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第5話「醜態」


 宙を舞う一瞬の浮遊感。そしてユウトは、落下点にあったソファの残骸を、ソファの残骸だったものに変えながら、床を転がる。

 ネツキの細腕に抱えられていたユウトだが、ひとまずの隠れ家を得たことで、放り捨てられたのだと悟る。

 重量物が床を打つ鈍い振動。

 視線を上げれば、戸口に背を預けたネツキの姿。その傍らには目標物である円筒が置かれており、依頼完遂の可能性は未だ残されていることを知る。


 だが何を聞くことがあるのか。そんな疑問が湧く。

 咒染の限界。アキミが少女のことで偽りを語るとは、ユウトには思えない。いの一番に知りたかったことは、最悪の形でユウトにもたらされている。

 手を着き上体を起こしかけたところで、込み上げる嘔吐感に耐え切れなくなった。

 罅割れたコンクリートの床に、胃の内容物をぶち撒ける。

 赤と言うよりも黒。戸口から差し込む月光に、血溜りに浮かぶ肉片が影を作る。吐き気は治まらず、幾度となく嘔吐を繰り返す。


「抑えることばかり上手くなって。やっぱり変な風に馴染んでるじゃねえか」


 ネツキの声は冷たい。

 内臓すべてを吐き出したかのような、大量の吐瀉物。

 アキミに付けられた傷が原因というわけではない。

 現に傷は塞がりつつある。副次的に症状を悪化させている部分はあるが、元を辿れば、完全な形で顕在化したネツキの起源への拒絶反応だ。

 ユウトは玄方からの逃亡の日々を、咒素の発生を極限まで絞り隠すことで乗り切ってきた。しかしそれは、ネツキ本来の起源の在り方とは言えない。三年の時間はユウトの身体を、その本来的ではない在り方に適応させてしまっていた。


 這って辿り着いた壁を支えに身を起こす。寄りかかったコンクリートの冷たさが、今は心地よかった。

 そうしてユウトは気づく。

 ネツキの足元が赤と黒の咒素で濡れていることに。ばかりではない。先は影になっていて気づけなかったが、身を覆う厚手の服が、ぐっしょりと同色の液体で染まっていた。

 本体を顕現させたのだとして、戻ったヒトの器に影響が及ぶほどの傷。

 契約者に加え四体の眷族。あまつさえユウトを庇い、更には依頼の対象まで抱えていたのだ。己の不始末が、ネツキにどれだけの無理を押し付けたのか。


 アキミとの思わぬ形での再会。伝えられた少女の今に、思考を埋め尽くされていたユウトの脳へと冷静さが戻ってくる。

 途端にやってきたのは、ネツキへの引け目だった。

 ついて出そうになる謝罪の言葉を、しかしユウトは飲み込む。そんなもの、求められてはいないだろう。


「この傷だ。ただでさえ眩暈が酷いのに、お前の臭い。これが吐かずにいられるか」


 代わりに口にしたのは、配慮の欠片もない悪態。

 ネツキがふんと鼻を鳴らす。


「助けてやったのに礼のひとつもなしかよ。心臓にカビでも生えてんじゃねえのか」

「言ったら言ったで、殊勝さをクソミソに叩かれるのがおちだからな」

「無様加減には似合いだろ」


 言葉が深々と刺さる。是非もなかった。醜態だ。愚かさを晒し、ネツキの慈悲に縋って生きている己に反吐が出る。

 無意識の内に右手が胸を掴み、そこに蠢く赤黒を爪が抉っていた。


「どうせその程度じゃ死ねない」


 だがネツキは別の捉え方をしたようだった。どういった思考がネツキの中でなされ、その言葉が選ばれたのか、ユウトには分からない。


「全身を咒素に食い荒らされて、腐りかけの臓物の塊みたいになっちまっても、おまえは死ねないんだぜ。ま、その時は人間に戻れるまでつきあってやる」


 ただ、妙な気遣いのされ方に苦笑が漏れる。


「なんだよ」


 死すらも霞む呪い。それがネツキという起源。そんなネツキであるからこそ、ユウトは力を求めた。

 その求めは満たされ、今がある。たとえ望む形ではなかったとしても。

 失望していることだろう。身体を明け渡しもせず、手間ばかり掛けさせている。だからせめて……。


「時間をくれ。三時間、いや一時間でどうにかする」


 弱さは見せまいと。そうユウトは思うのだ。

 アキミの言ったことが事実だとして、それがすべてとも限らない。この三年の間に、何が起き、そして何が起きようとしているのか。それを知る必要があった。そのためにも、依頼を果たさねばならない。

 決意を新たに、己の内の咒素を抑えることへと集中した。



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