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汚された箱庭  作者: 瀬川弘毅
5 ユグドラシルの雨
27/34

27 宣戦布告

 車内では、皆が思い思いに時間を過ごしていた。目的地は都心のビル群の中にあり、キャンプ地からはかなり遠い。佐伯はいつも通り筋トレに励み、腕立て伏せを繰り返しやっている。森川も彼を見習ってトレーニングを始めたが、ついさっき根を上げていた。


「も、もう無理や。決戦前に体力使い過ぎてもいかんし、これくらいにしとくわ」

「甘いな。全力で練習に取り組めない者が、本番で万全のパフォーマンスを発揮できるわけがない」

 へたり込んでしまった彼女を一瞥し、佐伯は腕立て伏せを続行した。ほとんど汗を流すことなく、淡々と回数を重ねていく。

「佐伯君、ほんまにすごいなあ……」

 ため息をつき、森川が彼に憧れを伴った視線を向ける。その頬が紅潮していたのは、単にトレーニングをしたから、というだけではなかったかもしれない。


 蓮と井上も佐伯の筋トレに途中まで付き合っていたが、やがて銃の手入れなどの作業に移った。蓮自身は佐伯のペースにまだまだついていけたが、森川の言う通り、今頑張りすぎるのもかえって良くないかもしれないと思ったからだった。

 それに、息を切らしている井上を一人で脱落させるのにも抵抗があった。

「何だか、不思議だよね」

 トレーニングを切り上げると、彼女は少し体を近寄らせて言った。適度な運動で、白い肌にほんのりと赤みが差していた。


「私たち、最初はスパイダーを倒すために戦ってたのに、いつの間にかずっと大きな組織を相手に戦うようになっちゃって」

「ああ。今では、俺たち討伐隊に人類の運命がかかってるって言っても過言じゃないものな」

 説明しても世間の人々は信じてくれないだろうけど、と蓮が苦笑して肩をすくめる。井上は瞬きをして、それから慮るような眼差しを向けた。

「和泉君、絶対無事に戻ってきてね」


「それはお互い様だろ」

 困ったように微笑んで、蓮は言った。

「父さんと約束したんだ。全部終わったら、一緒にこの国の未来を見るって」



「おい、お前ら大変だ」

 突然、血相を変えて岸田が飛び込んできた。車内のスペースを区切っている仕切りを乱暴に押し開け、片手に持ったタブレット端末の画面を見せる。

 目的地までの道のりはまだ半分以上あるはずだ。何が起こったのかと、一同は怪訝そうな顔で画面を見た。

 そこに映し出されているのは、金髪に青い目をした、背の高い外国人が演説している様子を撮影した動画だった。カメラに向かい、彼は身振りを交えながら流暢な日本語で語りかけている。


「NEXT所長のジェームズって奴だ。今、そいつがその動画を公表し、各テレビ局に働きかけて放送させてる。重大発表だとか言ってな」

 画面の下には、何か国もの言語で字幕が羅列されていた。察するに、世界規模で放送しているのだろう。

 これまでメディアへの露出を極力控えていたNEXTは、一般市民からすれば謎に包まれた組織だった。それがヴェールを脱ぎ、大胆にも自らの戦略を発表するというのは異例の事態だった。


 だが逆に考えれば、もはや隠蔽する必要がなくなったのだとも受け取れる。彼らのプランは、ついに最終段階へと突入したのかもしれない。

 はたして、蓮たちが見つめる先で、ジェームズは演説を開始した。



 視線を向けるのは、目の前に浮遊しているドローンのカメラ。ジェームズは見えない聴衆たちへ上品な笑顔を見せ、話し始めた。

「国際研究機関NEXT所長の、ジェームズです。今日は、皆さんに大切なお知らせがあります」

 意図的に少し間を空け、注目を十分に集める。

「私たちNEXTの前身は、スパイダープランを提唱した科学者グループです。私たちが創り出したスパイダーは、紫外線を緩和し温室効果を抑制する糸を吐き出すことで、人類の生活を危機から守ってきました。いわばスパイダーの巣の下で、私たちは平和に甘んじていたのです」


 NEXTがスパイダープランに密接な関連があるという事実は、一部の人間しか知らなかったはずのことだ。しかし今となっては、伏せておく必要のない事実だった。この放送を見ている人々が驚き、狼狽している様を想像すると、自然と笑みがこみ上げてきた。


「しかし、それははたして正しい選択だったのでしょうか。確かに私たちは、スパイダーを生み出しその力に頼ることで、加速する地球温暖化の影響を受けずに暮らしてこれました。ですが、根本的な問題は何も解決していません。スパイダーの巣の外側では、温暖化現象は刻一刻と悪化しています。遅かれ早かれ、スパイダーの糸の効力だけでは温暖化の影響に耐えることができなくなるでしょう。そうなったとき、それは人類が真の滅亡を迎えるときです」


 スパイダープランを提唱しておきながら、その欠陥を自ら指摘する。無力な人民はさぞかし不思議がっていることだろう、とジェームズは他人事のように考えた。もっとも、これは彼の戦略の内だ。この後、スパイダープランの代替策を彼は打ち出すつもりだった。


「また、スパイダーの行動プログラムに何らかにバグが生じ、市民を襲うようになってしまったことも大きな問題です。改めてお詫び申し上げます」

 口調こそ丁寧だが、形式だけで誠実さの伴わない謝罪だった。

「……つまり、今のままの生活を維持し続けるのは不可能なのです。私たちは変わらなくてはならない。人は、スパイダーによって守られた箱庭の中で生きるのではなく、自分の足で大地を踏みしめて生きなければならないのです」


 その箱庭を創ったのが自分たちであるということには、ジェームズは触れなかった。人によっては、彼がきわめて自分勝手な論理を押しつけているような印象を持ったかもしれない。

「本日の午後四時をもって、スパイダープランを凍結します。全ての個体は速やかに無力化され、同時にスパイダーに代わる新たな生存手段が人類にもたらされます。その詳細については、また後ほどお伝えします」

 そう言って、自信たっぷりにジェームズは演説を締めくくった。質疑応答の時間などは、当然のように設けられない。


 直後、画面がブラックアウトし何も見えなくなる。後には、不吉な余韻だけが残された。スパイダープランの凍結、及びその代替策の提示。ジェームズの話した内容は、蓮たちの想像を超えたものだった。

「……午後四時だと?」 

 誰に言うとでもなく、佐伯が呟いた。

 NEXTの計画が始動するまで、あと二時間を切っていた。



 ジェームズが動画を公開したことは、瞬く間に隊員たちの間に知れ渡った。一刻も早くNEXTを阻止しなければという使命感が、彼らを突き動かす。法定速度などおかまいなしに、トレーラーは走り続けた。

 やがて数台の大型車は、NEXT本部ビル手前のパーキングエリアに停まった。迷彩柄の戦闘服に身を包んだ隊員らが、銃を片手に次々と飛び降りる。

 曾我部の合図で、皆は一斉に動いた。ここまでの移動に時間を要してしまったため、残された時間はもう一時間もない。今は一分一秒が惜しかった。駆け足で、ただし、なるべく足音は立てぬように移動し、NEXTの敷地内へ入る。


 キャンプ地へ残してきた岩崎によれば、ユグドラシルを使った実験が行われていたのは中央に高くそびえている円柱形のビルらしい。摩天楼の地上一階部分の正面入り口へと、討伐隊の面々は疾駆した。

 ジェームズがNEXTの方針を発表した以上、遅かれ早かれ討伐隊が攻めてくるであろうことは敵も予測しているはずだった。であれば、付け焼刃や小細工は通用しない。奇襲ではなく、正面突破を敢行することを曽我部は決定していた。


 自動ドアをくぐると、せわしなく動き回っている職員らの姿が目に入った。

 NEXTは基本的に秘密主義で、今日のジェームズの放送のような例外を除き、不必要な情報を公開することはない。問い合わせ番号なども、部外者には伝えていない。しかし、秘密とはどこかから漏れるものだ。

 先刻のジェームズの演説を受けて、NEXTの真意を問いただそうとする電話が相次いでいる。受付の女性たちはその度に、「申し訳ありませんが、今はお答えすることができません。後ほど詳しくお伝えします」と礼儀正しく答えていた。所長に指示されたマニュアルに、彼女たちは従順にしたがっていた。ユグドラシルを利用した計画の準備だろうか、大型の実験器具のようなものを上階へ運んでいる者も多い。


 武装した戦士たちが突入すると、彼らはひっと悲鳴を上げた。各々の仕事を放りだし、方々へ散るようにして逃げていく。

 NEXTに所属している者のほとんどは、岩崎と同じような研究者だ。彼らは戦闘のための特別な訓練を受けたり、特殊な力に恵まれたりはしていない。脅威にはならないだろうと考え、討伐隊もあえて発砲するようなことはしなかった。

 警戒しなければならないのは、戦うための異能を宿した者たちだ。


 一目散に逃げ去っていく職員たちの間を縫うようにして、一人の男が歩み出てくる。綺麗に磨き上げられた大理石の床を、彼はカツン、カツンと革靴で踏みしめて歩いてきた。紺のスーツを着込んだ男は、冷ややかな視線を隊員たちへ投げかけた。これだけの人数を相手にしても、全く恐れを見せていなかった。

「来ると思っていましたよ。討伐隊の皆さん」

 微かに笑みさえ浮かべ、ペガサスはこちらを見回した。

「我々の計画の邪魔はさせません」


 その目には、「ここから先には絶対に行かせない」という強い意志が宿っていた。今にも両勢力が激突するかと思われたそのとき、二人の男が討伐隊の前へ進み出た。

「NEXTが計画を発動するまで、もう時間がない。ここは俺たちに任せて、お前たちは先に行け」

 澤田は静かにそう告げ、松木も首を縦に振った。


「隊長、私も行きます」

 続いて名乗りを上げた白石を、澤田は手で押しとどめた。

「駄目だ。ユグドラシルを救出した後、彼女を連れて安全な位置まで逃げることのできる人物が必要だ。それを任せられるのは、白石、お前しかいない」

「でも……」

 彼女は、いまだ納得できない様子だった。なおを食い下がろうとする白石に、澤田はやや強い口調で命じた。

「いいから行け!」


 びくりと体を震わせ、白石の瞳が不安定に揺らぐ。隊長からきつく叱責されたのはこれが初めてで、それだけ彼女が受けたショックは大きかった。

「これは、俺自身の戦いでもあるんだ」

 だが、続く澤田の言葉を聞いて、白石ははっとした。澤田は、藤宮を殺したこのペガサスという能力者を、心の底から憎んでいる。辛うじて怒りを抑えてはいるが、今も目の前に立つ仇敵に対して闘志を燃え上がらせていた。


「澤田さん、それを言うなら『俺たち自身の』ですよ」

 眼鏡を指でくいと押し上げ、松木が口を挟む。彼もまた、澤田の同志であった。白石が二人に向かって小さく頷き、了解の意を示す。


(澤田、松木、頼んだぞ)

 蓮は心の中で二人に礼を述べ、他の隊員らに続いた。強敵の相手を任せることに若干の不安はあったが、ここで時間を消費するわけにいかないのも事実だ。脇にある階段を駆け上がり、上階を目指す。

 討伐隊はこの場を二人の能力者に任せ、先を急いだ。後を追おうとするペガサスの行く手に、澤田と松木が立ちはだかる。


どういう意図でこのタイトルにしたのか、気になっていた方もいるかもしれません。


今回のジェームズの演説内容が、それに対するアンサーの一部になっています。

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