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03

 夜が明け、眩しい朝陽に照らされる宿屋“陽だまり亭”は、早い内に煙突から湯気を昇らせていた。

 一番早く起床したアランは、日中にのみ営業する料理屋の仕込みだけでなく、宿泊客の朝食の支度のため、厨房で早速腕を奮っている。ロナは兄よりも少し遅く起床したが、まだ少々寝ぼけ眼で、欠伸を必死に噛みながらテーブルのセッティングや掃除などをしてる。


 私はというと一番遅くに起き上がり、お気に入りの窓辺で忙しい彼らを見守っているが、泊り客がいる日は私も朝から大忙しだ。


「リリーちゃんおはよ~」

「今日も朝からふわふわ~」


 二階から順番に下りてくる客が、私のもとへやって来て、挨拶がてら撫でてゆくからである。

 それにきちんと挨拶を返しお相手をするのが、看板猫の務めだ。その間に、ロナとアランが下りてきた客の朝食を準備するので、私の仕事は重要な位置にあると思っている。


「お姉ちゃんたち、朝ごはんの用意が出来たよ!」

「ありがとう。わあ~美味しそう!」


 冒険者の少女たちは立ち上がり、テーブルへ向かっていった。ほっと息をついたのも束の間、商人の男性たちが階段を下りてきて、代わる代わるに私の背中を撫でてゆく。

 私は他の猫と違い、心が広い。淑女らしく、けして見苦しく怒ったりはしない。


(まったく、看板猫も忙しいわね)


 やがて商人の男性たちもテーブルへ向かい、お客同士、談笑しながら朝食を取り始めた。

 私はくあっと欠伸をし、和やかな風景の傍らでまどろんだ。




 朝食を取った後、先に荷物をまとめて出立の準備をしたのは、商人の男性たちだった。

 偶然の出会いと、ひと時の寛ぎ。これが宿屋の醍醐味なのだろうと、私なりに理解しているが……――。


「リリーさん、必ず、必ずまた、グスッ泊まりにきますから……!」

「おい、早く行くぞ。いつまでメソメソ泣いてるんだお前は」

「ンナァ~……」


 仲間に咎められても、私の背中から手のひらを剥がさないその男性。かれこれ十数分とこの状態だ、いい加減うんざりする。

 ちょっと、さすがにしつこいわよ! 分かったから離れなさいな!

 ベシベシベシと両方の前足で殴打し、男性の手から抜け出すと、お見送りに並ぶアランとロナの側へ逃げ込んだ。未練がましい視線は無視し、もみくちゃにされた銀色の毛皮を丁寧に舐めて整える。


「リリーさん、けっこうパンチが重い……」

「体格が良いもんで、すみません。でも手加減してますよ、あれで」

「そうそう、リリーが本気で殴ると、木製の食器だって割れたしね。リリーが来たばかりの時、お兄ちゃんってばしょっちゅう生傷だらけだったなあ」


 ロナとアランは懐かしそう笑い合っているが、それを聞いた男性の表情はじゃっかん青い。

 心配しなくても、いいお客様にはそんな乱暴な事はしないわよ。


 そして男性は、最後まで私の事を“幸運の猫”と呼び、必ずまた泊まりに来ると熱く叫んだ。

 しかしあまりにも別れを惜しみ過ぎたため、最終的には痺れを切らした友人に首根っこを掴まれ、引きずられる恰好で出発していった。何度も両手を振っていたので、恐らく言葉通りに、いつかまたやって来るに違いない。



 冒険者の少女たちも、朝食後に町を離れる予定だったらしいのだが、急遽変更し午前中は簡単な依頼を一つ片付けてゆくらしい。

 「せっかくだからリリーちゃんが食べられそうなお肉も獲ってくるね」と笑い、剣と弓矢をそれぞれ携え町のギルドへ向かう後ろ姿は、颯爽とし頼もしい限りだった。


「肉のプレゼントがくるぞ。リリー、大人気だな」

「良かったねリリー」

「ニャア~」


 従業員として、当然の仕事をしたまでだ。しかし、臨時の報酬がちらつくと、彼女のたちの帰還がとても待ち遠しい。


 やがて太陽は天辺へ差し掛かり、日中のみ営業する料理屋が開かれる。馴染み深いご近所さんが訪れ、料理の香りが温かく漂う宿屋には今日も穏やかな時間が流れてゆく――そう思ったのだが。

 思わぬ来訪者が現れるのは、それから間もなくの事であった。




 扉が開き、設置されたベルの音が響き渡る。

 しかし、普段になくその音色は甲高く、開かれた扉もまた乱暴に軋んだ。


 和やかな空間に走った嫌な気配を嗅ぎ取り、私はいつでも動き出せるよう、寛いでいた身体を起こす。

 大きく開かれた扉の側には、三人ほどの青年が佇んでいた。武器を携え、防具に身を包み、見るからに冒険者の出で立ちをしている。彼らが食事や休憩にやって来るのは珍しい事でないが……様子を見る限り、目的はそれではないらしい。


「いらっしゃいませ。あの、お食事ですか……?」


 不思議がりながらも、ロナはそっと彼らのもとへ歩み寄る。しかし、先頭にいた青年はロナを一瞥だけし、フロアを見渡し始めた。


「さっきギルドで聞いたんだけど、ここには不思議な大きい猫がいるんだって?」

「えっ? リリーの事……?」

「その猫を、少し見せて欲しいんだ」


 ぴくりと耳を揺らした時、青年らの目が私へ留まる。そして、見つけた、とばかりに口元を緩めたが……その仕草が、私には酷く不快なものに見えた。

 彼らは側にいたロナを、突き飛ばすまではしないがやや強引に押し退け、私のもとへ大股でやって来る。小さく声を上げてよろめいたロナに、アランが厨房から飛び出し駆け寄った。


「ロナ!」

「へ、平気だよ。大丈夫」


 私は身体を構えると、低く声を唸らせる。それでもなお近づいてくる青年らは、私をじっと見つめ、やがて小さく吐息をこぼした。


「儚げな繊細な色をした、毛足の長い毛皮。襟巻きと尾は豊かで、気品のある横顔。そして、この瞳――光の量と微妙な角度で様々な色に変化する瞳。これは、もしかして本物かもな」


 青年らの手が、ゆっくりと伸びる。毛皮に触れられる前に私は素早く飛び退き、ロナとアランのもとへ駆けた。


「なあ、教えてくれ。どうやってその猫……いや、その“希少魔獣”を手に入れた」

「……は?」


 不躾な客の問いかけに、アランは眉をつり上げた。


「その魔獣は、この辺りにいないものだろ。隔絶された地域にのみ生息する“生きた宝玉”と呼ばれる種族なんじゃないか」


 生きた宝玉――この地にやって来てからは聞かなかった言葉が、久しぶりに私の耳をなぞった。

 忘れていた不快な感情が込み上げ、背中がざわざわと戦慄く。


「生きた宝玉、だと?」

「単体でも希少価値は高く、貴族の間でそれはもう莫大な高値で取引される魔獣だ。他じゃ見ない外見の猫、こんな町にまず居やしない。どうやって手に入れたんだ」


 ……ああ、知っている。

 この目、この声。私を閉じ込め、鑑賞の見せ物にした奴らと同じ。

 生きた宝玉という呼び名にだけ夢中になって、生き物として扱ってくれなかった、あいつらと同じだ。


 しかし、だからといって、大人しく捕まってやるつもりはない。どう呼ばれていようと、こちらは魔獣。しつこい追っ手を、自分の力で振り切ってきたのだ。


 何も知らなかったあの頃のように、大人しく捕まると思わない事ね――!


 全身の毛を膨らませ、いつでも飛びかかれるよう身構える。しかし、私を庇うように、目の前にロナの小柄な身体が立ち塞がった。


「た、高値とか、手に入れただとか、そんなひどいこと言わないで! 私やお兄ちゃんは、そんな気持ちで、一緒に居るんじゃないもん!」


 明るく朗らかな彼女から出るとは思えないくらいに、痛烈な声音だった。

 私は驚いて動きを止め、ロナを見上げる。


「……お父さんとお母さんが死んじゃってから、ずっと悲しくて、楽しい事なんてひとっつもなかった。でも、リリーが来てくれてから、毎日が楽しい。悲しいことだって、寂しいことだって、全然なくなった」

「ロナ……」


 アランの唇から、茫然とした声が落ちる。ロナは堪えるように、ぎゅっと唇を噛んでいた。


「リリーが、グスッ、どんな種族でも気にしない。家族だもん。だ、だから、ウッ、私の家族に、ひどいこと言わないでぇ……!」


 ロナの瞳に涙が溢れ、ぼろぼろとこぼれ落ちる。

 傍らに寄り添ったアランは、手を伸ばし、ロナの頭を静かに引き寄せる。雨垂れのように落ちてくる雫を見ながら、私も後ろ足で立ち上がり、優しい妹分を抱きしめる。

 ロナは細い肩を震わせると、ついにわんわんと声を上げ、泣き出してしまった。


 事態を見守っていた近所の人々は、表情を険しく歪め、冒険者たちを睨み付ける。

 この状況に、彼らもさすがにばつが悪くなったのだろう。狼狽えながら「何も取って食おうってわけじゃなくて少し見に来ただけだ」と言い繕った。


 ――しかし、普段になく冷ややかな声音で、アランは彼らの言い分を突っぱねる。


「リリーは、人を見る目が妙にある。良い人たちは宿屋へ連れてくるけど、危険な奴や腹に一物抱えている奴には絶対に近付こうとしない。あんた達、本当は何をしに、ここへ来たんだ」


 声を低く唸らせ凄んだ彼の表情に、私は驚いた。

 いつもは、あんな風にひとをぶん回して喜んだりするのに、本気で怒ると、けっこう怖いのね……。



「――ちょっと! 私たちがお世話になってる宿屋で、何してんのよ!!」


 開かれたままの扉を掴み、二人の少女が飛び込んできた。

 依頼を受けてくるといって出掛けた彼女たちだ。


 それを皮切りに、見守っていた近所の人々が立ち上がり、一斉に非難を浴びせた。


「北側の癒しである、ロナちゃんとリリーに手ぇ出そうってなら、俺らが相手だ」

「おうおう、冒険者だかなんだか知らねえがな、もやし野郎。土建屋の体力を舐めてんじゃねえぞ」

「珍しい猫だろうが高価な猫だろうが、そんな事は関係ないわよ。大体、希少魔獣なんて確証どこにもないんでしょう? あんたたちの思い込みじゃないの?」

「言っちゃなんだけど、リリーちゃんはかなりの庶民派よ! うちの商品の切れっ端を、いつも喜んで食べてるんだから!」

「おう、俺んとこもそうだ! 魚の干物の端っこ、美味そうに食ってくれんだ!」


 皆、一斉に私たちを庇ってくれた。良い人たちばかりだと思っていたが、本当に、その通りだった。


 ……ただ、一つだけ、言わせてもらいたい。

 私の日常を暴露する必要は、ないのではないか。

 援護射撃はありがたいのだが、不躾な冒険者以上に、私の方が(けな)されている気がしてくる。


「うちのリリーは、希少な魔獣なんかじゃない。あんた達も、確証はないんだろ?」

「それは……」

「――大事な家族に悪さする奴は、うちの客じゃない。分かったらとっとと出て行け」


 アランが言い放ったところで、冒険者たちはじりじりと動き出し、やがて逃げるように立ち去った。


 険しく張り詰めた空気が消え、たちまち宿屋は勝利に沸いた。

 アランは力仕事をする屈強な男性たちに囲まれ、背中をバシバシと何度も叩かれる。

 泣きじゃくっていたロナも、ようやく涙を止め、少し恥ずかしそうにしながら微笑んでいた。


「お騒がせしてしまって、申し訳ない。でも、ありがとうございます。ロナとリリーを守ろうとしてくれて。お礼に、ここにいる皆さんに、デザートを奢らせて下さい」


 アランがそう告げれば、その場に居た全員がわっと歓声を上げた。


 まったく、騒々しいんだから――。

 私は呆れながらも、いつもの宿屋“陽だまり亭”へ戻った事に安心した。



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