待たせたな
「おい、聞いたか、スウィルノウ様の本体が出陣するらしいぞ」
「やっとかよ。それじゃ、北の針の木のやつらも鎮圧されたのか」
「らしいぜ。やっぱりあんな老害共に従ってたのは間違ってたな」
防具をつけずに槍だけをもった二人組のエルフが、大木から張り出した通路の上で会話を交わしている。
ここはエルフの支配する大森林だ。敵地でもないのに武装しているのは、いまだに森の中に反長老派の残党が潜んでいる可能性があるからだ。
とはいえ、ここしばらく残党と遭遇することも無くなっている。
二人は仕事中の筈だったが、気の抜けた休憩時間のように会話をしていた。
だが、例え彼らが集中して哨戒に当たっていたとしても、背後に潜んだ瑛士に気付くことはできなかっただろう。
瑛士は透けて透明になっていたからだ。
これが瑛士の秘策、ステルススーツだ。実際にスーツを着込んでいるわけではなく体の周囲に魔法を発生させているだけなのだが。
仕組みは簡単だ。瑛士に反射する光を屈折させ、まるで素通りしたかのように彼の向こう側を見せる。言葉で言えば簡単だが、それを科学で実現することは前世でも出来ていなかった。
だが、魔法なら出来る。
光をどう屈折させるかの指示を与えれば、実際の屈折を技術で調整する必要がないからだ。
これこそが魔導プログラムの操作しているエレメントの素晴らしいところでもあり、恐ろしいところでもあった。
このレベルの技術を今後作ることはないだろうと瑛士は考えている。あまりにも悪用された際に危険だからだ。
だが今は必要な技術だった。
ステルススーツのおかげで情報収集は順調だった。
スウィルノウについて得られた事前情報は誤っていないようだった。
エルフの中でスウィルノウに組した好戦的なエルフが多いのは意外だったが、何百年も森の中で暮らすエルフの中にも世代によって違うが生まれていたのだろう。
興味は尽きないが、その為には話を聞ける相手を助けなければならない。
瑛士は情報収集をしながらサアラがいる場所を探していた。情報によればどこかに幽閉されているという話しかなく、闇雲に聞き耳を立てるしかなかった。
だがその苦労がようやく結ばれようとしていた。
「さて。んじゃあ俺はこの後仕事なんで、そろそろ行くわ」
「今日の当番はどこだ?」
「お姫様のとこだよ」
思わず声を上げそうになるのを我慢して静かにガッツポーズ。
「その言い方、スウィルノウ様に伝わったらただじゃすまないぜ」
「あぁ、分かってるよ。それじゃ行ってくる」
兵士が二手に別れる。もちろん瑛士が後をつけるのはお姫様とやらの監視に向かうほうだ。姿を消したまま足音を立てないように、注意を払いながら兵士についていく。
辿り着いたのはまるで金属のように表面のなめらかな灰色の大樹だった。直径が十メートルを超える巨大さに見上げるだけで瑛士は感動していた。さすがファンタジーである。
(ここは……木そのものが牢屋みたいなものなのか?)
観察してみると木の表面にいくつも穴が空いており、そこかしこに誰かが閉じ込められていた。
先を行く兵士がパリパリと音を立てながら、押している小枝を踏み折って歩く。ように、ではなくまさしく金属で出来ているのかもしれない。
木の幹の外側に造られた螺旋状の通路を登っていく。
途中の牢内から吐かれる暴言からすると、閉じ込められているのは反スウィルノウ派がほとんどだった。一部は本当に犯罪者のようだったか。
エルフがたどり着いたのは、木の最上段だった。
幹のワンフロアをくりぬいた巨大な部屋は住むのにも苦労しなさそうだったが、入り口に鉄格子がついている以上は間違いなく牢屋だった。
だが、部屋の中の調度などは全く目に入らなかった。
牢屋の奥、ベッドに縛り付けられている顔見知りの少女を見つけたから。
(サアラ……やっぱり自由にはさせてもらってないんだな)
この広い部屋をあてがってもらいながらベッドに縛り付けられるとは奇妙な話だが、彼女がおとなしくしていたとも思えない。
見張りは一人で交代制のようだ。
女が暴れたかどうかを確認し合い、大人しいものだとわかると気を抜いて手を振り合って監視用の椅子を入れ替わっていた。
瑛士は部屋の隅でじっとその男の様子を探っていた。
が、それほど我慢する必要はなかった。
男はすぐに眠りこけ、監視はおろそかになったからだ。
当然何もしてないわけではない。
男の周囲の酸素密度を変えたのだ。正確には気絶してしまったのだが、結果として見張りの目がなくなったことに変わりはない。
(鍵……これも魔法か?)
調べるのも億劫なので、瑛士は手っ取り早く紅の指輪を使った。
魔法を解除すれば、鉄の幹に取り付けられた蝶番が静かに鳴った。
「誰だ?」
あの明るかったサアラの面影がまったくない、暗い声に胸が締め付けられる。
瑛士はノータイムでステルススーツの魔導具を解除して姿を現した。
「待たせたな、サアラ」
「瑛士……どうやって!?」
「静かに。これも全部魔法?」
ベッドの上に手枷足枷で繋ぎ止められているが。そのどれにも鍵穴はない。
エルフの生活はヤーシャの国よりも魔法に密接だ。
おかげで泥棒の技能を持たない瑛士でも奥深くまで入り込めてしまったわけだが。
「そうだけど、でもこれを外したらすぐにスウィルノウに伝わって……」
「大丈夫」
手錠には何の仕組みもない。アラートを上げる"機械"など存在するはずもない。つまりアラートも魔法なのだろう。
魔法を解除されるなんて想定もしていないだろうけれど、今噂の魔法技師を抱えるヤーシャの国を相手にしておいて、ちょっと情報収集が足りていないのではと瑛士は敵の心配をしていた。
錠の解除はあっさり終わった。もちろんアラートが上がることもなく、サアラの手足を縛っていた手錠と足枷が音もなく割れて床に転がる。
「ありがとう、瑛士っ!」
上半身を起こそうとするサアラを支えると、彼女はそのまま瑛士に抱き着いて泣いた。
彼女の涙を見るのは三回目だ。なんとなく慣れてきてしまったので、瑛士は彼女の背を叩いて落ち着くのを待った。
「長老さんのこと、残念だったね」
「ううん、いいの。長老は寿命で亡くなったから。でも、アイツだけは許せない……!」
ひとしきり泣いたサアラは、瑛士が慰めると気炎を上げていた。
体力はなくても精神力は回復していた。水を魔法で作り出して顔を洗い、体の汚れを落とす。瑛士が背を向けている間に着替えを終えれば、体が弱っている以外はばっちり元通りのサアラだった。
「さっきのは新しい魔導具なのよね?」
「うん。君のくれたコレのおかげ」
瑛士は左腕につけた腕甲を見せた。
そこに嵌められていた翠の宝石を見て、サアラは納得したように息を吐いた。
「それを使ったのなら、それだけの大魔法にも納得ね」
「どんな大きな宝石でもこの魔法には耐えられなかった。サアラのおかげさ」
「アハハ……自分のために使われたのが情けないけどね」
「そんなことないさ。まぁこれからも使えるだろうし」
「ふぅん。悪いことに使うんだ?」
サアラは久しぶりの会話で心が弾むようで、気力も持ち直してきたようだ。
となれば、あとやることは一つである。
「さぁ、脱出しよう」
「でも最近は全く動かせてもらえなかったし、足手まといになっちゃうよ」
「大丈夫。全部任せて」
瑛士はそう言うと、サアラを両腕で抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこだ。この場合は長老の娘がお姫様に当たるなら、まごうことなきお姫様抱っこである。
「ロッテも待ってる。急ごう」
「ロッテ!?あぁ、もう!道中色々聞かせてもらうからね!?」
ようやく抜け出せるという実感が湧いてきたのか。じわりと湧いてきたそれを隠そうとしてサアラは瑛士の首元に抱きついた。
サアラが密着したことを確認して、瑛士は腕甲を撫でた。
二人の姿は同時に淡い光に包まれる。
初めは不安だったが、これでしっかり他人からは見えなくなっているのだ。エルフたちに見つからなかったことで自信もついていた瑛士は更に魔法を発動する。
「風作成、持続強度1」
弱ったサアラを宙に浮かばせて抱きかかえる。
彼女の加速魔法は自身の体裁きも必要とする高等技術だ。弱った状態で彼女が逃げるだけの速度は出ない。
「しっかり捕まって。それと」
「それと?」
「手を離しちゃ、ダメだからね」
「うん。瑛士もだよ」
お姫様を連れて螺旋階段を駆け下りる。
見張りのエルフとはすれ違わなかったが、牢屋の中から外で巻き起こっている風を不審に思ったエルフと一方的に目が有った。
「そうだ、瑛士!彼らも逃がせないかな?」
「危険な目に合わせることになるけど」
「そこは自己責任よ」
責任はお姫様に取ってもらおう。瑛士は開き直った。
螺旋階段を駆け下りながら、牢屋の鍵を解除していく。
「なんだ!?」
「とにかく逃げろ!」
「武器はどこだ!許さねぇぞぉぉ!」
反乱の狼煙が上がり、森が騒がしくなっていく。
戦うことを選んだエルフが森の中に散ってゲリラ戦を始めた頃、森の外にはエルフを抱えたまま風に乗って空を飛ぶ瑛士の姿があった。




