Ⅳ
階段を上がり、2階フロアに付くと、エイはサキの部屋の前を素通りして、左奥にある自室の扉を開けて中に入る。朝、片付けていなかったせいで部屋はごちゃごちゃだ。
ベットの上には脱ぎっぱなしのパジャマが重なり、部屋のあちらこちらには読みっぱなしの漫画が無造作に置かれている。
エイは扉横にあるクローゼットの中から部屋着を取り出して着替える。学ランはハンガーに袖を通し、クローゼットのドアノブに掛けておいた。読みっぱなしの漫画本の間に、白い長細い紙を枝折り代わりに挟んで、本棚に戻す。パジャマは畳んで、定位置であるベットの右上に置いておいた。ベランダに繋がっている窓の、金網が付いている場所だけを空けて換気を行う。これで、幾分かは良くなっただろう。
「あ、いけね。これ聞かなくっちゃいけなかったんだ」
机に置きっぱなしになっていたCDケースを手に取り、CDプレイヤーを探した。
「あれ? どこだっけなぁ」
机の上にそれらしいものは置いていない。引き出しも全て開けてみたが見当たらなかった。と、なると他の該当する場所といえば。
「あそこだな」
自室を出て、廊下を少し行き、自室と同じような造りの扉を、手の甲で叩いてから中に入る。
「んお? 兄さん、何さ」
普段はあまり訪問してこない兄に、サキは読んでいた小説に枝折りを挟み、座椅子から立ち上がって腕を頭の後ろに組んで首を傾げた。
「何さ、じゃねえよ。また、俺のCDプレイヤー、勝手に持っていっただろ?」
「ああ。だって私、CDプレイヤー持って無いもん」
「だからって、勝手に持っていくな」
「はいはい。プレイヤー、机の上に置いてあるから、勝手に持って行って」
話しは終わったと言わんばかりに、サキは手首を振って、エイをさっさとこの場から追い出そうとする。
エイは一瞬、ムッとなったが、これ以上は何を言っても無駄なので、さっさとCDプレイヤーを、持って戻ろうと机に向かった。
サキの勉強机の上には春休み前のプリントや、今後の予定表などが散乱していたが、青色のCDプレイヤーはすぐに見つかった。
「あった、あった。……っと、何だこれ?」
CDプレイヤーを持ち上げると、小説とは違う表紙の本が姿を現した。表紙は革製で、裏の値段の部分を見て、中学生が気軽に買えるような値段ではないことが分かった。不審に思い、エイは目を細めてサキを見据えるが、当のサキは小説で顔を隠して目を合わせようとはしない。
「これ、何だ?」
「…………小説」
「随分と値の張りそうな表紙だよな」
「……まあ、それなりに」
「誰の金だ?」
「…………」
エイは溜息を吐いた。今さら、どうこう言っても後の祭りだ。エイは諦め半分に、その本を小脇に抱えた。
「ちょっ!? 何すんの!」
「何って、俺の金で買ったんだろう? なら、これは俺のものだ」
「やだ! 兄さんからパクったのは、たったの1000円だもん」
「罪を自白するんじゃねえ! つーか、半分以上も出してるんじゃねえか」
「それに、兄さんが持ってたって、どうせ読まないんでしょう! なら、少し早い私の誕生日プレゼントにしてくれたっていいじゃない!」
「なんで、妹の誕生日に1000円も出さなきゃならねえんだよ。500円で十分だろ」
「ケチ!」
「ケチだよ。俺は」
エイは扉を閉めて、サキの抗議を打ちとめた。扉の向こうでは、まだケチケチと騒いでいるが、もう耳に栓だ。
聞いていられない。
自室に戻ると、エイはサキの買った小説を、机の上に置いて、さっそくCDプレイヤーに、借りたCDを入れてイヤホンを耳につけて再生ボタンを押した。
最初に指揮者の人の声が入り、次にヴァイオリンのソロが流れる。小さな水脈が何本も集まり、やがては清流のようにしなやかでいて、大きく力強いのだが美しく纏まっていく。違う楽器同士の音が一つの曲として奏でられる。この曲を考えたのは先輩だ。
先輩は、あるクラシック曲を聴いて、この曲を思いついたのだという。水のような透き通る音色。まだ初心者もいるらしく、時折、音が外れるのを、先輩のチェロが上手く誤魔化す。
専門家ならば、簡単に分かるような行為でも、素人の耳ならば分からないだろう。音色が渦を巻き、台風のように激しい曲へと変わったと思いきや、今度は冬の静寂を表している様な小さく響く音に変わる。最後は先輩のチェロで締め括り、曲が終わった。
「さすがだな。先輩は」
エイは頬を緩め、次の曲に耳を傾ける。今度はオリジナルではない。普通のクラシック曲だ。それでも、先輩がチェロを奏でているのが分かる。他の人と少し違うタッチで奏でているのだろうか。
エイは、母親に呼ばれるまでの間、ずっと曲を聞き惚れていた。
何歳になろうと1000円は高いよ。兄妹でも盗みはしてはいけません。