未来のために
瑛士がサアラを抱えてリマイ砦へ帰還したのはきっかり三日目の夜だった。
風の魔法で空を飛びながら帰還したので砦の兵士に騒がれてしまったが、なんとか矢で射られずに着地する。
砦の屋上で起きていた騒ぎを聞きつけて集まってきた面々の中にはシャルロッテとヤーシャ王もいた。もちろんメリルもシャルロッテの側に侍っている。
シャルロッテは瑛士が抱きかかえているサアラを見つけると、メリルが止めるよりも早く駆け寄ってサアラの手を取った。
「サアラ、大丈夫?」
「安心してくれロッテ。監禁されていたから体力は落ちてるけど、それ以外の事は何もされてない」
「いずれにせよ、お体が冷えています。ヤーシャ王、エンジ様。サアラ様はこちらで預かりますが宜しいですね?」
女性のことは女性に任せるのが一番だ。
少なくともヤーシャ王と瑛士はそう思っていたし、この場では正解だった。
ヤーシャ王が頷きを返すと三人はその場を離れていき、騒ぎに集まってきた兵士たちも解散していった。
残ったのは瑛士とヤーシャ王の二人だ。
「しかし本当にやってのけるとはな」
「素材のおかげですよ。良質な素材があれば、他にも夢のような魔導プログラムを作れると思います」
「精霊の涙を越える素材など想像もつかないが、魔法技師に課す法律では使用できる素材の品質に上限を設けた方がいいかもしれんな」
「魔法技師に課す法律、ですか?」
瑛士は初耳だった単語をオウムのように繰り返した。
「ヤーシャの国は今後、継続して魔法技師を生み出していく必要がある。ならばそれを縛る法が必要だろう?」
ヤーシャ王は首都のある西を睨んで言った。
「どうも前任の魔法技師はそこまで考えていたように思う」
「まさか!」
「チャンスを与えられただけに過ぎないと思うがな。召喚に使う魔導具が残されていたということは魔法技師をもう一度呼ぶ為だったように思えて仕方ない。
恐らく、アレはお前の心配しているようなエンジニア以外の人間は喚ばなかったのではないかと感じている」
ロマンが過ぎると瑛士は思ったが、王が何をどう感じるかは王の勝手だ。何も言わずにその話を受け止めた。
召喚の魔導具は使い終わったら砕けてしまった。
使い切りの魔導具なんて、他には存在しない。
そこに何か意図が込められていただろうことは確かなのだから、どう受け止めようと自由だ。
「王と魔法技師の組み合わせによっては、ヤーシャの国は終わっていたかもしれん。何度も召喚を繰り返させたり、技師の能力が足りなかったり」
「ははぁ、よくある話ですね」
「それが上手く行ったとして、ヤーシャの国は今日滅ばずとも明日には滅んでいたかもしれないだろう」
だから、ありがとう。
王は頭を下げずにそう言った。
「お前のお陰だ、エンジ。お前がヤーシャの明日を作ってくれた。全国民に成り代わって、俺が礼を言おう」
「恐縮です。でもヤーシャ王、これは王様と魔法技師の二人で選んだ選択の結果ですよ。僕たちは対等なんでしょう?」
「……まぁ、そうだな。ともあれヤーシャの国に明日があるなら、俺達は勝たねばならんだろう。エルフの森ではどんな情報を得られた?食事をしながらゆっくりと聞かせてくれ」
* * * * *
ヤーシャ王は侍女を呼び出すと食事を屋上に運び込ませた。ついでに小さなテーブルも。
星の見えるところで軽く酒杯を傾けながらヤーシャ王は瑛士の報告をただただ聞いていた。
日本人とは違ってワインの数杯では酔わないヤーシャ人を羨ましく思いながら食事を続けつつ、食べ終わる頃には一通りの話が終わっていた。
「明日にはシャルロッテとサアラを一緒に後方へと下がらせよう」
「そのほうが良いでしょう。本隊と言うからには今までの規模よりも大きいでしょうから」
「スウィルノウとやらが進軍を始めたならば勝負を決めに来たのだろう。数だけではなく勢いも苛烈なはずだ」
「でしょうね。噂から判断すると、それほど表立って先頭を切るような人物には思えませんから」
サアラが捉えられていたエルフの里の中枢でも、スウィルノウとやらの姿は見えなかった。その割に離れた場所の部族は部下に攻めさせていたようだ。
そんな人物が末端の兵士の噂になるほど表立って先陣に立つのはおかしいと瑛士は感じていた。
「となると、出陣したい理由があったのだろうよ。例えば敵の大将がやってきている、とかな」
「まさか……」
ニヤリと笑うヤーシャ王を見て、瑛士はため息をついた。
自分の位置を相手に教えて一本釣りなんて、いったいどこの創作の猛将だろう。
「そんな怪しい噂に釣られますか?」
「釣れぬならそれで構わん。相手に怪しい噂でも乗らざるを得ん事情があれば俺が得をするし、そうでなくても損はしない?」
それほどまでにエルフ軍が苦しい状況にあるだろうか。瑛士には破竹の勢いで進んでいるようにしか見えなかったが、彼は戦争の専門家ではない。
実際はどうあれ今大事なことは、お互いの大将が出陣しているチャンスであり、同時にピンチでもあるということだった。
「本物かどうか定かではないが相手の大将も戦場に引きずり出せた。だが……」
ヤーシャ王が左の肩を抑える。
そのすぐ下には瑛士を庇った傷が有るはずだ。
「俺の傷はまだ癒えとらん。指揮は取るがお前の魔法にも期待しているぞ」
「それは防衛用の魔法以外も、という意味ですか?」
「出来るのならば、な」
出来るか出来ないかで言えば、出来るだろう。
キレて暴力に訴えた後にそれを思い出して気分が悪くなる程度には、瑛士はまだ暴力に慣れていない。だがこの戦場で死体というものを何度も見てきた瑛士は、暴力よりも死を忌避する気持ちのほうが強くなっていると自分では感じていた。
「せめて魔導具だけでも戦闘用のものを開発しておいてもらえば良かったな。悠長に温泉につかっている場合ではなかった」
ヤーシャ王が苦笑して言った。
だが、瑛士の表情は固い。
「ヤーシャ王、ドゥオルグ達に依頼していたものは届いていますか?」
「確かメリルが受け取ったように思うが……まさかもうあるのか!?」
「まだ動くかも分からない代物ですよ」
瑛士が使えると言わなかった理由を、ヤーシャ王は正確には見抜けなかった。
彼がシャルロッテやメリルほど瑛士のことを知らないという理由もある。例えばテストもしてない魔導プログラムを動くとは確約しないとか、そもそも未来について断定的な表現を避ける傾向があるとか。
だが、真の理由は恐怖だ。初めて戦闘用に作ってしまった魔法の破壊力を、瑛士は恐れていた。
勿論どんな魔法かも知らないのだから、ヤーシャ王どころかシャルロッテでも瑛士の心境を当てることはできなかっただろう。
「ならばそれを確かめてお、け……?」
「ヤーシャ王?」
不意に固まったヤーシャ王を不審に思い、彼の見ていた東の空を見る。
そこには地平をゾロゾロと蠢く何かがあった。
「敵襲だ!」
思考回路の復帰したヤーシャ王が屋上の鐘を鳴らした。
短く二回、長く二回。
準備をする時間もなく、夜明け前に事態は急変していった。




