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 三章


「おお、カップの柄まではっきり分かるぞ。東洋趣味だな、孔雀のような鳥が描かれている」

 はあ、と曖昧に答えながらユリウスは、隣で膝立ちになっているジークムントを見た。

 彼は窓辺に支えを使って置いた――しかも筒の部分に細やかな装飾の施された望遠鏡を右目で熱心に覗き込んで興奮気味に実況している。彼が観察しているのは向こうの棟にあるライニンゲン侯爵夫人の部屋だ。

 望遠鏡から目を離し、ジークムントは覗き口をユリウスに譲った。疲れたから変われということなのだろう。おとなしく従い、ユリウスは望遠鏡を覗く。

 拡大された視界の中、赤い衣装で着飾った侯爵夫人が昼食後の珈琲の給仕を受けている。ジークムントの言ったとおり、極彩色で描かれた東洋風のカップに注がれた珈琲をゆったりと、一昨日の盗難騒ぎなどすっかり忘れてしまったように味わっていた。

「望遠鏡を持ってきてよかっただろう。探偵にはいい道具も必要だ」

「でも殿下、無理にこれを使わなくても肉眼である程度見えますけど……」

 向こうの棟とは言っても、今ユリウスたちが覗いている建物から侯爵夫人の部屋までの距離は遠くない。それを敢えて小型のものとは言え望遠鏡で覗きたがる辺り、ジークムントは探偵らしさにこだわっているようだ。

 ユリウスの言葉を黙殺し、彼は蓋付きのかごから、薄く切った大型パン二枚に切り落としの肉や野菜を挟んだものを取り出してかぶりついた。もう一方の手で同じものをユリウスに手渡してくる。

「いつ動きがあるか分からないからな。食べられる時に食べておかないと」

「あ、すみません、ありがとうございます」

 パンを受け取り、ユリウスはくつろぐ侯爵夫人を望遠鏡越しに監視しながらそれを頬張った。

「あのー」

 遠慮がちにかけられた声に二人して振り返れば、貧相な体つきの男が困り顔で立っている。

「一体いつ頃まで、こちらにいらっしゃるのでしょう」

 男は丁寧な言葉を選んで迷惑そうな色を隠そうとしているようだが、口調にはそれがはっきりとにじんでいた。

 それもそうだろう。宮廷画家である彼の部屋へ、侯爵夫人の部屋を見張るにはここが一番いい場所だと言って無理矢理乗り込んで、朝早くから昼過ぎの現在まで窓辺に陣取っているのである。迷惑でないはずがない。ユリウスは口の中のパンを急いで飲み込み、謝罪した。

「あ、す、すみません」

「助手、何を謝る必要がある。画家君、君は午前中、朝の礼拝が終わってからずっと兄上の肖像画を描きに行っていたじゃないか。兄上の昼食が終わればまた行くんだろう」

「それはそうですが、午後はルートヴィヒ殿下のご予定があるので、早めに帰ってきますし……」

 パンを握っていない左手の人差し指を立て、ジークムントは眉尻を上げた。

「いいか、これは調査だ。盗難事件解決のためだ。それに後々私の活躍が発表された際には監視用の部屋を提供したとして君の名も本に載るんだ」

「は、はあ……」

 納得したようなしていないような画家の声を受けながら、ジークムントはユリウスが手を離した望遠鏡を覗き込む。

「いいか、画家君、我々が夫人をこうして監視をすることで――あっ!」

「何ですか?」

 ユリウスが肉眼で侯爵夫人の部屋の窓を見れば、男の姿がある。給仕ではなさそうだ。侯爵夫人より少々若そうな二十代の男で、あまり華美ではないものの貴族のような格好をしている。

「誰だ?」

 訊かれてもユリウスに分かるはずがない。宮廷画家がユリウスの背後から侯爵夫人の部屋を覗き見て答えた。

「ああ、モーリッツ・ベルトラム様ですね」

「それは……あ、もしかして侯爵夫人の愛人の」

「はい。宮廷画家などしていると色々と噂は耳に入ってきますが、そうでなくても彼は有名ですから、皆さんご存知でしょう」

 ユリウスの言葉に、ジークムントは反応しない。黙り込んで望遠鏡を覗き込んでいる。

「ふうん。助手、鞄を持て」

「え? え、鞄?」

 早く、と急かされユリウスは望遠鏡以外にもまだ何が入っているのか、重い旅行鞄を手にして膝立ちになった。

「画家君、パンはくれてやるが望遠鏡は(のち)に回収しに来る。それまで預かっておくように」

 それだけ言うと、画家の了承の言葉も待たずにジークムントは立ち上がり、部屋を飛び出る。ぽかんとした画家に謝罪を告げてからそれを追いかけ、ユリウスは訊ねた。

「ど、どうしたんですか殿下、何が」

「動いたかもしれない」

 何が、と訊いてもおそらく返答はないはずだ。そう考えながらユリウスは、重い鞄を取り落とさないようにジークムントの後を追う。すぐに建物の外に出た二人は、先程まで見張っていた建物から、右手に簡素な木箱を抱えた一人の男が出てくるのを見つけた。ついさっき見た顔だ。

「あ、侯爵夫人の」

 ジークムントは速度を緩め、ベルトラムに気付かれない距離をとってその後に続く。

「もしかして、あの人を追うんですか?」

「昨夕、出入り検査の横で警備部に依頼した。この検査、あと少なくとも半年は続けるとライニンゲン侯爵夫人の耳に入れて欲しい、と。今日、朝食が済む頃にできるだけ自然に彼女が知るように」

「それはどういう」

「検査が長引くと聞けば、侯爵夫人はそんなに待っていられるかと動き出すかもしれない。だが昨日中に夫人の耳に入れれば、昨日の夜急に動き出さないとも限らないだろう。夜は王宮の出入りそのものが禁じられるから動けはしないだろうが、念には念を。今日の朝聞けば、午後か明日動く可能性が高くなるかと思ったが、まさかここまで狙い通りに行くとは」

 滑らかな口調でそう説明するジークムントの横顔には神妙な表情が浮かんでおり、その作りの美しさと相まって、まるで神話に登場する賢者が民衆を導くための言葉を紡いでいるかのようにさえ思える。

(……探偵って自分で言うだけあって、思ったより賢いのかな)

 ただの馬鹿だと思ってすみませんでした、とは思うだけに留めておいた。

 もちろんそれが失礼な内容だから口にできなかったというのもあるが、今までの言動を見るにやはりある意味で馬鹿であることもまた事実だろうとユリウスには思われたからだ。

 それにしてもジークムントの機嫌がすこぶるよい。今にも鼻歌を歌って駆け出しそうなほどに頬を緩めてベルトラムの後を追っている。何か嫌な予感がしないでもない。ユリウスは世間話でもするようにそれとなく切り出した。

「あの、殿下、とてもご機嫌でいらっしゃいますね」

 ふふ、とジークムントは笑った。

「昨日面白いことが起きたと、今朝気付いたんだ」

「面白いこと?」

「鍵が盗まれた」

「鍵ですか……?」

 未だ話が見えてこないユリウスの鼻先に指を突きつけ、ジークムントは片目を瞑ってみせる。そんなことをされたところで、女であれば胸をときめかせ、彼の話に引き込まれるのかもしれないが、ユリウスはただ当惑するだけだ。

「昨日侯爵夫人の部屋で鍵を見せてもらっただろう。あれを返すとき、合鍵の方を私の鍵とすり替えたんだ。あの後それを腰から提げていたんだが、今朝になってないことに気付いた」

「――っ!」

 叫び声を上げそうになるのを慌てて抑え、気付かれていはいないだろうかと前を行くベルトラムの後姿をちらりと見た。しかし彼は木箱を抱えたまま変わらない速度で歩んでいる。ほっとしながらもユリウスは更に声を潜め、ジークムントに詰め寄った。

「鍵をすり替えたって――いや、それに盗まれたって、大変じゃないですか、一体どこで」

「怪盗ハーゲン。多分、あの男だ」

「な……」

 絶句するユリウスの顔を、ジークムントが面白い形の野菜でも見るような顔で見ている。

「襲われたときに盗られたってことですか? だったら大変じゃないですか、怪盗が侯爵夫人の部屋の鍵を持ってるってことは、いつでも盗みに入れるってことですよ。何で侯爵夫人に知らせなかったんですか」

「そもそも盗まれたのが知られたら、私が勝手に侯爵夫人の部屋を調べようと思って鍵をすり替えたのが分かるじゃないか。そんなこと言ってみろ、母上の耳に入って叩かれるし、侯爵夫人は宝石をしばらく隠して動かなくなる。狂言泥棒を暴くのが難しくなる」

「……でも、大体狂言だって決まった訳じゃないですよ。それに僕たちが離れてる間に怪盗ハーゲンが何か盗みに来たら」

 侯爵夫人の居室のある棟を振り返るユリウスに、ジークムントはにやにやと笑むばかりだ。

「それはそれで面白い。どうせ私たちがあそこで張っていても、昨日の結果からして怪盗ハーゲンにまんまと出し抜かれるに決まっている。それならいっそ、怪盗が何かしでかしてから首を突っ込んだ方が探偵らしくていい」

「本当に無茶苦茶ですよ!」

 ベルトラムはひそひそと話す二人の存在に気付く様子もないまま、王宮の門を目指して進み、荷物及び身体検査場へと到着した。時間帯の問題なのか、混雑していた昨日に比べ、今日は二、三人しか列に並んでいない。

 二人は列の後方、大きな彫像の台座の影に隠れてベルトラムが検査を受ける様を見つめる。げっそりとした顔の協会員が二人、彼から手荷物の木箱を受け取った。

 片方が箱を開け、中に入っているものを調べているようだが、ユリウスたちの位置からは中身までは見えない。もう一人の協会員が短い詠唱を始め、ベルトラムの足の下に白い円形の魔導紋を展開したが、それはすぐに消えた。

「……魔術には何も反応がなかったみたいですね。『紫の淑女』は持ってないのかな」

 二人が検査の様子をよく見ようと台座の影から身を乗り出そうとしたとき、ベルトラムの上着を検査していた協会員がよく通る声で言った。

「いやあすみませんねえ。何もお持ちではないと分かってはいるんですけど一応ね。わずらわしい検査でご迷惑をお掛けしています。もうすぐ、すみますからね、もうすぐ!」

 言いながら、協会員はちらりとユリウスへ視線を送った。

 こちらの存在に気付かれていたことに驚きながらも、ユリウスは大きく息を吸い込んだ。検査では何も出てこないが、こいつは怪しい、何とかしなければならない、我々はここを動けないのだから何とかしてくれ、とあの協会員たちは言っているのだろう。

 確かにあの男が宝石を持ち出してしまえば、売られてもう戻ってこなくなるに違いない。どうにかしてあの男を止めなければ。そうは思うのだが、ユリウスにはどうすればよいのか思いつかない。

「何も持っていない、か」

 ジークムントは考え込むように腕を組んだ。彼の頭にもよい方法が浮かばないようだ。ジークムントが出て行ってベルトラムを止めれば、確かにそこで彼は足を止めざるを得ないだろう。だが、もし彼の持ち物から宝石が出てこなければややこしいことになってしまう。

(いや、だったらいっそ王宮の外で動きを見張れば――)

 ユリウスは唾を飲み込み、小さく口動かす。制服の上着を脱ぎ捨ててぼそぼそと自身だけに聞こえる言葉を紡ぎ、それが八割方唱えられた時点で台座の影から飛び出した。走りながら詠唱を続け、ちょうど魔術が完成するその瞬間、検査を無事終えようとしているベルトラムの肩に体当たりする。

「すっ、すみません! 大丈夫ですか、急いでいたもので!」

「あ、ああ」

 ベルトラムのいぶかしむ目つきを受けながら、ユリウスは合図を送って来た協会員に向き直る。

「先輩、すみません! 探したんですが上着がどうしても見つからなくて!」

「ば――馬鹿野郎、陛下の(しもべ)が制服の上着もなしに仕事になるか、とっとと本部でもどこでも行って借りて来い!」

「すみません!」

 ユリウスは協会員に謝り、すぐに来た道を走って引き返す。背後をそっと振り返り、ベルトラムが木箱を手に王宮の門を出たのを確認して台座の後ろに飛び込む。いつの間にか、つばの広い流行遅れの帽子を被っていたジークムントに声をかけた。

「追いましょう!」

 頷いて歩き出したジークムントの後を、重い鞄と上着を持って続く。二人はそ知らぬ顔を装う協会員の脇を抜けて小走りに門を出る。

「お前、何をしたんだ」

「止められないなら王宮の外で動きを見張ろうと思って……追跡用に微弱な魔術をかけました。姿を見失っても近くであれば追えます」

 ジークムントが不思議そうに首を傾げる。

「なぜ止める必要があるんだ」

「え、だって宝石を持ち出されるかもしれないんですよ。止めないと」

「検査で引っかからないのに、止めたところで私たちが宝石を見つけられる訳がない。外で怪しい動きをしないか見張る方が得策だ」

 ジークムントは最初からベルトラムを王宮から出すつもりだったのだ。慌てたのは自分ばかりだったと気付き、ユリウスは疲労の息を吐いた。

「それにしても、追跡用の魔術か。よくやった、助手。なかなか有能だな」

「え?」

 ユリウスはきょとんとし、数度瞬いた。

(褒められた?)

 昨日の怪盗ハーゲン相手の失態のせいで、役立たずだと思われているとばかり考えていたユリウスには、意外すぎる言葉だった。

「い、いえ、僕は――」

「何をしてる。早く来い」

 思わず立ち止まってしまったユリウスは、急いでジークムントを追いかけた。

「追跡に魔術が使えるとは、便利だな。魔術で何でもできるじゃないか」

 ジークムントの言葉は否定せざるを得ない。

「いえ、何でもということはないです。むしろ魔術でできないことの方が多いですし、魔術を発生させるのに必要な魔導力も限られてますから、難度にもよりますけど魔術一回でもそれなりに疲れますし」

 そうなのか、と意外そうな声を出しながらもジークムントはベルトラムの背中から目を離さず、一定の距離を保って歩いていく。

 ジークムントが目深に被った古臭い帽子と、ユリウスの抱えた旅行鞄のお陰で、道行く人々にとって二人は王都へ出てきたばかりの田舎貴族の子弟とその従者に見えることだろう。

 王宮近くの大通りは馬車や人は多くそれなりに混み合っているものの、周囲の建物が大規模な聖堂、中央図書館、王立の病院と、どちらかと言うと上流階級に馴染みのある場所ばかりであるため、行きかう人々や馬車も上品な見かけで、表面的には上品な仕草を装っている。

 そのため、重い鞄を抱えながらもベルトラムを追うのはそう難しいことではない。尾行のため少々周囲への気遣いを疎かにしながら歩いても、ちょっと嫌な顔をされる程度ですむ。

 気取った若い婦人とその荷物を大量に抱えて後ろを歩く従者を避け、ユリウスは言った。

「それに、剣を盾や甲冑で防ぐみたいに、魔術だって対策を講じられると効果が薄くなったりなくなったりします。僕がさっきかけた魔術も、かけられた本人が魔術師でないから大丈夫でしたけど、魔術師相手にだったらすぐに気付かれて失敗してました。もうかけ終わっているので、魔術師が近寄っても余程鼻の利く人じゃないと勘付かれないはずですけど」

「ふうん、そんなものか」

 ジークムントの相槌にあまり熱意はない。が、ユリウスは魔術で何でもできるという一般的な勘違いに対して常々感じている腹立たしさから言葉を続けた。

「そうです。魔術を使えない人は便利だって言いますけど、そうでもないんですよ。それに魔術師は税金も人並み以上ですし、移動や転居だって場合によっては届け出ても許可が下りないし、色々生活に制限もあって不便なんです。魔術もかなり研究が進んでいて、魔術の痕跡を辿るのもかなり精度が上がっていますし、盗みや殺人なんて悪いことに使ったら案外すぐ捕まりますよ。しかも魔術師には厳罰が科せられるんです。あと、最近は対魔術素材なんていうものまでできてます。すごく高価なものでなかなか手の出せるものではないですけど、木材や石材なんかで、魔術を跳ね返したり、透過しなかったり、魔術の痕跡を辿る魔術なんか意味がないっていうものもできてて、そんなものが量産されて防具なんか作られたら兵器としての魔術は終わりですよ。そうなったら僕たち協会員は陛下の(しもべ)としてどうやって――」

「ふうん」

 適当な返事に、ユリウスはぼそっと呟く。

「全然聞いてないですよね殿下」

「ふうん」

 やはり聞いていないようだ。ユリウスは諦めて口を閉ざす。

 

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