毒
そこは古くから採掘が行われていた大坑道だった。
枝道は無数に伸びており、その細い通路は人間なら腰をかがめないと入れないほど狭い。だが中心部を進むだけなら人間の瑛士でも問題はなかった。それほど大量の鉱石を運び出していたのだろう。
地図もあることだし、ダンターには戻ってもらっても良かったのだが、彼は強引についてきていた。
何が気になるのだろうと疑問に思っていたのだが、二人きりになったとたん、彼が普段の陽気な口調とは打って変わって落ち着いた声音で話し始めたことで、瑛士も彼が真剣な話を。
「エンジ殿、今のところ問題はないかな?」
鉱石のことだろうか。それとも他のことだろうか。
悩んで答えに迷ってるうちに、ダンターは自分の胸をドンと叩いた。
自分のこととは思っていなかったので、瑛士は慌てて答えた。
「えぇ、体調は問題ありません。いまのところは」
「ふむ……鉱毒?というのは分からんが、すぐに症状が出ないものもあるのかね」
「詳しくはないですが、そうですね。少なくとも歩いて数分で異常をきたすような事はないかと」
「いやいや、十分詳しいぞ。異世界の人間とは皆、そのように博識なのかね?」
心なしか、ダンターの視線が鋭くなる。
だが、探りを入れられることくらい社会人ならいくらでも経験がある。
すっとぼけて応えるのも大得意だ。
なんとなく、ダンターが気にしていることに察しがついた瑛士は、とっさに嘘をついた。
「専門の技能を持っている人はわずかですし、世の中のことを広く知ろうとしない人も多く居ました。この世界の人と異世界の人に、変わりはそんなにありませんよ」
異世界の文明自体は、ダンターが危惧している通り、危険な存在だ。
だが、人そのものが危険かと言われれば、そんなことはないと瑛士は思っていた。
魔法を教えている学徒達の能力は、まだまだ魔法の本質を解析できるレベルではない。だがそれは知識の問題であって知能の問題ではないのだ。
この世界の人々は普通に人間で、知能に差はなかった。
彼らには自ら知識を深掘っていけるような思考方法も同時に教えこんでいるし、シャルロッテに至っては余計な手助けが不要なほど、思考力に富んでいる。
既に、彼でなければならないという状態からは抜け出しつつあり、多少瑛士の寿命が縮んだとて、ヤーシャの国に魔法の学問は残り続けていくだろう。
そう確信できるほどにこの世界の人々の実力を認めていた。
「私がこの世界でも使える知識を持っていたのは幸運でした。運というよりは、そのために呼ばれたんだと思います」
「ふむん。そうかそうか。まぁ他人に無理やり召喚されたのはむしろ不運だが、やるべきことが見えているというのは良いことだ。それにお主は立場だけで行動していないように見える」
ダンターは大きく二股に別れる道で立ち止まると、振り向いて瑛士を見上げてそう言った。
シャルロッテが外交に出されるだけのことはある、ということを瑛士はハッキリと理解した。
遠回しに、しかし真実をつこうとする会話の間合い。
気軽な雑談はいつの間にか終わっていた。
「いえ、私は……魔法技師としてやるべきことをしているだけですから」
「そうか。では、技師として働くだけなら、お主はその技術を人に伝えられないものだと断言してしまえばよいだろう」
瑛士の立場ではなく、おせっかいでも自分の立場としての発言を守る。
ダンターの厳しい攻め手に、瑛士は硬直した。
緊張と言い換えてもいい。
「立場に求められていることと、職人として答えることは一緒にするなよ、エンジ殿。無論、ワシの言うことが正しいわけではないが、それだけの技術と知識を国に隷属して支払うには余りに大きい」
「…………」
「ダの国にしろ、他の国にしろ、職人として働いて居場所を作ることは出来る。何もかも背負わず、自分の領分を見極めることも職人の仕事のうちだ。ゆめゆめ、無理はするなよ」
「ありがとうございます、ダンターさん」
瑛士が無理をしたことをダンターはメリルから報告されていた、ということを当然瑛士は知らない。
だが、その気遣いが、ただの引き抜きでないことも、声音にはこもっていた。
走行している間に二人はY字に分かれている三叉路に辿り着いた。
どちらに進むか、ダンターは分かっているのにあえて瑛士に問いかけた。
「もう目星はついておるのだろう?」
ダンターは、「さぁどっちに行く?」と道を明け渡す。
瑛士は足元を見て、どちらに進むべきか判断した。
「こちらです」
「だろうな」
足元の不安定な道の端を確認しながら、坂道を下っていく。道の端には木で出来た水路があり、そこを水が静かに流れている。
だが、その先には予想以上の酷い光景が広がっていた。
鉱山から排斥される毒物のほとんどは、水や土に混ざってドロドロの液体になる。
少量なら水が汚れているくらいで済むそれらも、大量に集まれば固形物のような泥濘を生み出す。
その泥濘が排水の行き着く先に広がっていた。
「……こんなに排水を貯めこんでれば、染み出た先は汚染されますよ」
「ワシらにゃ毒はない。単純に排水として流れ出していたからのう。しかしこれが毒だというのなら逃さねばなるまいが」
はて。どうしたものか。
首をひねるダンターだったが、瑛士の顔を見て顎をさするのをやめた。
この若者にはすでに案があるようだ。
ドゥオルグにとって、悪い案ではないだろう。
「それでは戻って、お主の欲しいものを作るかね」
「良いのですか?」
「問題ない。その代わり何をするのかはしっかり教えてもらわんと、またご足労いただくことになりかねんからな。頼んだぞ」
「それは、そうですね。あの馬車はもうコリゴリですから」
馬車とはなんのことだ?とダンターはしつこく聞いたが、言い渋る瑛士は口を開こうとしない。
あとでシャルロッテ姫に聞いてやるからな、と豪快に笑いながら、ゆっくりと二人は坑道を登って戻っていった。
* * * * *
ドゥオルグの製錬所は24時間稼働しているわけではない。
炉は燃やし続けられているが、石から生まれた土石の化身であろうと、受肉している以上は肉としての限界がくる。
洞窟の中に暮らすドゥオルグ達に昼夜の感覚はないが、洞窟中に響き渡る銅鑼の音で、ドゥオルグ達は一斉に仕事を終わらせる。
夜勤はあるが、残業はない。なんと羨ましいことだろうか。
終業時間の鐘なんて、「よし、これから本気出して終電には帰るぜ」のスイッチだと思っていたのだが……。
そんな習性が簡単に抜けるわけもなく、瑛士は夜が更けても一人で研究室に篭もり、頭を悩ませていた。
魔導具の品質が落ちているという元々の問題については、すでに最低限の解決を見ている。
石の品質を見分ける魔法は作ったのだ。あとは品質の良い石だけを出荷してくれればいい。
だが、それでは根本解決にはならない。
更に問題が悪化したときに、手遅れになっている可能性もある。もちろん、解決策が思い浮かばなければ今でも手遅れになっている可能性はあるが、最低限のセーフティラインを確保した以上のことをすべきだと瑛士は考えていた。
一番の解決策は、排水を漏らさず貯蔵する施設を作り、途中の道でも漏らさないようにしながら流しこむことだ。
現代科学で考えれば、専用の樹脂で作られたパイプを使うところだが、問題はそれをどう魔法で実現するかである。
「うーん。せめて大学にでも行ってればなぁ」
だが、瑛士にそのあたりの科学的な知識はない。科学を魔法で代用するどころか、その科学すら知らないのだ。せいぜいが高校生レベルの知識で、あとはゲームや漫画の知識しかない。
だとすれば、そもそも科学的な理解に依らない魔法の解決策を思いつく必要がある。
魔法自体を解析するのではなく、魔法を以って現実を変えねばならない。
この世界にきて初めてぶちあたった壁に悩みながら、瑛士は天井を見上げる。
汚染水が土壌に染みこむことが原因。
はたしてそうだろうか。
「なぜ。なぜ。なぜ、か」
汚染水が土壌に染み込んでいることは、根本原因ではない。事象だ。
なぜ土壌が劣化したのか。汚染水が染みこんだからだ。
なぜ汚染水が流れ混んだのか。排水を処理する先がそこしか無かったからだ。
なぜ排水を処理する必要があるのか。工業に利用するからだ。
工業を止めることは出来るのか?
答えはノーだ。受肉してしまった以上、彼らも食う必要がある。
仕事は必要だ。
だが工業を続けることは汚染水を発生させることとイコールだ。
汚染水を発生させないという解決策はないだろう。少なくとも、現実的ではない。
再生は必要なく、大事なのは再発防止。
排水の出処は複数ある。
掘り出した鉱石を洗浄する場所。
鉱石を熱する火事場の冷水。
ドゥオルグたちの生活排水ももしかしたら何か影響があるのかもしれない。
それらの水はすべて、地下の湖水から引き上げられているらしい。
「……そもそも、その水ってどこにいけばいいんだ?」
教科書に乗っていたのは事件だけで、それをどう処理しているかまでは教わっていなかった。
答えは更に見つからなくなっていく。
廃水を根本から断つ。その方針で行けば、廃水を別のルートでどこかに持ちだしてしまえば良い。
だが、それではその”どこか”が汚染されていくだけだ。ダの国の山の外に持ちだしたところで、この国が戦争に巻き込まれてしまうのは避けたい。
だとすると。
「水そのものを、何とか……出来るのかな?」
どうだろうか。
高校の化学を思い出す。
化合物が混濁した液体に、試薬を投入することで化学反応が起こり、化合物を沈殿させて水に戻す実験があった。
難しい化学式は分からないが、要はあれを魔法でやればよいのだ。
とりあえずの方針は立った。
まずは証拠を集めよう。
* * * * *
「これで水浚いをしろと?」
翌日、またも徹夜気味で瑛士が用意したのは長い筒であった。
しかしこれはまだまだ調査のための道具で、解決の道具ではない。
直接ダンターにお願いをしたらあっさりと目的のブツをすくい上げてくれた。
筒を真っ直ぐに貯水池に差し込み、底に当たったら頭の部分の金属製のスイッチを捻る。
内部でも何層かに分けるように板が閉まる。
ゆっくりと引き上げたそれを回収し開いてみると、予想よりもおぞましい物が中に入っていた。
ペパーミントグリーンの泥に、深い蒼の泥。
黄土の斑模様になっているものはところどころに白い何かが沈殿している。
「こ、これは……こんなものが大地に流れ込んでいたのか……」
「そうですね。水に溶けた金属などです。見た目通り、大地にも動物にも毒になります」
そして魔導具としてエレメントを反応させる性能も劣化させる毒になるのだろう。
不純物が入っていることがまずいのか、溶けている金属に原因があるのかは調査してみないと分からないが、件の探知機を翳しても反応がないので、おそらく後者なのだろう。
「……エンジ殿。これは定期的にこの物質を配水池から取り除けば良いのか?」
「いえ。染みだした水の中にも細かい粒子が入っているでしょう。この金属はそれらが堆積しただけにすぎませんから」
「むぅ。確かに、排水池に流し込む途中の水路にはこれほどハッキリとは溜まっていなかったな……では、どうする?」
もちろん対策は用意していた。
しかし、何も実験を重ねていないのに"出来る"と回答してしまうのは、瑛士の経験上マズかった。
「まだ仮説の域を出ないのですが……」
「成功すると断言できないのだろう?分かっている。試行錯誤は錬金の常だ」
ダンターの申し出を、瑛士は信じることにした。
もしも他のドゥオルグが実験の失敗を詰っても、ダンターはとりなしてくれるだろう、と。
「作業を終えた直後の水から、金属を分離させます」
「貯水池に流し込む前に、ということか。だが、作業用水を流し込む土台の素材も変えていかねばならんだろう?」
「お察しの通りです。これはドゥオルグの作業場自体を改修することになります」
今まで積み上げてきたドゥオルグの施設や経験を否定して、新たな構造を導入する。
使い慣れているというだけではない矜持があるのは、瑛士にも分かっている。
だから、断言はせずに二択をせまった。
新しい環境で被害を食い止めるか。
伝統を守って被害を受け止めるか。
「実験はいますぐとりかかってくれ。指示を貰えれば作業場も今すぐ作り変える」
ダンターの判断は即決だった。
「おい、貿易相手にはしばらく輸出出来んと伝えろ。質の悪い在庫はこの機会に全部吐き出しちまえ。改修が終わり次第、不眠不休で造りまくるぞ!!」
いくらなんでも思い切りすぎではないか、と瑛士は冷や汗をかいた。
そこまでして失敗したら……と思うと気が気ではない。
しかしダンターはそんな現場の緊張を分かっていたようだ。ニヤリと笑うと瑛士の肩をバシバシと叩いた。
「さぁ、良いプレッシャーになっただろう?」
「……始める前から胃が痛いですよ」
適度なプレッシャーだと思って切り抜けようと瑛士はなんとか痩せ我慢の気合を込めた。
「直接触れると害があるのだろう?エンジ殿に交代で作業員をこちらからつける。指示はそいつらに出してくれ」
「良いのですか?」
「どちらにしろ休業にするのだ。問題ない。それに、貴殿にキツイ仕事ばかりを任せると、姫達を怒らせることになりそうだからな」
ダンターが親指でグイグイと指してくるのでそちらを見ると、なんの騒ぎだと様子を見に来たシャルロッテとメリルが険しい顔をしていた。
特に、積み上げられた極彩色の塊を見たシャルロッテの表情が険しくなる。表情は変わらないが、気配の剣呑さはメリルも同じだ。
「瑛士さん。説明、してもらえますよね?」
「……すいません、ダンターさん。まずはこちら優先ということで」
「おう。しっかりな!!」
こんな時だけ空気を読んだドゥオルグ達が、一人残らず部屋から出て行ってしまう。
部屋に残ったのは角を生やした女性陣と瑛士。
そしてなぜか見張りとして彼女たちの叱責を聞くはめになってしまったダナンだけであった。