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汚された箱庭  作者: 瀬川弘毅
3 新世代の戦士
14/34

14 肯定

 夕食の席では、班員総掛かりでユグドラシルにテーブルマナーを教えるのに一苦労だった。ようやく騒がしい時間が終わり、テントに戻って寝袋に潜り込む。

 それにしても気の毒な境遇だ、と蓮は少女のことを考えた。彼女は何も悪いことをしていないではないか。何故執拗に痛めつけられ、傷つけられなければならなかったのだろう。幸いにも今は身の安全が確保されているが、ユグドラシルに人体実験を行っていた連中がここを嗅ぎつけないとも限らない。


 そこまでするほどの価値が、彼女にあるというのだろうか。蓮はまだ彼女の能力を見たことがないので、正直よく分からない。けれども、ユグドラシルが人畜無害な存在であるのは事実だった。政府軍所属の能力者たちのような、好戦的な気質は感じない。

 不意に、一つの考えが頭をよぎった。

(もしかしたら俺も、能力者としてこんな風な人生を送っていたのかもしれないのか)

 ある者は軍事兵器として、ある者は実験材料として。人ではなくモノとして扱われる能力者たちを、これまでに散々見てきた。例外なのは、自ら進んで力を得た佐伯くらいのものだ。


 自分がいつこの力を手にしたのかは、よく分からない。というより、覚えていない。思い出せないくらいの幼い頃に能力を移植されたということなのか、それとも能力を宿したときの記憶を消されているのか。詳細は不明だが、唯一確かなのは、能力を得てからそのことを知らずに過ごした期間がある程度存在するということだ。

 ひょっとして、自分が能力者であることを父は知っていたのではないか。政府軍の最高司令官である彼が、能力者で編成された特殊部隊の存在を把握していないとは思えない。蓮が獅子の力をもつようになった経緯に、何らかのかたちで父が関与している可能性は低くない。いくら憎い相手でも、やはり父親は父親だ。蓮の身近な存在であった人物だ。


 もしそうだとすれば、何故父は蓮を放っておいたのか。通常なら適切な訓練を受けさせ、軍の忠実な駒として使おうとするはずだ。現に、特殊部隊の澤田たちはそのようにして育ったようであった。彼らは明らかに、戦いに慣れていた。否、慣れすぎていた。

 父は自分に理想を押しつけ、自分の望む子供に育てようとした。蓮はそれに反発し、ついには家を出た。しかしながら、能力者である蓮に紛いなりにも普通の生活を送らせてくれた彼は、彼なりの不器用なやり方で自分を気遣っていたのかもしれない。

 いずれにせよ、推測の域を出ない説だ。いつかまた父と対面するときがあれば、真意を問いただしてやらねばなるまい。



「もしもし」

『はい、松木です』

「俺だ、澤田だ。ちょっと話があるんだが、今大丈夫か」


 コンビニエンスストアの駐車場で、澤田は携帯電話を耳に押し当てていた。今は昼休憩の時間で、彼は仕事仲間と共に弁当を買いに来たところだった。「電話がかかってきた」と嘘をつき、同僚には先に店に入ってもらっている。実際には、電話をかけたのは澤田の方だ。

『全然構わないですよ』

 受話器の向こうで、落ち着いた口調で応じたのは松木だった。

「実は、藤宮と連絡が取れない。お前、何か聞いてないか」

 若干の焦りを感じさせる声音で、澤田は尋ねた。


 藤宮とは長い付き合いで、彼が世渡りの下手な性格であることは熟知している。後先考えずに、そのとき自分が正しいと思ったことを優先して行うタイプだ。今頃職探しに困っているのではないかと思い、電話したのが三日前のことだ。

 ところが、何度かけ直してみても藤宮から応答はなかった。メールを送るなど色々試してみたものの、一向に返事が来ない。携帯端末を買い替えたのだろうかとも思ったが、澤田にそれを知らせるのを忘れるほど彼は間抜けではない。そこで、藁にもすがる思いで松木を当たってみたのである。


『いや、僕の方にも連絡は来てないです』

 歯切れの悪い返答からは、力になれなくて申し訳ないというニュアンスが滲み出ていた。

「そうか」

 まだ何か言いかけようとしたとき、コンビニの自動ドアが開く音がした。

「澤田、何してる。先に飯食っちまうぞ」

 顔を出したのは、澤田と同じ作業服を着た中年の男だった。


 能力者のもつ並外れた身体能力を活かせるような仕事に就きたいと思い、彼は工事現場の作業員の職にありついていた。力仕事もさほどきつく感じないし、日給も悪くない。藤宮のような奴にも務まる仕事だ。

「ああ、すみません。すぐ行きます」

 また後でかけ直す、と手短に言い、澤田は携帯をポケットに押し込んだ。入店し、適当に選んだ弁当を買ってイートインスペースに向かう。仕事仲間たちとそこに腰掛け、にぎやかな食事を始めた。

「女と電話してたんだろ?澤田も隅に置けねえ奴だな」

 にやにや笑いを浮かべた同僚に茶化され、澤田は「違いますって」と苦笑するのに忙しかった。だが一方では、全く別のことを考えていた。


(やはり、藤宮の身に何かあったに違いない。不自然な点が多すぎる)

 仕事が一段落したら、松木に連絡しなければ。元特殊部隊の仲間と協力すれば、藤宮の居所を突き止めることも可能かもしれない。

 全ては希望的観測でしかない。やや無理矢理に自分を奮い立たせ、澤田は唐揚げ弁当をかき込んだ。



 翌日の昼過ぎ、召集がかけられた。全員が集まったのを確認して、岸田が淡々と指示を出していく。

「関東北部で大型のスパイダーが目撃されたとの情報が入った。現在、市街地に向かって移動中らしい。準備してすぐ出撃するぞ」

 すると井上が小さく手を挙げて、質問の許可を待った。いつも控えめで大人しい彼女が、自分から意見を述べようとするのは珍しい。思わず、そちらに目が向いてしまった。

「何だ?」

「あの、岩崎さんたちはどうしますか?やっぱり、キャンプ地に残して行くんですか?」


 おずおずと尋ねられ、岸田はかぶりを振った。

「そのつもりだ。流れ弾に当たる危険もあるし、何も不必要に戦場に足を運ばせることはないだろう。彼女らの他にも物資の運搬を担当している隊員が数名、見張り役として残ることになっている。安全面は申し分ない」

「そうですか……」

 岩崎とユグドラシルに割り当てられているテントを、井上はちょっぴり寂しそうに見た。

 昨日出会ったばかりではあるが、彼女たちの間に育まれた親愛の情は並大抵のものではないらしい。訓練の後に長い時間過ごし、すぐに打ち解けたのだろう。少しの間でも離れるのが寂しい、といった風だった。


 けれども、反論することはしない。岸田の言い分ももっともだと、井上は頭で理解していた。

 だから、続いて蓮が挙手したのを見て、彼女は目を丸くした。

「質問があるなら早くしろ」

 めんどくさそうに言った岸田に、蓮は真剣な表情で訴えた。

「俺は、二人を連れていくべきだと思います」

「何っ?」 

 岸田は眉をぴくりと動かし、値踏みするようにこちらを見た。怖気づくことなく、蓮が続ける。

「俺が岩崎さんたちを追う側の立場だったら、ほとんどの隊員が出払って隙が生じたときを狙うと思います。むしろ、ここに残して行く方が危険かもしれません」


「なるほど。相手としては、下手に動いて討伐隊と交戦する羽目に陥りたくないというわけか。確かに一理あるかもしれんが……」

 なおも難色を示す岸田に、蓮はもう一つ理由を提示した。それで一応納得したらしく、岸田がしぶしぶ了解する。

「分かった。上に掛け合っておく」

「ありがとうございます」

 蓮が会釈し、皆は急いで出発の準備を始めた。



「本当に良かったんですか?私たちがご一緒してしまって」

 仕切りで区切られたトレーラー内の一画で、岩崎は困ったような表情を浮かべていた。

「大丈夫です」

 にっこりと笑い、森川が応じた。彼女がたまに標準語で喋るのを聞くと違和感を覚えてしまうのは、付き合いが長いからだろう。


 数台のトレーラーは一時間ほど山道をひた走り、やがて停車した。蓮たちに付き添われて、岩崎とユグドラシルも降車する。万が一跳弾が当たっても大丈夫なように、二人には防弾チョッキを羽織ってもらっている。他の隊員はいつもと同じ服装だ。すなわち、迷彩柄の戦闘服に、対スパイダー用の狙撃銃を携えている。

 トレーラーは、関東内陸部にそびえる高い山の中腹で停まっていた。体力的に劣る彼女ら二人を支え、励まし合いながら、一行は山頂へ到達した。


 事前に曽我部から説明されていた隊形になって陣取り、頭上に目を凝らす。スパイダーの吐き出す糸で紡がれた巣は、十メートルほど上にかかっていた。

「こんな近くで見たのは初めてです。結構、糸が太いんですね」

 隊列の端の方に立っていた岩崎は、巣を見上げて驚いているように見えた。彼女に手を引かれているユグドラシルも、目を大きく見開いている。外の世界のことをほとんど何も知らずに育ってきた彼女は、スパイダーという存在を今初めて認識したのかもしれない。


「奴らのでかい図体を支えるためには、これくらいの強度がないと不十分ということですよ」

 二人の護衛を任されている岸田は、髭の剃り跡を片手で撫でながら、訳知り顔で頷いてみせた。毎度のごとく、面倒な任務は大体彼に回ってくるのである。ただ、今回はさほど嫌そうな反応は見せていなかったが。

「おや、噂をすればですな」

 視線を上にあげ、岸田は上空に姿を見せた巨大生物を睨んだ。山頂に、大きな黒い影が落ちる。すっかり怯え切ったユグドラシルは、岩崎にしがみついていた。


(子供に見せるものでもない気はするんだが。ま、ここまで来たらやるしかないか)

 彼女らを守るように、岸田が前に立ってライフルを構える。ほぼ同時に、隊列の中央にいる曽我部が号令をかけた。

「作戦開始!」

 銃口が一斉に火を噴き、勢いよく弾丸を射出する。



 白く硬い皮膚で全身を覆った巨大な蜘蛛は、八本の脚をせわしなく動かして糸の上を進んでいた。

 目指しているのは、この山脈を超えた先の盆地だった。天然温泉が有名なその土地には観光客が絶えず訪れ、通りは人々でにぎわっている。温泉目当てでやって来る旅行者をターゲットにした店も多く軒を連ね、土産物屋や旅館は大いに繁盛している。人口密集地と呼んで差支えのないエリアだった。

 もっとも、スパイダー自身にはそうした情報を理解できるほど高い知能はない。彼はただ、獲物の匂いを嗅ぎつけて本能的に動いているだけだった。彼はとてもお腹を空かせていた。


 下腹部に何発もの銃弾が命中し、スパイダーの巨体がぐらりと揺れる。移動速度を落としたのを見て、討伐隊は勢いづいた。連続で射撃を行い、鋼のごとき皮膚に守られた全身に穴を穿っていく。

 しかし、さすがは成熟した大型の個体というだけはあった。厚い肉と堅固な皮膚が、大抵の攻撃を寄せつけない。弾が当たりこそすれ、貫通に至ることは少ないのだ。攻撃が効いてはいるが、決定打に欠ける印象だった。

 以前の討伐隊なら苦戦を強いられ、長期戦になっていただろう。だが、今は違う。


(そろそろ、秘密兵器の出番か)

 曽我部はぱっと後ろを振り返り、二名の隊員の名を呼んだ。

「和泉蓮、佐伯雅也。両名に、能力の使用を許可する。スパイダーを巣の最下層まで引きずりおろしてほしい。そこに集中砲火を浴びせて倒す」


 能力者として二人を正式に起用するのは、今回が初めてである。これまでは、突如襲撃を受けた際に各自の判断で能力を使っていた。いわば一種の放任主義である。けれども今回は、二人が能力者として戦えることを前提として作戦が立てられている。攻撃を仕掛けて動きを鈍らせたところで使う切り札として、二人は期待と信頼を寄せられていた。

 たとえ彼らの使う力が政府軍特殊部隊と同種のものだとしても、正しい心をもって扱えばそれは大きな武器になる。今では、討伐隊の多くの同志がそう考えるようになっていた。


「はい」

 二人はこくりと頷き、狙撃銃をそっと草の上に横たえた。そして巨大な敵を挑むように見つめ、変身を決意する。

「『能力解放』!」

 ほとんど同じタイミングで叫んでいた。衝撃波が同心円状に飛び、他の隊員らが慌てて避ける。その中心点に立つのは、金のたてがみをもつ獅子の能力者。並び立つのは、黄の毛並みに黒い縞模様が稲妻のように刻まれた、虎の能力者。


 二人は地面を強く蹴り、高く跳び上がった。筋肉の発達した強靭な肉体をもってすれば、このくらいは容易い。粘つく蜘蛛の巣の下層部に着地し、さらにもう一度跳躍。スパイダーの眼前へと移動した。

 目の前に外敵が現れたことに気づいたスパイダーは、下顎を動かし、がちりと気味の悪い音を立てた。二人を喰らおうと突進してきた白き蜘蛛を、蓮と佐伯は真上に飛んで躱す。空中で拳を硬く握り締め、落下の勢いを加えた強烈な殴打を、その頭部へと叩き込んだ。

 ガン、と鈍い音がして、スパイダーが大きく体勢を崩す。頭から倒れ込むようにして、巨体が幾層もの巣を突き破って落ちる。最下層にその頭部が達し、僅かに巣を破ったとき、曽我部は再び指令を発した。


「今だ、撃て!」

 狙撃手の感覚としては、彼我の距離はもうないに等しい。近距離から銃撃を浴びせられれば、いくら強固な鎧に身を包んでいても勝機はない。

 討伐隊の放った弾丸の嵐が、スパイダーの頭部を蜂の巣にする。間もなく動きを止めたその大きな死骸を、蓮はほっとして見つめていた。巣から飛び降りて着地し、白煙に身を包んだのちに元の姿に戻る。


 同様のプロセスを踏んで、佐伯も変身を解いた。彼にとってこの戦いは、能力者になってから初めて、自身の異能でスパイダーを倒したという記念すべきものである。普段は落ち着いている彼が、今日は珍しく満足そうな笑みを浮かべていたのがその証左だ。

 蓮はユグドラシルの方を振り返った。ゆっくりと歩み寄り、微笑みかける。彼女はいきなり戦場に連れてこられて怖がっていたが、蓮の笑顔を見て少しは緊張を解いたようでもあった。


「……俺たちも多分、君と同じ能力者なんだ」

「お兄ちゃんたちも?」

「ああ」

 目を丸くしたユグドラシルに、蓮は優しく言った。

「君は今まで、自分が能力者であるがために辛い経験をたくさんしてきたと思う。でも、その力を使って誰かを助けることだってできる。正しいことのために力を使えるのなら、それでいいんだ。少なくとも俺は、そう思ってる」


 以前、岸田に似たようなことを言われたことがあった。あのとき蓮は大いに勇気づけられ、立ち上がるための力を貰った。今度は、自分がユグドラシルにそれを伝える番だと思った。

 目をぱちくりさせ、彼女は今しがたの言葉を自分なりに咀嚼し理解しようと努めていた。やがて笑みを浮かべ、ユグドラシルは少し照れくさそうに言った。

「うん。ありがとう」

 蓮と佐伯が戦っている姿を見せることで、ユグドラシルが能力者である自分自身を肯定的に捉えられるようにする。それが、岩崎ら二人を連れてきたもう一つの理由だった。



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