25 奪取
「何度やっても同じことです。あなたたち旧世代の力では、私には勝てない」
高らかに言い放ち、ペガサスは翼を広げて一気に上昇した。ぐんぐん高度を上げたかと思うと、水泳の 飛び込みを思わせる姿勢から降下に転じる。猛禽類の翼を自在に操って姿勢を制御し、飛びながら攻撃の構えをつくる。右足を前に突き出した跳び蹴りのフォームをとった彼は、急降下の勢いを加えたキックを放った。
「まずは、あなたから蹴散らしてあげましょう!」
勝利を確信したように、ペガサスが笑う。彼の攻撃は、真っ直ぐに蓮へと向けられていた。
それまで防御姿勢をとっていた蓮は、蹴りが命中する直前に動いた。横に跳んで攻撃を躱すと同時に、体の向きを反転させる。ペガサスの側方に素早く回り込んだ蓮は、相手が繰り出した右足のつま先を両腕で掴んでいた。
「何⁉」
ペガサスが動揺の気配を見せる。足に力を込めて振り払おうとするが、蓮の筋肉質な腕は足先をがっしりとホールドして離さない。いや、そもそも空中に浮かんだ状態で、足の先端に力を入れるということ自体が困難なのだ。いくら脚部に強靭な筋肉をそなえていても、むやみに足を動かせば姿勢が乱れてしまう。
「あんたは確かに強い。翼を使って姿勢を制御することで、攻撃を繰り出した後に生じる隙を最大限に減らしてる」
腕を離さぬまま、蓮は言った。
「でも、全く隙が無いわけじゃない。蹴りを放った後の僅かな時間、あんたは無防備になる」
以前戦ったときに、大まかにではあるがペガサスの戦闘スタイルのクセを見切ることができた。彼に勝つため、最近は佐伯との組み手でもそれを意識するようにしていた。積み重ねてきた鍛錬の成果が、ようやく現れた瞬間であった。一瞬の隙を突くことで、敵の動きを制限することに成功する。
こうなると、ペガサスに残された選択肢は二つだ。全身の力を両足に集中させ、何としてでも蓮による拘束から逃れるか。それとも、翼の推進力を全開にして相手を振り切り、もう一度体勢を立て直すか。
刹那の逡巡ののち、彼は後者を選んだ。大きく羽を広げて逆方向に飛び、蓮を振り払おうとする。それに対し、蓮は両足を踏ん張って耐えた。地面との摩擦で、足の裏が焼けるようだった。じりじりと引きずられるようなかたちにはなっているが、ペガサスの思惑通りにはさせていない。蓮の手は、彼の足先を掴んだままだ。
「しつこいですね、あなたも」
舌打ちし、ペガサスがぼやく。出し抜けに、横ではなく上へと力の加わる方向が変わった。蓮を空中まで吊り上げ、高所から突き落として倒そうという算段らしい。
しかし、ペガサスが高度を十分に上げるより先に、蓮が反撃に出た。両手をつま先から足首へと伸ばし、円を描くようにしてペガサスの体を振り回す。全身の筋肉を軋ませ、唸りを上げるほどの速さで敵を放り投げた。
遠心力に逆らえず、ペガサスの体が宙を舞う。翼をはためかせて角度を微妙に調整することで、どうにか地面に叩きつけられることは回避できた。数十センチの高さに浮かび、再び上昇を図る。
地上付近に留まれば、先刻のようなカウンターを食らう恐れがある。もう一度空へ舞い上がり、次こそ必殺の一撃で仕留めるのがベストな選択だ。彼はそう判断した。
だが、ペガサスは獅子の能力者である蓮を警戒するあまり、状況を俯瞰的に見ることができなくなっていた。おそらくはそれが、彼の敗因だろう。
剛腕を振り上げた澤田が、真横から襲いかかる。繰り出される渾身の殴打に気がつくのが数秒遅れ、ペガサスは驚愕に目を見開くばかりだった。防御も回避も間に合わなかった。
「この拳は、今までに散っていった仲間たちの無念……そして、俺自身の憤怒の炎だと思え!」
飛びかかった澤田のストレートパンチが、右、左と連続でペガサスの胸部に叩き込まれる。溜め込んできた感情を爆発させ、澤田は咆哮を上げながら攻撃を繰り出した。
凄まじい衝撃がペガサスを襲い、吹き飛ばす。大木の幹に体を打ちつけ、彼は力なく倒れ込んだ。
接近戦では不利と見たか、セイレーンは佐伯と松木のタッグを警戒するように高度を上げた。巨大な翼を広げて上昇していく彼女を、二人はただ見上げていた。
「どうするつもりなんです。このまま奴が歌を歌い出せば、我々は窮地に立たされますよ」
焦ったように言う松木を、佐伯は敵から目を離さずに手で制した。
「奴だって、自分の歌声を俺たちに聴かせて攻撃したいはずだ。歌を聴かせることができなくなるほど、高く飛び上がることはできない」
「なるほど。しかし、どうやって攻撃を命中させるつもりです? ライフルで撃ち抜くにしても、簡単にはいきそうにもありませんが」
訝しげに問う松木に、佐伯は一言、「俺に考えがある」とだけ伝えた。
「松木、肩を貸せ」
「了解です」
佐伯の意図を何となく理解し、松木が頷く。サイの能力を発現した彼は前傾姿勢をとり、背中に佐伯を乗せた。灰色の厚い皮膚の上に、黄色と黒の稲妻模様の刻まれた虎の戦士が両足を乗せる。鋭い爪をそなえた両腕を体の前で構え、佐伯は威嚇するように唸り声を上げた。
それと、セイレーンが口を開いたのがほとんど同時だった。赤い唇と唇の隙間から、不思議な旋律が流れ出す。
「いよいよお出ましだ。行くぞ」
「今日だけは、あなたの命令に従うとしましょうか」
佐伯の指示に、松木がこくりと頷く。グレーの硬い皮膚に覆われた巨体が疾走を始め、瞬く間にセイレーンのほぼ真下の位置に到達する。
「馬鹿な。何故、私の歌が効かない⁉」
戸惑いを隠せずに、セイレーンが喚いた。歌のテンポを様々に変え、苦い過去の思い出の中に二人を誘い込もうとする。けれども、彼らに動じた様子はなかった。両親をスパイダーに殺された佐伯と、同胞の多くを失った松木。思い出したくない過去がないはずはない。
松木の変化するサイの能力者は、突進攻撃を得意とする。攻撃の軌道は直線的なものに限定されるものの、瞬発力の高さでは特殊部隊の中でもトップクラスだった。松木の疾駆は誰よりも速く、その際に生じるノイズを二人は利用していたのだった。すなわち、勢いよく風を切る音である。
ノイズの混入により、セイレーンの歌声の効力は半減する。彼女の特殊能力の影響をほとんど受けずに、佐伯と松木は距離を詰めることに成功していた。
「はあっ!」
松木の背を踏み台とし、佐伯が高く跳び上がる。右腕を軽く後ろに引き、下から掬い上げるようなアッパーカットを繰り出した。
「くっ……」
セイレーンが歯噛みし、咄嗟に翼で全身を包むようにして守る。対スパイダー用ライフルの銃弾にも耐えうる強度を誇る羽は、通常の攻撃であるならば傷つくことなどあり得なかった。
だが、跳躍した勢いの加えられた佐伯の一撃は、彼女の想像を超えた威力を発揮した。佐伯の拳が硬い翼にヒットし、セイレーンの肉体を揺さぶる。バランスを崩しかけ、彼女は翼による防御を解くと、やや高度を下げた。後方に飛んで間合いをとろうとした彼女へ、松木が迫る。
「一矢報いさせてもらいますよ!」
力強く地面を蹴り飛ばしてジャンプし、右肩を前に突き出す姿勢をとる。猛烈な勢いで放たれたショルダータックルを食らって、セイレーンは悲鳴を上げた。もはや空中で姿勢を維持することもままならず、ふらふらと落下する。生い茂った草木の上に、彼女は力尽きたように崩れ落ちた。
静かに着地し、二人の戦士は無言で笑みを交わした。かつて仇敵同士であった彼らだが、今では互いの技量を認め合っていた。
一方でその他の隊員らは、メドゥーサを取り囲んで絶え間なく銃撃を浴びせている。前回の佐伯の作戦を踏襲し、全方向から相手を狙い撃っている。
今回は四人の能力者を他に割いているため、メドゥーサに決定打を与えるにはまだ至っていない。だが、彼女の纏う石の鎧は崩れかかっていた。彼女の吐き出す毒液や猛毒の霧も、慎重に距離を取り直撃を避ければ致命傷にはならない。少しずつではあるが、討伐隊は優位を築いていた。蓮や佐伯たちが敵を撃破した後こちらに加わってくれれば、勝利は確実なものになるだろう。
誰もが「押し切れる」と確信したそのとき、隊員らのいる林に黒い影が落とされた。
「スパイダーか?」
誰かがそう叫び、頭上を見上げる。普通なら、そう考えるのが最も自然かもしれない。近くを接近中との情報は入っていないものの、突然現れたということも大いに考えられる。つられて、渚も上に視線を向けた。
けれども、出現したのはスパイダーなどではなかった。紅の鱗に身を包んだ、巨大な飛竜。大型のスパイダーをも凌ぐ体躯を誇るその怪物は、上空を滑るように飛び、こちらに向かって高度を下げてきた。
「まさか、あれが和泉零二の言っていた竜か」
はっとして、曽我部が呟く。血相を変え、彼は作戦の変更を告げた。
「総員、退避せよ!」
彼が言い終わるか言い終わらないかのうちに、竜は顎を大きく開いた。喉の奥に、てらてらと光る赤いものが見え隠れする。次の瞬間、飛竜は爆炎を吐き出した。
辺り一帯全てを焼き払うほどの、絶大な破壊力をもつ一撃。木々は真っ黒に焦げ、地面は極限まで乾燥する。あまりの強さに、能力者たちも太刀打ちできなかった。
迫り来る熱波に吹き飛ばされ、蓮と澤田が地面を転がる。側には、同じように佐伯、松木の二人も倒れていた。顔を上げると、炎に包まれた森のみが視界に入る。
「何て強さだ」
腕に負った火傷が、少し痛む。蓮は顔を歪ませ、悔しそうに言った。
第一世代と第二世代の能力差も確かに大きかったが、これはそういう次元を超えている。歯が立つ、立たないというレベルではなく、赤き竜――ラードーンは、他の能力者たちを圧倒する戦闘力を見せつけた。もっとも、あの竜が能力者と呼べるのかについては疑問が残るが。
「あれが、お前の父親の言っていたNEXTの最終兵器とやらか」
片膝を突いた姿勢で、佐伯が呻く。
「無茶苦茶だ。あんな大規模な攻撃を仕掛ければ、味方にも被害が出かねない」
味方、という単語を聞いて、巨大すぎる敵を相手に呆然としかけていた蓮の意識が、再び研ぎ澄まされた。周囲に目を向けたが、ペガサスの姿は見当たらない。セイレーンも近くにはいないようだった。
「やられた」
高い炎の壁に阻まれて、彼ら四人は身動きの取れない状況に陥っていた。唇を噛み、蓮は握り締めた拳を震わせた。自分たちの力があと一歩のところで及ばなかったことに、不甲斐なさを感じてどうしようもなかった。
「あの竜は、単に援軍として送られてきたんじゃない。多分さっきの攻撃は、俺たちと討伐隊の合流を阻んで、確実にユグドラシルを手に入れるためだったんだ」
辺りを取り囲む業火が収まるまで、自分たちには移動も何もできない。四人は無力で、ユグドラシルたちが無事でいてくれることを祈るしかなかった。
木々が焼かれ、黒々とした煙が方々で上がる。その中に紛れるようにして、ペガサスとセイレーン、それにメドゥーサは討伐隊の包囲から逃れていた。ラードーンの放った火炎は、彼ら三人のいた位置を微妙に外していたのだ。
猛禽類の能力をもつペガサスは目がきき、多少視界が悪いところでも周囲を見回すことができる。その異能をフルに発揮して、彼は低空飛行しながら討伐隊の様子を偵察した。立ち込めた煙のせいで、誰もペガサスの接近には気づいていない。何とか炎の直撃を逃れた隊員たちは、混乱のただ中にいた。
(見つけた)
ついに彼の目がターゲットを捉えた。隊列のずっと後方、テント群に残っている数名の男女。その中に、彼女はいた。
(あの化け物の介入を受けたのは予定外でしたが、まあいいでしょう。当初の目的を果たさせてもらいましょう)
地面すれすれを滑空し、ペガサスが肉薄する。岩崎の側で不安げな表情を見せていたユグドラシルは、彼に気づき、か細い悲鳴を漏らした。ペガサスがその華奢な肉体を抱え上げ、岩崎から奪い取る。そのまま飛翔し、ターゲットを確保して逃走しようとする。
「ユグちゃん!」
反射的に手を伸ばした岩崎の腹に、ペガサスは空中から容赦なく膝蹴りを叩き込んだ。先刻の戦いで消耗してはいたが、まだ余力は残っている。能力者でない普通の人間が相手なら、楽に蹴散らせた。苦しげな呻き声を上げ、岩崎が崩れ落ちる。
「てめえ……彼女を放しやがれ!」
激高した岸田が、ライフルの銃口をペガサスへ向ける。体を捻ってその照準から逃れると、ペガサスは足を軽く振った。かかとを銃身にヒットさせ、岸田の手から狙撃銃を吹き飛ばす。
「悪いですね。あなた方の相手をするほど、私は暇じゃない」
捨て台詞を吐き、ペガサスは飛行速度を引き上げた。隊員たちの構えたライフルの射程から即座に逃れ、NEXTの施設を目指して真っ直ぐに飛ぶ。その両腕の中で、ユグドラシルは恐怖に身を震わせていた。
ペガサスが無事に任務を遂行したのを見届けて、セイレーンは相方に声を掛けた。
「そろそろ、私たちも退くわよ。煙が晴れたらまずいわ」
しかし、メドゥーサは焼け野原となった森から目を離さなかった。そこに意識を囚われたかのように、辺りを見回してばかりいる。全くと言っていいほど感情を表さない彼女にしては、ひどく珍しいことだった。
「あっ、ごめんなさい。すぐ行きましょう」
我に返ったように、やがてメドゥーサがぽつりと言った。セイレーンはしばし怪訝な目を向けていたが、あえて何か言おうとはしない。翼を広げ、彼女を抱き上げるようにして高度を上げていく。ペガサスの後を追って、彼女ら二人も撤退した。
セイレーンに抱きかかえられ、滑るように空を飛んでいく。メドゥーサは、ふと横に視線を向けた。遠くを並んで飛行している巨大な影は、自分たちを助けてくれたあの竜に違いなかった。
そのとき彼女の中に、今までに抱いたことのない感情が芽生えた。それは、ただひたすらに「怖い」というものだった。
メドゥーサは自分でも意識しないうちに、ラードーンを恐れていた。
約一時間後に火は消し止められたが、討伐隊には多くの課題が残された。焼き払われたキャンプ地に留まることはできず、移動の準備が急ピッチで進められている。隊員たちは各自の荷物をまとめ、無事だったテントを畳み、その他の資材をトレーラーに積み込んでいた。
「皆、大丈夫だった?」
炎の壁で他の面々から分断されていた四人は、つい先ほど戻ってきたばかりだった。彼らに気づいた森川は作業を中断し、軽く手を振った。側には井上もいる。けれども状況が状況だけに、上手く笑顔をつくることはできなかった。
「大したことないよ。それより、そっちは無事だった?」
曖昧な笑みを浮かべている彼女たちを見て、蓮は嫌な予感がした。だが、尋ねないわけにもいかなかった。
「うちらは大丈夫やけど、ユグちゃんが連れ去られてしまったんよ」
沈んだ声音で、森川が答える。
「ごめん。俺たち、彼女を守ることができなかった」
悔しさを滲ませて、蓮は謝罪した。謝ってどうにかなるものでもなかったが、他にどうすればいいか分からなかった。佐伯ら三人も、居心地悪そうに目を伏せた。
確かなのは、局面はかなり不利な方向に傾いているということだった。