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9.追跡

 

 しばらく二人は無言でベルトラムの後を追った。彼が向かっているのは王都の東部のようだ。徐々に道行く人々の格好もフリルやレースなどの装飾の少ない簡素なものになっていき、一方で話す言葉は騒がしくなっていく。道沿いには比較的安価な品を扱う、庶民的な商店が並ぶようになった。昼を過ぎてはいるが、パイを売る店先には数人の列ができており、香ばしい香りが漂ってくる。

 それに目もくれずベルトラムがどこへ向かうのかユリウスには検討もつかない。ジークムントはどう考えているのか、黙って歩くばかりの背中からは何も分からなかった。

 それから三十分ほど経った頃、ベルトラムがそれまで進んでいた大通りから突然折れて路地へと足を踏み入れる。道が狭くなったため気付かれないようにより慎重に、今までより少し距離をとって後を追う。時折外国人らしき人々と擦れ違うのを見るに、もう随分と王都東端の港に近いようだ。

 となると、『紫の淑女』が宝石商の手に渡り、そのまま海外へという可能性が高くなってくるのではないか――ユリウスは動悸が少しずつ強くなっていくのを感じる。

 路地の向こうから、耳慣れない言葉と旋律、拍子で陽気に歌う小麦色の肌の男達が数名連れ立って入ってきた。酔っているのか王都へ上陸したことに歓喜で胸を震わせているのか、狭い路地いっぱいに広がって手を打ちつつ歩いてくる彼らの中に無理矢理割り込んでベルトラムは進んでいく。ジークムントとユリウスも同様に男たちの間を帽子を押さえ、あるいは鞄を頭上に持ち上げて強引に進み、そこで二人同時に息を呑んだ。

「いない……」

 道の先にベルトラムの姿がない。一瞬の間に見失ってしまった。

「早く魔術で追跡するんだ」

 はい、と返事をしてユリウスは持っていた鞄を石畳に置き、四つんばいになる。擦れ違ったばかりの外国人たちがこちらを振り返って不思議そうに、しかし面白そうに口々に喚いているので、地面に這いつくばっているのが余計に恥ずかしいのだが致し方ない。

「第八十六に手繰られし細き糸のごとく輝き――」

 石畳に手をついたまま詠唱を紡ぐ。手のひらの下にそれぞれ紅色の文字で構成された魔導紋が浮かぶと、オオ、と外国人たちが見世物に驚いたような歓声を上げる。

「我が瞳を導け」

 十数秒の詠唱を終えると無事に魔導紋が消え、ユリウスの体にベルトラムへかけた魔術の感覚だけが残った。

「こっちです」

 鞄を持って立ち上がり、その感覚を手繰って足早に歩き始めると、ジークムントが後に付いてくる。外国人たちは思いがけない魔術にそれぞれに拍手し、にこにこと笑いながら彼らの向かう方へと歩き出していた。

 それから細い路地を何度も曲がり、薄っすらと海の匂いが鼻をくすぐるのを感じたとき、ようやくユリウスは足を止めた。

「ここです」

 辿りついた小さな倉庫らしき建物の周囲に人影はない。港近くだが、あまり人の寄り付かない場所であるらしい。密集する建物は全て小さな倉庫のようだがどれも古ぼけていて、路地はひどく薄暗い。

 ベルトラムの反応のある倉庫の扉は硬く閉められており、開けば内側からすぐに気付かれるだろう。

 倉庫の壁沿いに歩いて、裏手に窓が開いているのを見つけたジークムントが、ユリウスを手招きする。二人揃ってそっと覗けば、ベルトラムが見知らぬ男と顔をつき合わせているのが見える。

「よくやった助手、偉い」

「……あ……ありがとうございます」

 ジークムントのひそひそ声にやっと聞き取れるかどうかという囁きで返事をし、ユリウスは頬を薄く染めた。が、そんな様子に気付くことなくジークムントは既に倉庫の中に意識を集中している。

「……ても、たったあれだけ……破る……こんなに貰え……ありがたい……」

 薄暗い倉庫の中でベルトラムともう一人の男が話しているが、よく聞こえない。

「次回……あったときも……」

「……どうぞ、ご贔屓……」

 二人の男に気付かれないように、窓の下からそっと目だけ出して覗き、聞き耳も立ててはいるのだが、倉庫の中で何が行われているのかはっきりと把握できない。

「この……は、もう返して……」

 ベルトラムが脇に抱えていた木箱を男へと差し出した。男が受け取らずに何か答える。するとベルトラムが再び口を開く。

「二つもあると……ときに怪しまれ……」

「なるほ……いうことなら、引き取って……」

 男は了承したらしく。木箱を受け取った。

「まずいな」

 ジークムントが下唇を噛む。

「あの中に『紫の淑女』が入っていたら――」

「ど、どうしましょう、このままだと外国に」

 売られるかも、とユリウスが言っている間に、ジークムントが帽子を脱ぎ、彼の脇に置いてあった旅行鞄を開ける。ごそごそと中身を探りながらあごをしゃくって、ユリウスを促す。

「お前乗り込んで止めて来い」

「ええーっ? で、でも……もし僕が殿下の護衛だって後で分かったらまずいことに」

「だったら私が行く」

 ようやく鞄の中から探り当てた何か――赤い何かを手に、ジークムントはにやりと笑った。

「は? ちょ、行くって、ちょ、まっ」

 ユリウスの言葉に抑止力などない。ジークムントは赤い何かを顔に宛がいながら、すっくと立ち上がった。

「動くな!」

 高らかに響いた声は、倉庫の中の二人の注目を集めるには充分すぎる音量である。

「――な、何だ?」

 ベルトラムともう一人の男がぎょっとした顔で動きを止める。ジークムントは窓枠に手をつき、それを軽々と飛び越えた。すらりとした長身が倉庫の中へと舞い降りる。

 だめだ、僕なんかより殿下の方がよっぽど目立つ顔をしているのに、これじゃややこしいことになるじゃないか。ユリウスは血の気が引くのを感じた。

 が、ベルトラムの口から漏れた言葉はユリウスが想像したものとは違った。

「仮面……!?」

(え?)

 見上げれば、ジークムントの顔の上半分に赤い仮面が装着されている。色違いではあるが、まるで怪盗ハーゲンのようだ。

 ベルトラムたちも突然の闖入者にそう思ったのか、口々に怪盗ハーゲンの名を挙げた。

「ははははは、そうだぞー俺が怪盗ハーゲンなのだー」

 腰に手をあて、やけに胸を張ってジークムントが高笑いする。おかしな喋り方は、おそらく彼なりに正体を隠そうと、あるいは怪盗ハーゲンらしく振舞おうと思っているためなのだろう。

 完璧な美貌の持ち主だが役者向きではないらしい。ひどすぎる演技だ。

(いくらなんでもこれはない……!)

 怪盗ハーゲンが現れたというだけで、ベルトラムたちが突然ひざまずいて『紫の淑女』を差し出してくる。

 はずがない。

 そんなこと当然あるはずがない、

 ベルトラムは唇をきつく結び、すぐ側に立てかけてあった刺突剣(レイピア)を抜いてジークムントへと構えた。もう一人の男は木箱を慎重に抱えなおし、一歩下がって口を動かし始める。

(魔術師だ!)

 まずい、すぐにあの男の詠唱を止めなければ。そう思うユリウスだが、ここで自分の顔を見られれば、ジークムントがわざわざ仮面をして怪盗ハーゲンを装っているのに水を差してしまうかも――と、そんなことを考えている場合ではないにもかかわらず、正直いらない気を回してしまう。

 どうすればいい?

 周囲を見回したほんの一瞬の間にユリウスは鞄の隣に落ちている白いものに目を留めた。それを拾い、顔に宛がいながら伸び上がって、同時に履物(ズボン)の帯に隠していた小さな短剣を抜く。

 窓を飛び越えながら、詠唱を続ける男へとそれを投げる。

「うわあっ」

 狙い通り木箱に刺さった短剣に、それを抱えていた男は驚いて叫び声を挙げた。これで男の詠唱は破棄され、魔術の展開は止められた。また一から詠唱を始めるにしても、魔術の完成まで少なくとも数秒間は稼げるはずだ。

「なっ!」

 新たな招かざる客、それもやはり白の仮面を装着した男の乱入に驚き、ベルトラムは剣を突き出したままの格好で硬直した。薄暗い上に仮面の奥からでは見えづらいが、ユリウスは狙いを定め、左腰の剣を抜きつつ、ベルトラムへと突進した。彼が反応するより早く、刺突剣(レイピア)の根元、半球型の護拳へと剣先を合わせ、下から弾く。持ち主の手を離れ、上空へと跳ね上げられた刺突剣(レイピア)は走り込んできた怪盗ハーゲン、ではなく赤い仮面のジークムントの右手へと収まった。

「よくやったぞー!」

 歯を見せながら鋭い剣先をベルトラムの首に突きつけ、ジークムントが彼の動きを封じる。それを横目で確認しながら、ユリウスはもう一人の男へと向き直る。

「……炎の馬車が誘い」

 男が新たに開始している詠唱は既に完成が近い。聞こえた単語からして、炎を起こしユリウスの体を炭にするつもりのようだ。

「……っ」

 何か盾になるものがあれば――ユリウスはあるものに目をつけ、そのまま男へと踏み込んだ。

 剣の先端を勢いよく、男の抱えていた木箱へと突き刺す。そのまま剣を力一杯引き、驚愕している男の腕から木箱をさらった。

 男は目を見開きながらも、自身が紡ぐ詠唱の最後の言葉を止められなかった。そしてユリウスの腕も止まらない。木箱を先端に刺したままの剣を、自身の体の前へと水平に突き出して盾としているのだ。

「あーっ!」

 ジークムントの叫びに、ユリウスは我に返る。

 木箱の中に『紫の淑女』があったら?

「ああああああ!」

 ユリウスの絶叫虚しく、男の魔術の真正面に晒された木箱は深紅の炎に包まれた。そして、瞬時に灰と化し地面に落ちる。

 だが、垂直に差し出していた彼の剣と、ユリウス自身には何の傷もない。

 切っ先に刺さった箱が、刀身と彼を守ったのだ。

「箱?」

 木箱の中から現れたもう一つの木箱。炎に焼かれたせいですっかり外観が焦げてしまったそれにどこか見覚えがあるのだが、何なのか思い出せない。

「返せ!」

 剣に刺さったままの箱を奪い取ろうと男が腕を伸ばしてくる。剣を男から遠ざけながら、ユリウスはその腹に思い切り拳を打ち込んだ。また詠唱を始められてはやっかいだ。少し気を失ってもらうのが一番いい。男は意識を失い、倉庫の床に倒れ込んだ。

「あっ」

 ジークムントの叫びに振り返れば、隙を突かれてベルトラムが彼に掴みかかるところであった。

 ユリウスは思わずベルトラムに向かって剣を振るう。

「あ、しまった」

 その先端に刺さっていた木箱の存在を失念していた。案の定、木箱はベルトラムの脳天を直撃し、彼は低く呻きながら膝から崩れ落ちる。

 同時に木箱は刺さっていた部分から砕け、横たわったベルトラムの上に真っ二つに割れて落ちた。

「……割れた」

 ジークムントが膝を折り、仮面を外して割れた木箱を拾い上げる。ユリウスも急いでそれに倣い、残っていた破片を拾った。

「あああ、す、すみません! 僕のせいでこんな」

「『紫の淑女』がない」

 確かに彼の言う通り、割れた箱の中に宝石はない。周辺を見回したり、ベルトラムの体の下に手を突っ込んで探ってみたりしても見つからなかった。思い出してみるが、ベルトラムを殴って割れたときも、箱から宝石が零れ落ちるようなことはなかったはずだ。

「入ってなかった、のかな」

 割れた箱を覗き込めば、一部は内側まで熱を受け、中に張ってあったらしい布がすっかりくすんで駄目になっている一方で、一部には銀糸で刺繍を施した紺碧の布が美しい姿のまま残っている。その布張りが箱の正体をユリウスに教えた。

「あ! この箱! そうだ、これは侯爵夫人の宝石箱です! 道理で見覚えが」

「この箱は底が二重になっているのか? なぜ上側の層だけ焼けたんだ」

 驚愕で目を丸めるユリウスの傍らで、ジークムントが箱をためつすがめつ観察する。

 二層になっている上側の底面は、二人が侯爵夫人の部屋で『翠の騎士』を見せてもらったときに、その指輪が置かれていた部分に当たる。

 だが、その下部に何も入っていない空間がある。ただそういう構造の、箱の底を浅くするためだけの作りなのかと思ったが、それにしては遊びの空間にまで上等な布を張っているのが不思議だ。

 何より不可解なのは、ジークムントが口にした通り、上層部分は内側まで炎で焦げているのに、下層部分が側面も底面も美しい布張りを保ったままだということだ。

 なるほど、と呟いてジークムントは箱を手にしたまま立ち上がった。

「助手、この二人を縛り上げろ」

 ユリウスは若干躊躇ったものの、結局は命令どおり、倉庫の隅に置かれていた麻縄で二人を背中合わせに柱に括りつけた。その様子を眺めながらジークムントが訊ねる。

「ところでお前、せっかく持っているのに銃は使わないのか」

「いえ、撃ったら音を聞かれて騒ぎになるかもしれませんし、実際この人たちは宝石を持っていなかったし」

 右腰の小さな拳銃に手を触れ、ユリウスは首を振った。

「それにしても、なかなかやるじゃないか」

「い、いえ僕は……教科書どおりに……それに、また」

 ベルトラムがジークムントに掴みかかるより早く、無力化できなかった。褒められたところで、護衛としては役に立っていないのだ。だが、ユリウスの歯切れの悪い言葉を気にする風もなくジークムントは再び賞賛を口にした。

「先に魔術を止めたのは賢かった」

「それは……僕が考えたことではないです。学校で教えられたとおりにしただけで。魔術師を先に狙うのは定石です。もし魔術で眠らされでもしたら一貫の終わりですけど、剣での傷は魔術で止血できますから。あ、でも僕みたいな普通の協会員は、女王陛下がかつてされたみたいに腕を切り落とされても自分で魔術をかけて止血するようなことは絶対に無理――」

「さあ、王宮へ戻るか」

 つかつかと大股で出口へと向かうジークムントに、ユリウスは慌てて立ち上がる。

「うえっ? ま、待ってください、鞄が!」

 窓から出て鞄を始めとする荷物を拾い上げると、倉庫の正面扉から出てきたジークムントの背中を追った。

「で、殿下、いいんですか、あの倉庫をもっと調べなくて。もしかしたら『紫の淑女』がどこかに隠されているかもしれないですよ」

「それはない。ベルトラムが言っていただろう、二つもあると見つかったときに怪しまれるから返す、と」

「は?」

 一体何のことだ。訳が分からない。しかし上機嫌のジークムントはにやりと唇の端を歪め、ユリウスに鞄の中から布切れを出して自身が手にしている箱の破片を包むように命じた。それから辻馬車を拾うために二人は大きな通りを目指して歩き始めた。

 

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