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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

上弦の夜に二人

作者: 風絹 流累

思いつきで書きました。渋い作品になったと思います。

  森で出会ったその女は凛としていた。ぼろぼろの布を全身に纏った女の足には枷があった。足元以外に傷は見当たらず、奴隷のわりには肉付きが良い。


 身動ぎしないその女は目で訴えてきた。しかし、それはけっして私を誘惑するものでも、曇った闇夜に星を求めるようなものでもなかった。(むく)いることこそ使命であると、ここで死ぬのならばそれまでであると、自他を超越した一片の景色として、そこに立っていた。


 私の両手には、錆びて抜けない剣と、5枚の金貨が入った袋とがあった。私は一歩一歩、ゆっくりと近づいていった。女ははっきりと私を見ていた。私が剣を抜く素振りをしても、女は瞬きひとつしない。次に、金貨を掌で踊らせてみせたが、同じだった。


 私は両方を地面に落とし、さらに近づいた。互いの息がかかるほどに近づいたが、女には匂いがなかった。私は私を止められなかった。風が吹くが如く、太陽が昇るが如く、ごく自然に、滑らかに軽い口付けをし、優しく抱き締めた。


 女は気を失った。全身から力が抜けて崩れ落ちる生身を支えることは容易かった。柔らかな体を背負い、私は家に帰った。




 小さな家だ。街から遠くないが、この丘の中腹には誰も来ない。私は一人で暮らしている。母が死んでから久しく、街に住む歳の離れた弟たちからは連絡が来ない。父は、私が子供のころに殺した。親戚は在っても、それは無いのと同じである。


 私は女を床に横たわらせ、一杯の水を傍に置いた。そして、夕食の食材を採るため森に戻った。


 少しの茸と若菜を摘んでいると、鳥たちが群れをなして頭上を飛んでいった。彼らは時を教えてくれる。私は夕焼け空を楽しみながら家へと帰っていった。途中、誰かが家にいると思うと懐かしい気持ちになった。


 山菜採りは幼いころに母から教わった。母が病に伏してからは私の仕事になった。弟たちはよく手伝ってくれた。母はあっさりと死んだ。思い出だけが残り、何かを欲した弟たちは街へと移り住んだが、私は残った。


 私にはもうひとつ、やらねばならないことがあったのだ。それは父がしていた仕事だ。誰かがやらねばならなかった。私でなくても良かったはずだが、息子だからといって、支配者は私にあれを継がせた。今まで通り家族とともに生きていけるのだから、不満は無かった。




 家に入ると、女は壁に背をつけて座っていた。杯の水は無くなっていた。無気力に垂れた腕は死人のように動かないが、女は大きくきわめてゆっくりと呼吸をしていた。


 薄く開いた両唇の隙間に白い歯が見えた。真っ直ぐな鼻筋と整えられた眉、微動だにしない瞳、瑞々しい頬、そこにあるのは美しさだけだった。


 私は芋と茸と山菜を羊の乳で煮込み、食べた。もちろん女の分も作った。しかし、女は相変わらず息だけをしている。声をかけても反応しない。しかし、器を女の口元に差し出すと、息を吸った拍子に湯気も吸い、女の腹が鳴った。体は素直だった。


 もしかすると、毒か何かで、あまり動けないのかもしれないと思った。そのまま口の中へ流し込む()もあったが、まだ熱いので躊躇った。冷めるまで待つことも出来たが、私は一度口に含み、芋を噛み砕いて、女の口に注いだ。


 女は動じず、噛むこともなく、胃袋へ受け入れた。3度同じことを繰り返した。それが良かったのかどうか分からないが、女は目と口を閉じて、しばらくすると自ら残りをたいらげた。ようやく自律的に動いてくれたが、言葉は発しなかった。




 私が後片付けをして、床の準備を整え、外で風呂に入っていると、女も家から出てきた。女は私の傍で星々を見つめて黙っていた。


 私が湯釜から出て家に入ると、女も湯を浴びたようだった。私はすぐに床についたが、女はしばらくのあいだ戻って来なかった。私は寝るに寝られず、天井を眺めていた。


 どれくらいたったか分からないが、女は裸で戻ってきた。月明かりが差し込み、ときおり女の肌が輝いて見えた。私は上体を起こして、水瓶から水を一杯汲んで渡した。女は傍に座り、半分飲んで返した。


 体の具合はずいぶんと良くなったようだ。指先まで活力がある。残りの水を(かめ)に戻せず、私が飲み干した。私は床を二人分用意していた。しかし、女は私の傍を離れなかった。


 私は言葉なく息だけをしていた。女も、やはりどこかを見つめながら、息だけをしていた。静寂が続いた後、私は意味無く体を後ろへ反って、天井を仰いだ。


 女は私と天井の間に入り、片手を私の胸に押し当て、唇を重ねてきた。少し震えていた。女の肩を持つと、乾ききらない髪の毛と、弾力のある肌に冷たさを感じた。私は、温めなければならない、という囁きを聞いた。


 眠りにつくまで、女はいっさい声を出さなかった。私は、もうひとつの床に移り、目を閉じた。




 朝日が私を起こした。外は少し霞んでいる、いつもと同じ朝である。私一人がいる。しかし、二人分の床がある。もちろん、女などいない。違う。なぜか女がいない。それでも朝食を食べたら仕事だ。


 昨日、丘の向こう側にある草野で久しぶりに小競り合いがあった。こういう日は数えるだけになるから少しだけ楽である。小さな穴をあけた羊の胃袋に髪の毛を詰めて人の頭ほどの大きさにして、水で溶いた炭を含ませる。それで印をつけていって、重複して数えないようにするのだ。


 私は丘の頂上に立ち、霧が晴れるのを待った。どのように立ち回るか、だいたいの目安をつける。鳥たちは私よりもずいぶん早くから仕事をしていた。歩き始めてすぐ、早くも内臓が無くなったものもあった。


 彼らが食べてくれると、軽くなって運ぶのが楽になる。それに匂いも抑えられる。この日はあっという間に数え終わってしまった。規模が小さかったのだ。


 死体にはやけに大柄なもの、首のないもの、たまに女のものもある。首無しはたまに金貨や銀貨を懐にしまっている。大きいのは重たいだけである。


 女の数は少ないが、そこに戦場の色が見える。やけにたくさんの死体に囲まれていたり、外れの木陰に裸で置かれていたり、首が無いことも珍しくない。そして、あの女のように枷を足に手に首にかけられ、数珠のように繋がれていることも稀にある。


 全てのものに共通していることもある。それはどれも動かないこと、冷たいこと、やがては埋めなければならないことだ。


 私は大きな穴を掘って、それらを一斉に埋める。もちろん、皆裸にし、身包みは燃やし、貨幣はとっておく。あまりの数に先が思いやられることもしばしばあるが、時間に制限はない。丘に来る者は一人もいないからだ。今日の仕事はすぐに終わってしまった。数日の間は鳥たちの仕事が終わるのを待つ。




 私は再び丘の頂上に立った。太陽はまだ半ばまでしか昇っていなかった。私の家が少し下にあり、その向こうには森があり、さらに向こうには街がある。


 なぜだろうか、昨夜の女の目が思い浮かんだ。この街のどこかにあの女の居場所があるとは思えない。しかし、私の目は街の中に、見えるはずのないあの硬い眼差しを、あの美しい絹肌を探していた。


 家に帰ると床が二人分、そのままになっていた。私以外にいないのだから当然である。なぜか懐かしさに満たされ、入口で立ち止まり、目を閉じた。


 しばらくして、鳥の鳴き声が遠くに聞こえて目を開けた。昼には真っ白な月が夜には光輝くように、私は振り返り、手にしていた羊の胃袋をくるくると振り回して、森へ勢いよく放り投げた。そして、さよならと小さく呟いた。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


時代設定はしませんでした。読者ごとに決めてもらいたいです。細かいところも、あえて広げませんでした。

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