2 初陣
討伐隊の朝は早い。太陽が昇ると同時に皆目を覚まし、身支度を始める。当番の者は朝食を準備し、そうでない者は武器の手入れなどの仕事に早速取りかかる。
昨日と同じものを着てもよかったのだが、衛生面を考え、和泉は一応他の戦闘服に着替えた。隣に座る佐伯も、無言でそうする。
テントまで運ばれてきたメニューは、白米に加え総菜の缶詰がいくつか、というものだった。保存食が多くてやや味気ない朝食だったが、決して不味いわけではない。栄養的にも問題はないだろう。
自由な暮らしを手に入れたのだからこのくらいは我慢しなければ、と蓮は自身に言い聞かせた。かきこむようにして食べ終え、お盆と食器を所定の場所に返しに向かう。少ししてから、佐伯もその後に続いた。
食事が済むと、第十八班は岸田に召集された。やる気のなさそうなのは相変わらずだ。
「今日から本格的に訓練を始める。まず、射撃からだ」
髭の剃り跡の残る顎を手でかきながら、岸田はもう片方の手で地面に置いた木の箱を指差した。しゃがみ込み、蓋を開ける。
その中に鎮座していたのは、鈍く銀色に光る四丁の狙撃銃だった。
「これは対スパイダー用のライフルで、奴らの頑丈な皮膚を撃ち抜けるだけの威力がある。戦闘において、お前らがメインで使うことになるだろう武器だ。…よし、じゃあ一人一丁ずつ持ってみろ」
一番先に木箱に近づいたのは佐伯だった。何の躊躇もなくライフルを手に取った彼は、既に戦士の顔つきをしていた。
和泉、森川と続き、最後に井上が銃を掴んだ。その間に、岸田は四人から離れた林の方へ歩いて行った。適当に選んだ四本の木の幹に、懐から取り出したナイフで切りつけてバツ印をつける。
班員たちを振り返り、岸田が声を張り上げる。
「このバツ印の中心点を狙って撃つ。それが今日の訓練内容だ。至ってシンプルだろう?」
蓮は目標となっている木々へ視線を向けた。十メートルほど離れた位置にほとんど等間隔に立っている木の幹を、一人一つ撃ち抜けばいい。射撃の経験があるわけではないが、コツがつかめればそれほど難しい作業ではないのではないだろうか。
「銃弾は満タンまで入れてるが、あまり無駄撃ちはするな。用意ができたら各自始めてくれ」
岸田の指示で四人は散らばり、狙撃銃を構えた。銃口を的に向け、慎重に狙いを定める。
金属のひんやりとした冷たさと重さが手に伝わって、武器を手にすることの責任とか、そういう類のことを嫌でも意識させられる。
(とにかく、上手く的に当てれば目標クリアだ)
討伐隊への入隊を決めた時点で、こうした訓練を受けることになるのは想定済みだ。今更恐れるようなことは何もない。
蓮は目を細めて木に刻まれたバツ印を睨み、誰よりも先にトリガーを引いた。
その瞬間、物凄い衝撃を体に感じた。ライフルの全体が大きく振動し、それが肉体を激しく揺さぶった。
「うわっ……⁉」
気がつくと、蓮は後ろに吹き飛ばされていた。射出された弾丸は目標を大きく逸れ、木のどこか上の方へ飛んでいった。一帯に生い茂った雑草が地面にぶつかった衝撃を緩和してくれたが、背中が痺れるように痛む。
開始早々にトップバッターが脱落したためか、他の三人は銃を下ろし、何が起こったのか分からないというようにこちらを見ていた。自分は二の舞になりたくない、という多少の打算もあったかもしれない。
少なくとも彼女にそんな考えはなく、純粋に彼の身を案じていたのだが。
「…れ、蓮君、大丈夫なん?」
「ああ、何とか」
森川は事態に気づいてすぐ、自分の銃を放り出して駆け寄ってきた。心配そうに覗き込む顔が心なしか近くて、思わずどきっとしてしまう。手を貸してもらって立ち上がり、礼を言った。
ふと視線を感じて振り返ると、にやにやと笑いながら岸田がこっちを向いていた。
「悪い、言い忘れてた。その銃、威力もすごいが反動もすごくてな。慣れるまでが大変なんだ」
蓮はその瞳を、挑むように見返した。
「……もう一度、やってみます」
何度だってやってやる。半ば意地になりつつも、そう思った。この武器を扱えなければ、スパイダーは倒せない。討伐隊の中で足手まといになりたくなければ、血を吐いてでも習得しなければならない技術だ。
「その意気」
にっと笑いかけ、岸田はサムズアップしてみせた。張り詰めていた空気が、束の間弛緩する。
「うちも、頑張ってみる」
安心した様子の森川は蓮にふふっと笑いかけ、所定の位置に小走りで戻っていく。
小休止は終わり、訓練は再開された。
断続的に銃声が響く。
幾度目かも分からない尻餅をつき、蓮は悪態を吐きたい気分だった。姿勢を低くして撃つことでだいぶ衝撃を殺せるようになってきたものの、まだ完全ではない。それに、的であるバツ印にもなかなか命中しない。端の方を撃ち抜くのには何回か成功しているが、中心部に当たらないのだ。
ちらりと横を見やると、森川も結構苦労しているようだった。照準は蓮の方がいくらか正確だと思われるが、進捗状況は似たようなものだ。
そのとき、ダン、と一際鋭く銃声が轟いた。反射的に、さっきと反対方向に顔を向ける。
まさに完璧な射撃だった。
佐伯の撃ち出した弾丸は、幹に刻まれた印の中心を見事に撃ち抜いていた。いや、それだけではない。彼は、狙撃後も姿勢を乱していなかった。つまり、銃撃に伴う衝撃に耐え切ったのである。
荒い息をつきながら、佐伯は次なる一射のため構えを取った。
(……すごい)
素直に尊敬の念が湧いた。同時に、負けられないとも思った。
自然と拍手が起こり、遠くでは岸田までもが控えめに両手を叩いていた。
夕方になり今日の訓練が終わった頃には、蓮も狙撃の衝撃に耐えるだけの技量を身につけていた。
けれども、照準の正確さではまだまだ佐伯に劣るという自覚もあった。これからも、さらに腕を磨かなければならない。
テントまで歩いて戻ろうとすると、背後から軽やかな靴音が近づいてきた。
「今日も大変やったね」
「うん。お疲れ様」
ててっと走り寄り横に並んだ森川に、蓮は歩調を合わせつつ応じた。
「あのライフル扱うんは相当大変やね。うちなんか、全然当たらへんもん」
「まあ、こればっかりは地道に練習するしかないよな。早く佐伯に追いつかないと」
その名前を出すと、彼女の目の色が変わった気がした。
「……そうよ、佐伯君めっちゃすごかったやん。尊敬するわー」
嫉妬に似た感情を覚えた自分を、蓮は醜いと思った。目の前にいる女性に自分以外の男性を褒められるのは、あまりいい気分ではない。
だが、佐伯の腕前が確かなのは事実だ。今はその事実を受け入れ、精進するしかない。
(待て、何で俺はこんなことを考えてるんだ。ひょっとして俺は……)
馬鹿な、とかぶりを振ったが、少しだけ頬が熱くなったのを無視することはできなかった。
「蓮君は、佐伯君と話したりするん?」
興味津々な森川の声に、思考の中に沈みかけた意識が呼び戻される。
「いや、全然。なんかこう、話しかけづらい雰囲気だからさ」
「あー、分かるわ」
二人して苦笑する。彼の放つ研ぎ澄まされた刃のようなオーラは、何となく近づくことを躊躇わさせるのだった。
「そっちはどう?」
今度は蓮が話題を振る番だった。森川はきょとんとして彼を見つめた。
「うち?佐伯君とは全然やけど……」
不意にぽんと手を叩き、にやっと笑いだす。
「あ、そっかー。もしかして蓮君、佐伯君に対抗意識持っとる?」
「そんなんじゃないって。俺が言ったのは井上のことだよ」
顔に出ていたのだろうか。心情を言い当てられて狼狽したが、文脈の把握が間違っている。慌てて訂正すると、森川はたちまちかあっと赤くなってしまった。上目遣いにこちらを見上げては視線を逸らし、逸らしては見上げる。こっちまで恥ずかしくなってしまうからやめてほしい。
「ご、ごめん」
「いいって」
気まずい沈黙が流れた。やがてテントが見えてくると、森川はようやく口を開いた。
「渚ちゃんとは、コミュニケーション取ろうとしてみてるんやけど……なかなか上手くいかんね。話しかけたら答えてくれるけど、まだうちに心を開いてないみたい」
寂しそうな口ぶりだった。彼女の明るくフレンドリーな性格を知っているだけに、気持ちは容易に察せられる。
今日の訓練中の井上の様子は、ひどいものだった。佐伯に倣うようにして蓮と森川も射撃技術を上達させていく一方、彼女だけがまだ弾丸射出の衝撃に耐え切れていない。一発撃つたびに地面に倒れ込む姿は、手足が細いことと相まって痛々しかった。
「あいつ、変わってるよな。討伐隊にいそうな感じじゃない」
「そうよね」
森川はしばし考えるような仕草をし、それから笑顔をつくった。
「でも諦めんよ。今日も話しかけてみる」
「……俺も、佐伯とちょっと話してみようかな」
蓮も微笑んで答える。いずれにせよ、このまま彼とぎすぎすした関係を続けるのは精神衛生上良くない。仲間と積極的に関わろうとしている森川に背中を押されるようにして、前向きな台詞が自然と口をついて出た。
「いいと思うよー。それじゃあ、また夕ご飯のときにね」
「うん、また後で」
森川は軽く手を振り、自分のテントの方へ戻っていった。それに片手を上げて応じ、蓮も自身のテントへ入った。
案の定、佐伯はもう帰っていた。テントの床部分に手を突き、腕立て伏せをしている。訓練の後も筋トレに励むとは、真面目な彼らしい。
蓮が戻ったのに気づくと、佐伯はちらりとこちらを見ただけで体をずらした。どうやら座るスペースを空けてくれたらしい。
そのままトレーニングを再開しようとする彼に、蓮は思い切って話しかけてみた。
「あのさ」
「……何だ?」
射抜くような眼光に気圧されそうになりながらも、言葉を繋ぐ。
「今日の訓練のときの佐伯の射撃、めちゃくちゃすごかった。今度、俺にもコツ教えてくれないかな」
「それはどうも」
腕立て伏せを中断し、佐伯はあぐらをかいて座った。側に置いてあったタオルで汗を拭い、まんざらでもなさそうに薄い笑みを浮かべる。
「次の射撃訓練のときに教える。それでいいか」
「全然大丈夫だって。ありがとう」
愛想のない奴かと思ってたけど、話せば分かるじゃないか。蓮は安堵し、笑顔で感謝の意を伝えた。
しかし、佐伯はそれだけ答えるとすぐに筋トレに取りかかろうとした。またしても上体を伏せようとする彼に、蓮はやや面食らった。せっかく見つけた会話の糸口をここで見失っては、勇気を出して話しかけた意味が半減するというものだ。
「佐伯は、何でそんなに一生懸命なの? その、俺たちが不真面目なだけなのかもしれないけど」
質問としては微妙なものだっただろうか。ひょっとすると不快感を与えるかもしれない。
蓮の不安を知ってか知らずか、佐伯は今度も即座に手を止めて床に座り直し、問いに答えた。
「……俺の両親は、スパイダーに喰われた」
感情の籠っていない声で語られた過去に、蓮ははっと目を見開いた。
「俺は奴らを倒さなければならない。一匹残らずな。討伐隊に入ったのも、それが理由だ」
淡々とした口調に反し、佐伯の表情からは悲壮な決意が読み取れた。
「悪かった。変なこと聞いちゃって」
蓮は大きく頭を下げた。彼の踏み込んではならない領域に踏み込んだのだとしたら、一体何回謝ればいいのだろう。佐伯が誰よりも真剣に訓練やトレーニングに打ち込んでいるのは、自身の両親の仇を討つためだったのだ。
「謝る必要はない」
さらりと言ってのけた佐伯が意外で、怖々と顔を上げる。今では、彼は何の表情も浮かべていなかった。
「それより、お前だけ質問するのは不公平だ。俺にも質問させてくれ」
「どうぞ」
何故か敬語になってしまったのは、心理的な距離感ゆえか。
「お前は何故討伐隊に入った?」
「それは……」
隊長の曽我部にも、森川にも投げかけられた問いだった。その度に嘘をついてきた。無論、佐伯の前でも仮面を脱ぐわけにはいかない。
「人を食べるスパイダーが憎いからだ」
答えを聞くやいなや、佐伯は嘲るような笑みを浮かべた。
「何だそれは。生温いな」
「生温い?どこがだよ。佐伯と同じじゃないか」
思わずむきになって言い返すと、佐伯は眉をぴくりと動かした。
「じゃあ聞くが、お前は身内をスパイダーのせいで亡くしたことがあるのか」
「……それは、ないけど」
「だったら」
強い口調でそう言い、佐伯は蓮をきつく睨んだ。彼が生の感情を剥き出しにしているのを見るのは初めてだった。
「お前が討伐隊に入ったのは、安っぽい正義感に踊らされたからというわけだな」
出し抜けに立ち上がり靴を履くと、佐伯はテントを出て行った。
「おい、どこ行くんだよ」
「軽いランニングだ」
振り返ることすらせずに答え、美しいフォームで草むらを走り抜けて見えなくなる。
あとに残された蓮は、いまだショックから立ち直ることでできずにいた。佐伯に対して何か言ってやりたかったが、家族をスパイダーに捕食されたという彼に投げかけるべき言葉は見つからなかった。何より、友好的な関係を築けなかったのが残念だった。
もっとも、相手への配慮が足りなかった自分自身がその一因なのだが。
「ほら、起きた起きた」
テントの入り口を誰かが開け放ち、朝の冷たい空気が中に流れ込んでくる。その刺激で、蓮は目覚めた。
重い瞼を開けて体を起こすと、隣で寝ていた佐伯はもう寝袋から這い出していた。テントの中を覗き込んでいる岸田が、二人の顔を順番に見る。
「早く支度しろ。これから遠征だ」
「遠征?」
眉をひそめ、訝しげに佐伯が聞き返した。
「詳しくはあとで隊長から話がある。とにかく、戦闘準備を整えて外に集合してくれ」
それだけ言うと、岸田はさっさと立ち去ってしまった。
残された二人はしばし呆然としていたが、やがて弾かれたように用意を始めた。昨日の一件以来、蓮は佐伯と会話らしい会話をしていない。無意識のうちに、相手より先に外に走り出てやろうという競争心がはたらいていた。
結局、第十八班の班員が集まったのはほぼ同時であった。左から順に第一班、第二班と整列していき、十八班は一番右に並ぶ。
「おはよー」
ふわあ、と眠そうにあくびを一つし、森川が声を掛けてくる。
「何なんやろうね、急に。まだ朝の六時にもならへんのに」
意外なほど緊張感のない様子に、蓮は肩透かしを食ったように感じた。
「この時間に召集をかけられたってことは、やっぱり―」
そのとき、曽我部が隊列の前に立ち、皆を見回したのが見えた。隊員たちが会話を中断し、姿勢を正す。
「全員集まったようなので、作戦を説明したいと思います」
一拍空けて、曽我部は続けた。いつになく険しい顔つきだった。
「付近のエリア上空をスパイダーが移動中、との情報が入りました。サイズは小型。これまでに人を襲ったかどうかは確認できず、ゆえに政府軍の妨害が入ることも考えられます。予想移動経路にしたがって目標の進路に先回りし、政府軍の到着より先に撃破、撤収します」
ついにこの日が来たのか、と蓮は身が引き締まる思いだった。人の営みを脅かす巨大生物と、戦うときが。正直なところ、まだ覚悟が決まっているとは言い難かった。
曽我部は何でもないことのように言うが、政府軍の妨害は作戦を遂行する上で十分に障害となり得る。
「手配した車両は麓に止めてあります。班ごとに分かれて乗り込み、現場に向かってください」
指示を飛ばされてすぐに、各班の班長は動き始めた。さすがの岸田も今回ばかりは張り詰めた表情をしていて、四人の班員を誘導してトレーラーに乗り込ませた。
数台の車両は速やかに発進し、スパイダーとの対決へと向かった。
討伐隊の有するトレーラーの内部は簡素な造りで、薄い仕切りで班ごとに区切られているだけだった。椅子やクッションが置かれているほかは何もない。戦闘に伴う目的地への移動以外での使用目的は、おおよそ考えられていないようだった。実用主義的といえば聞こえはいい。
十八班の班員たちは、思い思いに座布団に腰掛けていた。班長らは車両前方に集まり、何やら話し合っている。他の隊員らの話し声が時折、遠くから聞こえた。ふと、苦笑混じりの囁き声が耳に届く。
「朝ごはん抜きで戦いに行くとか、最悪よね」
森川はクッションに座ったまま、それを引きずるようにして蓮の隣へ移動した。呆れとも驚きとも判別のつかない感情が湧いた。
「……森川は、戦うのが怖くないの?」
ある意味当然の疑問だった。訓練を受け始めて間もない自分たちは、まだまだ未熟な存在だ。そんな状態で戦場に放り出されて、生きて帰れる保証はあるのか。下手をすれば致命傷を負い、命を散らすことになるかもしれない。
「こんなところで怖がっとったら、前に進めんのよ」
笑みを消し、真剣な顔つきで彼女は呟いた。
「戦ってスパイダーを倒し続けて、懸賞金を手に入れて、向こうで苦しんどる家族を助ける。それがうちの為すべきことやから」
「……そっか。すごいな」
それに比べて自分はどうだろう。自分の戦う動機は、誰かを助けたいというのももちろんあるが、個人的な感情に動かされている部分も大きいように思える。真っ直ぐに思いを貫こうとしている彼女が、何だか眩しく見えた。
トレーラーは速度を落とさずに走り続けた。
十数分ほど経って、班長らのミーティングから岸田が戻ってきた。四人に対スパイダー用のライフルを一丁ずつ手渡しながら、手短に作戦を説明する。
「このトレーラーに乗ってる班は、新入隊員の割合が高い。班長をはじめ一年以上の経験がある者には至近距離からスパイダーに銃撃してもらうが、お前たち新入りには後方から援護射撃を担当してもらう。焦って撃ちまくる必要はないから、確実に当てろ。いいな?」
「はい!」
声の揃った返事に、岸田は満足そうに首を縦に振った。
「もうすぐ目的地だ。停車したらすぐ飛び降りれるようにしとけ」