第18話「大敵」
「ユウトさん、隊長からの指示だ。眷属の討伐に協力願いたい、と」
アキミを床に横たえるユウトに、壮年の尖兵が近づいてきて、告げた。
「言ってる意味、分かるよな。おれたちもあんたと事を構えたいなんて思っちゃいない」
大概頭はまともじゃなかったが、気のいい連中だった。恐らく、その言葉も建前ではなく本心からだろう。勿論、事を構えるリスクも承知している。通信機も持たず、単身話をしにきたのも、使者としての危険を理解しているからだ。
そもそも随伴部隊の存在からして、連絡役を兼ねた目付け役だろう。
この会話自体、みどりが到着するまでの時間稼ぎの可能性が高い。そして残念ながら、そんなものは、ユウトの都合には関係のないものだった。
アキミを手にかけて、一体何がその行動を妨げることができようか。
「悪いな」
一言。謝罪を口に右腕を振るう。五条の影が男を打ち据えた。十メートル以上吹き飛んだ男は、床を転がり壁面にぶつかることで動きを止める。
運が悪くなければ生きているだろう。部隊への復帰までは保証できないが。
広間の入り口で、十を超える数の銃口が、ユウトへと向けられる。
躊躇なく絞られる引き金。しかしひとつとしてまともに弾丸を撃ち出しはしなかった。重なる暴発。手を顔を血で染め上げる尖兵たち。
痛みに蹲る者もいたが、半数がそれでも直刀をその手に、果敢に向かってくる。
「ユウト」
「手心は加えてやれよ」
ネツキの確認に、短く応える。
そして、地獄の第二幕が上がった。
※※※
みどりの到着は早かった。
ユウトが最後の一人を地に沈めるのと、みどりが広間へ駆け込んできたのとは、どちらが先だったか。
原形を留めぬ守備隊の間に転がる、全身血に塗れた部下たちの姿。惨状を目にして足を止めたみどりが、強く唇を噛むのをネツキは見る。
悔いているのだろう。
部下たちがここまでするとは、思っていなかったのかもしれない。結局、隊の誰一人として退こうとはしなかった。信頼と言うには度が過ぎている。まるで狂信だ。
「本気、なんですね」
続いて入ってきた部下たちを手で制しながら、独り言のように呟く。
どうして。そんな問いを、みどりは口にしなかった。
やはり、聡い娘だと思う。倒れ伏した部下たちとの付き合いは長いだろう。それでも感情に流されず、ネツキらの行動の意味を読み取っている。と同時に、それだけに静かな、けれど強い怒りを感じる。
「見過ごすことはできないですよ」
感情をそぎ落とした鋼の声。させないとは言わない。言えないのだ。
彼我の戦力差は明白。みどりたちに、ユウトとネツキを止める術はなかった。そう。初めからなかったのだ。ユウトにこうした選択をさせないことこそ、みどりの真の役割だったに違いない。
宮内にとって有益な選択肢を並べ、そこにユウトを追い込んでいく。
そのための調査はしてきたであろうし、実際、ユウトは望まれる選択を前に、足を止めていた。みどりの予想通りにいかなかったのは、その予想よりずっと、ネツキたちが自分本位な愚か者だったからだろう。
「みどり。宮内はただサエを維持するため、戦力として女帝と手を結んだわけではないんだろ。どんな約定を交わしたのか、それが新たな体制の先にあるものなのか、そうでないのか、俺は知らない。けれど、俺にはどうでもいいことなのさ。それが世界に対し如何なる価値を持っていようと、俺にとっては等しく無価値だ」
ユウトが神域へと続く扉に手をかける。
一歩、足を踏み出すみどり。その行く手を遮る形で、ネツキはユウトとの間に立った。みどりの意識はあっさりとユウトから外れ、ネツキへと向く。
「行ってこい、大馬鹿者」
振り返らずに言葉だけを投げる。
ここから先は、ネツキには踏み込めぬユウトの過去。そのことを少し寂しく思うも、別れくらい、ふたり静かに迎えさせてやるのが情けと言うものだろう。
「ありがとよ、相棒」
声に遅れて蝶番の微かな軋み。そして留め金の音が続く。
みどりの視線がちらりと、倒れ伏す部下たちに向けられる。そして戻された眼には、探るような色が見えた。
「急ぎ負傷者の回収を」
ユウトの居なくなった広間に、みどりの声が響く。
「それくらいはいいですよね」
人類滅亡の引き金をひいたセイレイに、期待するような話ではないなと思う。故にそれは、己の目で見知った、ネツキという個への嘆願なのだろう。ユウトの裏切りを経ても、変わらない信頼はあるらしい。
「随分と御行儀のいい戦争だ。ま、別に構わないけどな。待つのがわたしの役目だ。なんなら、ユウトが戻ってくるまで、待っていてやってもいいんだぜ」
「それは、できないです」
間髪を置かぬ否定。
「だろうな」
宮内の希望はネツキたちが叩き潰す。今更足掻いたところで、その結末は変わらない。
なればこそ、引けないのだ。
失敗の責を求められるのが、得てしてヒトの組織というもの。みどりは隊を生かす口実として、セイレイとの戦いの果ての死を求めているのだろう。
「契約者を失い、眷属の足並みは乱れてます」
負傷者をまとめ終えた部下たちに、声だけを向ける。
「第二分隊を残して、当初の計画通り制圧の支援に回ってください」
「そりゃないですぜ、隊長」
ひとりの尖兵の抗議に、賛同の声が重なる。いずれも隊の中では年若い面々だ。共に戦わせてくれと頑なに求める彼らを、みどりが一度だけ振り返る。
「タチバナくん、今この場で私に殺させたいですか。手間をかけさせないでください」
冷淡な声が拒絶を口にした。
「以降は副官くんの指揮に従うように」
納得のいかない若年組を、年長の尖兵たちが引きずるようにして広間から出て行く。その面にも苦渋の色は濃く、本意ではないことを無言の内に語っていた。
後に残ったのは、みどりを筆頭に亜人の尖兵ばかりが十人。契約者の姿はない。
当然と言えば当然。
勝ち目のない戦い。制約に縛られているのだろう。あの女帝が、そんなものに眷属の命を捧げるとは思えない。
畢竟、みどりはヒトの枠で世の理不尽に戦いを挑み、ヒト故の限界に負けたのだ。
しかし哀れむのは違う。それはみどりの矜持を蔑にするものだ。
「それじゃあ、一仕事といきますか」
殊更軽い調子で、亜人の一人が声を張る。
「無理強いはしないですよ」
掴み所のない笑みを浮かべそう口にすると、みどりは取り出したロリポップを咥える。
「隊長がせっかく地獄への道連れに選んでくれたってのに、そいつを蹴るなんて贅沢、僕にはできませんね」
また一人、そう言って前に出る。
「供贄の一員として、顛末を見ることなく逝くのは残念だけどな」
「なあに。それも供贄の運命であればこそ」
恐怖を押し殺しているのは見え見えだった。それでも、誰もが軽薄な笑いをみどりに見せていた。
「揃いも揃って、頭おかしいんじゃないですか」
吐き捨てる想いは、驚喜と苦悩か。
巻き込まねばならない己の無力。きっとみどりは悔いているのだろう。だがみどりが選べる道に、彼らが助かる余地はない。
何だかんだ言ってみどりも、未来に希望を持たずにはいられない、ただの小娘だったのだ。
「へっ。阿呆が囀りやがるぜ」
ネツキの口から洩れるのは嘲りの言葉。しかしその目尻は緩んでいる。己の命を天秤の一方に並べる彼らを、ネツキは好ましく思っていた。
「来いよ、死にたがり共。遊んでやる」
だからネツキは、悪役然とした笑い声を上げる。
ロリポップの砕ける音が、ネツキの耳に届いた。
「供贄が御執。務めを果たさせてもらいます」
そしてみどりは腰のホルスターから、二挺の自動拳銃を引き抜いた。
◆◆◆
最初に動いたのはみどりだった。
暴発した銃器は見ているだろう。だが迷いなく銃を構え、引き金をひく。ネツキが咒素による小細工を施していないことを、亜人の角で見て知っていたに違いない。
左右合わせて五回。ばら撒かれた弾丸は、狙いをネツキから大きく逸れ床を削る。
しかし、それでいいのだ。
晶結された咒素の弾頭。各々に付与されているのは、木火土金水の五つを反映した起源。加えて混ぜられた起源は、この場を支配するサエのもの。
的確に穿たれた五つの弾痕が、床に五芒星を描き出す。
破邪の結界。ネツキの起源を抑え込むための簡易領域。現代版にアレンジされた陰陽術とでも言うべきものだ。中心がネツキから少しずれているのは、場の起源の流れを呼んで最適な位置へと撃ち込んだからだ。
堺へと歩み寄り、咒素を絞った指先で触れれば、白煙が上がる。
強度はまずまず。これだけできれば並みの眷属を相手取るのは容易いことだろう。勿論、入念な準備をした上での話だが。そしてどうやら、みどりはそのための準備を怠っていなかったらしい。
とは言え、これでは眷属への対抗手段に過ぎない。
絞っていた咒素をわずかに緩めると、それだけで結界は悲鳴を上げる。
「第二陣」
みどりの号令に、再び五の銃声が響く。途端、解けかけた結界が元の安定を取り戻す。
最初の五芒星に外接する形で、逆さ五芒星が広間に形成されていた。
「第三陣」
みどりの初手と同時に駆け出していた五人が、破邪の紋を刻んだ短剣を床に突き立てる。
結界に触れていた指が、強い力で弾かれた。
亜人の眼を利用した、正確無比の三重結界。試しに咒素を切り離してみれば、その片端から起源が失活させられていく。
なるほど無策というわけではなかったらしい。だが足りない。
ネツキにしてみれば、ちょっと熱めの風呂に浸かったような感覚。影響は皆無に等しい。
「舐め過ぎだぜ、ネツキさんよ。人間だってな、やられるに任せているわけじゃないんだ」
そう口にしたのは、ツクバへも同行した男だ。豪語する割に、焦燥で汗が滲んでいる。
「みたいだな。正直見直したぜ。けどな――」
勿体つけるようにゆっくりと、ネツキは堺に掌を押し当てる。
「本気でわたしをどうにかしたいのなら、弾倉にミツヒでも突っ込んで来いよ」
口の端を歪めるネツキ。耳鳴りに似た音を残し結界が散った。
三重の結界を司る十五の要すべてを、百足に似た蟲、咒素の影が噛み砕いたのだ。突如として湧き出した化け物に、第三陣を担う屈強な男たちすら、悲鳴を上げて飛び退く。
「やっぱり、時間稼ぎにすらならないですね」
みどりの表情は渋い。
以前のネツキであれば、多少の苦労はあったかもしれない。本来の姿に戻らぬネツキは、さほどの力を行使できなかったのだ。
けれど契約の、そして在り方からして変わった今は、違う。
この姿もまた、ネツキの在るがままの姿なのだ。
「面白い見世物ではあった。まだ色々と隠してるんだろ。見せてみろよ」
ネツキの右の袖口から溢れた蟲たちが、掌の先で縒り集まり、一本の槍を形作る。
「安心しろって。きっとその程度じゃ、わたしはどうにもならない」
咒素は絞ってある。にもかかわらず、みどりを除く亜人たちが一歩後退さった。




