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6.対決、怪盗ハーゲン

 

 先程通ってきた庭の中を行く道を宮殿の方角、南へと向かって二人は歩いている。二歩先を行くジークムントの背中を追いかけながら、ユリウスは訊ねた。

「次は何を調査されますか?」

「今日のところは一度、離宮へ戻ろうかと思う」

「離宮? って、黒曜宮のことですか?」

 王宮の外、西部にその黒曜宮――基本的には離宮とよばれるその屋敷はあった。そこに何か調べるものがあるのだろうか。

「離宮に何かあるのですか?」

「私の家がある」

「え、離宮に住んでいらっしゃるのですか?」

「少し前から。こんな堅苦しいところにすんでいたら探偵がやりにくい。探偵をしているのを母上に見つかったら頭を叩かれてしまう」

 それはそうだろう。自分の息子がご婦人の部屋にずかずか入って金庫や箪笥を無断で無節操に開け、下着の中を探ろうとしているなどと知ったら、大概の母親は怒るに決まっている。

 ただでさえ変人と名高いジークムントのこと、もともと母である女王に普段から目をつけられているはずで、確かに王宮内部では息苦しいのだろう。

「助手も怒られたくはないだろう」

「ええっ、ぼ、僕も怒られるんですか……?」

「ライニンゲン侯爵夫人――」

 唐突に二人の耳に入ってきたのは、風に乗って届いた言葉である。見れば、植え込みの少し向こうの東屋で貴族の男女が三名談笑している。ジークムントは一度ユリウスを見、すぐに腰をかがめて植え込みの影に隠れて東屋に忍び寄っていく。ユリウスもそれに続いた。二人の女と一人の男は彼らに気付かず大きな声で話している。

「あの人もこれで少しは懲りたのではなくて」

「そうよ、ご自慢の宝石が盗まれたのですもの。しばらくはしおらしくしているでしょう」

「まあ、あれだけ自慢して回っていれば、それは盗んでくださいと言っているようなものですから」

 男の声に、水色の衣装の少し赤茶けた髪の女が笑った。

「いい気味だわ」

「田舎娘の下種な自慢を聞かなくていいと思うと私、今朝の目覚めも爽快で」

「まあ、今朝と言っても昼過ぎだったでしょう、起きたのは。昨日日が昇るまでカードで一緒に遊んでいたのですもの」

「そうでした」

「おや、あれは」

 男が視線を向けた方から、赤い衣装で派手に着飾った女が歩いてくるのが見えた。東屋の三名と同じで、三十過ぎというところだろう。ただ、東屋の骨ばった女二人よりは大分ふくよかで健康的な肉付きだ。

「あら、ブタ女」

「あのブタちゃん、また胸が大きくなったと自慢していましたわ。太っただけですのに」

 冷笑しながら三人は、歩いてくる女に親しげに手を振っている。赤い衣装の女が東屋に到着すると、四人はそれぞれ挨拶を交わしてまた話を始める。今まで赤い衣装の女の陰口を叩いていたとは思えない和やかな空気で彼らの周りは満たされている。

 しかしすぐに、東屋の向こう側に控えていた従者が一人、懐中時計を片手に進み出て、水色の女に声をかけた。

「あら、もう? ごめんなさい、私そろそろお暇するわ」

「まあ、残念。ではまた」

 口々に別れの挨拶を述べ、水色の女が東屋を後にすると、残った女が扇を開いて口を覆った。眉をひそめながらも扇の裏で笑いを零す。

「ご存知? あの方、新しい愛人ができたのですって。きっと今からその相手と」

「おや、それは初耳ですね。どなたです」

「ゾルムス=バールト伯爵ですわ。あの馬面の」

「まああ、信じられない。あんな不細工を好き好んで愛人にするなんて。伯爵はあっちの方も馬並みなのかしら」

「お似合いではないですか。彼女のにんじんのような赤毛には」

 くすくすと笑いながら、三人は立ち上がり東屋を後にした。彼らが充分離れた頃ようやくジークムントも植え込みの影から立つ。彼は今聞いた話に特に何も感じていないような顔をしている。

「結局ライニンゲン侯爵夫人のことは何も聞けなかったな」

「………………」

 ユリウスは立ち上がりながらも黙っていた。侯爵夫人どころではなかったからだ。

 とんでもないところに来てしまったと、彼は気分を悪くしていた。陰口を叩きながらその本人に親しく手を振り、一人抜ければ今度はその女の陰口である。ひどく陰湿な部分を垣間見てしまった。

 確かに協会の教育部でも野心を抱いた生徒は多く、敵対心を剥き出しに特定の相手に対する者もいた。しかしそれと今見たのとは全く違ったものだ。先程の貴族たちは宣戦布告をせず、むしろ戦っているという意識すら持たずに互いに刃で切りつけあっている。陰険な蹴落とし合いを苦手だと感じていたユリウスだが、正直自身の陰険という単語に対する認識が少々甘かったと思わざるを得ない。

(嫌だな、こんな空気は……)

 その表面的な華やかな空気も、その下にへばりついたじめじめとした悪意も、どちらも王宮を構成する不可欠要素なのだ。それらを息苦しく感じるユリウスは、自身がいかに宮仕えに向いていないか改めて理解した。

(こんなところ、好きじゃない。こんなところ、僕みたいなのがいるべきじゃないんだ)

 彼は制服の立折襟と首の間に指を入れて引っ張り、新鮮な空気を胸にいっぱい吸い込む。それを見ていたジークムントがぽつりと呟く。

「早く帰ろう。今日は少し疲れた。食事をしてゆっくり眠りたい。そうしたら明日も改めていい調査ができる」

「はい」

 首を軽く回しながら歩いていくジークムントに付いて行きながら、ユリウスもその言葉に内心同意した。

(本当に疲れたな。今日はゆっくり休もう。それで、明日から助手として調査を頑張らないと……)

「って、何やる気になってるんだ僕は!」

 自分で考えたことを叫んで打ち消す。ジークムントが振り返り、眉をひそめた。

「どうした。何を一人で叫んでいるんだ」

「う、いえ、何でもありません!」

 そうか、と短く言ってジークムントは再び歩き始めた。その後を追いながらユリウスは顔の右半分を手で覆う。

(冗談じゃないぞ、助手なんて、いや護衛なんて!)

 護衛を務められる人間なはずがない、とユリウスは自身を評した。

(僕は他の二人とは違う……)

 ルートヴィヒ第一王子殿下の護衛のオスカーは、その協会員としての実力の程は分からないが、とにかく美しい青年だ。どんなに煌びやかに着飾った貴族の令嬢や御曹司の中にいても見劣りしないどころか、誰もが彼に注目するだろう。

 女王陛下の夫君である王配殿下――その護衛フランツは、いくつもの功績を挙げ、協会の中で長く要職を務めてきた、誰もが認めざるを得ない実力を持っている。恐ろしいほどに情報通であるところに、ユリウスもその一端を垣間見た。その上、ジークムントと気さくに会話できる性格でもあるようだ。

 二人ともこの息苦しく怖ろしい王宮で充分にやっていけるだけのものを持っている。

(なのに僕は)

 何もないではないか。

 他人に誇れる見た目も、実力もない。緊張してすぐにおどおどするし、王宮の貴族連中と渡り合えるような度胸も器用さもない。

 ならばなぜここにいるのか。

「あの、殿下……」

「うん」

 前を向いたまま答えるジークムントに、ユリウスは顔をしかめて訊ねた。

「どうして僕を――」

 言葉を途中で飲み込み、ユリウスは反射的に地を蹴った。ジークムントから十歩ほど右手に離れた植え込みから、何か小さな塊が彼に向かって飛んでくるのが見えたからだ。

「伏せて!」

 叫びながらその言葉が終わるよりも早くジークムントの体に抱きつき、道の上に押し倒そうとする。

「……っ!」

 べちゃり、と湿った音がしてユリウスの右肩に何かが当たった。痛みも衝撃もないそれを――あったとしてもそうしなければならないのだが――無視し、ユリウスはジークムントを地面に伏せさせてから目にも留まらぬ速さで起き上がる。左腰の剣を右手で抜きながら、口の中で小さく詠唱を始める。

「第二十三の炎の揺らめきを凍らせ――」

 詠唱を紡ぎながら、倒れたままのジークムントを背中に庇うように右膝を立たせ、抜いた剣を手に植え込みを睨む。

「金剛石の硬き……っ」

 植え込みから飛び出してきた黒い影が白刃を手に突進してくる。ユリウスは勢い良く跳ね上がり、愛用の剣を手に影へと向かう。

 刹那、影とユリウスの刃がその輝く身をぶつけ、甲高い音が青空の下に響いた。

 影のように見えていたものは、一人の男だった。頭髪から靴まで全身黒尽くめのその男の顔の上半分は、やはり漆黒のもので覆われている。

(仮面?)

 その男の顔を覆っているのは、仮面舞踏会で使用されるような目の部分を隠す仮面だ。

(暗殺者か何かか……?)

 ユリウスは背後でまだ倒れたままのジークムントへと逃走を呼びかけたいのだが、声を出すことができない。途中で魔術の詠唱を止めてあるからだ。ここで声を出してしまえば、詠唱は破棄されて魔術をまた一から構築しなおさなければならない。それはジークムントを庇うユリウスにとってひどく不利な状況になってしまう。

 仮面の男の刃を受けたまま、ユリウスはジークムントへ視線で合図しようとほんの少しだけ顔を動かした、その瞬間――

「!」

 それまで強引に押していた仮面の男の刃が不意に力を失い、その刀身を引く。虚を衝かれ、思わず体ががくりと前のめりになったユリウスの左の横っ面を、何かが乱暴に張り倒した。

 倒れながらも、それが仮面の男の足だったことを悟り、ユリウスは歯を食いしばった。地面に体が叩きつけられる衝撃で声が漏れそうになるのを堪え、すぐさま体を起こす。

「……刃のごとく研ぎて」

 詠唱を再開するユリウスの目の前で、仮面の男が黒い手袋に包まれた左手を、起き上がろうとしているジークムントへと伸ばす。

(殿下!)

 黒い手がジークムントの腰に触れると同時に、ユリウスは喉が裂けんばかりの声を張り上げた。

「燃える征矢(そや)とせん!」

 詠唱終了の瞬間、ユリウスの眼前に白い円形の魔導紋が現れ、その中心から炎で構成された矢が一条、仮面の男の漆黒へと吸い込まれるように放たれた。

 当たった、と思った。

 が、それは男の黒い外套をかすめただけで相手に何の傷も与えなかった。狙いが外れたのではない。男が人間業とは思えない速さで身を翻し、背後へと飛び下がったのだ。

(展開を……!)

 炎の矢を違う形に変え、追撃すべく更なる詠唱を紡ごうとしたが一足遅い。矢はその形を保てずに霧散した。

 しかし男をジークムントから離すことには成功した。男に突き飛ばされ、再び地面に倒れていたジークムントの前に体を滑り込ませ、ユリウスは片膝をついて主を背に庇った。

「怪盗などにやらせるものか……!」

 無意識に、ユリウスは相対する男へとそう言い放った。

「――――」

 男は、黒に囲まれて異様に白く浮き上がった顔の下半分を歪ませる。それはユリウスには微笑みに見えた。

 いぶかしむユリウスに男は背を見せ、疾走し始める。

「あっ!」

 逃げるつもりだと気付いたユリウスは立ち上がって駆けようとしたが、すぐに足を止めて振り返る。今はジークムントの無事の確認が先だと気付いたからだ。

「きゃあっ」

 悲鳴のする方を見れば、若い女中が尻餅をついたその向こうを、仮面の男が駆けて行く。男は彼の身長より高い金属性の柵を、片手を補助に一足で飛び越えて木々の向こうに姿を消してしまった。

「痛い……」

 腹立たしそうに呻きながらジークムントが起き上がろうとする。ユリウスは急いでそれを支え、立ち上がるのに手を貸した。

「殿下、お怪我は」

「そこの君、大丈夫か」

 ジークムントが声をかけたのは、既に地面から立ち上がっていた女中である。

「あ、あの、今のは一体……?」

 可愛らしい顔の女中は動転した様子で周囲を見回している。

「安心しろ。実は今度離宮でやる夜会の出し物の稽古をこっそりしていたんだ。皆には内緒にして欲しい。しかし驚かせて悪かった。誰もいないと思っていたものだから。怪我はないか」

「まあ、そうだったのですか。私こそ申し訳ございません、大きな声を出してしまって――ご心配をお掛けしました。驚いて勝手に尻餅をついてしまっただけで、怪我はございません」

 女中は丁寧にお辞儀をして、それから芝生の上に散らばった白い洗濯物を拾い始める。

「手伝ってやれ」

 ジークムントの言葉にユリウスは躊躇ったが、結局彼を支える手を離して女中に駆け寄った。

 が、すぐに顔を赤くする。洗濯物が女性の下着だったからだ。女中も困ったように笑う。ユリウスが転がっていた大きなかごを広い、女中の前に置いてやると、彼女とその隣で下着を拾っていたジークムントがその中に集めた下着を入れた。

「まあ、申し訳ございません! 殿下にこんなことを手伝っていただくなんて。ありがとうございます、なんてお優しい」

「洗濯物が汚れてしまったか」

「いいえ、大丈夫ですわ、殿下。芝生の上でしたから、ほとんど汚れていません。それに少々汚れていても構いません、意地悪で押し付けられた洗濯物ですもの」

「意地悪?」

 ユリウスがつい聞き返すと、女中の目がきらりと輝いた。

「そうです。使ってもいない下着を洗うようにと、昨日の夕方突然押し付けられたのです。大変でしたわ、こんなにたくさん。私だってそう暇ではありませんからね、他にも色々やらなければならないことがたくさんあるのに。他の子に手伝ってもらうのも悪いし、夜洗って干して、やっと今取り込んだところで。ですから少々汚れても、それは女神様が意地悪なライニンゲン侯爵夫人に罰をお与えになったのだと思います」

 ライニンゲン侯爵夫人という言葉に、ついユリウスはジークムントを見上げた。彼も女中の言葉に注目したようで、興奮しながらもそれを抑え、慎重に探るように口を開く。

「聞いた話だが、彼女は人使いが荒いそうだな」

「そうですわ。あれこれと注文が多くて。でも今回のような、使ってない下着を洗えなんていう意地悪は初めてです。悪い噂も多くてあの方を嫌っている女中も多いし、あの方も女中と折り合いはよくないけれど、これでも私は上手くやっていたと思ったのに、何か気に触ることをしてしまったのかしら――あっ、申し訳ございません、殿下になんてお話を、失礼します!」

 女中は喋りすぎたとやっと気付いたのか、慌ててかごを持ち上げ、小走りに建物の方へと行ってしまった。

「悪い噂……」

「大した話も聞けなかったな。まあ、聞いたところで、どうせフランツに聞いたのと変わらないだろうけど」

 ジークムントが言うのを見上げ、ユリウスはおずおずと聞いた。

「殿下、お怪我は」

「ない。ただあちこち倒され掴まれ、乱暴に扱われて、猟犬共にがっつかれる餌になった気分だ」

「申し訳ございません!」

 咄嗟のこととは言え、思い切り地面に突き飛ばしてしまったのだ。このわがままな王子相手ならば怒りを買っても仕方がない。顔を伏せて叱咤を待つ。

「ほら、汚れている」

 だが怒りの代わりにユリウスへと与えられたのは、何かが右肩にそっと触れる感覚だった。見れば、ジークムントが白い布を手に、ユリウスの制服の肩から二の腕にかけてべったりと付着した粘度の高い液体を拭っている。

「何だこれは。卵か」

「で、殿下! そんな、お止めください!」

 身をよじって逃げると、ジークムントは眉をひそめた。

「そのままにしておくと汚い」

「じ、自分でしますから――あ」

 ユリウスは驚愕の事実に気付き、顔から血の気が引いた。ジークムントが手にしているその白い布は、つい今まで彼が首にしていたスカーフだったからだ。

「なん、殿下、何を、それ!」

 ああ、とジークムントは事も無げにスカーフを見る。

「他に拭くものがないんだ。袖で拭っても仕方がないし」

「そっ……そういう問題じゃないですよ、大体それだったら僕のを使えば……」

 ジークムントはユリウスに汚れたスカーフを押し付けて肩をすくめる。

「助手がだらしない格好をしていたら探偵の沽券に関わるだろう」

「だからってそんな」

 うるさいなと多分に苛立ちを含んだ声で呟き、ジークムントはユリウスから顔を背け――突然目を見張った。

「あれは」

 ユリウスが彼の視線の先を追えば、先程ジークムントが倒れていた場所に白いものが落ちている。近付いて拾い上げれば、一枚のカードであった。何気なく裏返すと、そこには蔦のような模様で囲まれた短い文章が書かれている。

「……『殿下、無実の罪に押し潰されそうです 怪盗ハーゲン』――これって!」

「うん?」

 いきなりジークムントが腕を伸ばし、ユリウスの腰の剣帯を掴む。

「うわ、何を」

 ユリウスが驚いている間にジークムントはさっさと手を離したが、そこには白いカードが握られている。

「挟んであったぞ。何々――『子犬ちゃん、お手並み拝見 怪盗ハーゲン』……ふ、あはは、子犬ちゃん! 子犬ちゃん!」

「はあ!?」

 ユリウスは腹を抱えて笑うジークムントからカードを奪い取り、そこに書かれた文章をまじまじと見つめた。が、何度読んでもやはりジークムントが読み上げたのと同じ内容が書かれている。いくらユリウスが平凡な新米協会員だからと言って、十七歳の魔術師が子犬呼ばわりされて我慢できるはずがない。

「ば、馬鹿にしやがって、あいつ!」

「ああ怖い」

 ジークムントがにやりと口の端を歪めた。ユリウスは慌てて己の口をふさぐ。

「まあそれはともかく、今のはやはり怪盗ハーゲンだった訳だ」

 ユリウスが手にしていた二枚のカードを取り上げ、ひらひらと振りながらジークムントは嬉しそうに頬を少し緩めている。笑い事じゃないのに、と言いたいのをユリウスは飲み込んだ。

「これを見る限り、怪盗ハーゲンは今回の盗難事件に関わってないと見てよさそうだな」

「無実の罪、ですか? でも今のが本当に怪盗ハーゲンかどうかなんて」

「だが、まさか侯爵夫人がわざわざ偽の怪盗ハーゲンを仕立てて我々を襲い、わざわざ狂言泥棒だと告発するような言葉を残すはずもない。それに他の人間にしたってこんなことをする理由はないだろう。本物の可能性が高い」

「まあそうかもしれませんけど……」

 ただ、何かしらの理由でそんなことをする人間がいないとも限らない。しかしその言葉に説得力はなさそうだったので、ユリウスは別のことを訊ねる。

「でもそれなら、そもそもどうして怪盗ハーゲンは殿下を狙ったんですか?」

「決まっているじゃないか。怪盗ハーゲンは、探偵であるこの私に! 真実を暴いて欲しいと! そう思っているに違いない! そうだろう、助手!」

 ユリウスの鼻先に人差し指を突きつけ、それからジークムントは先程の出来事を思い出すように視線を右へと走らせた。

「あれは本気で殺しに来た風でもなかった」

「……それは、はい、確かにそうでした」

 本当にあの仮面の男がジークムントを殺すつもりであったならば、おそらく二人が今こうして会話していることはなかっただろう。

 ユリウスを蹴り倒したあの瞬間、男は彼を殺せたのにそうせず、ジークムントへと向かった。その結果、ユリウスは詠唱を完成させ、男をジークムントから引き離すことに成功したのだ。

 逆にあの時、仮面の男はユリウスを殺しておけば、次の瞬間には楽にジークムントを手にかけられたはずだ。

 ユリウスを無力化した一瞬を突かなかった時点で、男に殺意がなかったのは明らかだと言える。その上、あの蹴りも絶妙に手加減をしていたようで、ユリウスの頬にまだ痛みは残るものの大きな怪我には繋がっていない。本気で蹴られていたら歯の数本は抜け落ちていたはずだ。

(お手並み拝見か……)

 拝見した結果、怪盗ハーゲンはユリウスをどう評したか――そんなことは誰に訊ねずとも、彼自身にはよく分かっていた。彼は無意識に唇を噛む。

(大したことのないヤツだって……いや、殿下の護衛として失格だって思われただろうな)

 なぜなら、怪盗ハーゲンにその気がなかったから結果として二人とも無事だが、ユリウスは完全に負けてしまったからだ。

 ジークムントを――主を、守れなかった。

 怪盗ハーゲンだけではない。ジークムントにも、役に立たない男だと思われたに違いない。

(僕は……これでも、四年間も魔術や武器の扱いを学んできたのに、僕は……)

 やっぱり僕に護衛なんて務まらないじゃないか。大した実力もない僕に護衛なんか――足が震えるのを抑えようと努力するも、それに何の効果もなかった。

 やっと絞り出した声で謝罪する。

「すみません、殿下、申し訳ございませんでした」

「何が。ああ、地面に倒されたのは別にどうもない。怪我もない。魔術も惜しかったようだ」

「いいえ……あれは外した瞬間、更に展開させて炎を壁にするとか、もっと上手くやらないといけなかったんです」

「ふうん、そんなこともできるのか」

「ぼ、僕は苦手なので上手くできなかったんですけど……でも優秀な協会員ならそれくらい当たり前で、だから今回みたいなことがあってもそういう人たちならきっと――だからそういう優秀な人こそ護衛に」

 ジークムントはユリウスの言葉には興味がないように、くるりと身を翻して背中を見せた。

「それよりもう帰ろう。疲れた」

「あ、待ってください、その前に警備部に連絡をしないと!」

 大股で歩きながらジークムントはカードを高く掲げて振ってみせる。

「必要ない。怪盗が出たと言ったところで無駄だ。いくら探しても見つからないさ。おそらく相手は王宮に大手を振って入れる人間だ。もう変装を解いて何食わぬ顔で歩いているだろう」

「え……?」

「王宮は今、昨晩の盗難事件から出入りを相当制限している。検査なしに出入りできるのは王族かその護衛や従者くらいだ。それを突破しているということは、昨晩より前からずっと王宮の中に潜んでいたか、検査されても痛くも痒くもない類の人間だ」

 まさかと思いながらも、ジークムントの言葉にユリウスは咄嗟の反論を持たなかった。

「それに、警備部に知らせて騒ぎにでもなればライニンゲン侯爵夫人に警戒されないとも限らない。少し黙って様子を見たい」

 結局ユリウスはジークムントの機嫌を損ねる可能性を高めてまでそれ以上反対する理由もないので、おとなしくジークムントの後ろについて歩くしかない。

 気付けば、西の空が淡く橙色に染まり始めていた。

 

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