第12話「決断」
夜の帳の落ちた町の外の廃屋で、ユウトは無為に時間を潰していた。会談から既に二日が経過している。
コンクリート剥き出しの寒々とした部屋は、ネツキの起源で満たされている。女帝の眼を避けるためと言っていたが、これではみどりでも入ってはこれまい。
そのネツキはと言えば、ユウトの持ち込んだソファで毛布に包まり、小さく寝息を立てていた。
この二日、ろくに言葉を交わしていない。
素性を知ってしまったことへの後ろめたさは確かにある。だがそれ以上に、少女とアキミの問題は、ユウトが解決せねばならないものだという思いがあった。
答えなんてひとつしかないのも分かっている。
だが、アキミを殺すなど、とても割り切れるものではない。
自分が苦しむだけでふたりが救われるのなら、それでいいと。これまでずっとそう思ってきた。なのに。アキミを手に掛けて、それでいったい誰が救われるというのだろうか。
いっそ自分が死ねば、アキミがなんとかしてくれるのではないか、そんな愚にもつかぬ考えまでもが頭をよぎる。
「ニンゲンぶって悩むのは楽しいか」
不機嫌な声が、寒々としたコンクリートに染みる。
いつの間に眼を覚ましたのか、毛布の中から半眼が睨んでいた。
「たかだかニンゲンひとり殺すだけじゃねえか。小娘ひとり救うってんで、ニンゲンすべてを天秤に乗せたお前が、今更何を悩むんだよ。殺されたサエも腹抱えて笑うぜ」
ユウトとアキミが交わした言葉は、ネツキも聞いている。その先に希望がないことをネツキは知っていて、尚そう言うのか。
「どうして頭からそう決め付ける。他の道も――」
「ないね。わたしもユウトも、殺すことでしか道を作れない」
言葉が刺さる。
「たったひとつの望みのために、殺して殺して殺し尽くして、その果てには何も残らないかもしれない。それでも何かを壊すことしか、わたしたちにはできないんだ」
少女を救うために、ユウトが求めたのは力だった。ヒトの希望を打ち砕く、そのための力だった。目的を遂げ、護った気になっていただけ。元よりユウトが頼ったのは、誰かを護るための力などではなかったのだ。
「ユウト。わたしを失望させるなよ」
そう言い残すと、ネツキはまた頭まで毛布を被ってしまう。
◆◆◆
再びの寝息を耳に、ぼんやりと闇の薄れ始めた天井を見上げる。
ネツキの苛立ちも分かる気がした。
与えられた力の意味も忘れ、この期に及んでまだ丸く治めることばかり考えていた。そんなもの、最初からありはしなかったというのに。
なぜユウトがネツキと契約したのか。何を求めていたのか。
少女を救いたかったからだ。
けれどあの時、アキミにすべてを押し付けて、本当は逃げ出していたのかもしれない。
サエへと変わりゆく少女を見続けることに、ユウトは耐えられなかった。今だってそうだ。辛い役目を引き受けるなどと言って、苦しむふたりを見ていたくないだけ。
本当に救われたいのは己自身。
とんだ外道だ。自己満足に巻き込むだけ巻き込んでおいて。今の今まで、そのことを自覚すらしていなかったのだから。
いつか少女に言った言葉を思い出す。
『黄泉竈食に冒されたら、その時は母親の元へ送ってやる』
恨みでも良かった。生きていて欲しかった。けれどあの時から、踏み外した道を正しいと信じ込んで、歩み続けてきたのだろう。
自分たちが、少女にとってサエとして生きる上での支えであり、目的であったことを知っていた。共に苦しむことが、少女を救うただひとつの方法だったに違いない。
裏切り、希望を奪い去った自分は、せめてその事実には向き合わねばならない。
いつも正しいと思ったことは、独りよがりでしかなくて、誰かを傷つけ続けてきた。今回も、やはり自分は後悔することになるのだろう。
それでも。それが今の自分に出来る、唯一の終わらせ方であるのならば。
ひとつの選択を胸に、ユウトは静かに立ち上がる。
「決まったのか」
「悪い、起こしたな」
いつものように口にしてから、馬鹿なことを聞いたと思う。ここはネツキの起源で満たされているのだ。気づかぬはずもない。
「別にいい。それで、どうするんだ」
「終わりにする」
沈黙が染み渡る。
ネツキにとっては大願の成就。しかし、返ってきた声はどこか苦々しい。
「わたしの出自は聞いてんだろう。その上で言うか」
「関係ないね」
断言する。
ネツキには、言いたいことも聞きたいことも山ほどある。けれどそれは、恨み辛みの類ではない。
「でもな、戻ってきたら分かってるだろう」
「ちっ。藪蛇だったかよ」
聞き慣れた悪態に口元を歪め、ユウトはツクバの街へと向かった。
◆◆◆
「じゃあ、協力してもらえるってことですね」
「ただし条件がある」
ユウトが居るのは奥の間。月光を受け壮麗に佇む社殿を前に、二本の指を立てる。
決まったと伝えただけでこの場を用意したみどりに、提案に乗ることを伝えたのがつい今しがた。
無論、嘘八百。空言だ。
良心など、最初にネツキに食わせてしまっている。ユウトは真の目的を果たすため、みどりたちの計画を使うことに決めた。ヒトを救おうとするみどりたちを利用し、ヒトを救う最後の手立てを奪おうというのだ。
そして謀るのであれば、それなりのやり方というものがある。
「一つ目。イラエトの契約者との決着に、外野はいらない」
「手を出すなってことですね。いいですよ。ユウトさんが優位でいる限り、誰にも介入させないと約束します」
大きな要求を呑む条件に、小さな要求を返す。定石だ。そこに敢えて一拍の間を置き、次の条件を口にする。
「二つ目。事が成った後、当代の依巫の扱いには、必ず俺の了解を挟むこと」
報酬と同義の条件。
執拗と思われるくらいが、疑念を抱かせないためには調度良い。
「それが対価ですよね。何より違える意味がないじゃないですか。依巫の安寧が、現世の安寧なんですから」
どうかな。
みどりの言うことに、ユウトは一概には頷けない。必要とされているのは、依巫の安寧ではない。依巫であることの安寧だ。
感情をそのまま、軽い皮肉に乗せ言葉にする。
「そうであることを願ってるよ」
それこそが、みどりの見るユウトと言う人間に違いないからだ。
計画は要を得、具体的な方策へと話は移っていく。
みどりの言った宮内からの離反は、やはり欺瞞だった。組織から切り離し、独自行動を取らせることで、玄方を撹乱するという意味合いもあったのだろう。
周到な計画だった。玄方に張られた根は深く広く、ここに至るまでの事の遠大さに、組織の恐ろしさを思い知らされる。
だが事情説明は、みどりの部下の乱入で中断される。
「了解も待たず飛び込んでくるのは無作法ですよー。仮にも白静さまの御前なんですから」
息を切らせる部下を、作法もろくに守っていないみどりが咎める。
みどりには従順な部下が、しかしこの時ばかりは引き下がらなかった。
「至急の用件が」
その瞳がユウトを映す。
みどりは審神者へと視線を移し、そして緊張感の欠片もなく問いかける。
「それで、何があったんですか」
部下はひとつ深呼吸をし、息を整えると。
「ネツキ殿が、倒れられました」
強張った声で口にした。




