introduction 1
雑居ビルの間を乾いた空気に乗って銃声が通り過ぎていく。
不定期に訪れる死者の襲来にはある程度の予兆がある。あいつらもそれは掴んだらしく事前に防衛線を張り死者の群れを迎撃している。と言っても、その度に死傷者を出していたんじゃあいつらはジリ貧で確実に負ける。それ以前に時間を掛け過ぎている。これ以上守るだけの戦いを続けても、訪れる結末はあいつらも分かっているはずだ。
――お前たちは何を考えている。
闇に満たされた街。月明かりが微かにコンクリートを照らす。地面と壁が所々紅く彩られているが、それが死者のものなのか生者のものなのか俺には分からない。第一目の前の紅は今日の色なのか、はたまた一年前の色なのかすら曖昧だ。この街は、いやこの世界は血を吸い過ぎている。
背後の路地から唸り声が聴こえる。雑居ビルの乱立するここら一帯は死角が多い。それに路地を適当に走ろうものなら現在地を見失うのに数分とかからない。故にここは奴らの絶好の狩場でもある。
獣が吠える。周囲の闇が一気に動く。
――紅い刃の柄を握る。獣が風を切り駆けてくる。獣が地面を蹴ったのと同時、振り向き様に刃を抜く。
地面を紅く塗りながら二メートルを軽く超える獣がアスファルトの上を転がっていく。紅い刃の血を払い鞘に納め、ようとしたが止めた。獣共がここを狩場にするのには訳がある。こいつらの武器は俊敏性と凄まじい筋力、そして嗅覚だ。獲物の臭いを嗅ぎつけ、迷路のような地形を利用して近づき、喰らう。
――三匹、四匹、いやもっとか。
いつの間にか獣の巣に足を踏み入れてしまっていたようだ。全員を相手にしてもいいが、それ相応のリスクは伴う。
――仕方ないか。
ホルスターに手を伸ばしたとき銃声が近づいてきた。その中に場面に不釣り合いな、お気楽な声が混ざっている。
「ほらほら、さっさと片付けて帰ろう。こんなゴミ臭い所は俺には似合わないからさ」
「だったらお前も手伝えよ! お前の愚痴はもう聞き飽きたっつーの!」
――あいつは確か……。
ホルスターから銃を抜く。雑居ビルの二階、壁に張り付いていた獣に銃弾を撃ち込む。こいつらの強靭に発達した筋肉の鎧には銃弾の効果は薄い。案の定獣は壁を蹴り紅くぬめった爪を振り下ろしてくる。
――神経を集中する。物体の動きが緩やかになり目の前の獣の動きがはっきりと捉えられる。姿勢を屈め振り下ろされた腕を断つ。刃を切り替えし首から骨盤辺りまで捌く。
『スロウ・センス』を解き走る。室外機を足場に雑居ビルの二階窓から中に入り身を隠す。
「こっちから銃声したよな」
「ああ、間違いない。誰かいるなら返事してくれ!」
「おいお前ら、銃声がするってことはクリーチャーがいるってことだからな! もっと慎重に動け!」
銃声にさっきの奴らが寄ってくる。フォーマンセルらしい。
「プレデターの死骸だ、それも二体」
「いったい誰が……。」
二人が死骸の状態を確認し始める。
「馬鹿、上だ!」
どこかの屋上にでもいたのか、声がしたときには獣は二人の目と鼻の先だった。鮮血が飛び散る。ライフルを握ったままの腕がくるくると飛んでいく。
「てめえ!」
声の主が獣に銃撃する。獣は反応できずに固まるもう一人を引きずり暗い路地へと飛んだ。その先から男の悲鳴が聞こえ、しかしすぐに静寂が訪れる。
「くそお! なんだよ、ふざけんなよ!」
片腕を無くした男に短髪の男が駆け寄り抱き起す。
「おいしっかりしろ! おい!」
しかし男は腕の中で小刻みに震えるだけで返事はしない。恐らくショック状態なのだろう、男の身体は次第に動かなくなり完全に脱力した。
「鋼、数は」
「今のも合わせると、六体だ」
「やれやれ、随分と増えたもんだね。ちょっと駆除しなきゃ」
――さすがにまだ生きていたか、榊光。
さっきのお気楽な声の主――光は俺の知っている生存者の中でも極めて高い戦闘能力を持っている。この一年でどれだけ成長したのか、見せてもらおう。
「光来るぞ!」
短髪の男――宮本鋼が叫ぶ。
光の身体が青白い光を纏う。宮本は片腕を無くした男の身体と共に下がる。
「どっからでもかかってきなよ、ワンちゃんたち!」
光の左手の路地から獣が飛び掛かる。ギリギリの距離で避け、その首元にナイフを突き刺す。よく見るとナイフの柄からワイヤーのようなものが伸び光の手元へと繋がっている。
「まず一匹」
ナイフが一瞬強く発光する。獣からは煙りが上がりその場で動かなくなった。ナイフを手元に戻し剣先から青白い光を放つ。それはそのまま刃のように光続けている。
「めんどくさいな、まとめてかかってきなよ!」
左手から四方八方に小型のナイフを放つ。そして青白い光が一帯を包む。身体を一部焼かれた獣共が光に襲い掛かる。一匹は青白い刃で頭を焼かれ、二匹目は放たれた光で硬直した隙に胴体と首を断たれた。同時に襲い掛かった二匹にはそれぞれにナイフが投げられ宙で青白い刃に貫かれた。
両手に青白い刃を携える光。あいつのスキルは『リミットレス・ディスチャージ』。自身から際限なく放電できるチカラ。光の持つナイフ類は専用に用意された装備なのだろう。
「お食事は済んだかい、ワンちゃん」
路地からのっそりと獣が現れる。その口からは血肉がベチャベチャとこぼれている。
「ワンちゃんにはお食事の対価を払ってもらはないとねえ。じゃないと俺の気が済まないからさ。まあ、どんな対価を支払われても俺の仲間ってのは返ってこないんだけど」
青白い光がより一層輝き周囲に激しく放電する。それは口調とは裏腹に、光の怒りに呼応しているようだ。
「躾のなってないワンちゃんにはお仕置きが必要だもんねえ。さあおいで、可愛がってあげる」
剣先から光が飛ぶ。地面を蹴り壁を駆け上がる獣。雑居ビルの間を縫い撹乱する。ここからじゃ動きを把握しきれない。
「お散歩かいワンちゃん! いい子だから降りておいでよ!」
放たれる小型ナイフは壁に弾かれ地面に落ちていく。
「光、こっちだ!」
宮本が路地の入口に立っている。光がナイフで獣を路地に誘導する。
――宮本鋼のチカラ、確か……。
獣が壁を蹴り宮本に喰いかかる。
「駄犬にはちゃんと首輪しなきゃだよな!」
宮本の手にはスライムのように溶けた二丁のライフル。液体のようになったそれを飛び掛かった獣の顔に投げ当てる。獣の顔を鉄が覆い瞬く間に硬化し、鉄の仮面を着けられた巨体が地面で暴れまわる。
宮本鋼のスキル『アイアン・ソフトメイク』。鉄を軟化させるチカラ。液状にできるまでチカラが進行したらしい。
「さあて、お仕置きの時間だよ。ワンちゃん♪」
一際大きな輝きが暗い街を照らした。
「くそ、俺たちが付いていながら二人も……」
「鋼、もう言うな。この借りは必ず返そう。ただ、それにしても今回は数が多すぎ。報告には聞いていたけど、こんなにも増えてるなんてね」
「ああ、プレデターだけでこの数じゃ俺たちでも対処しきれねえ」
「だったらこっちから仕掛けるしかないんじゃないか」
「誰だ!」
窓から飛び降りた俺に宮本がすぐさま銃を向ける。
「お前は」
「へ~、生きてたんだ」
光も腰のナイフに両手を掛ける。
「お前らと殺り合うつもりはない」
「化け物のお前を信じろって言うのかよ!」
「鋼、落ち着いて。ここは様子を見ようじゃない」
光がナイフに掛けていた手を下ろす。しかし宮本は銃口を外さない。まあ、構わないが。
「で、今更現れてなんの用だい。もしかして仲間に加えてくれ、だなんて言い出さないよね」
「安心しろ、お前らと慣れあう気はない。一つ忠告しに来ただけだ」
「忠告? 君が俺たちに、珍しいこともあるもんだね」
警戒の姿勢は崩さずに嘲笑の笑みを浮かべる光。俺は無視して話を進める。
「奴らがまた動きだしている。最近の化け物の増加もそれが絡んでいるに違いない」
「その話が本当だって証拠はあるのかよ」
宮本が突っかかってくる。こいつは五年前から変わらない。
「一年前、彩と会った」
二人の表情にはっきりと驚きが表れる。
「どういうことだよ。あいつはあの時死んだんじゃ」
「いや、どうにか逃げおおせたんだろう。悪運の強い奴だ」
「それが本当だとしても、どうしてお前があいつと接触できたんだ」
「怪しい場所を片っ端から潰していった。そしたら運命の再会ってわけだ」
「……本当なのか」
「こんな嘘を言ったところで俺にメリットはない」
宮本が銃を下ろす。光が腰に手をあて溜息を吐く。
「やれやれ、ご苦労様とは言っておくよ。それで、彩に接触してなにを得たんだい」
「白のご意向により、新たなプロジェクトを始動させた。あいつはそう言っていた」
新しいプロジェクト、そう光は反復して視線を地面へと落とした。
「よりによって面倒なのが生き延びるんだもんね。あそこで止めを刺せていれば」
宮本も顔をしかめている。右手の中で銃が小刻みに揺れている。
五年前の戦いで俺たちはあいつを追いつめていた。研究所の爆破に巻き込まれて死んだと思っていたのだが、運は誰に味方するかわからないな。
「なあ、そのプロジェクトってのはなんなんだよ。知ってることは教えろよ!」
宮本の銃口が再び俺に向けられる。その眼には悔恨と憎しみの涙が浮かんでいた。
「こうも言っていた。使えるものは何度でも使う。再利用するってな」
二人は暫く黙っていた。遠くから銃声と悲鳴が聞こえる。血と獣の臭いが乾いた風に乗って俺たちを包む。
光が一人頷き口を開く。
「その再利用とやらのプロジェクトが最近のクリーチャーの増加に関わっていると、そこまではとりあえず信じよう。それで、君の狙いはなんだい。わざわざご親切に忠告ってだけじゃないんでしょ」
どちらかと言えばこっちの方が本題、と言えるか。
「決着を、着けるべきだ」
二人が怪訝そうに顔を見合わせる。俺は構わず続ける。
「これ以上守るだけの戦いを続けも結末は見えている。お前たちも分かっているだろ、俺たちがこのままだとどうなるのか。俺たちには時間がないんだ」
俺たちの間を止まない銃声が幾つも通り過ぎていく。そして、
「君の言いたいことはわかった。でもすぐに行動を起こすのは無理だ。第一俺たちには守らなきゃいけない人たちがいる。ろくな準備もせずに攻めに転じようものなら、また沢山の犠牲が出る」
「光の言う通りだ。それに、決着っつっても五年前みたいに負けたら話にならねえだろ。リスクがでかすぎるんだよ」
やはり無駄なのか。腰抜けのこいつらじゃもう……。
「そうか、なら人類は滅びておしまいだ。弱い者は死に、強い者が生き残る。お前たちは所詮化け物共の餌ってわけだ」
そう言って俺は寝かされている片腕の無い身体を見やった。その視線を光は見逃さない。ナイフが抜かれることは予想済みだった。ナイフとナイフが交わる。
「君が俺たちをここにおびき寄せた、そして高見の見物ってわけかい。そのおかげで俺は仲間を二人も失ったんだよ!」
「察しがいいな。言ったろ。弱い者は死に、強い者が生き残る。お前の仲間とやらは弱かった、それだけのことだ」
光のナイフが電撃を帯び始める。刃を弾き距離を取る。着地したタイミングに銃弾が飛んでくる。スロウ・センスで間一髪かわし路地の角に飛ぶ。
「隠れんじゃねえ! 出て来い殺してやる!」
この二人相手はさすがに厳しい。それに俺にはこいつらと殺り合う気は毛頭ない。
「お前らじゃ俺を殺せない。分ってるだろ」
宮本の顔が悔しさに歪む。あいつ一人じゃ俺に手も足も出ないのは五年前に明白になっている。
「俺の言いたいことはそれだけだ。無駄死にしたくなかったらせいぜい考えろ」
踵を返しその場を離れる。宮本の悔しさに満ちた声が銃声をも掻き消し闇に響いた。