二人で
砦は基本的に男所帯で質素な施設だが、街道を通過する貴賓を泊めることもある。
シャルロッテが使っていたのはまさにそのための貴賓室だ。
とはいえそんな部屋が戦場にたくさん作られるはずもない。
シャルロッテとメリルに連行されたサアラが通されたのはシャルロッテが使っている部屋だった。
貴賓室に通されたサアラは侍女達に服をひん剥かれて風呂に入れられていた。
砦などの重要拠点には水を生み出す魔導具が設置されている。
製法が伝わっていないので数を増やす事はできないが、二百年前に作られた魔導具にサアラは感謝した。
古い魔導具を見るとサアラはどうしても二百年前の想い人を思い出してしまう。
少しだけ思い出すこともあれば、掛けてくれた言葉を思い出すこともあったし、会話を細かく掘り起こすこともあった。
長い時を生きるエルフの記憶力は人間とは比べ物にならない。やろうと思えば事細かに会話を思い出すことが出来る。
とはいえ五歳の頃の記憶というのは薄いもので、たった数日しか会ったことのない前任魔法技師の顔はうろ覚えだったわけだが。
その記憶も今は薄れてきているとサアラは思っていた。
否、思い出そうとすればいつでも思い出せる。
それを薄れていると感じてしまったのは、瑛士のせいだった。
彼なら同じものを作れるだろうか。それともこれを改良するだろうか。
もっと彼の生み出す魔導具を見たいとサアラは思っていた。
そうやって瑛士の事を思う時間は増えて、前任の魔法技師を思い出す時間は減っていた。
疲れは風呂で流しきった。砦へ移動している間に瑛士の腕で寝ていたこともあり、サアラは幾分か回復していた。
体力と気力に余裕が出てくると、彼女も色々と考えなければならないことに気付く。
もっともっと瑛士と顔を合わせたい。
そのためにはエルフの未来をどうするべきか。
スウィルノウにどう対処するのか。
ヤーシャの国との関わり方は。
そして。
「サアラ様。お食事のご用意が整いました」
「はい、いま出ますね」
外から声をかけたメリルに返事をし、サアラは気合を入れた。
* * * * *
逃避行の間はろくな食事を取れなかったので夜明け前だがサアラは準備された料理をぺろりと平らげていた。
普通に寝起きだったシャルロッテは紅茶を一杯口にしただけだったが、律儀にテーブルから離れずサアラが食事を終えるのを待っていた。
だというのに。食事の間、シャルロッテとサアラの間には何故か会話が一つも生まれなかった。
どちらかというとサアラの側が難しい顔をしていたからなのだが、食事を食べ終わって逃げ場がなくなり、サアラはようやく腹を括ってそれを話すことに決めた。
「ロッテ。大事な話があるんだ」
「食後のおしゃべりには難しすぎる話題みたいだけど、いいわよ」
サアラは数少ない友人だ。朗らかで実直な得難い友人だ。
そんな彼女が命からがら逃げてきて、久しぶりのまともな食事を難しい顔をして食べているというのは心苦しいものだった。
だからシャルロッテは気軽に侍女を下がらせて、彼女の会話を待ち受けてしまっていた。
「ロッテ。瑛士とはどこまで進んだんだ?」
「……えっ?」
聞き間違いだろうか。てっきりエルフの森に関して、ヤーシャ王に情状酌量の余地を求める話し合いかと身構えていたのに。
だがシャルロッテを見つめるサアラの表情は真剣で真っ直ぐだ。
だから正直に答えようと思ったのだが、言葉が全然出てこなかった。
「ま、まさか言えないようなところまで……」
「なっ、ちがうよ!?」
「いや、それなら良いんだ。瑛士も気安くロッテと呼んでいたし……そうだよな、何ヶ月も離れてたらそりゃそうなるよね……」
「サアラ様、ご安心下さい。姫様はまだ呼称が変わっただけで、肉体的には一切接触しておりません」
メリルの援護射撃は正確だった。
正確故に、シャルロッテごと撃ち抜いていた。
「何ヶ月も時間があったのに、ロッテは何をしてたんだ!」
更にサアラからも良く分からない叱責を受ける。
唐突な話題の転換についていけないのはシャルロッテの弱点だった。
「なんで私が悪いみたいな話になってるのよ!」
シャルロッテは苦し紛れに憤慨してみせたが、自分が痛いところを突かれているという程度の自覚と知識はあった。
あと、冷静なメリルの表情を見て我に帰った。これは、自分をいじめて楽しんでいる時の顔だ。
「ロッテが今はまだ進んでいないなら、それでもいい」
「まだって……」
「だけど、私も瑛士を娶りたい」
「ちょちょ、ちょ、ちょっと待ちなさい!話が飛びすぎよ!?」
「そんなことはありませんよ、姫様」
ようやくここで合いの手を入れてきたメリルを睨みつける。
顔が赤くなっている自覚はあったが、シャルロッテは勢いで押し通した。
「じゃあ説明して見せてよ、メリル」
「承りました。まずサアラ様は、エルフの種族としての自治を取り戻したいとお思いですよね?」
「もちろんだ。身内の恥ではあるが、エルフとしての誇りが私にもある」
「であればスウィルノウとやらを倒した後、エルフをヤーシャの国から守る存在が必要になります。エルフの正しい長老が必要でしょう」
シャルロッテも恋愛ではなく政治の話を出されたことで頭が冷えた。
年頃の娘にしては残念な習性だが、話はこれでようやくサアラのしたい方向に軌道修正された。
「サアラ様が長老になることに反対するものは少ないでしょう。危機に陥ったエルフを救った長老となれば、相応しい伴侶が必要になります」
「なるほど。だから瑛士さんなのね」
「そういうことだ。っていうか、ロッテも呼び方……」
今の説明で納得している二人にこれ以上説明が要るだろうか。
迷ったメリルだが、そろそろ日が昇る。いつまでもおしゃべりに付き合っているわけにもいかないので、彼女なりの結論を提示した。
「つまり、サアラ様は姫様にエンジ様の所有権を争うつもりがあるか、聞いているのです」
「………」
「………」
二人の表情が強張って固まった。
片や十六歳の少女。片や二百歳の初心である。
メリルとしてはシャルロッテに肩入れしたい気持ちもあったけれど、冷静に考えればエルフとの結びつきを強くするために瑛士を使えるというのは非常にお得な手段だった。
二人がどんな結論を出すのか少しだけ楽しみだったメリルだが、鐘の音が届き、彼女の表情は一変した。
「姫様、サアラ様。急いで支度を……っ、そんな!?」
メリルは姫達の返事も聞かずに侍女達を部屋に入れて荷造りをさせていたが、窓から外を観察すると驚きのあまり声を上げていた。
常に冷静な侍女長の慌てる様子に、シャルロッテだけではなく侍女達も驚いて動きを止めていた。
そのままフリーズしているメリルに姫が声をかける。
「どうしたのメリル。さっきの鐘の音は何?何を見て驚いたの?」
「……先程の鐘は襲撃を知らせるものでした。戦闘の音が聞こえませんから奇襲ではないようですが。
ヤーシャ王は次が本格的な戦闘になり、決着が着くと考えていらっしゃいます。お二人には脱出するよう指示が出ると思ったのですが……ご覧の通り後方まで敵が布陣を広げております」
「私達包囲されてるのね」
シャルロッテがメリルの横に立って外を覗き込んだ。
確かに薄いが陣がある。薄いが、シャルロッテと本調子ではないサアラを連れて脱出するには十分な厚さだ。
布陣の隙間を縫って脱出できないか考えてみるが、メリルが首を横に振ってカーテンを閉めた。
「恐らく魔法による探知をしているでしょう。突破は無理です。こうなったらヤーシャ王が勝ってくれることを祈るしかありません」
「瑛士も戦場に出るのか?」
「出ざるを得ないでしょう。ですがまだドゥオルグから届いた武器も手渡していないというのに……あぁ、まったく!」
メリルは対処しなければならない問題が多すぎて頭を抱えていた。
優先順位はどれも高い。あれを立てればこちらが立たぬ。何を優先して何を切り捨てれば良いのか迷い、行動の指示を出せないメリルの肩をシャルロッテとサアラが叩いた。
「ロッテ。さっきの話は後にしよう」
「そうね。私もそう思っていたところ」
「我々はここで大人しくしていたほうが良いだろう、メリル殿。部屋に立てこもる準備を進めると良いと思う」
「ねぇメリル。この部屋の中だったらドゥオルグから届いた魔導具を瑛士さんのために調整するのはアリよね?」
シャルロッテとサアラの優先順位は明確だった。
ヤーシャ王と瑛士の足手まといにならないために、自分達の立ち位置を確保する。その上で、部屋に籠もったまま出来る事を探す。瑛士のために、出来る事を。
そのシンプルな行動指針にメリルはため息をつきつつも頼もしさを感じていた。
「分かりました。そのように指示を出しましょう。ドゥオルグから届いた荷も持ってこさせます」
* * * * *
数分後、ドタバタと忙しない部屋の中でシャルロッテとサアラとメリルの三人が、謎解きに挑戦していた。
謎解きというよりはパズルで、正確にはドゥオルグから届いた荷を組み立てているのだが。
書かれていた封書には、瑛士の指示通りに作ったというメッセージしかなかった。
「何かを嵌める穴が二つある。大きいのと小さいのだな革が当てられているところが持ち手か?」
「……随分複雑な魔導プログラムだけど、両方共この筒に繋がってるわね」
「小さいパーツから組み立てていきましょう。その後大きなパーツに嵌め込めば、多分組み上がると思われます」
メリルの判断に従ってサアラが起用に部品を組み立てていく。
その間にシャルロッテとメリルは、刻まれた紋様に目を通していた。
「瑛士さんが精霊の涙に魔導プログラムを刻んだと言っていたけれど、何をしたのか聞いておけば良かったわ」
「……もしもそうだとして、その魔導プログラムの一部だけをドゥオルグに発注して素材に描き込ませるでしょうか」
メリルの呟きにシャルロッテが考え込む。
瑛士の性格を考えれば、そんなことは有り得ないように思えた。
となると、この魔導具はもしかしたら複数の魔導プログラムが干渉しあう仕組みになっているのではないか。
「本当に、次から次へと……」
「ロッテ。この小さい穴はこうやって動くみたいだ」
順調に組み立てを進めるサアラが、組み上げた後の姿を予想して可動部分を手で動かす。確かに小さい穴の空いた部品がスライドして、大きな穴を叩くように見える。
大きな穴に嵌め込まれる魔導プログラムの正体は分からないが、それを連動させることを想定してシャルロッテは紋様の解読を再開する。
ドゥオルグが全力で作り上げた細工は、どれがプログラムでどれが単純な飾りなのか、見分けがほとんどつかない。魔導プログラムの読み取りは非常に難易度が高かった。
瑛士がそれほどまでにセキュリティを高めたい魔導プログラムはどんなものなのか。戦慄を受けながらもシャルロッテは興奮していた。
これが解けたら、自分の成長の証になるだろう。
瑛士の役に立ち、褒めてもらえるかもしれない。
自分の成長の確認にもなる。
彼女が知らない言い回しで言えば一石三鳥というやつだった。
だが、実際に一通り目を通して出てきたプログラムの骨子は非常に単純だった。
「対象のエレメントを選択する……だけ?」
「それだけなのですか、姫様」
「意味のあるところだけ読み取ると確かにそうなるんだけど」
「とりあえず大きな型に繋がる部分は組み立てたぞ」
サアラが一つのパーツの欠けもなく、組み立てを終えていた。
外見上の紋様で足りないと思われる部分に、シャルロッテは魔導プログラムを書き込んでいく。もちろん後から消せるように、彫込ではなく塗料を使っている。
完成したそれは、L字型をした金属製の道具だった。
「ここの大きな型枠って、もしかして精霊の涙を嵌めるのか?」
「そうだと思うけれど、その場合この小さい方には何を入れるのかしら?」
言外にそんなものはないと思っている二人だったが、この場で答えはでない。
いずれにせよ後は完成品を瑛士の元に持っていくべきだった。
シャルロッテは瑛士が精霊の涙に魔導プログラムを書き込み済みだと聞いていた。
小さくて高品質な素材を用意をしているかは定かではないが、一分一秒でも速くこれを持っていくことで瑛士のためになれるのなら、と思うと二人は居ても立っても居られない。
そう思ったシャルロッテとサアラは一緒に完成品を持って立ち上がっていた。
「……五分だけですよ」
メリルと護衛の兵士がついていくことで、なんとか二人の外出許可がおりる。
もちろん戦闘が始まったら部屋に戻されるだろう。
僅かな時間の間に出来ることなら、だけど確かに瑛士にこれを届けたい。
二人の少女は駆け出していった。




