Ⅴ
夕食は一家全員で行うのが、半田家の決まりのようなものになっている。白ご飯に、ワカメの味噌汁。生野菜のサラダにキャベツの炒め物、メインは焼き魚だ。
エイは最初にサラダから片付ける。以前、家庭科の授業で、サラダから食べた方が消化に良いと聞いたからだ。
サキは焼き魚の骨を取るのに夢中で、母はしきりに父に話しかけ、父はそれを笑顔で受け止めて1つずつ応える。いつもの夕飯の風景だ。
「ところで、英幸の方は新しい友達はできたの?」
母からの質問に、エイは一瞬、飲んでいた味噌汁を吹き零しそうになり、押し留まる。顎に味噌汁が流れ、テーブルの中央に置いてあるティッシュを1枚、掴んでは顎に押し付けるようにして拭き取った。
「い、一応……」
「まあ!」
「どんな奴だ?」
珍しく父が話題に乗ってきた。エイは目を合わせたくない一心で父から視線を反らし、質問に答えるため、咄嗟にユウの事を思い出そうと天井を見上げた。友達と呼べるほど親しくはないが、男子で話したのは――先生を除き――彼だけなので、必然的に頭に浮かんできた。
朝からあった事を総合的にまとめると、エイは天井からテーブルへと視線を戻して、言葉を紡いだ。
「えっと、良い奴だな。うん」
「そうじゃなくって、顔とかは?」
「顔?」
サキが小骨を挟んだ箸で、エイを指す。エイはティッシュをテーブルに置いて、後頭部の髪を擦った。
「見た目はかなり良い方だな」
「テレビとかに出てそう?」
「いや、そういうんじゃなくって、何ていうか………とにかくカッコいいよ」
ユウの容姿は、テレビに出ているような、自分の容姿を最大限までに磨いて出している美しさではない。飽くまで自然に出た美しさだ。どんなに上手く空を描こうとも、本物には敵わないのと同じこと。あれは、実際に彼自身を見なくては分からないし、言葉に直そうとしても表現しようの無い美しさである。
「ふーん」
エイの曖昧な言い方に、興味が薄れたのか、サキは勢いを失くし、再び焼き魚に視線を移した。
ようやく質問の渦から抜け出せて、エイはホッと息を吐き出し、キャベツの炒め物に箸を伸ばした。
「名前は何ていうの?」
母の質問は終わっていなかった。それでもエイはキャベツを一撮みして口に運び、十数回噛んでから飲み込んだ。
「羽丘 勇気」
「羽丘、だと?」
「アナタ、何か知っているの?」
「……ああ。まあな」
珍しく父が言葉を濁し、味噌汁を音を立てて飲み干す。話題を逸らしたがっているのは目に見えて分かるのに、母の好奇の目は制限を知らない。父が味噌汁を飲み干すのを待ってから話しを繋ぐ。
「どんな事をしている方なの?」
「……わが社と契約を結んでいる会社の社長の名前だ」
「まあ。じゃあ、大企業の御曹司なのね」
母は嬉しそうに両手を叩き、父は面白くなさそうに魚を端の先で摘んで口に運ぶ。関係的には友好的でもいいはずなのに、どうしてそこまで嫌悪しているのか、気になったが、ここは敢て空気を読んで何も聞かないことに徹する。
「なんで、父さんはそんなにイライラしているの?」
(おい―――――っっ!!)
エイは箸を強く握り、サキを睨みつけたが、サキは父の方を向いているため、視線に気付いていない。図星を刺された父は、怒りを身体全体から発し、乱暴に魚の骨を箸もぎ取った。
「やり方が気に入らん。契約を結ぶにしてもだ。初めはわざとこちらよりも下から目線で物事を進めていたくせに、最終段階になると手の平を返して上から目線で物事を計り、尚且つこちらの弱いところをネチネチネチネチと言い包め、結果的に自会社に好都合な契約を結ばせるなど、卑劣極まりない行為だ!」
顔を真っ赤にして怒りを露わにした父を見て、サキと母は自分たちが地雷を踏んでしまった事に気付き、顔を見合わせた。エイは我関知せずと聞いていたが、別に契約だけの話ではなく、商売をするにしても相手の弱いところを突き、自分にとって有益になるように事を運ぶのは珍しくも何ともないことだ。だが、父の性格上、真面目で頑固一徹、いつでも真正面から勝負をする人間にとっては、あまり好きではないやり方なのだろう。明らかに父の感情論的な話し方だ。
父は怒りを静めるために、コップに手を伸ばし、一気に中身を飲み干し、音を立ててテーブルの上に置いた。
「……いけすかん奴らだ」
吐き捨てるように言い放つ。リビングの空気が一気に重くなり、かなり居心地が悪い思い。長居は無用とばかりに、エイは野菜炒めを白ご飯と一緒に口に掻き込んで、味噌汁で流して飲み込んだ。
「ごちそう様」
席を立ち、自分の分の食器をさっさと台所へ運び込んで、自室に戻ろうとした。
「英幸」
手がドアノブに触れる直前で、呼び止められる。エイは目を合わせないよう顔を伏せて、振り返った。
「何?」
「…………魚、残しているぞ」
「明日の朝に食べるから、取っておいただけ」
「………そうか」
何か言いたそうにしているのが、エイは分かっていた。
羽丘と付き合うな。話すな。近寄るな。
だが、エイはそれに従うつもりはないし、父もそれは分かっているはずだ。だから、あえて口にはしせず、最低限の言葉しか口にしない。もう用は済んだとばかりに、エイはドアノブを握ってから回し、さっさとリビングから出て行った。
廊下は滑るように走り、階段は二段抜かしをして、急いで自室に駆け込む。
電気の付いていない部屋に、月明かりだけが部屋の中を照らす。先輩から借りたCDの入ったCDプレイヤーがベットの上に置かれ、机の上にはサキがエイのお金で勝手に買ってしまった小説が置いてある。
エイは何となく、その小説に手を伸ばして中のページを適当に開いた。
『 少年は旅人に聞いた。
「旅人さんはどこに行くの?」
「この先さ」
旅人は杖の先を、向こうの山の麓まで続く道に向けて言った。
「この先には何があるの?」
「何があるかは、その人次第さ」
旅人は微笑を浮かべながら答えた。
黒い髪に白いマントを風に揺らしながら、旅人はこの先へと旅立った。 』
「…………意味分かんねえ」
こんなものの為に、1000円も失った方が、父の戯言よりも深く胸に突き刺さり痛い。
エイは開いたページを指で挟んだまま、ベットに移動をして寝転がりながらもう一度、ページを開き文章を読む。
「……何が書きたいんだよ」
ページを閉じて、タイトルを探す。表紙にはそれらしいものがなく、表紙を開けた次のページにそれらしいものが書かれていた。
『3人の旅人』
「はぁ?」
エイはそのままページを捲り、最初の部分だけをサラリと読んだ。
『その旅人は時を巡る事はできるが、流れを自由にはできない。
その旅人は流れを変える事はできるが、自然には逆らえない。
その旅人は天地を操る事はできるが、時間が許さない。
3人は1人では何もできない。だが、3人揃えば人々を良き方向へと導くことができる。時の者、道の者、天地の者。3人は今日も旅を続けている……』
エイは本を閉じた。意味不明な言葉が並んでいるとしか思えなかったからだ。もしかしたら、ファンタジー系の小説なのかもしれない。が、生憎とエイはファンタジーが好きではない。この世界のものではない出来事を綴り、読んで何が面白いのだろうか。それならば、文学賞を貰っているノンフィクション小説の方が、何倍も楽しめる。
エイは小説を脇に置いて、目を閉じる。このまま眠ってしまえば、明日が来る。月が夜空を駆けて太陽が昇るまでの時間。エイは意識を闇の奥へと深く沈めた。