第17話「友」
コンテナ内部に備え付けられた照明が、赤色灯に切り替わる。それは作戦開始の合図。
一拍遅れて扉のロックが外れ、気圧差による空気音が漏れた。
ユウトとネツキが扉を押し開け外に出ると、並ぶコンテナからも施設警備部隊に扮したみどりの部下たちが姿を現す。
無事三号甲都へと侵入を果たしたユウトたちは、専用のコンテナに潜んだまま、内通者の手引きにより、玄方の研究施設へと運び込まれていた。玄方の中枢と基部構造体で連絡しているこの施設は、進攻には絶好の起点だった。
そして作戦開始時刻。
コンテナの戒めは解かれ、狂犬たちが今まさに放たれんとしている。
副官の指示のもと、コンテナに積んであった武器の確認をする尖兵たち。その顔には、緊張を楽しむように不敵な笑みが浮かんでいる。
戦場に生きる、戦場にしか生きられない、そんなどうしようもない連中の笑みだった。
こちらも相変わらずなみどりが、通路の安全の確認を終え、二度小さく手を鳴らす。
わずか数秒でその前に居並ぶ部下たち。
彼らに向かい、みどりは軽すぎる号令を口にする。
「それじゃあ、玄方の人たちには未来の礎になってもらいましょう」
こうして闘争の幕が開けた。
◆◆◆
都市基部を経由し、ユウトたちは玄方の中枢、当代のサエの神域がある『伊隅第二技術開発研究所』へと至る。いや、それでは少し語弊があるか。
ユウトたちは未だ都市基部構造体から出てはいない。地上部にある建物は、この研究所の極一部に過ぎない。その施設の大部分は地下、即ち基部に存在するのだ。
三年前の大火の折も基部、殊この一帯はほぼ無傷で残された。それから多少の増改築は成されたようだが、基本的な構造は大きく変わっていない。
ユウトにとっては勝手知ったる古巣。ここまで抜けてきた通路も、かつて何度も歩いた道であった。
一個分隊を預かったユウトは、神域を目指していた。目的は依巫の確保ではない。アキミの殺害がユウトに割り振られた役である。そして不確定なその所在の、有力地点とされたのが神域だったのだ。
陽動部隊が動いているにもかかわらず、守備隊の対応は早かった。
事前に情報が流れたのもあるだろう。しかしそれ以上に、イラエトの眷属の数が状況に大きく影響を与えていた。
「次から次へと。幾つになる」
ヒトの形を取ったままの眷属。その頭に突き立てた咒素の槍を、ユウトは乱暴に引き抜く。ネツキの起源でどす黒く変色した血が吹き出し、白い壁面と頬を濡らした。
「今ので八だ。粗製にしても多過ぎだろうが」
やり方が気に食わないのだろう。具象衣を纏ったネツキが顰め面で応える。その周囲では、展開した咒素に蹂躙された守備隊の成れの果てが、床を黒々と染めていた。
粗製。数打ちの乱造品。確かに眷属個々の能力は高くはない。だがそれは、ユウトとネツキだからこそ言えること。他の契約者たちにとっては十分な脅威であることに変わりはなく、尖兵にしてみればそれでも手に負えぬ化け物に相違ない。
加えて奴らの鼻は、警備システムよりずっとよく利く。
「みどりの方はどうなってる」
振り返った先には、通信機を手にした壮年の尖兵。
「二隊が戦闘続行不能で後方部隊と合流した。施設の制圧状況は三割弱。ここらほどじゃないようだが、眷属が混じってるんで隊を割れず足止めを食っているらしい」
「眷属の様子は」
気にかかるのは、数だけではない。その立ち位置が不審なのだ。
「それなんだが。副官殿が聞き出した情報によると、次世代型の尖兵モデルということで三日前に試験的に配備されたもの、らしい」
眉間に皺が寄る。それは玄方がイラエトを管理下に置いたことを意味するのか、それともイラエトが玄方を掌握していることを意味するのか。
いずれにせよ、情報が流れたことで急速に事態が進行したことだけは、確かだろう。
「見つけた」
咒素を収め傍へとやってきていたネツキが呟いた。アキミの所在が掴めたのだ。
「場所は」
ユウトの問いに、虚空を睨んでいたネツキの視線が跳ね上がる。
「畜生ッ、思ったより近い」
「今のは囮ってことかよ。あんたらは下がって――」
叫び声は頭上で生じた轟音に掻き消される。天井の崩落。大小のコンクリート片が、自由落下を遥かに上回る速度で降り注ぐ。
だがユウトはその場を動かない。その瞳は己を打ち据える岩塊を映してはいなかった。乱れた咒素に混じる、確かなイラエトの起源。アキミの振るう殺意へと、ユウトは右手の槍を叩き付ける。
千々に砕けたイラエトの起源が、辺りに死を散らす。
が、それはネツキの放った咒槍に撒かれ、刹那の内に意味を消失させる。ばかりではない。二人を打つはずであった岩塊は、残らず赤黒い雨と化し床を汚していた。
「アキミ……」
煙霧が晴れ、ユウトは対峙する人物が紛れもなくその人であることを知る。
アキミの瞳は憎悪に彩られ、なぜ生きているのかと、蔑みを乗せユウトに問うていた。
なぜ。それは助かった理由などではない。どうして生きていられるのか。信じ難いものを見た人間が浮かべる疑問そのものだった。
過るのは一抹の寂しさ。けれどそれを表に出すことは、ユウトには許されない。
すべてはユウトが招いた帰結。果てに選んだ道は、アキミから軽蔑されて然るべきものだ。弱さも、まして言い訳などおこがましい。
獅子の姿を取った五の眷属が、上階からアキミを囲む形で降り立つ。陽炎のように揺らいで見えるのは、空間の歪みを展開しているからだろう。
先の衝突とは状況がまるで逆だ。ネツキの領域は存在せず、ましてやこの閉所。イラエトの起源は厄介極まりない。
直接的な破壊の力はイラエトの方が上だった。起源同士の衝突で圧倒的な優位を誇るネツキだが、喚起できる現象はたかが知れている。今のような芸当も、アキミひとり相手だからできたもの。物量で押し込まれてはヒトという器に無理が生じる。咒素的に破壊されなければ死なぬ身であったとしても、肉体が損なわれていては一方的に嬲られるだけだ。
「いけるか」
示威に感謝しつつ、傍らのネツキにそれだけを尋ねる。
「愚問だな。ユウトこそどうなんだ。殺せないってんなら、わたしが代わりに殺してやってもいいんだぜ」
ユウトがやろうとしていることを、厭味ったらしく、露骨な言葉で並べ立てるネツキ。これでお節介と、よく他人に言えるものだ。
そう有れかしと思おうと、お前に殺らせるくらいなら自分で殺るさ、とは胸の内。
「邪魔はするなよ。こいつは俺の、友だった男だ」
悪意と皮肉を混ぜた声に踏み込みを重ね、その覚悟を示す。
言葉はアキミにも届いていただろう。が、間合いを詰めようとするユウトを迎えたのは、眷属たちによる不可視の刃の群れだった。
金属すら容易く断ち切る極薄の揺らぎ。殺到する死は、しかしその寸前で四散する。
ユウトの身体を包む咒素の影。ネツキの援護が、展開された意味を食い荒らしたのだ。足を緩めぬまま、ユウトは追撃のため突出していたアキミ目がけて、下段から槍を払い上げる。
避け切れぬと見たか、アキミは斜めにした剣をその軌道上に差し込んだ。その面が不快感に歪む。ネツキの起源が、幾層も重ねられた咒素の障壁を炙った飴の如く溶かしていた。
動きの止まったユウトの頭上に、突如として眷属が姿を現す。距離を歪め強引に接近してきたのだろう。前肢には展開を待つ咒素の塊。直接叩き込まれれば、ネツキの守護があろうと無傷ではすむまい。しかし、ユウトはそちらを一顧だにしなかった。
「なっちゃいねえな。旧友の語らいに、横槍は無粋ってもんだろうがッ」
現れたのと同じ唐突さで眷属の姿が失せる。と同時、視界の端で壁が大きく陥没した。漂う濃密な起源。ネツキが一瞬だけ顕現させた本体で、無造作に殴り飛ばしたのだ。
還元される咒素にユウトは指示を送る。
現出したのは三本の咒槍。それはわずかな時間差を置きアキミへと襲いかかる。
展開されつつあったイラエトの起源が、迎撃に動いた。
射線上で展開を確定させ、歪曲した空間の修復作用、物理的現象に巻き込む形で一本目を無力化。その余波により生じたユウトの隙を突き、競り合いから離脱、二本目を躱す。それを追う形で撃ち出された三本目は、眷属同様その位置を歪めることで回避した。
起源に任せた力技のユウトと違って、アキミは見事に咒素を使いこなしている。
何をするにしてもユウトより上手だった。けれどそれが才能の一言で片づけられないことを、ユウトは知っている。
不可逆的な崩壊を招くネツキの起源は、イラエトの強みである可逆性にとって、最悪の相手と言っていい。ユウトを殺すため、どれだけの血の滲むような努力を必要としたのか。ネツキを滅ぼしかけた展開式などは、その粋であろう。
すべては少女を想ってのこと。
本質はかつて同じ時を過ごした頃から、何も変わってはいない。
「昔の誼みでひとつだけ聞かせてほしい。お前はお前の意思でそこに居るのか」
だからこそ、そのことが気になった。
応えは、素直な太刀筋と共に返ってくる。
「イラエトの掌の上か。知っているさ」
打ち合う直前、その刃が掻き消える。とっさに身を捻るも、切っ先が左肩を掠めた。
減衰しきれなかった歪みに肉が弾け、盛大に血飛沫が舞う。
「僕は醜く生き長らえているこの世界が嫌いだ。サエを利用し、苦しめるこんな世界は、滅びればいいとすら思う」
歪めた空間を渡り迫るアキミの刃を、危ういところで躱し続ける。
「けれど、それではサエの苦悩はどうなる。無駄だったと、冗談じゃない」
領域の有無が、どれだけ戦局を左右するのか。ユウトはそれを思い知らされていた。
「犇めく糞袋どもには生きてもらう。そのためであれば何でも利用する。必要なら、利用されてもやるさ」
守りに入れば不利。ならばと。アキミが刃を振りぬいた直後、槍状に束ねた咒素を解き五条の帯へと戻す。
足元を這うように一条。意識を誘導するため正面から二条。回り込む形で側面と背面からそれぞれ一条。獲物を定めた蛇の如く、一斉にアキミへと襲い掛かる。
アキミを取り囲む微小な起源の展開式。半数近くは場に紛れたネツキの起源に意味を損なうも、残り半数がナノ単位の歪曲した力場を形成。即座に生じる復元作用が、影の如き咒素を引き千切る。
後方に跳躍しつつ生き残った二条で攻撃を続行。しかしこれはアキミの更なる踏み込みを、わずかに遅らせただけに留まる。
「だが、思い通りになどなってはやらない。サエを奴らの思い通りになど、させてなるものかッ」
アキミの戦い方は捨身に近い。
至近での下段から上段への切り上げを、ユウトは復元した三条で迎え撃つ。
二条目で刃が止まった。なるほどと空間跳躍の限界を悟る。
「恐怖は僕の手に余るんだ。ユウト、君の存在は不測を招き過ぎる。邪魔なんだよ」
声に滲む苛立ちは、その言葉の内容を映したものか。それとも、手の内を知られたことへの焦燥の表れか。
柄から離した左手に起源が展開する。
極薄の空間の揺らぎ、不可視の刃。左から横薙ぎに振るわれるそれに、三条目をぶつけることでわずかな時間を捻出。後方に飛び退さると共に、攻撃に使った二条を引き戻しアキミの追撃を阻止する。
再び距離が開く。
玄方とイラエトの間にあった隔絶は、意図されたものだった。玄方が組織として意思の統一が上手くいっていなかったのも、そうしたアキミの思惑が働いた結果だったのだろう。
アキミは手を拱いていたわけではない。少女を護ろうと足掻いていた。けれど、結果が伴わなければ意味はない。意味は、ないのだ。
「俺も己の不始末にケリをつけに来た」
誰しもが望む結末なんて、夢幻に過ぎない。そんなものを追い続けた日々。
「……サエを、殺すつもりか」
「さてな」
「勝手だな、君は。やらせると思うのか」
アキミがちらりと視線を遣った先では、眷属が二体、ユウトの腹から出てきたものとよく似た蟲に全身を覆われ、崩壊を始めていた。
ネツキの方は間もなく片がつくだろう。アキミに後はない。
だが、後がないのはユウトも同じだ。今のやり取りで、みどりの部下たちにもユウトの真の目的が知られたに違いない。
余計な言葉を交わし、手間を増やした。そう見ることもできる。しかし、こうなると分かっていてなお、アキミには己の意思を伝えておかねばならないと、ユウトは思ったのだ。
「悪いが、お前の了解は求めちゃいないんだ」
傲慢に。不遜に。アキミの懊悩など下らないと。足蹴にするように宣告する。
そうして踏み出した一歩は、ユウトの身体を頭上の穴へと運ぶ。
向かう先は神域へと続く広間。アキミにとっては正真正銘、背水の陣。退くことの許されぬその場所で、ユウトは決着をつけることにしたのだった。
◆◆◆
ユウトの放った咒槍が壁面に爛れた黒を散らし、アキミの生んだ歪曲空間が床面に大穴を穿つ。
ユウトが殺したものか、アキミが巻き込んだものか、駆けつけた守備隊の躯が赤と黒の斑となって装飾を彩っている。
衝突の余波に、広間はさながら地獄絵図だった。
撒き散らされる咒素。既にこの場は、尖兵でなくば立ち入ることも出来ぬ、魔境と化している。
辺りにネツキの起源が増すにつれ、アキミの攻防には直接的なものが増えていた。
大がかりな展開ほど、散ったネツキの起源がその障害となっているのだろう。
だが、アキミは選択肢を狭められながらも、ユウトに決定打を与えさせてはくれなかった。全身に負った傷からすれば、ユウトの方が劣勢にすら見える。
しかし、セイレイの戦いの本質は、直接的な現象のぶつかり合いにあるものではない。
振り下ろされる刃。展開された起源に、ユウトは左腕を無造作に突き出す。
瞬間。腕が肩口近くまで爆散し、構成していた高密度の咒素が広間に拡がる。馬鹿が、と。ネツキの悪態が聞こえた気がした。
アキミが驚愕と失策を表情に浮かべる。
左腕を咒素に換えての簡易領域の形成。以前のものに比べれば無きに等しい、薄弱な領地。それでも、ユウトが干渉可能な咒素ということに意味がある。
そしてそれ以上に、蛮行が及ぼすアキミの精神への影響に、大きな意味があった。
思考の混線が、アキミの次の行動を遅らせた。
距離を取ることを断念したのだろう。振り抜かれた刃が、展開した起源をそのままに横薙ぎに払われるも、ユウトの左肩から噴き出た黒血が、展開した起源ごと刃を絡めとる。
雌雄は瞬きの間に決した。
アキミの腹部を貫くユウトの右腕。
損傷の程度からすれば、契約者を滅するには不足も甚だしい。が――。
「相棒に手を出してくれた礼だ。イラエト。精々あいつの起源を堪能して、朽ち果てろ」
アキミの膝が崩れる。
何をした、と。その瞳が問うていた。
ユウトがアキミに打ち込んだのは、ネツキと共に練った展開式だった。
契約によるオリジナルとの力の連続性を利用し、イラエト本体を侵食する。
それはネツキがイラエトに打ち込まれた式の発展系。内部から起源をぶつけ、蝕み、滅ぼす。契約殺しの、悪魔のような術式。
そんなものを今更説明してどうなる。だからユウトはアキミの問いを無視し、一方的に別れの言葉を並べる。
「先に逝って、あいつを待っていてやってくれ」
アキミの瞼が落ちる。
最期に唇が、だから君が嫌いだ、と。そう動いたように見えた。




