第7話「野営地」
みどりに案内されたのは、十七号甲都から南東に三十キロメートル強の距離にある、尖兵部隊の野営地だった。
案内とは便利な言葉で、その実、南方の山岳地帯を往く強行軍だ。スラムを後にしたのは、零時を少し過ぎた辺りであったのに、着く頃には、陽が地平線より顔を出していた。
野営地は中隊規模で、見たことがないほど本格的なものだった。
編成は輸送車両が主だったが、いずれも木立の中に隠され、加えて山岳迷彩を施している。今や希少となった航空機、というよりは、現代でも運用が続けられている偵察衛星を警戒してのものだろう。
「隊長が戻られたぞ」「お疲れ様です、隊長」「土産はないんですか、隊長」
三人が営に踏み入るや否や、方々でそんな言葉が飛び交う。
隊長。その言葉の響きと、応えるように手を振る眼前の娘の姿が上手く合致しない。
「みどりが隊長とか、ガキの遊びかなんかと勘違いしちまいそうだ」
素直な感想を口にするネツキ。飾らない、と言うよりも侮辱に近い内容。
これが常の仕事なら一波乱を覚悟するところだが、幸いにして、相手も大概頭がおかしい。
「直接の指揮は副官くんに一任してるんで、似たようなものですよ」
相性が良いのか悪いのか。ネツキとみどりはここまで、衝突ひとつなかった。
だがみどりが隊長と知って、収まらないのはユウトの不満だった。後にみどりの上役から説明があると思えばこそ、これまで湧き出る疑問を胸の内に留めてきたのだ。
「隊長だなんて初耳だぞ」
「言ってないですからね」
詰問調のユウトへ、当たり前のことであるかのように、みどりが返す。
「何故黙っていた。あんたが責任者なら、聞いておきたいことはいくらでもあった」
その言葉に、みどりの眉尻が下がる。
「信じてくれたんですか」
間延びした声。
肯定の言葉を口にしかけて気づく。そう呼ばれてなお違和感を拭えぬ現状。自称されただけで信じることなど出来るのだろうか。既視感を覚える。
隣でくつくつとネツキが喉を鳴らしていた。
「おまえは疑り深いからな」
それをお前が言うかと、浮かんだ言葉を掻き消す。
なんのことはない。この数時間で何度かあったやり取りだ。冬の山を夜通し歩かされ、それでも機嫌を崩していないのは、妙だと思っていた。
気づかなければよかったと思う。ネツキはこうして言い負かされるユウトを見て、溜飲を下げていたに違いないのだ。
「あの二人が例の契約者と星隷か」
ふと、そんな声が耳に入る。
「で、どっちが星隷なんだ」
「小さい方だろ」
声量は並。そこに隠す意図はなく、ユウトたちに聞かれても構わない、寧ろ聞いてくれと言わんばかりの不敵さがある。
「へえ、可愛らしい嬢ちゃんじゃねえか」
「見た目なんぞ当てにならんぞ。おまえ、隊長を見て同じことが言えるか」
「もうなにも信じられない」「世も末だ」「違いねえ」
即答だ。あちらこちらで賛同と嘆きの声が上がる。いつものことなのか、窺い見てもみどりは涼しい顔だ。
「いやいや。オレは隊長のこと愛してるぜ」
「なにいい顔しようとしてんだ。食われちまえ」「変態」「食い殺されろ」
どこかの誰かさんの宣言も、仲間からの止め処ない口撃に、間もなく強制的に幕を下ろされる。
砕けた連中だった。上官に対し遠慮のない物言い。よほど軍隊らしくない。
みどりにしてもそうだが、部隊内に亜人が普通に混じっていることに、ユウトは驚きを禁じえない。隊長が亜人だからこそ、なのかもしれないが。
ただ、一般の尖兵と彼らとの間に、明確に距離が置かれていることには、余所者のユウトであっても一目で分かった。もっとも表情を見れば、精神的な距離がそう離れていないということにも、同時に気づくのではあったが。
抗咒処置と言っても、咒素を無害化できるわけではない。亜人の周囲はとりわけ咒素が濃い。ここでは距離を置くことも、双方にとって信頼の証なのかもしれない。
「随分と信頼されているんだな」
「かれこれ、五年以上の付き合いになりますから」
「おまえ年いくつだよ……」
「えっと……十六かそこらじゃないですかね」
おいおいと、内心舌を巻く。現場の経験はユウトとそう差がないらしい。これはいよいよ、部下たちが言うように、外見どおりと思わないほうがよさそうだ。
指揮車に向かうと言うので、みどりの後をついて歩いていると、周囲から浮きに浮いている迷彩柄の防護服姿を発見する。
「ひとり変なのが居るな」
ユウトの疑問を代弁するかのように、ネツキが口にする。
他の尖兵に似た咒素の乱れからして、抗咒処置の簡易代替と想像がつくも、そんなものがどこまで通用するものか。ある種の合理によって統一された一団の中に、それはあまりにもそぐわない。
「そうでした。拾っておいたんです」
なんとも御座なりな応え。みどりの中でそれの優先順位は相当低かったようだ。
途切れる言葉。何やら自分ひとりで納得している。
まだネツキは続きを待っているようなので、仕方なくユウトは口を挟む。
「いや。それで伝わるほど、あんたとの付き合いは長くないんだが……」
「これから、長い付き合いになるかもしれないじゃないですか」
「嫌な展望だ」
そんなやり取りが聞こえたわけでもないだろうが、防護服がぐるりと上体をめぐらせ、丸いふたつの窓がユウトたちを見た。
防護服が何かを訴えかけるように跳ねる。そして形に似合わぬ俊足で迫り、速度を殺しもせず、ユウトとネツキの間に飛び込んできた。
突き出される細い足。「あ」という気づきの声は「ぐえ」という苦鳴に塗り潰される。
ネツキとは子供と大人ほども差のある防護服だったが、身体をくの字に折り曲げ宙を舞ったのは、やはり防護服の方であった。
防護服が地面を転がる。
「エディさん、大丈夫ですか」
暢気なみどりに防護服、エディは腹を押さえてもごもごと何かを言っている。きっとネツキへの罵詈雑言だろう。
その長い腕を大きく広げて飛び込んできた時点で、ユウトは相手が誰であるのか気づいた。恐らくネツキも同じに違いない。
「元気そうだし問題ないだろ」
そうさせた張本人の容赦ない言葉に、防護服の肩がもの言いたげに震える。
エディは気づいているかどうか怪しいが、ネツキは接触の瞬間、膝を緩めて衝撃を殺していた。実際、大事には至るまい。
しゃがみ込み、防護服の背中を突いていたみどりが顔を上げる。
「お二人のこと気にしてたみたいですよ。宮内に繋ぎを取ったのも、結果はこの通りですけど、悪くない選択だったと思いますし」
と。エディが単なる情報屋として以上の関わりを、ユウトたちに持っていたことを指摘する。
最初からそう伝えておけば、エディは地を這う羽目にはならなかっただろうに。ユウトはそう思いもしたが、口にはしなかった。