入学編Ⅴ
「それを聞く覚悟があるの?」
そう言われるだけで、どんな話題ですら聞くのが億劫になるのが弱い人間の心というものだ。
それがこの様に自分の想定外の事象についてならその恐怖は指数関数的に増加する。
「ねぇ……どうなの?」
「それは…………」
彼女の真剣な顔持ちに返事を言い淀む。彼女は今までやましい生き方など一切してこなかった、正々堂々と今自らにできる全力を余す事なく出し切ってきた。それだけは断言できる。が、
(何なの、この恐怖は……)
何処か…………やはり何処か彼女が言っているのはそんな簡単な事じゃない様に思えてしまう。
そんな中暗闇を穿つ様に光が差し込む。
「その辺にしておけ……倉橋」
俯いていた顔を上げると、そこに居たのは気怠げそうな顔の担任、石垣凌我だ。
「なに先生。今私は八十島さんと話してるんだけど」
「知らん。と言うか、俺も八十島、そして鬼怒川に話があって来たんだよ」
そう言い石垣は鬼怒川と八十島に視線を向ける。
「お前らには連絡がある。ちょっと表まで来い」
そう少し強引気味な口振の石垣の命を受け、八十島と鬼怒川が一旦店から出る。
最後まで石垣を睨んでいた倉橋だが、流石に諦めたのか目を離す。
「チッ……まあ良いよ。今回は興醒めだ……。あ、ちなみに僕の名前は倉橋仙花。まぁよろしく頼むよ」
再び先ほどまでの作り笑顔に戻ったその言葉を最後に彼女が座り込んだのだけが僅かに見えた。
時間的にもう飲食店は開き出す頃合いで、店の表には特に人だかりもなかった。太陽も眩い程の光は無く、赤紫色の空が美しい色彩を空に描いている。
「で、先生……連絡って何ですか?」
早速、鬼怒川がそう問いかけた。
「あぁ、その事なんだが……」
石垣は質問に答えながら懐から何かを取り出す。
チャリチャリと金属のぶつかり合う音を立てながら石垣は萎びた二つの金属片を取り出した。
「単刀直入かつ、直球で言わせてもらう」
「「ごくり…………」」
「お前たちはーー」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
石垣が言いかけたところでその言葉を遮る様に鬼怒川が叫び声を上げる。
「……まだ何も言ってないんだが」
少し呆れた様に石垣がそう鬼怒川を軽く睨みつける。
「えぇ。でもこう言うのあった方が盛り上がるじゃないですか」
「はぁ…………」
その返答に石垣は肩を落とす。呆れ、だが彼女らしいとも思う。
(まぁコイツはこう言う奴って事だよな。最初はの印象とは違ってくるもんだよな。……分かってる。あぁ、分かってる……)
自分に言い聞かせ続きを言う。
「じゃあ改めてーー」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
「あぁもう五月蝿いっ‼︎‼︎」
またしても同じ過ち? を繰り返す鬼怒川に八十島がキレる。
「アンタの所為で話進んでないじゃないっ!」
ぐうの音も出ない正論に鬼怒川も流石に申し訳なさそうに黙り込む。
少し様子を見て石垣は開いたままだった口を動かす。
「……じゃあ、再開するぞ。お前ら二人にはすめらぎ荘に住んでもらう」
「「すめらぎ荘?」」
「そうだ。お前らには皆とは別にそこで寮生活を送ってもらう」
そう言い石垣は鬼怒川と八十島、それぞれに先ほど取り出した金属片を投げる。
「それはすめらぎ荘の鍵だ」
「えっ? これが鍵なんですか?」
八十島がそう驚くのも無理はないだろう。その手に乗っているのはお世辞にも鍵と言える様な代物ではない。
錆びついた金属の破片、それもゴミ箱からでも拾ってきたのかと思うほどに本来あるべき鍵の姿を欠いている。
「文句言うな。まぁ安心しろ。基本的にあそこが留守になることはないらしい。何せそこは監督役の教師もお前らの監視役として住んでもらう事になっている」
「でも何で私と霧葉だけなの?」
ふと鬼怒川がそう疑問を口にする。
「じゃあ聞くがお前らにはのみ共通することって何だと思う?」
((二人にだけ共通する事?……))
「「あっ……」」
二人は同時にハッとする。
「どうやら気付いた様だな……」
「つまり入学式に遅れる程度の問題児である私と霧葉に対する罰則って事?」
「おぉ……鬼怒川、お前鋭いな」
八十島なら当てかねないと思ったが、まさか鬼怒川が気付くとは思いもよらない。それも普段の彼女の行動のせいだが。
「話は以上だ。もう戻っていいぞ」
本当に連絡だけのために来たため、あの様に連れ出したものの、話は連れ出す手間より短い時間で終わった。
もう寮に帰っても良い時間だ。帰るかここでクラスメイトと僅かな時間を楽しむか、それは二人の意思に委ねられた。
「私はどっちでもいいけど……霧葉は?」
「私は……」
八十島の脳裏にふと先程の情景と言葉が浮かぶ。「あなたにそれを聞く覚悟があるの?」あの一言が頭から離れようとしない。まるで水素結合でも働いているのかと思う。
「……私は帰ります」
彼女の決断は決まった。だがそれは石垣も鬼怒川も予想できていた事だ。
「ふぅーん。じゃあ私も帰るかな」
鬼怒川はあくまでも八十島に合わせるという方向性らしい。
「えっ? 別に気なんか使ってくれなくても良いわよ」
だがそれに少し驚いた様に八十島が言う。そこには申し訳なさが滲んでいる。
「違うって、誰もそんなこと言ってないでしょ。私が帰りたいから帰る。ただそれだけだよ」
だがそんな不安をかき消す様な笑顔で鬼怒川はそう答えた。
「よし。じゃあ3人で帰るか」
このカフェも含め全てが一学校の敷地内にあるが、ここが国営の機関であることも相まって中々の広さを誇る。具体的な数字を出すなら、端から端まで歩くとすると20分ぐらいはかかる程度だ。
先頭に鬼怒川と八十島が、そしてその後続として石垣が二人を見守る様に歩く。
「ねぇー、先生もこっちに来なよー」
そんな石垣を見かねてか、鬼怒川がそう提案してくる。相変わらず異様なほどまでに気の回る奴だ。
オレンジ色に輝く太陽の美しさに当てれられてか、それとも初日ゆえの心の緩み故か、石垣二人の間に招かれる様に入った。
「へへっ。なんか良いね、こう言うの……」
鬼怒川がそう漏らす。その顔は非常にうつくしい笑顔が満開に咲いている。
ふと石垣に見えないに見えない様に後ろから手を回し、鬼怒川は軽く八十島を小突く。
残念ながら見えているのだが。
それに応える様に八十島もこれまた柔らかい睨みで返す。その顔には「そんな事分かってるわよ」と書いてある。
「ね、ねぇ先生…………」
八十島が俯きながら聞いてくる。その頬が赤いのは夕日のせいだろうか。
「……なんだ?」
勘の悪い石垣でも彼女が何を言おうとしてるのかの察しは大体つく。だからこそ敢えて余計なことは言わない。
八十島は決心を決めた様に顔を上げ言い切って見せた。
「た、助けてくれて、ありがとうございました」
本当に刹那の間の笑顔だった。そして言い切りすぐにそっぽを向いてしまうあたり、完全に決心が決まったわけではなかったらしい。
「へぇー、良かったじゃん先生」
まるでおじさんの様な笑みで鬼怒川がからかってくる。
ただ恥ずかしがり屋の女の子が男の人に感謝を述べる。それだけなのにここまで盛り上がれるのは若者の特権だろう。
「…………別に」
だが彼女がそうまで照れてしまう所為で、石垣もどこか恥ずかしくなってしまう。
だがそれだけではない。一瞬見えた八十島の笑顔、そして八十島と歩く鬼怒川の笑顔。
彼にはまだそのどちらもが心からの笑顔なのか、作り笑顔なんか何で分からない、分かるはずもない。
だがたった一つ、1つだけは約束できる。
(コイツらの笑顔は……守ってやりたい…………)
たとえそれが彼の願う未来と逆ベクトルだったとしても。今はそう思うしかない……いや、そう思いたかったのだ。