introduction 4
死者のうめき声が世界を支配している。そう思ってもおかしくないくらい、この周辺には死者が群がっていた。それもそのはず、この比較的広い通りの先に生存者の防衛ラインが構築されている。死者の大行列はそこへと向かっているんだ。
銃声と爆発音が乾いた空気を震わせる。防衛ライン付近の化け物共の殲滅は少し特殊な奴らが担っているはず。そいつらに話ができれば今回の俺のノルマは達成だ。
――あの爆発、夕莉か。
俺が最も長く行動を共にした存在。彼女もここで戦っている。
死者の群れの中に咲く紅い花、俺はその光に引き寄せられていった。
ビルの上から死者が吹き飛ぶ様を眺める。たった一人で終わりの見えない戦いを続けること、それがどれだけ絶望的なのかを俺達は嫌と言うほど痛感してきた。見方によればこの世界で生き続けること自体が絶望的な戦いの途中なのだが。
爆風が死者の群れを吹き飛ばし、焼いていく。彼女のチカラは大勢を相手にするには向いているが、チカラの制御が難しく付近に仲間がいる状況では使えない。彼女自身の性格もあって俺以上に孤独だったかもしれない。今更考えても仕方のないことなのだが。
死者の群れをスコープ越しに眺める。各所に改造が施されたボウガン。矢にはお手製のダイナマイトが取り付けてある。
「数年振りの再会だしな。これは俺からのプレゼントだ」
引き金を引く。矢が風を切りながら死者の一体に向けて飛んでいく。矢は死者の頭に深々と突き刺さり、そしてダイナマイトが起爆する。
轟音が俺のいるビルまで揺らす。少し火薬の量が多かったか、中々の過剰演出だ。だがおかげで死者の数は大分減ったな。少しは話す時間も取れるだろう。
近づいてきた俺に、夕莉はやっぱりといった表情を見せた。
「あんなことをするの、あなたぐらい」
「中々いい演出だったろ」
少し考えるように顔を伏せ、そして顔を上げたと同時に真顔でうるさかったと言ってきた。俺は少し笑ってしまった。
「なにがおかしい。本当のこと」
「ああ、そうだな。確かにうるさかったな」
俺の様子をどことなく不満そうに見つめる夕莉。こいつは言葉や表情がぎこちないというか、感情表現が苦手なんだ。いつからそうなのかは知らないが出会った頃からこうだったのは間違いない。最初は酷く不愛想な奴だと思った。俺も他人のこと言えた立場じゃないが。
夕莉が俺の顔をのぞき込むように前屈みになる。真っ黒なショートカットの髪が重力に従い流れる。
「なにか、あった」
俺は頷いた。夕莉は感情表現は苦手だが人の心を読むのは得意だ。特殊なチカラではなく、生まれ持った素質のようなものだと俺は思っている。
「きっと良くないこと。そう」
語尾が上がる。俺はまた頷いた。
「良くないことしかない。この前も大勢死んだ。食料を手に入れて、帰ってくるだけだった。でも、いつまでも帰ってこなかった。皆殺されていた」
俯きながら、けれど表情に変化のないまま夕莉は言った。
「私達はどうなる。ずっと、このまま」
少しだけ頭が傾く。夕莉もこの現状に疑問を抱いている。不安を抱えて戦っているんだ。
夕莉の色素の薄い瞳が俺の答えを待っていた。
「守るだけの戦いじゃダメだ。この世界を変えるには根本的な部分をどうにかするしかない。そうだろ」
「私達は、何も知らない」
「なら探しに行くんだ。今の場所で足踏みしていても何も変わらない」
夕莉の白く細い手が胸の前で握られる。
「でも、きっと人が死ぬ。それは、もう嫌」
「このまま戦い続けても人は死ぬ。どちらにせよ犠牲は付き纏う。だったら意味のある死の方がいいだろ」
胸の前で揺れる手を俺は見逃さなかった。人に無関心だった夕莉が、人の死にここまで臆病になっているなんて予想外だった。俺が夕莉達の元を離れてからきっと大勢の人間が死んでいったのだろう。五年という時間は人の心を変えるには十分過ぎたのかもしれない。
「彩が生きていた」
即座に夕莉が顔を上げる。その名をもう一度聞くことになるなんて思ってもみなかったのだろう。
「あいつらはまたこの世界で何かを始める気だ。使えるものは再利用する。新しいプロジェクトを開始する。あいつはそう言っていた」
そんな、と力なく呟くのが聞こえた。五年前、大勢の犠牲を払い殺したと思っていた相手が生きていた。その事実は暴力的なまでに俺たちの心に突き刺さる。
夕莉は暫く俯き黙っていた。背後に死者の声が近くなってくる。
「夕莉、もう一度考えてみてくれ。生き残った俺たちが何をすべきなのかを。守っているだけじゃ明日は何も変わらない。元凶を潰さなければ、俺たちに待っているのは死だ」
ボウガンにダイナマイト付きの矢を装填する。重たい弦を引き、死者の群れに狙いを定める。
「それを、言いに来たの」
「そうだ。俺達には時間がない。次が最後のチャンスかもしれない。それを言いに来たんだ」
引き金を引き矢を放つ。轟音と共に死者がバラバラに吹き飛んでいく。
「葵には」
「まだだ、これから行く」
背中に少しばかりの重みがかかる。夕莉の息づかいと鼓動が伝わってくる。
「気を付けて。今の葵は、変わったから」
「元はと言えば俺のせいだろうけどな。いや、お互いさまか」
背中から温もりが離れる。人の体温なんて酷く久しぶりだった。既に忘れかけていた感覚だった。
ボウガンを担ぎ小声でありがとう、と言った。夕莉には聞こえていなかったみたいだが、それでいい。
「またな、夕莉」
俺は闇に向けて歩き出した。去り際のぎこちない「またね」が暫く頭を離れなかった。