入学編Ⅱ
オイタ。そんなはしたない表現を聞いたのは何世紀振りだろう。
現代では、未成年との淫行を規制する法律すら日の目を浴びることはない。ましてやこの学校において、そんな事が起こったところでどうにかされるわけではない。
結局追い求められているのは"性能"でしかないのだから。
だからこそこの質問は石垣を悩ませる……事もなかった。
「嫌だが」
即答、寧ろ真逆である。
「ーーっ…………」
流石に彼女も口が半開きのままま固まっている。
それもそうだろう、いきなり教師にハニートラップなんて物を仕掛けるのだ、そこには当然の如く自らの、特に容姿への別段優れた自信が見え隠れしている。
だからこそこの石垣の返答は予想の遥か斜め上、アウトオブ眼中なのだ。
そしてそのあまりの衝撃のせいで彼女だけが気付かない、後ろから聞こえた物音に。
ふと石垣は扉に向かい歩き出す。
「所でさぁ、廊下に今誰か居なかったか?」
と言っても石垣そのセリフを言う時既に石垣は扉に手をかけ、開け放ち切っていたが。
「きゃっ!……」
其処にいたのは先程まで扉の直ぐそばに、現在は驚きで廊下の反対側にいる一人の女生徒だった。
特徴的な白い髪の毛は朝の眩い光をキラキラと反射している。
(アルビノか?)
「……で、コイツもお前の差し金か?」
石垣の質問を受けた顔から大体は察せる。
「いや……違うけど」
「そうか」
まあそうだとは思っていたが。
改めて白髪の少女を目をやる。少し大人しめな見た目をしているが、割に目は反抗的にギラギラと睨み付けてくる。胸元の青いリボンの色的に新入生であろう。
「でお前はーーーー」
「霧葉よ。八十島 霧葉。私"お前"って言われるの嫌いなのよね」
八十島はそう石垣の言葉を再斬りながら石垣を指さす。
目からそんな気はしていたが、中々に反抗的な生徒だ。初対面の教師にここまで言えるメンタルは褒められるべきなのか、それともただの無鉄砲な蛮勇なのか。
「はぁ……じゃあ八十島。お前はここで何してんだ」
「何って? それは…………」
この澱み方は迷子確定演出ガチャである。石垣はそう確信した。
「迷子だーーーー」
「違うっ」
またしても割り込みながら否定してくる。だがここでめげる石垣ではない。寧ろ俄然やる気が湧いてくる。
「嫌だから迷子だーーーー」
「だから違うって言ってんでしょっ!!」
もう本気で隠す気があるのかと思う程に分かり易すぎる。
「じゃあ何で来たんだ?」
「えっ? っとそれは…………」
そのくせして質問には直ぐに答えられない。もう本当に分かりやすすぎる。
前言撤回。これはただの蛮勇だ
そして彼女は途切れ途切れにようやっと一つの答えを捻り出す。
「あ、あれですよっ、その……なんて言うか…………」
「先生を襲いに来た」
「そう先生を…………って、んな訳ないでしょっ!!」
八十島が顔を赤らめながら石垣を睨む。
「いやいや、今のは俺じゃなくて……」
そう言えばコイツの名前なんて言うんだ?
「あれ? もしかして私の名前知りたいなんて思ってたりします?」
と、そう一瞬でも思ってしまった自分を殴りたい。オマケにピンポイントで当ててくるとは流石に予想外だ。
その為、
「あーいやー……別に。全然気になってなんかないぞ、本当に」
口から出てきた言葉は苦し紛れ過ぎて、最早ただただ苦しい様な言い訳だった。
さっきまでの威勢の良さは既に無限の遥か彼方へと消え失せていた。形成逆転。といっても
相手は違うが。
「本当に?」
そんな石垣の心中を見透かしているのだろう、ニヤニヤしながら紅髪の彼女は上目遣いで聞いてくる。
「あぁそうだとも。本当の本当」
(てか胸がっ、谷間がっ……。)
今度は今度で迫り来る二つの双眸に目のやり場に困る。心臓はバックンバックンだ。
本当にレベルが違う。エロスというエロスを極めたのだろうか、いやこれは間違いなく極めている。エロス免許皆伝済みに違いない。
そんな二人を見て呆れたのか、八十島が救いの手を差し伸べる。
「鬼怒川さん……でしょ?」
八十島の回答に一瞬、眉間に皺が寄った。
「おっ、正解だよ。どうして分かったの?」
だがその顔はコンマ1秒後には元の笑顔に戻っている。
「覚えてない? 受験会場であったでしょ?」
そう言いながら八十島はポケットから一枚のハンカチを取り出す。
「コレ、貴方が貸してくれたのよ?」
それは綺麗に畳まれたまるで新品の様なハンカチだ。其処には鬼怒川への感謝と、彼女の丁寧な性格のどちらもが現れていた。
「あっ……あー、はいはいはい。あの時のね」
そう言いながら出されたハンカチを受け取りポケットへしまう。
「はぁ……せっかく楽しめると思ったのにざーんねん」
そう言いながら鬼怒川は再びこちらへと視線を向けてくる。尤も、これ以上追求されないと分かった今、石垣にとって彼女は恐るるに足りない。
本当に呆れる奴、そう思いつつも石垣も心の底では怒っていない。
その証拠にその口元は少しばかり笑っている様にも見える。
ただ、相変わらずその言葉に棘は多いままだ。
「俺からしたらただの迷惑なんだが」
だがまた同様に鬼怒川もまた口調はゆるゆるのままである。
「まあまあ硬いこと言わなーい。それよりさぁ、凄い今更かもしれないんだけどさ」
「今度何だ、もうつまらないからかいは勘弁だぞ」
「まぁまぁ、分かってるって」
((絶対分かってない…………))
「でさ、入学式って……すっぽかしたらどうなるの?」
一瞬、3人の時間が止まった様に見えた。3人は顔を見合わせる。
「鬼怒川さん……それもっと早くに言って欲しかった」
現在時刻は9時01分。既に入学式は終わっている。
さらにそんな彼女らに追い討ちをかける様に校内放送が流れる。
「1年の鬼怒川、そして八十島。直ぐ職員室に来なさい」
それは中々に怒気を孕んだ不吉な音声だった。
入学式が終わり、教室には新入生が腰掛けていた。まだ初めましての人ばかりで、少し緊張感も感じられるが、3年間のクラスの繰り上がりで人員変化がないここでは、寧ろまだから味わえるとも言える。
1年3組。それが石垣の担当するクラスである。
男子15人女子13人。全体の男女比率もほぼこの通りだ。これが3つで1学年が形成されている。
だがそんなことは石垣にとっては些細な問題である。何故か、それは彼が教師未経験という過去に起因する。
さらに言えば初日。この日できっとクラスの大まかな方向性などが見えてくる。それは当然クラス内での仲もだ。それは彼が最も気に掛けていたことである。
だがそれもさっきまでの事だ。今は少しばかり違う。
石垣は本来の五十音順の席順からずらされた二人の生徒に視線をやる。
其処には「私は入学式をすっぽかしたアホです」と言う文字の書かれた紙を胸に貼られた二人の女生徒が。一人は既に既知の仲になったらしい左右前後の生徒と笑い合い、一人は顔を真っ赤に染め体をプルプルと振るわせている。
「何で私が何で私が何で私が………………」
そんな悲壮に満ちた声はきっと気のせいだろう。うん、気のせいだ。
結果論だが、彼女らとの些細な会話が彼の緊張した心を、呆気なくと言っては彼に失礼かもしれないが、あっさりと溶かしてくれていた。
チャイムが鳴り教室が一瞬で静まり返る。まさに入学初日の風景だ。
「では今から、入学初のロングホームルームを始める」
そしてこの学校での時が動き出した。