ドゥオルグの国
ヤーシャの国に復活した魔法技師の名前は、建国祭が終わる頃には大陸東方全体に広がっていた。
その割に魔導具による実績は聞こえてこなかったので甘く見ていたのだが、最近では『空を飛んでエルフを捕まえた』という演劇が広まり始め、吟遊詩人がそれらの話を持ち帰っている。
他国はヤーシャの国が何を準備しているのか戦々恐々としているといった状況だ。
そんな彼らは、召喚から半年もの長きに渡って彼が不名誉な蔑称で呼ばれていたことを知らない。
知っているものも少なかった。
正確には過去形だ。少なかった。今日までは。
「うぉぇぇ……」
舗装されていない道の上をゆく馬車に揺られて数日。
魔法技師ことゲロ、ないしエンジは完全にやられていた。
「もう少し速度を落としましょうか?」
御者台のダナンが心配そうに声をかけるが、瑛士は手を横に降った。
首は間違っても振れない。
代わりに答えたのはシャルロッテだ。
「これ以上速度を落としたら間に合いませんから、申し訳ないのですが、え……エンジ様に我慢していただいて、進みましょう」
「そうですか……あの、馬車の中に出してしまいかけたら止めますので、言ってくださいね?」
馬車は速度を上げ(瑛士はそう感じたが周囲に合わせて速度を戻しただけである)、瑛士とシャルロッテの乗る馬車から後ろは二股に分かれ、Y字になりながら平原を進んでいた。
目的地はもうすぐそこ。
目の前に広がる大山脈。ヤーシャの西に接するダの国である。
* * * * *
「最近、魔道具の品質が下がっている」
救国祭と建国祭が終わり、城での生活は非常に落ち着いていた。
瑛士は過去の魔導具を調べたり、改善したり、修理出来ないとされていた上級魔法の込められた魔導具を修理したり、魔法技師として活動を続けていた。
ひっきりなしに色々な所を移動しているせいで王族の兄妹とは顔を合わせる機会が減っていたのだが、しばらく経ったある日の晩餐に招待を受けた。
呼ばれていたのは瑛士だけで、ヤーシャ王と二人での食事だった。
自分だけではなく、王も忙しかったのだと瑛士は気付いた。疲れている人間は顔を見れば分かる。そのあたりの世間話から始めるのかと思っていたのだが、ヤーシャ王はいつも通り唐突に本題を話し始めた。
しかし今回は本題ではあるものの、普段よりやや遠回りのように瑛士は感じていた。
アレが悪い。コレを作ってほしい。
結論から先に述べる人物がこのように話を持っていくのには当然理由があった。
「魔道具の品質というのは、魔法の紋様が乱れているということですか?」
「そういうわけでもない。これを見ろ」
王が侍女に運ばせてきたのは、石づくりの人形だ。
とんがりボウシを被った頭をポンと叩くと、人形が不器用にカクカクと踊りだす。
「っていうか、それって縁日で私が買ったものですよね」
「すまんな。だがすでに解析は既に終わったのだろう?」
「えぇ。凄いんですよ。手足の魔法がそれぞれ反発と誘引を起こす魔法を仕込まれてまして。引き合ったり反発して踊りになってるんです」
踊る人形の魔法として流布されているそれは、本質をたどれば恐ろしい魔法だと瑛士は理解していた。四つの手足に規則正しく魔導プログラムを仕込むことで人形を踊らせているが、魔導プログラムを分解していくと、その本質に行き当たる。
と、瑛士の舌峰が回り始めたのだが、タイミング悪く人形はバタンと倒れてしまった。
ランダムに動く踊りは楽しいが、倒れてしまってから起き上がるような機能はない。
だからこの人形はそれだけだと思っていたのだが。
「昔はもっと綺麗に、そして長く踊り続けるものだった」
「職人の腕前が落ちているのでは?」
「俺の部屋にある人形がこれだ」
それは何年も前のものなのだろう。何度も倒れて削れたのか、いびつな頭になっていたが、同じ人形だ。
そして頭をぽんと叩くと。
「うわっ、全然違うじゃないですか!」
「最初は手習いが作った物を同じ価格で売っているのかと怒鳴り込みに行ったのだが、職人も嘆いていた。作り方は同じなのに、年々質が落ちていく、と」
(行ったんだ……職人さんもかわいそうに)
漫画のようなフットワークの軽い王様もいるのだな、と思ったが、瑛士は話を本題に戻した。
「つまり品質が下がっているのは素材なんですね?」
「そうだ。エルフの森から送られてくる木材の品質は落ちていないが、西の鉱山から送られてくる金属や土石の類の品質はどうやら落ち続けているらしい。どうしようもないからと諦めていたらしく苦情は上がらなかったそうだが、調べさせてみれば山のように情報が出てきた」
山のようにだぞ?とヤーシャ王は恨めしげだ。
なるほど、祭りのあとしばらく顔を出さなかったのはその辺を取りまとめていたからか、と瑛士はヤーシャ王のお勤めぶりを慰めた。
「お疲れ様でしたね」
「甲斐はあったからいいがな。で、現地で何が起きているのか調べたいが俺は離れられんので、お前とシャルロッテに行ってもらう。当然正式な大使としていってもらうから護衛も侍女もつく。気楽な旅だ。お前も働き詰めだと聞いているから、休暇だと思って行けばいい」
「シャルロッテ様と、ですか?」
「……嫌なのか?」
ジロリと睨み挙げられるが、滅相もない。
瑛士としては、だが。
ここ最近、シャルロッテとの会話が減っていると瑛士は自覚していた。
一つには魔導プログラムの授業自体が少なくなっていたからだ。彼女は覚えが早いので、簡単なプログラムなら自分で分析が出来るようになっていた。授業の目的は魔法技師を増やすことなので、瑛士の時間の多くは他の生徒に割かれることになった。
そして数少ない授業の時間でも、会話は少なくなっている。そもそも瑛士から話しかけることは稀で、ほとんどがシャルロッテからの声掛けで生まれていた交流だったと今更瑛士は気付いていた。
いざ声を掛けられてもどこかよそよそしく、お互いにギクシャクしてしまっている。
「どうも最近不仲なようだが、さっさと元通りになってこい」
ニヤリ、と笑うヤーシャ王だが、余計なお世話だ。
どうりで今日はシャルロッテが呼ばれていないわけだ。
嘆息する瑛士にかけられた言葉は慰めではなく、それでは準備をしましょう、というメリルの業務連絡だった。
* * * * *
平原を超えると今度は山道だったが道は整備されていて、むしろ平原をガタゴトと進むよりもよっぽど楽だった。
「ダの国の領土はこの山だけなのですか?」
ようやく体を起こした瑛士に話しかけられて、シャルロッテも久々に口を開いた。
「そんなことありませんよ。あの平原も道が途絶えていたところから先はダの国の領土です。ですが、ダの国の方々はこの山を離れませんから」
「自分たちの使う道だけはしっかり整備してるってことですか?」
それは交易を営んでいる立場としては杜撰だ。
鉱山資源を抽出できるから、上から目線でいるのだろうか。
そうだとするとこの後の交流も大変だと早とちりしていたのだが、その間違いも含めてシャルロッテの予想通りだったようだ。彼女は(瑛士の前では久しぶりに)くすりと笑うと、彼の勘違いを正した。
「会ってみれば分かると思います。ドゥオルグ達は私達と同じ物差しで世界を見ていませんから」
「どぅお……?」
「あら。え……エンジ様の世界にはエルフは居ても、ドゥオルグはいらっしゃらなかったのですか?」
石から生まれ、石とともに生き、石に還って大地と眠る。
土石鉄に通じた、鍛冶の民。
つまりそれは。
「ドワーフの国なんですか!?」
* * * * *
大使を出迎えるにはまるで相応しくない轟音が、洞窟の内部を満たしていた。
巨大な木製の水車がギシギシと回り、落とされる滝の様な水量は音を吸い込むどころか轟音を上げている。
そしてなによりも。それらの中で通じるような大きさで会話するドゥオルグ達の声といったら。
瑛士の世界でドワーフとして描かれていたのと瓜二つな、小柄の親爺がゲラゲラと笑ってヤーシャの国の大使を出迎えていた。
「よぉーーく来たなぁ!久しぶりだな、お嬢ちゃん!!」
「お元気そうで何よりですわ、ダンター様」
ちなみに鈴のようなシャルロッテの声は当然届いていないので、近くの衛兵が代わりにダンターというドワーフの耳元で伝言ゲームをしている。
腰をかがめてようやく届く子供のような背丈だが、顔にはたっぷりとヒゲを蓄えている。優しげな目元をしているが、大きくて丸い鼻以外のパーツはほとんど見えていない。
そして、子供とは比較にならないガッシリとした筋肉が全身に搭載されている。部屋の奥に彼らの背丈と同じくらいのサイズの槌や斧が飾られているが、決して飾りではないのだろう。
「ダンター様、今回の訪問なのですが、ご用件は伝わっておりましたか?」
「おぉ!こちらとしてもありがたいことよ。ヤーシャのとこの兄ちゃんが、わりぃ石をなんとかしてくれんだってな?」
瑛士は「聞いてない!」と叫んだのだが、その声はダンターには届かなかった。
ヤーシャ王が勝手に風呂敷を広げたのだろう。
シャルロッテとしては調査にきたのであって、解決は確約できないのだが、ダの国の中ではそういうことになっているらしい。
勝手なことを、と兄への怒りで彼女の背中が燃えてあがっていたので、瑛士はとりあえず前に出た。
営業がどんな甘い言葉を顧客に投げても、現実は現場で、現場は残酷だ。
手八丁だけでは生き残れない。手八丁に合わせて口八丁。
十八には足りないが、十六丁の十八番である。
「どの程度の改善ができるか、という見立てを見積もるためにまずは調査をさせていただきたく、まずは一週間ほどお時間を頂けますでしょうか?」
改善の調査のための見積もりのための見立てのえいやで三秒見積もりドン。
よくあるよくある。
さぁ、言ってしまったぞ。
「おう、期待してるぜ、あんちゃん!!」
不安げな空気は後ろから伝わるが、やることをやらねばならないのならやるしかないのである。
とりあえずメリルに滋養強壮に良い食べ物と飲み物を大量に用意してくれ、と伝えた。怒られた。
あぁ、翼を授けてくれる飲み物が恋しい日々が始まりそうだ。
* * * * *
ダの国との協働は、うまい具合にスタートしていた。
こと実務に関しては瑛士はかなりのやり手である。ドゥオルグ達ともすぐに仲良くなって、一緒に石をいじくり回しているそうなのだが……男達だけで勝手に予定を立てて、勝手にやりますと答えて進めてしまったのでは、シャルロッテのやることがなくなっていた。
本来であれば瑛士には調査にだけ専念してもらうつもりだった。
だが、交渉も自分でしてしまうのでは、何のために……。と悩みながら、彼女は与えられた部屋で悶々とだらだらしている。
つまり、暇なのだった。
「姫様。そのお姿は少々、問題があるかと」
「ドゥオルグは石から生まれて石に戻るんでしょ?はしたない格好してても何も起こらないわよ」
シャルロッテの言うとおり、ドゥオルグという種族は肉体的な交渉で子供を残さない。
石から石に還り、また新たなドゥオルグが生まれてくる。
ドゥオルグは背丈の小さな男しかいないが、それもあくまで人間から見て男と見えるだけで、ドゥオルグの中に男女の区別はない。
つまり、女としての態度など、ドゥオルグの前では関係ないのだ。
それは正しい。
しかし、いくら正しく暇であっても、ドゥオルグが自分たちの仕事にしか興味のない職人であっても、見えぬところでもしっかりしておかねばならないことはある。
例えば、今のだらしのない態度だ。
普段のドレスであれば問題はなかったが、昨今の流行になっている新型ドレスでは幾分問題があった。
シャルロッテに限らず、祭りの後から城内の流行には大きな変化が起きていた。
肌を見せるなど言語道断。華美なドレスで男を捕らえ、肉体を晒すのはしかるべきタイミングになってから。ドレスもピッタリと首元を覆うものや、足元に隙間も覗かないスカート。
それが普通だった。
では今のシャルロッテの着ているものは普通かというと、大違いであった。
肘までの手袋で肌を覆ってはいるものの、袖は半分、首どころか鎖骨がはっきりと晒されている。スカートもひざが隠れる程度の短さだ。
流行の原因はもちろん、サアラだった。
瑛士にダンスを見せたあの日、城内を駆けていったサアラの姿は多くの貴婦人方が目にしていた。
そしてその多くは無謀にも彼女を模したドレスを着こみ、惨敗した。
彼女の魅力はドレスだけによるものではない。
鍛えられた健康的な絶妙なプロポーションと、真似できないような見事な凹凸とくびれの為せる技だった。
ドレスで体を覆い隠していた貴婦人型が真似をしても、ただいやらしくなるか、そもそも食いつかれない肢体を晒すか。そのどちらかがほとんどだった。
それでもドレスの品質だけでは勝負できないような若い貴族の娘が、その美しさで年嵩の婦人と勝負できるようになっていた。ヤーシャの国を出る頃には若者と年長者の間で流行が別れるという珍しい事態に発展していた。
では何故、シャルロッテは、今それを着ているのか。
察して欲しい相手にはその気配もない。
部屋には他に誰もいないが、さすがに直接指摘するのは憚られて、メリルは遠回しに背を押した。
「そろそろ三日が経ちます。エンジ様の様子を見に行かれてはいかがですか?」
「瑛士の様子ねぇ。私が見に行く必要、あるかしら?」
「……珍しく悪い往生際をなんとかするためにも、是非お顔を見せるべきかと」
しかし、押しても引いてもビクともしない姫の反応に、メリルからもさすがに手厳しいコメントが漏れる。
シャルロッテの顔が奇妙な表情に歪んだ。
「いい加減、彼の前でもそうやって呼んであげたらいかがですか?」
「人前で公称以外を呼ぶのはだめでしょう?」
呼ぶつもりはない、とムダな嘘をつかないところは兄妹の美点だ。
だがしかし、理屈をこね回すことに慣れたこの妹は兄のような思い切りが足りない。ありすぎてもこまるが、全くないのも困りモノである。
いったいなぜ、瑛士以外に上流貴族の男性がいないこの旅に、このドレスを持ってきたのか。
意味はひとつしかなく考えるだけ時間の無駄だった。
「なぜ、そんなにエンジ様が人気なのでしょう」
「人気?侍女達の中でも?」
サアラの出現で、瑛士の奪い合いは過熱する一方だった。
あの美貌に迫られたら、落ちない男はいないだろう。サアラはリーチをかけているようなものだと見られていた。
ならば、落とされる前に落とすしかない。
「最近の女子の間では、エンジ様のような頼りない男性が人気なのですか?」
「いや、頼りなくはないでしょ。肉体的な意味では、その通りだけど」
メリルの元旦那は、ヤーシャ王と並んで最強の騎士と謳われたほどの男だった。
同時に、ヤーシャ王とは竹馬の友であり、シャルロッテからすれば似たもの同士の兄が二人いるようなものだった。
あのレベルで逞しい男が趣味なのであれば、瑛士はひょろひょろのもやし未満である。
メリルの評価が低いのも致し方ない。
と頭では納得出来ていたのだが、シャルロッテの口をついて出たのは瑛士へのフォローだった。
「戦士としては頼れないでしょうけど、彼の知力は頼もしいんじゃない?」
「そうですが、アレだけだらしないと、結婚しても大変だと思いますよ」
「そ、それは結婚してみないと分からないでしょ。責任感はあるようだし……」
「仕事の虫ですが、プライベートに関してはどうでしょうね」
「……」
公的な時間を除かれた話になると、シャルロッテは途端に口を噤んでしまった。
そう。それこそが、彼女の超えられない壁だった。
「私と三人でいる時も人前だというのでしたら、席を外しますが」
「待って!それは困る!」
「でしたら、いい加減ハッキリ決めないと手遅れになりますよ」
手遅れ……、とシャルロッテは顎に手をやって唸り始めた。
いろいろな意味で彼女はリードを取られている。
侍女達の熱烈な攻撃にはさすがに瑛士も自分の立場に自覚が出てきているようだった。
だが、彼の本当の名前を知っている人間はごくわずか。少なくともヤーシャ王、シャルロッテ、メリル、サアラ、その他数名の兵士のみが知るだけである。
せっかくジョーカーを持っているというのに、その札を切らない。切れない。余裕がないのに、他に攻め手もなく出し渋るのは、決断力が足りていないからだ。
瑛士が受け入れるかどうかではなく、それ以前に瑛士に踏み込んでいく彼女の覚悟が足りていない。
もちろんその理由が、ただの意気地なしだけではないことをメリルも分かっている。
彼女はソレをしっかりと解して……つまり、指摘して自覚させていった。
「引け目を感じていらっしゃるのですか?」
「もちろん。私とお兄様は、彼を巻き込んだ側だから」
「その負債は一生消えないでしょう。だったら、」
「分かってるわよ。私が決断するしかないんでしょ。分かってるから、悩んでるんじゃないの」
そしてシャルロッテは再び拗ねて、新しい石菓子を口に含んでガリガリと噛み始める。
味が染み出てくる不思議な鉱物なのだが、噛みすぎると顎を痛める。
さて、どうやってこのいじけた小娘を素直にさせたものかとメリルは無表情に無情な計算をしていたのだが、救いの手は向こうからやってきた。
コンコンとドアがノックされる。
失礼します、と声をかけてきたのはダナンだ。
目線をドアから戻すと、先程までのだらしなさを完全に隠した姫が居た。
「どうぞ」
メリルが許可を出すと、扉がそっと開いた。
身体だけ扉の向こうに見せ、部屋には入らない。直立したダナンは、さして緊張もせずに用件をつげた。
「シャルロッテ様。エンジ様がお呼びです」
エンジからシャルロッテを呼び出すのは初の出来事だった。
姫と義姉がぴんと身体を伸ばし、一瞬見つめ合ってから二度三度頷いて、猛烈に支度を始めた。
ダナンは一人扉の外に取り残され、あぁ、また何かに巻き込まれるのか、と一人嘆息した。




