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汚された箱庭  作者: 瀬川弘毅
2 猛虎の雄叫び
11/34

11 帰還

 何の前ぶりもなくトレーラーが急停止し、蓮はバランスを崩しかけた。井上と体がぶつかりそうになり、慌てて避ける。

 政府軍だ、と隊員の誰かが吐き捨てるのが聞こえた。


(討伐隊がスパイダーのところへ向かっているのを嗅ぎつけて、妨害しに来たってわけか)

 悪態の一つも吐きたくなるのも頷ける。蓮は無言で井上と視線を交わすと、狙撃銃を引っ掴んだ。通路から戻ってきた森川も、やや不機嫌そうにそれに続く。他の隊員らに続いて降車し、状況を把握しようと辺りを見回した。

 トレーラーの前方に何台ものバイクが停まり。行く手を塞いでいる。それに跨るのは、政府軍特殊部隊のメンバーたちだった。先頭にいるのは澤田、その脇を固めているのが藤宮と松木だ。


「あのスパイダーは駆除させん」

 挑むように言い放った澤田に、後ろのトレーラーから降りてきた曽我部は目を剥いた。

「何故だ? あの個体は賞金首のはず。君たち軍人の立場としても、倒したいのではないか?」

「上からの命令ならば仕方あるまい。この地域の上空にあるスパイダーの巣は、他と比べて糸が薄い。もう少し多く糸を吐き出してもらって、補強する必要がある。俺たちのボスはそうお考えだ」


「そのためには住民を危険に晒してもいいと?全く、国民を守るための軍がこれでは、本末転倒ではないか」

 呆れたように言う曽我部を意に介さず、澤田は淡々と告げた。

「知ったことか。俺たちはただ、命令に従うのみだ」


 やはり話の通じる相手ではない、と判断したのだろう。曽我部は後ろを振り返り、部下たちに命じた。

「二手に分かれ、政府軍の迎撃とスパイダーの駆逐を並行して行う。班ごとに人数を半々に分けなさい」

 指示を受け、討伐隊の面々は素早く反応した。迎撃に回った何名かが威嚇射撃を行い、特殊部隊の者たちを後退させる。車一台分が通れるだけの空間ができると、スパイダーの撃破を担当する隊員らは再びトレーラーに乗り込んだ。迎撃班が弾幕を張ることで車両を攻撃する隙をなくさせ、駆除班はどうにか再出発を果たした。目的地まではさほど遠くないはずだ。


 その間、第十八班でもやり取りが行われた。

「奴らとやり合うには、俺はここに残った方がいいだろうな」

 獅子の能力者である、蓮が呟く。今回のターゲットは小型のスパイダーであるから、自分の助けがなければ倒せないような相手ではないはずだ。作戦に当たる人数が普段の半分になるのはやや不安だが、それより脅威なのは軍の特殊部隊である。彼らに対抗するには、こちらも同種の力を使うしかない。

「私は……」

 井上が口を開きかけたとき、森川がその手首をぐいと掴んだ。

「うちらは、スパイダーの方を担当する」


 車内での出来事が嘘のような笑顔に、蓮は戸惑った。それは井上も同じらしく、ぽかんとしている。やがて森川は、彼女を引っ張るようにしてトレーラーに乗り込んでしまった。

(何考えてるんだ、あいつ)

 さっぱり分からないが、これを機に彼女らが仲直りしてくれることを祈るしかない。


 トレーラーがスピードを上げて走り去り、澤田は苛立たしげにこちらを眺め回した。

「小癪な真似を。ならば、こちらも秘密兵器を出させてもらおう」

 そして後方を振り返り、にやりと笑った。それを合図に、部隊の構成員らが横に寄って道を開ける。人垣を割って、若い男が進み出てきた。

「期待のルーキーの登場だ」

 集団に溶け込むようにしていたため今まで気づかなかったが、忘れるはずのない人物だった。同時に、思いがけない再会でもあった。

「佐伯⁉」

 茶色の軍服に身を包んではいても、見間違いようがない。蓮は今、激しく動揺していた。


「こいつは自分の意志で、俺たちと同じ能力者に改造された。もうお前らの味方じゃないぜ」

 ピアスを指で触りながら、蓮を嘲笑うように藤宮が言う。明かされた事実は信じがたいものだった。蓮の隣で、岸田も唖然としている。

「おや、信じていないんですか?」

 松木が可笑しそうに微笑み、眼鏡の蔓に手を当てて押し上げた。

「今すぐに証拠を見せてあげましょう。さあ、初陣ですよ。佐伯君」


「ああ」

 低い声で答えた彼は、獣のごとき唸り声を上げた。そして、吠えるようにコマンドを叫ぶ。他の部隊員もそれに続いた。

「『能力解放』」

 澤田が変身を遂げた、熊の特徴を持つ獣人。藤宮と松木がそれぞれ変貌した、狼とサイ型の強化人間。その奥に立つ戦士には、逞しい体を覆う黄色い毛に、黒い縞模様が稲妻のように刻まれていた。力強く大地を踏みしめ、太い腕を振り上げる。

 虎の能力を発現させた佐伯は、今や敵として蓮たちの前に立ちはだかっていた。


 一斉に突進してきた能力者たちに、討伐隊は中距離からの射撃で対抗しようとした。四方に散らばり、仲間と連携して精密な銃撃を繰り返し放つ。二度の交戦を通して、彼らに有効な戦い方がある程度分かってきていた。

 一方、この場において討伐隊の主戦力である蓮は、窮地に立たされていた。彼を片付ければ戦場を制圧するのが容易になる上、前々から狙っていた獲物なのだ。和泉蓮を連行せよとの指令は、まだ取り消されていない。彼を倒すべき理由は、二つもあれば十分すぎるくらいだった。


「―『能力解放』」

 金のたてがみを誇る獅子獣人へと姿を変え、敵を迎撃せんとする。

 先陣を切って襲いかかってきた藤宮が、素早い身のこなしで回し蹴りを繰り出す。横に跳びそれを躱そうとした蓮へ、澤田の剛腕が唸りを上げて迫った。万力の込められた殴打をどうにか腕でガードするも、衝撃は殺し切れない。数歩退いた蓮へ、松木のショルダータックルが砲弾のごとき速さで飛んでくる。


 死角からの攻撃に、完全に対処が遅れてしまった。背中に鈍い痛みを感じたと思った次の瞬間には、蓮の体は宙を舞っていた。落下しアスファルトに叩きつけられ、路上を無様に転がる。変身し強化された肉体に目立った怪我はなかったが、断続的に体の節々が痛む。

 荒い息をつきながら立ち上がった蓮を、三人はこけにしたように見つめていた。


「可哀そうに。いくら強い能力を持っていても、数には勝てないというわけですか」

 嫌味っぽく言い、憐れみの視線を松木が投げかけてくる。

「数にと言うよりは、俺たちのコンビネーションに、だろ。俺たちは特殊部隊のエース、最強のトリオなんだから」

 長く突き出した鼻をひくひくと動かし、藤宮が自慢げに補足する。三人は少しずつ歩み寄り、間合いを詰めようとしていた。蓮もそれに合わせてじりじりと後ずさり、身構える。


「あとは彼に任せよう。お前たちは、他の奴らの相手をしておけ」

 澤田の言葉に、二人は軽く頷いて下がった。頼んだ、とごくあっさりとしたやり取りを交わし、全速力で別方向へ駆けていく。


 そのとき、道路脇に生い茂る木と木の間から、静かに佐伯が姿を現した。虎の特徴をそなえた荒々しき獣戦士が、両腕を体の前で構えて蓮と対峙する。彼の後ろに立つ澤田が、冷酷に命じた。

「こいつを無力化しろ。それがお前の最初の任務だ。死なない程度になら、いくらでも痛めつけて構わない」

「分かった」

 機械のように、無機質で抑揚に乏しい声で答える。佐伯はアスファルトの上を滑るように疾駆し、一瞬で蓮の懐に踏み込んでいた。繰り出された右拳を、蓮の左の掌が懸命に押しとどめようとする。

「やめろ……やめてくれ、佐伯」

 額に汗を滲ませ、蓮は必死の形相で訴えた。均衡状態は今にも崩れそうだった。

「俺は、お前と戦いたくなんかない。どうしてお前が軍の味方になったんだ。何か、考えがあるんだろうな」


 返答は、突き刺すような鋭いニーキックに取って代わられた。黒い縞が走った逞しい脚が、蓮の腹部にめり込む。前のめりに倒れかけた蓮の頬を、佐伯は今度こそ防がれることなく殴り飛ばした。呼びかけに耳を貸すことなど一切なかった。

「……がはっ」

 口の中が血の味で満ち、そのいくらかが唇から溢れた。よろよろと後退した蓮は、佐伯が本気であるらしいことを悟った。蹴られたみぞおちが強く痺れている。


「説得しようとも無駄だ。そいつの体内には、電子チップが埋め込まれている。俺たちに逆らうようなことがあれば、全身に高圧電流が流れて即座にあの世行きだ」

 勝ち誇った笑い声を上げ、澤田が言う。

「お前がどんな言葉を投げかけようが、佐伯は俺たちの味方だ。さあ、早くターゲットに止めを刺せ」

 澤田に視線を向けられ、佐伯は首を縦に振った。しかし、迷いのない足取りで接近してくる彼を前に、蓮はまだ迷っていた。もはや消耗の度合いはかなりひどく、立っているのがやっとなのにもかかわらず、である。


 先刻は佐伯を相手に、本気で戦わなかった。否、戦えなかった。かつての友と殺し合いを演じるなど、とてもできない。

(でも、やるしかないのか。佐伯を倒さなきゃ、俺がやられる。二度と討伐隊に戻ってこれないかもしれない)

 頭をよぎるのは、森川や井上、大切な仲間たちだった。佐伯に続いて自分まで消息を絶てば、彼女らは悲嘆にくれるだろう。今の状況でさえ危うい心理状態なのに、それがさらに悪化するわけだ。


『渚は何も分かってない。あれ以来、うちがどれだけ皆のためを思って振る舞ってきたか知らないやろ。人の苦労も気遣いも知らんのに、適当なこと言うのはやめてほしいんやけど』


『…もう私、消えてしまいたい』

 

 二人が言い争い、泣いて悲しむ姿がまざまざと脳裏に甦る。胸が締め付けられるようで、苦しかった。

(許せ、佐伯。俺はもう二度と、あいつらを泣かせるわけにはいかない)

 悲壮な決意を固め、蓮は佐伯の目を正面から見つめた

(お前を倒して、討伐隊も救ってやる。そうするしかないんだ……たとえ、そうすることでお前が傷つくのだとしても)

 雄叫びと共に向かってきた佐伯を、蓮は咆哮を轟かせて迎え撃った。辺りの木々の葉が擦れ、ざわざわと音を立てた。



「待て、和泉」

 不意に名前を囁かれて、蓮ははっとした。見れば、顔の数センチ手前で佐伯が拳を止めている。慌てて、蓮も攻撃を中断した。蹴り上げかけた足を下ろし、腕を顔の前に出してパンチを受け止める素振りをする。

 相手の作戦かもしれないのに無条件に乗ってしまったのは、裏を返せば二人の強い信頼関係の表れでもある。


「俺の左の二の腕を刺せ」

「え?でも……」

「早くしろ。澤田に怪しまれてからでは遅い」

 急かすように小声で言われ、蓮は事態を飲み込めないまま佐伯に従うかたちになった。先ほど散々迷った末に戦うことを決めたのに、これではまるで肩透かしを食った気分である。


「分かったよ」

 短く応じ、蓮は右腕を高く掲げた。よく分からないが、佐伯の考えに賭けてみるしかなさそうだ。素早く振り下ろされた鋭利な爪が、黄色と黒の縞の毛並みに深々と刺さる。鮮血が散り、赤い斑点がぽつぽつと生じた。佐伯は刹那苦悶の表情を浮かべ、それから軽く笑った。

「助かった。これで、こいつはもうガラクタ同然だ」

 爪の先端が、何か硬いものを貫いていることに気づく。さっと爪を引き抜くと、細かな金属片が手に付着していた。


「馬鹿な」

 上ずった声がした方を振り向くと、澤田が呆然として立っていた。

「俺たちに味方したふりをして、電子チップを破壊する機会をずっと窺っていたというのか⁉」

「その通りだ」

 佐伯は右手で左腕を押さえ、不敵な笑みを浮かべた。軍服の袖を引き裂いて傷口に巻きつけ、止血する。そして蓮の方を向き、真剣な顔つきになった。

「一芝居打たせてもらって悪かった」

「とんだ迷惑だよ。お前に殺されるかと思ったぞ」

 軽口を聞き流すのも、いつもの彼らしい。佐伯は熊に似た姿の獣人へと向き直り、言い放った。

「俺は、スパイダーを倒すために戦士になったんだ……奴らと戦う力を得るためなら、能力者にだってなってやる!」

 燃え上がる闘志が、彼の全身から溢れ出る。


 その言葉を聞いて、蓮はようやく佐伯の思惑を理解した。彼は最初から―つまり、街で行方をくらましたあの時から、軍に潜入して自らを能力者へ改造してもらうことを狙っていたのだ。本来はすぐに脱走するつもりだったのだろうが、電子チップを埋め込まれ行動の自由を奪われたのは予想の範疇を超えていたに違いない。ゆえに、本当に討伐隊を裏切った演技をしてチャンスを待つより他になかったのだ。


 佐伯が両の握り拳を固め、威嚇するように唸る。

「和泉。また俺と一緒に戦ってくれるか」

「もちろんだ」

 ふっと微笑み、蓮は佐伯と視線を交わした。太い爪のそなわった両手を前に出し、構えをとる。再起し並び立つ二人の戦士を前に、澤田は一瞬怯んだような表情を見せた。

「お前たち……よくも作戦を台無しにしてくれたな!」

 怒り狂った澤田が、熊のような巨体を揺らして突進してくる。獅子と虎の力を宿す二人は頷き合い、猛然と飛びかかっていった。


「渚、さっきはごめん。うち、どうかしてたわ」

 トレーラーの中に入ってすぐ、森川は掴んでいた手首を離し、深く頭を下げた。おそらく今までずっと、二人になって謝る機会を窺っていたのだろう。私と同じだ、と井上は思った。自然と笑みが零れてくる。

「ううん、私の方こそごめん。任務、頑張ろうね」

 井上が微笑を浮かべ、小さな拳を握って掲げる。

「もちろんよ」

 ガッツポーズで応え、森川はにかっと笑った。何の打算も企みもない、すがすがしい笑顔だった。


澤田の左右に回り込み、二人は右の拳を同時に突き出した。和泉のストレートパンチが左肩に、佐伯のジャブが右肩にそれぞれ命中する。澤田は大きくのけ反り、よろめいた。

「この裏切り者が!」

 唸り声を上げ、熊の獣人が佐伯めがけてタックルを繰り出した。虎の能力者は高く跳躍して澤田を飛び越え、反対側に着地する。即座にくるりと振り向き、敵に向き直る。


 足を止め振り返った澤田は、攻撃への反応が遅れた。佐伯と和泉の放った回し蹴りを胸部に喰らい、吹き飛ばされる。どうにか立ち上がろうとする熊の能力者を見やり、佐伯は深く体を沈めた。

「行くぞ、和泉」

「ああ」

 二人の戦士が空高く跳び、渾身の跳び蹴りを見舞う。両腕で防御しようとするも虚しく、澤田は衝撃を殺し切れない。熊の獣人の巨体は勢いよく大木に叩きつけられ、微かな呻き声が聞こえた。


 突如、銃声が響く。隊長の苦戦に気づいた誰かが、撤退の合図を出したに違いない。自分の足で動けるものは自力で、負傷した者は別の者に支えられて、政府軍の特殊部隊はその場から迅速に離脱した。

 長い耳をそなえたウサギの獣人に半ば体を預け、澤田は恨めしそうに佐伯を睨んだ。

「この借りは必ず返す」

 そして捨て台詞を残し、素早いジャンプを繰り返して戦場から去った。


 以前の苦い経験から、あのウサギの女に追いつくのは困難だと学んでいる。蓮は潔く追跡を諦め、変身を解いた。白い煙に包まれたのち、人間の姿に戻る。それを横目で見て、佐伯も同様に獣の姿でなくなった。呑み込みの速さに舌を巻きそうになる。

「蓮君! ……佐伯君も!」

 しばらくするとトレーラーが帰還した。無事にスパイダーの撃破に成功したらしい。真っ先に駆け下りてきた森川は、最初に蓮を見て安堵の表情を浮かべた。次に佐伯に気づいて、顔をくしゃくしゃにした。


「無事でよかった。うち、めっちゃ心配してたんやからね」

「ありがとう。それと、迷惑をかけてすまなかった。……おい、泣くな」

 嬉しさのあまり涙が溢れそうになっている森川を前に、さすがの佐伯も多少は動揺したらしい。遠巻きに彼らを眺めながら、蓮は井上とほっとしたように笑いあった。


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