は全く狼狽の気配を見せていなかった。こういう緊急時のために、NEXTは切り札を隠しているのだ。
スーツのポケットから携帯端末を取り出し、ジェームズは地階で待機させておいた部下に命じた。
「ラードーンを使います。至急、十一階まで運んで下さい」
実は、作者がこの小説で一番気に入っているキャラクターは澤田です。
彼と松木、そしてペガサスとの最後の戦いは、特に力を入れて書かせていただきました。




