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第14話「宿命」


 事情を吐露するだけ吐露し、ソファで横になっていたネツキが、顔をしかめながら身体を起こした。

 あれから半日。未だ不調の続くネツキに、ユウトの眉間にもわずかながら皺が寄る。


「なんで悪化すると分かっていて、咒素を抑えなかった」

「見栄だよ。ミツヒ相手に弱みなんて晒せるか」


 馬鹿なことをと思う。

 ネツキの症状は、ヒトで言う所の悪性腫瘍に近い。

 咒素を自己に変換する過程に異常が生じ、これにより咒素が本来的ではない作用をもたらすことで、起源の崩壊現象を引き起こしている。

 当人曰く、現象としては咒染と同じとのこと。

 循環が活性化すれば、それだけ崩壊も早まる。逆に、この三年間のように徹底的に押さえ込むことで、修復を間に合わせることはできるらしい。


 イラエトこそセイレイの天敵なのではないか。そんなユウトの疑問は、否定の言葉で切り捨てられた。

 契約者を有する分霊、そんな稀有な存在にのみ効果を発揮する、言わばネツキを殺すためだけに編まれた起源の展開式。イラエトが、アキミがネツキに打ち込んだのは、そういう代物だった。

 ネツキから話を聞いてこちら、苛立ちは晴れる気配がない。


「糞っ垂れが」


 床に向けて、矛先も定まらぬまま悪態を吐く。

 ネツキに腹を立てているわけではない。大部分は、自身に向けてのものだろうことも分かっていた。

 何も見えていなかった自分のふがいなさに、歯噛みする思いだ。例えネツキが隠そうとしていたのだとしても、そんなものは言い訳にもならない。これで相棒などと、よくも言えたものだ。


「なあネツキ。後悔、してるか」


 愚かな問いだった。どんな答えを期待しているのか。

 返ってくる沈黙に耐え切れず、ユウトは恐々と面を上げる。

 そこには、なんとも妙な表情を浮かべたネツキがいた。眼が合った途端、慌てた様子で視線を逸らされる。


「ああ、いや。不満がないとは言わないが、後悔はしちゃいないぜ」


 申し訳なさ、苛立ちに困惑。そういった雑多な感情が()い交ぜとなった、そんな表情だった。虚を突かれたユウトは、求めていた答えが返ってきたというのに、安堵することすら忘れていた。

 それで良かったのかもしれない。安堵などしていいはずもなかった。

 初めて会ったときから、演じようと思えば、いくらでも上手く人間を装える奴だった。でも今では、演じる必要もなくなっている。


 もしかすると、元からそういう所はあったのかもしれない。

 ユウトが見ていたのは、セイレイという超常の存在であるネツキだった。依巫となった少女を救う、その力を与えてくれる、先導者だった。

 都合のいい人間だ。こんなだから、勝手に突っ走って、間違えて。皆に苦悩を押し付けてきたのだろう。


「これから、どうする」

「どうにもならない、ってわけでもない」


 乗り気ではないのが見え見えだった。けれど。


「方法があるなら、聞かせてくれ」


 少女のためではなく。まして自分のためではなく。ネツキのために何が出来るのかと。

 話をしよう。ユウトはそう思った。


  ◆◆◆


 本来、分霊はオリジナルからの力の供給を必要としない。共通の起源を持ちながら、独立した供給源を有する、別個の存在である。源の転写に際し分霊側の起源にいくらかの減衰が生じるが、オリジナルそのものに変化は生じない。

 そうした分霊の在り方が、ネツキの場合、契約という行為を経たことで変質していた。


 ユウトに与えられた起源は、厳密に言えばネツキの起源そのものではない。主神格、アヤツハのオリジナルの起源を参照元としているものだった。だがユウトにとっての供与者は依然としてネツキであり、起源を共有しているのもまた事実。

 この歪な起源の流れは、ネツキの持つ起源をオリジナルと同等の格に押し上げたが、起源そのものの主体はユウトに持つという、逆転した構図を作り出してしまう。

 イラエトの展開式は、ユウトからネツキへの供給にバグを仕込むものであった。供給される咒素に機能異常を引き起こし、セイレイを、ひいては契約者を死に至らしめる。

 活性を極限まで抑え消失を免れたが、起源の誇示を習性とするのがセイレイ、イラエトにはよもや思いもよらなかったことだろう。


 とは、ネツキの言ったことである。

 それを踏まえたうえで、大元であるアヤツハの主神格であれば、分霊という特性を逆手に取り、バグを取り除くことも可能だとネツキは言う。

 だがその表情は浮かない。


「お前はどうしたい」


 ユウトが尋ねると、ネツキは伏し目がちに視線を逸らした。

 俯き気味の面には不安の影。女帝と会うことを拒んでいた時ですら、嫌な顔こそすれ、こんな弱気な顔は微塵も見せはしなかった。


「笑えよ、ユウト。このわたしが怖気づいてるんだぜ」


 毛布の上から膝を抱える。

 そうしているネツキは、見た目相応の子供のようであった。親に見離された、行く当てのない子供。未来を見失い途方に暮れた、そんな姿だった。


  ※※※


 沈黙が心地いい。そう思うようになったのは、いつからだっただろう。

 ネツキの自嘲に、ユウトは眉を顰めただけ。返答に窮しているだけにも見えるし、話せと促しているようにも見える。どうせ話をすれば聞いてくれるのだから、気分のいい後者だとネツキは捉えることにした。


「アヤツハって星隷は、生まれついたその時から、存在するその意味を与えられていた。目的、役割、存在理由(レーゾンデートル)。でも、それしかなかった。それがすべてだった。役割を全うさせるための指南役は居たけどよ、堅物で、役割に必要なこと以外は何も教えてくれやしなかった。他の星隷たちは祖から眷属を継承してるってのに、アヤツハだけはやっぱり蚊帳の外。現世を求めるようになったのは、自然の流れだったろうさ。与えられた意味以上のものを己の内に見出すこともできないで、空虚な己を満たしてくれる何かがそこにはあるんじゃねえかってな。アヤツハは信じて止まなかった。その欲求はやがて堺を突き崩し、現世への道を開くことになる」


 現世がこうなった元凶。それは即ち、ユウトの救おうとしている少女が、依巫とならざるを得なくなった元凶に等しい。

 視線を上げ反応を見る。

 既にミツヒから聞かされているだろうが、それでも気になるものは気になるのだ。

 ユウトの面に嫌悪が浮かんでいないことに安堵し、言葉を続ける。


「でも、アヤツハが現世に降り立つまでには、幾らか時間が必要だった。現世には咒素がなかったからな。その間、アヤツハは現世を前に自問自答を続けた。そして現世へと至る頃には、与えられた役割遂行の欲求と、元々あった、それがすべてである己への懐疑が、完全に逆転しちまったんだ」


 アヤツハの、それは始まりといっていい。


「現世にやってきたアヤツハは、出会った亜人の娘を食らい、最初の領地として己が身とする。そして娘の記憶と意識から、人間を学び始めた。やがてそれは、アヤツハに他のセイレイの比ではない、大量の分霊を作らせるに至る。生み出された分霊たちは、ありとあらゆる手段で人間を学び、その経験を主神格(オリジナル)へと持ち帰った」


 次の言葉は、すんなりと出てこなかった。

 今から口にしようとしているのは、ネツキにとって望まぬ現実。それでも、今言わなければ、永久に自分はそのことと向き合う機会を失う気がした。

 一度深く息を吸い、意を決する。


「わたしという分霊も、本来はそうした主神格の観測端末に過ぎないのさ」

「本来は?」

「アヤツハは分霊に、更に切り分けた己の精神を被せ、多様性を持たせようとしたんだ。わたしはアヤツハの渇望そのもの。わたしがアヤツハを捨て、ネツキを名乗ったのは必然だ。課せられた行動原理、自分がそれだけのためにある存在などではないと、そう信じたかった。だからわたしはわたしであることに拘り、アヤツハの元へは戻らなかった。玄方に潜んだのは、アヤツハですら容易に手を出せない場所だったからだ。誤算があったとすれば、アヤツハ本来の欲求が刺激されたことか」


 文字通り、欲が出た。


「上級役員しか知り得ない、玄方のシンジツってやつを局内に流したのは、実はわたしなんだぜ。それを知って人間たちがどんな反応を示すのかって興味と、その混乱が組織の弱体化に繋がるんじゃないかって打算が、わたしの中では等価だった。お前と出会ったのは、見事に釣られて捕まった馬鹿を、一目拝んでやろうって思いからだ。でも、馬鹿だったのはわたしの方さ」


 自嘲に口元が歪む。


「羨ましかった。妬ましかった。たった一つの願いのため、人の道を踏み外すことも厭わないお前が。そうまでしてお前を突き動かすものが何なのか、知りたいと思っちまった。知れば、わたしにも、わたしだけの目的を見つけられるんじゃないかってな。だからお前に力を貸し、分不相応にもサエを滅ぼした」


 それから今日までの日々。

 未だネツキは目的を見つけられずにいるが、それでも、悪くない時間だったと思う。

 もう、仕舞いかもしれないが。


「アヤツハはわたしを喰いたいと思っているだろうよ」


 会えば、ネツキという個は消失する。ネツキとてアヤツハだ。その行動原理くらい想像に容易い。

 これまで生き延びることを第一に考えてきた。それは契約を経ても変わらない、ネツキという存在そのものだ。起源の強さが存在の強さ。咒素を極限まで絞りヒトに扮するなど、セイレイのやることではない。

 けれど、ネツキはそうして生き抜いてきた。


「なら、何を迷う必要があるんだ」


 穏やかで、前向きな声だった。けれど、何故かその答えが癪に障った。


「日和れってのか」


 俯き気味だった面を上げ、ユウトを真正面から見返す。


「不服そうだな」


 ユウトに若干の困惑が見られる。だが困惑しているのはネツキも同じだった。


「わたしは――そんな足手まといみたいなのは嫌だ」

「ガキかよ」


 ああ、なんだ、と。言葉にして気づく。


「わたしはお前の力になってやりたいのか」


 馬鹿にするような軽い笑いが漏れる。

 存在意義などとご大層な言葉を掲げて、遠くばかり見ていた。けれど本当は、こんな簡単なことだったのだ。

 かつての自分であれば、迷いなどなく、生きるための道を選んだだろう。生き残るためだけの道を。でも今は、己の存在を危険に晒してでも、為したいと思えるものが出来たのだ。


「ネツキ……」


 驚きに眼を見開くユウトに、心底意地の悪い笑みを返してやる。


「ユウト、お前はどうして欲しい。わたしの為だの何だの、そんなふやけた糞みたいな言葉はいらない。このわたしに、お前は何を望む」


 もう迷いはなかった。

 ネツキが、アヤツハが求めて止まなかったもの。それを見つけることが出来たのだ。


「力を、貸してほしい。すべてを敵に回そうとしている俺が、背中を預けられるのはお前だけだ。アヤツハに会うことが、お前の力を取り戻す唯一の方法であるのなら……アヤツハに会ってくれ」


 ならば、道理なんてものはひっくり返し、無理だろうとなんだろうと、押し通すまでだ。



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