introduction 2
細い路地を足の踏み場もないくらいに死体が転がっている。そして死体の上には空の薬莢。この周辺は制圧したと考えていいのだろうか。
凄惨な光景、と思わなくもないが人間の馴れとは恐ろしいものでこの死体の山を見てもなんとも思わなくなってしまった。強いて思うことがあるなら、この死体がまた動き出さないか、ということくらいか。
路地を進んでいくと単発な銃声が聞こえた。射撃の間隔からして狙撃手だろうか。俺は音の元へと向かった。
狭い階段を上っていく。小さなビルの中、明かりはなく月の光も届かない。しかし死者は駆逐された後らしく足元とトラップに気を付けるだけで済んだ。
簡単なワイヤートラップをくぐり抜けて屋上へと出た。乾いた風が髪を撫でる。
屋上を見回すと隅に広い背中が見えた。片膝を突きスコープ越しに夜の街を見下ろしていた。俺は静かに近づいていく。十メートル手前くらいから両手を上げる。
「なんのようだ」
低く冷たい声が落ちる。俺に対して言ったんだろうが、声の主はぴくりとも姿勢を変えない。
「別に背後から襲おうだなんて思っちゃいない。もっともお前には前も後ろも関係ないのかもしれないが」
男の二メートルほど手前で止まる。俺の心臓にレーザーポインターが当てられていた。
「少し話をしに来ただけだ。だから銃を下ろすように言ってくれないか」
男は身動き一つしない。位置はわからないが他にも狙撃手がいて俺を警戒しているようだ。
「お前に話されることはない。だから消えろ」
銃声が響く。それは男が夜の街へ放った音だった。
「随分と嫌われてるんだな。お前にとっては有益な情報かもしれないが、本当にいいのか」
少しの沈黙の後、男は溜息と共に俺と向かい合った。
「この世界が壊れてからいい話、有益な情報、そんなものは幾つも聞いてきた。だがそれが俺にとって、いや俺たちにとって利益をもたらしたことは一度もなかった。それはお前にもわかるだろ。そしてそんな話を聞いた後は決まって良くないことが起こる」
男は俺ではなく濁った空を眺めた。俺は両手を下ろして続きを待った。
「期待して、希望を持って、そして裏切られる。高みへ登って叩き落される。それがこの世界だ。そうだろ」
空から俺へと向けられた瞳には静かな怒りと、深い悲しみが秘められていた。
「なら百目鬼恵、お前は何の為に戦っている。何の為にスコープを覗く。確かにこの世界は絶望に満ちている。今までも何度も希望に裏切られた。だが、それでも希望に縋っているから今も戦っているんだろ。違うのか」
いつの間にかレーザーポインターは消えていた。百目鬼のヘッドセットから他の奴にも会話が聞こえているのだろうか。
「俺は、葵との約束を守る。それだけだ」
俺は百目鬼の言葉を静かに反復した。
「絶対に死なないこと。そして、仲間を守ることだ」
ビルの下で爆発音が鳴りビル全体が揺れる。どうやら死者が入ってきてトラップに触れたようだ。
「少し喋り過ぎたな。俺らしくもねえ」
俺に背を向ける百目鬼。装備をまとめ始める。死者が迫ってきた以上このポイントに留まるわけにはいかない。
「待てよ、葵との約束はわかった。だがその先になにがある。守っているだけじゃなにも変えられない。それくらいわかるだろ」
百目鬼は装備を背負い、そして端末を操作し始めた。俺が百目鬼に近づこうとしたその刹那、足元のコンクリートが銃声と共に抉られた。
「俺たちには守らなきゃならないものがある。それだけだ」
百目鬼の背中が言った。
鼓動が強く鳴った。怒りのような感情が沸々と湧いてくる。
――俺には、なにもないのか。
気が付くと百目鬼は俺の後ろを歩いていた。
「彩が生きていた。あいつらはまだこの世界でなにかしようとしている。手遅れになる前に終わらせるんだ。そうでなきゃお前も、お前の守るべきものも、死ぬだけなんだぞ」
去っていく背中に叫ぶ。しかしその歩みは止まらない。
ビルが再び揺れる。死者の群れが俺たちに感づいて登ってきているようだ。
「伏せろ」
百目鬼が言う。反射的に俺は右へ飛んだ。俺のいた場所に振り返った百目鬼がライフルを一射した。
『オーバールック・アイ』百目鬼の持つアビリティで付近を俯瞰的に認識することができるチカラ。だからあいつには死角が存在せず、いかなる奇襲にも対応できる。
頭を吹き飛ばされた昆虫のようなものがその場で蠢き、やがて固まった。
「バグだ」
百目鬼がハンドガンを二丁構える。 屋上に次々と人間大の昆虫が登ってくる。
「この世界には希望なんて存在しない」
左右のハンドガンで別々の標的を仕留めながら百目鬼が言う。
「俺たちが希望を与え続けなければならないんだ。俺たちが希望にならなきゃならないんだ。今はそれが限界なんだ」
――自分たちが希望になる……。
銃声が遠くに聞こえる。希望っていったいなんだ。俺は何の為に戦っているんだ。俺の希望はいったい……。
「ここで死ぬのは勝手だが死にたいなら墓場に行け」
マガジンが目の前に落ちる。意識が現実に引き戻される。
「そうだな、だが墓場に行くのは今じゃない」
立ち上がり銃を抜く。四方から昆虫の群れが迫る。他のビルからも援護してくれているようだが、この数相手じゃ押し負ける。銃声に負けないよう声を上げる。
「百目鬼、お前の見せる希望にはいつか限界がくる。お前自身が他の人々を絶望させることになる」
濁った空をバックに飛ぶ蟲を撃ち落とす。刃の間合いに入った蟲は片っ端から叩き切っていく。
「今なにをすべきなのか、考えてくれ」
百目鬼は何か言いかけたが、しかしその口は固く閉じられた。
マガジンを撃ち尽くしホルスターに納める。紅い刃を左手に当て抜刀の姿勢をとる。
「これでさっきの借りはチャラだ」
俺の次の行動に気付き百目鬼が地面に飛び伏せる。
左手を覆う紅い結晶を刃に変換し巨大な一閃とする。俺は刹那の元、屋上全体の蟲を切り払った。
紅い刃を鞘に納め百目鬼に背を向ける。
「お前はどうして戦っているんだ」
百目鬼の問いを無視し俺は屋上を駆け抜け夜の街に跳んだ。
すぐに銃声は鳴りだした。鳴りやまない銃声はどこまでも無機質で、それでいて寂しげだった。