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汚された箱庭  作者: 瀬川弘毅
1 獅子の目覚め
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1 出会い



 その組織に入隊を希望する者は、少々面倒な手順を踏む必要がある。

 定期的にキャンプ地を変えて各地を移動する彼らにコンタクトするには、ホームページ―といっても、組織の理念と活動の成果を記しているだけの簡素なものだが―にアクセスし、そこに示されているメールアドレスに入隊希望のメールを送らなければならない。組織の指導者の携帯端末のアドレスである。


 メールには、年齢、経歴といった個人情報を記載する。履歴書と酷似した体裁であるといってよい。選考の結果一次審査に通った者には指導者から返信が来て、二次審査である面接を行う場所が伝えられる。その場所はほかならぬ組織のキャンプ地であり、決して口外してはならないのがルールだ。違反した者は、即刻審査対象から外される。

 何故ならば、この組織は政府に存在を認可されたものではないからだ。



「次の方、どうぞ」

 テントの中から呼ばれ、蓮は自分の前の男と入れ替わりに中に入った。

 テントに足を踏み入れる前にふと振り返ると、後ろには長蛇の列ができている。順番が早い方で良かった、と心から思う。

 会釈し、置かれていたパイプ椅子に腰かける。木のテーブルを挟んだその正面には、同じくパイプ椅子に座った中年の男性が見える。年齢は五十代くらいだろうか。あまり老いを感じさせない逞しい肉体に、蓮は思わず視線を向けてしまった。


 男はテーブルの上の携帯端末を操作し、素早く目的の文書を引っ張り出した。すなわち、今目の前にいる入隊希望者が送ってきたメールだ。

 画面から顔を上げ、精悍な顔をこちらに向けてくる。

「和泉蓮君で間違いないかな。私は、討伐隊隊長の曽我部だ」

「はい、そうです。よろしくお願いします」

 蓮が深々と頭を下げる。対して曽我部はサイドテーブルから書類を取り出し、早速質問を始めることにした。右手にはボールペンを構えている。


「最初に確認だが、入隊に際して保護者の許可は下りているかい」

 射抜くような目つきに、蓮はどきりとした。

 メールにも書いたように、彼はまだ十八歳、未成年である。両親が入隊に同意しているのでなければ、討伐隊としても採用を見合わせるのだろうか。


(……あり得るな)

 組織の活動内容には常に危険が伴う。若い世代の命を無意味に散らしてしまうようなことは、討伐隊は極力避けたいはずだ。ましてや、入隊を親に反対されているのであればなおさらである。

 蓮はまっすぐに曽我部の目を見つめ返した。

「はい」

 本当のことなんて言えるはずもなかったし、ここまで来て引き返せるはずもなかった。どのみち、こう答える以外の選択肢はないに等しかったのである。


「そうか」

 曽我部は軽く頷き、手元の紙に視線を落とすと何やらさっと書きつけた。一応確認させてもらっただけだ、というようなニュアンスを感じ、蓮は束の間ほっとした。

「では、次に志望理由を聞かせてもらおうか」

 予想通りの質問がされて、蓮は小躍りしたくなるくらい嬉しかった。これに対する回答は、一字一句違うことなく完璧に頭に叩き込んである。背筋を伸ばし、すらすらと答えた。


「はい。自分は、人々を襲い、生活を脅かすスパイダーが許せません。彼らは憎むべき敵であり、撲滅すべきだと考えています。そのために自分も討伐隊に入り、少しでも力になりたいと思った次第です。スパイダーへの対処を政府軍に任せていては埒が明かず、被害者は増える一方です。自分たちが立ち上がり、現状を変える必要があると思いました」

「……ほう」

 目を細め、曽我部は呟いた。

「君はまるで、正義のヒーローのようなことを言うんだね」


「……いけませんか?」

 遠慮がちに尋ねると、曽我部は吹き出して首を横に振った。

「いやいや、そんなことはない。正義感の強い若者は嫌いじゃないし、むしろ大歓迎だ」

 間もなく面接は終わり、蓮は一礼してテントを後にした。

 志望動機は半分くらい本当で、あとの半分は嘘だった。小さなわだかまりを胸の内に抱え、彼は帰路に着いた。


 何とはなしに、空を見上げてみる。本来ならばそこには青く美しい空と、白い雲が見えるはずだった。

 しかし、上空を覆っているのは灰色がかった蜘蛛の巣である。スパイダーの吐き出す糸は人類に恩恵を与えるが、その対価を要求するかのように彼らは人を喰らい始めたのだった。それがちょうど五年前だ。



 西暦二一九四年。

 深刻化する地球温暖化、オゾン層の過度な破壊により容赦なく降り注ぐ紫外線―様々な環境問題に苦しめられていた人類に、とある科学者のグループが画期的な提言をした。

 今や知らない人はいないであろう、「スパイダープラン」である。人工的に生み出された巨大生物「スパイダー」を使って世界中に蜘蛛の巣を張り巡らせ、人類を保護。スパイダーの吐く糸には紫外線緩和と温室効果抑制の作用があり、これによって蜘蛛の巣の下で暮らす市民たちに快適な暮らしを提供するというものだった。温暖化が深刻化していなかった一世紀前とほぼ同じ水準の気候を永久的に維持できるとのことで、まさに夢のような提案であった。


 当然、反対意見もあった。その多くは、スパイダーを利用することの安全性を疑問視したものだ。しかし、彼らの行動を完璧に制御できるのかという問いに対して、その科学者グループはイエスと答え数多くの証拠を提示してみせた。


「スパイダーは、少量の食事で数年間生きながらえることも可能であるように設計されています。したがって、巣にかかった鳥や虫以外を彼らが捕食することはないでしょうし、また他の生物に対して攻撃的な行為に及ぶような行動プログラムは行っておりません」


 世界規模で研究を行い、幾度となく科学の発展に貢献してきた彼らの言葉を、疑う者はいなかった。

 各国との協力体制が整うと、満を持して計画は進められた。世界中に散らばったスパイダーはせっせと糸を吐き出して巣を編み、数週間で全世界は蜘蛛の巣に覆われた。その下で、人々は昔と変わらない平和を取り戻した。


 だが、安息の日々はそう長くは続かなかった。

 十年後、ヨーロッパの農村で悲劇は始まった。糸を伝って地上に降りてきたスパイダーが、人を貪り食ったのだ。その後も各地でスパイダーの暴走が始まり、多くの犠牲者が出たために大問題となる。当然、例の科学者グループの責任が問われることとなった。ところが彼らは行方をくらましており、研究施設ももぬけの殻である。人類はスパイダーの脅威にさらされ、速やかにそれに対処する必要に迫られた。


 国によって対応の仕方は様々だった。というのも、これがきわめて微妙な問題だったからである。

 スパイダーを駆除すれば、確かに人的被害は防げるかもしれない。けれども、それは言うほど容易いことではない。頑強な皮膚をもつ彼らを倒すのは困難であり、負傷者や死傷者が出るのは避けがたい。それに、仮にスパイダーを倒したとして、その後の人々の生活はどうなるのかという問題がある。スパイダーがいなくなれば、糸を吐き出し続け巣を補強してくれる存在は消える。いつしか巣は朽ち、崩壊するだろう。つまり、人類はスパイダープラン以前の状態に逆戻りするわけだ。


 日本政府は、できるだけスパイダーの処分は行わない方針を打ち出した。大きな被害を出し、処分もやむを得ないと判断された個体は別だが、それ以外については保護し共存を目指す。政府が半ば強引に憲法解釈を変更して、対スパイダー用の軍を編成したのもこの頃である。もっとも、「軍の編成自体はかなり前から計画されていたのではないか」との見方も強いのだが。


 これに反発して結成されたのが討伐隊である。政府軍がやらないのであれば、自分たちでスパイダーを倒すしかない―そう考えた同志らの集いだ。幸い、憲法解釈の変更に伴って武器の生産や輸入は容易になっている。彼らがスパイダーに対抗しうるだけの戦力をもつのに、そう長い時間はかからなかった。

 可能な限りスパイダーを保護したい政府からすれば討伐隊は邪魔でしかなく、両者は対立関係にある。討伐隊がしばしば居留地を変えて移動するのは、政府の監視の目を逃れるためだ。

 和泉蓮が入隊したのは、そのような組織だった。



 その夜、曽我部はテントの中で、ランプの明かりを頼りにして書類に再度目を通していた。途中、ある面接者のところで紙をめくる指が一瞬止まる。

「和泉……?」

 忘れるはずもない苗字だった。

「まさか、な」

 雑念を振り払うように、次の志望者のページに進む。苗字が同じだというのはよくあることだ。何をそんなに神経過敏になっているのだ、と自分を叱責した。



 一週間後、討伐隊隊員としての採用を知らせる一通のメールが届いた。

 蓮はそれを見るやいなや、密かな達成感に包まれた。用意しておいたスーツケースに数日分の着替えと日用品をいくらか詰め込むと、出発の準備はすぐに整った。

 この家に戻ることは二度とないかもしれなかったが、もう心残りはなかった。

(さよなら……父さん、母さん)

 そしてドアを開け、高層ビルの最上階にある一室を出て行った。ここから、新しい人生が始まるのだ。誰にも縛られない、新しい人生が。



「……この場に集まってくれた勇気ある諸君の、今後の活躍に期待します」

 キャンプ地から少し離れた開けた草原で、新入隊員らの入隊式は行われた。

式典はあっさりとしたもので、組織の理念や目的について簡単に説明がなされた後、隊長の曽我部から挨拶があった。だがそれもさほど長いものではなく、五分もかからなかったろう。


 きっと隊員たちは早く新人に訓練を受けさせたくてうずうずしているんだろう、と蓮は思った。もしくは、午後の日差しの中、立ちっぱなしで演説を聞かされている自分たちへの配慮のつもりか。

 曽我部が話し終えると、早速制服が支給された。前列から順に後列へ回されていき、各自が自分に適したサイズのものを数着ずつ取っていく。

 いや、制服というよりは戦闘服か。迷彩柄の長袖長ズボンのそれはかなり丈夫な生地でできているようで、実戦を意識したものであることは明らかだ。制服を手に取って改めて、自分が討伐隊に入ったことを実感する。これからはこの迷彩服に身を包み、スパイダーという化け物と戦わねばならないのだ。


「では次に、諸君らを班ごとに召集します。事前にメールで通達されている班番号へ集まってください」

 感慨にふける間もなく、曽我部は次の指示を出した。慌てて辺りを見回し、蓮も皆に遅れぬようついていく。

 見れば、番号の書かれた木の板を掲げた隊員らが班員を呼び集めている。該当する番号のところへ行けばいいというわけだろう。


(それにしても……予想通りとはいえ、なかなかに男臭いところだな)

 どこを見回しても、筋骨隆々とした男たちばかりだ。年齢も自分より一回りも二回りも上だろう。ひどく場違いなところに来てしまったような印象を受ける。

 物資の調達や怪我人の手当てを担当する女性隊員もいると聞いていたのだが、この式典には姿を見せていないらしい。入隊早々にスパルタ式にしごかれる未来が容易に想像できてしまって、蓮はいささか消沈気味だった。


 そんなことを考えながら人の波をかきわけていくと、やがて目的の番号を記した板を持っている男を見つけた。

「おう。第十八班か?」

 男は蓮に気づくと片手を上げ、尋ねた。

「はい」

「ん、そうか」

 それだけ言うと、男はまた周囲に視線を戻した。


 年齢は三十代前半くらいだろうか。がっちりとした体格の陽気そうな男で、顎に髭の剃り跡が残っているのがちょっと目立つ。

 他の隊員らのように大声で班の番号を叫んだりせず、ただ暇そうに板を掲げて新入隊員が来るのを待つばかり。どうも周りの人たちとは雰囲気が違っていると感じた。



 他に班員は来ていないのだろうか、と蓮もつられて辺りを見ると、同い年くらいの女の子と目が合った。

(……女の子?)

 キャンプ地に来てからというもの異性を目にしたことがなく、一瞬幻覚かと疑った。まして、自分と同年代の普通の女の子が討伐隊に入る、などということがあるとは予想だにしなかった。

 咄嗟に反応できなかった。ぱちぱちと瞬きし、ぶしつけに視線を浴びせては失礼にあたることをやっと思い出す。以前としてこちらを見ている少女に笑いかけ、どうにか冗談っぽく誤魔化そうとしてみた。

「……あー、ごめん。同年代の人が珍しくてさ、つい」


 一方の少女は、人混みを通り抜けてさらにこちらに近づいてきた。声の届かない距離ではないはずなのに、どういうつもりなのか。期待と不安がない交ぜになったような気持ちだった。

「何で謝るん? それくらい気にせんでええよ、別に」

 セミロングの黒髪。背は蓮より頭一つ分低いくらいか。目が大きくて可愛らしい顔立ち。その口から飛び出してきた台詞は、蓮に小さな衝撃を与えた。


「君、関西の方から来たの?」

「そう。うち、こっちに来てまだ日が浅いんよね。全然向こうの喋り方の癖が抜けへんわ」

 あはは、と少女は屈託なく笑った。蓮も自然と微笑んでしまう。こういう裏表のなさそうな女の子に出会うのは、もしかすると初めてかもしれない。好感が持てた。

「そうなんだ……でも、何で関東本部に? 関西にも、討伐隊の支部はあったはずだけど」

 素朴な疑問を口にすると、少女は「よくぞ聞いてくれました」とばかりにうんうんと頷いた。

「そりゃ向こうにも支部はあるけど、スパイダーの出現頻度はこっちの方が断然高いやん?うちはなるべく多くのスパイダーを狩りたいと思ってるけん、長旅してきたんよ」


「なるほど……」

 スパイダーが現れるのは、人を捕食するため。それならば、彼らが人口の多い土地を襲うのも道理である。彼らを多数倒したいと考えて関東に移ってきたというのは、納得できる論理であった。

 ところで、彼女の出身は具体的にどの辺りなのだろう。この少女の場合、大阪・京都の人の話し方の特徴もある一方で他の地域の方言も若干混ざっているように思える。個人的に、ちょっと気になる案件ではあった。


「……って、こんな話してる場合じゃない。十八班を探さんと」

「十八班ならここだよ」

 はっとしてきょろきょろし始めた彼女の様子がおかしくて、蓮は苦笑しつつも教えてあげた。

「ほんまに⁉」

 目を輝かせた彼女は、すぐ近くに「十八」と書かれた木の板を持った男が立っているのにようやく気づき、赤くなった。本当に喜怒哀楽が激しいというか感情表現が豊かというか、見ていて飽きない。

 ぺこりと男にお辞儀し、改めて蓮を見上げてきた少女はにこっと笑った。

「じゃあ、これからよろしくやね」

「ああ、よろしく。……そういえば、まだ名乗ってなかったっけ。俺は和泉蓮。君は?」

「うちは森川綾音よ」

 入隊後に親しい友人ができるかどうか心配だったのだが、その不安は今この瞬間に解消された。何の根拠もないけれども、この場所で上手くやっていけるような気がした。


 他の面々が来るまでの間、二人の会話は弾んだ。

「さっき『なるべく多くのスパイダーを狩りたい』って言ってたけど、それには何か理由があるの?」

「だって、お金稼ぎたいやん?」

 あっけらかんとした物言いに、蓮は何だか圧倒されてしまった。この子は多分自分とは違う価値観で世界を見つめていて、それは何かしっかりとした基盤をもった尺度なのだ。

「まあ、俺も賞金が欲しくないわけじゃないよ。それだけじゃないけど」

 蓮は首を縦に振った。


 政府はスパイダーをできるだけ保護する方針を示してはいるが、国民の生活を著しく脅かしていると判断された個体については駆除を行う。しかし政府軍といえどもスパイダーの行動を予測することは難しく、軍の拠点からスパイダーの出現地点までの距離が遠ければ対応は後手に回る。そこで、そのような駆除対象となる個体には高額の懸賞金をかけ、人々の協力を促しているのだ。


 もっとも、一般市民の力ではスパイダーを攻略することは不可能に近い。討伐隊はこの制度を利用し、政府軍より先に駆除対象を倒すことで資金面を確保している。得られた賞金の半分程度は隊員らにも分配される。森川はそれが狙いだというのだ。

「ふーん。蓮君は、何で討伐隊に入ったん?」

「俺は――」

 口を開きかけ、しばし考えた。用意した建前を披露するのは簡単だ。けれども、この子の前でなら秘密を明かしてもいいような気がする。

「……何ていうか、結構単純な理由なんだ。人を襲うスパイダーが許せなかった。それだけ」


 だが直前で思いとどまり、嘘を塗りたくられた口上を並べる。いつかは話してもいいかもしれない。しかし、今はまだ早い。

 森川は目を軽く見開き、尊敬の眼差しを向けてきた。何だか照れてしまう。

「えー、すごいなあ……うちやったら、そんな風なシンプルな考え方絶対できんよ」

「そう?」

「うん」

 こくりと頷き、ふと森川は真面目な表情になった。

「うちの家、かなりの額の借金抱えとってな。両親は頑張って働いとるけど、返済が追いつかんのよ。だから、討伐隊に入ってガンガン稼いでやるって決めた」


「……いや、森川こそすごいって。命懸けで戦ってまで稼ごうって、普通思わないもん」

 告げられた事実に驚かないはずはなく、なるべく平静を装って彼女を褒める。到底自分には真似できない行為だった。家族のために命を張るなど、少なくとも今の蓮には考えられなかった。

「謙遜せんでいいんよー」

 微笑して言う森川に、蓮の屈折した心情は読み取れなかったであろう。

 その後も数分間談笑は続いた。内心を吐露することは控えたものの、蓮は彼女との会話を楽しむことができた――自身の過去に言及することは、意図的に避けたが。


 他の隊員二人は、ほとんど同時に到着した。

 うち一人は、背が高く切れ長の目をした男だ。年齢は蓮よりも少し上かもしれない。顔立ちはかなり整っていて、固い決意のようなものがその表情からは読み取れる。彼もまた、何らかの事情があって入隊したのだろう。討伐隊は本来、自分たちのような若者がふと思い立って加わるようなところではないのだから。


 もう一人の方は、色白で小柄な少女だった。ブラウスの襟元まで伸ばした黒髪と華奢な手足が、どことなくアンバランスな印象を与えてくる。俯いているせいで顔ははっきりとは見えず、憂いを帯びた瞳だけを捉えることができた。クラスに一人か二人はいる、地味で大人しいタイプの女子だ。

 何故こんな気弱そうな子が、と蓮は疑問に感じた。激しい戦闘に耐えられるだけの体力とは無縁に見えるし、かといって森川のように勝気さや気丈さを持ち合わせているようでもない。前線には出ず後方支援を担当するつもりなのかもしれないが、仮にそうだとしても一通りの訓練は受けなければならないはずだ。

 人を第一印象で判断するのは褒められたことではない。しかし、彼女は自分以上にこの場で浮いていた。


「……よし、四人全員揃ったか」

 それまで木の板を掲げていた男が気だるげに言い、板を地面に置いて班員の顔を眺め回す。仕事だから仕方なくやっている、という風だった。

「第十八班班長の、岸田達郎だ。若年層は若年層で固めた方が結束が強まって良いって上が考えたらしくてな、こんな感じの編成になった。もし不満があるんなら、俺じゃなくて上に言え」


 道理でさっきからやる気なさそうにしていたわけだ、と合点がいく。新人育成の中でもとりわけ手のかかりそうな若造を全員押しつけられたのなら、モチベーションが下がるのもある意味当然かもしれない。要は、面倒な役目を割り振られたということだ。

(だからって、内心を表に出すのもどうかと思うけどな……)

 はっきり言って、大人げない。

 岸田はやや唐突に右手を挙げ、蓮を指差すとぶっきらぼうに言った。

「まずは、自己紹介から始めるか。お前から行け」


「はい」

 不意打ちに面食らったのをおくびにも出さず、蓮は口を開いた。内容はまるで思いついていないが、アドリブでどうにかするしかない。

「和泉蓮といいます。……ええと、これからよろしくお願いします」

 とりあえず必要最低限の要素だけを入れた挨拶を述べ、軽く頭を下げる。続いて、隣に立っていた森川の番になる。緊張した様子もなく、彼女は軽く笑みを浮かべた。


「森川綾音です。一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします」

 先程までとは打って変わって標準語が飛び出したのは、逆に新鮮だった。僅かにアクセントが関西寄りになってはいるものの、不自然さはない。ごく当たり前のことだが、関西圏の人間が関東弁を上手く話せないなどということは決してないのだ。


 次の順番は、さっき到着した切れ長の目の男であった。

「佐伯雅也です。召集に遅れてしまい、すみませんでした。よろしくお願いします」

 はきはきとした口調でそう述べ、佐伯は目を伏せた。

 遅刻に対する謝罪を交えている辺り、台詞だけを見れば好感度は高い。しかし彼の態度は他人を寄せつけない何かを孕んでいて、微妙な距離感が生じてしまっていた。クールといえば聞こえは良いが、愛想がない、社交辞令だともいえるかもしれない。


 そして最後が、例の小柄な少女となった。

「……井上渚です。よろしくお願いします」

 思ったより声が高くて、少し驚いた。森川が活発で友達になりたいタイプだとすれば、井上は儚げで守ってあげたくなるタイプだろう。


 自己紹介を終えたところで、岸田は長々と説明を始めた。といってもその中身は、入隊式で聞かされた組織の理念の話とほとんど一緒だ。人類を捕食する天敵、スパイダーを撃滅して未来を切り開く――それが討伐隊の最大目標であることくらい、とっくの昔に理解している。

「スパイダーが現れたって情報が入り次第、現場に向かって倒す。口で言うのは簡単だが、実際はそうでもない。奴らの移動スピードは速く、駆けつけたときには逃げられてるなんてことも……」

 岸田の話を適当に聞き流しながら、この四人で今後切り抜けることになるであろう幾度とない戦いに、蓮は思いを馳せていた。


 基本事項の説明が終わった頃には、暗くなっていた。

 討伐隊の就寝時刻は早い。ランプの数には限りがあり無駄遣いできないため、皆さっさと寝袋にくるまってしまうのだ。

 なお、森の中でのキャンプが生活の中心であるため、どうしても湯浴みできる機会は少なくなる。少量の水で洗える特殊シャンプーや殺菌効果の高いボディーペーパーが配布されることで、衛生面を保っている状況だ。

 岸田は余っていたテントを二つ指で指し示し、「二人ずつに分かれて適当に寝とけ」とだけ言うと、自分のテントの方へ歩き去ってしまった。


 まだあまり打ち解けていない佐伯と同じテントを使うのは何だか気まずかったが、さすがに森川の横で寝るわけにもいかない。二人分の寝袋を中へ運び込み、寝巻代わりに入隊式で渡された迷彩服に着替えた。暖かく、着心地はなかなかのものだ―いずれこれを着て戦場に向かうのでなければ、さらに良かったのだが。

 ほぼ初対面の相手と隣で寝る気まずさは、森川も感じていたらしい。一旦外の空気を吸いに出たとき、たまたま彼女と鉢合わせた。

「あ、蓮君や」

「おう」

 森川はにっこりと微笑んだ。

「眠れんの?」

「うん。お互い様だな」

 二人は苦笑いした。ふと、森川が夜空を見上げて小さく歓声を上げる。

「星が綺麗やね……スパイダーの巣がなかったら、もっとよく見えるんやけど」

 輝く星々の多くは灰色の糸に遮られて見えなかったが、いくつかはその隙間から眩しい光を放っている。


「俺たちがまだ子供だった頃は、あんな糸なかったのに」

 ついぼやくと、森川に笑いながら背中を軽く叩かれた。ツッコミが鋭い。これも関西の血か。

「でもあの頃は大変やったやん。紫外線で皮膚がんになるのを防ぐために、外出するときはサングラスと日焼け止めが不可欠。一年中猛暑日で、熱中症で亡くなる人も後を絶たんかったし…それに比べたら、今は平和な方やと思うよ」

「代わりに、スパイダーが跋扈してるけどね」

 ジョークを返すと、森川は可笑しそうに笑ってくれた。関西人は笑いの沸点が高いと聞くが、自分のつまらない冗談で愛想笑いでない笑顔になってくれたのなら嬉しかった。


 吹き付ける夜風がやけに冷たくて、思わず身震いした。おやすみ、と短く挨拶を交わしてテントへ戻る。

 熟睡している佐伯を起こさないよう、自分も再び寝袋へ潜り込む。

 結局、彼とはこの日、一言も話さずに終わってしまった。



「和泉君、これはどういうことかね」

 政府軍指令室への来訪者は、彼を厳しく問い詰めた。数年前から日本で生活しているだけあって、流暢な日本語である。

「申し訳ございません、ジェームズ所長」

 指令室の壁にはいくつものモニターがあり、その反対側に床が一段高くなっている箇所がある。そこに据え置かれたデスクから立ち上がり、男は深く頭を下げた。


「それにつきましては、完全に私の不手際です」

 ジェームズは彼の元へ静かに歩み寄り、肩を叩いた。

「顔を上げたまえ。別に君を責めているわけではない」

 彼は青い目をした白人で、見上げるほどの長身は近寄る者に威圧感を与えてくる。和泉と呼ばれた男は、おそるおそる顔を上げた。首筋には冷や汗をびっしょりとかいている。


「……だが、サンプルに逃げられたとなると少々厄介だ。私たちの保有する技術が他所へ漏れてしまうような事態は、何としてでも避けねばならない」

「速やかに回収します」

 緊張した面持ちの男に、ジェームズはにっこりと笑いかけた。ただし、それは部下を励まそうとする優しげな微笑ではなく、失敗は許されないのだと暗に語りかけるような暗い笑みであった。

「そうしてくれたまえ。必要とあらば、対スパイダー用の特殊部隊を動員しても構わない」


「……ええ、そのつもりです。重装備の通常部隊では、サンプルを回収する際に隠密行動をとるのは難しいと考えます」

 男の回答に満足し、ジェームズが頷く。

「結構。では、失礼する」

 そして踵を返し、政府軍総司令部を後にした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 圧倒的なスケールの物語に思わず引き込まれて感情移入してしまいます。 主人公の行動も気になりつつも恋愛要素もあるのかな?と思ったり。 バトルシーンが楽しみです♪ [気になる点] スパイダーが…
2020/09/10 00:06 退会済み
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