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5.白百合館の住人

 

 白百合館までの道のりはとにもかくにも平穏そのものであった。

 前庭同様に端整込めて手入れされた植え込みや、曲線直線入り乱れながらもうるさすぎない模様を描く芝生を眺めながら、午後になり少しばかり柔らかくなった日差しを受け、のんびりと歩いていく。

 左手に見える小さな噴水の側で、色とりどりの華やかな衣装に身を包んだ貴族の令嬢たちが談笑しているのも目の保養としては最高だ。

(ああ、ここを散歩するだけの仕事だったらなあ……)

 だったらどれだけよかっただろう。

(いや、そうでなくても、街で交通整理や道案内をする仕事だったらどれだけよかったか)

 出世や名誉、蹴落とし合いなどに興味のないユリウスには、そういった地味でも地道に誰かの役に立てるような仕事の方が余程よかったと感じられるのだ。

(そもそも殿下の助手なんて、誰の役にも立たないじゃないか)

 王都魔導保安協会と名のつく、王都の保安のための組織に属しているのに、第二王子殿下の探偵ごっこの助手役などという何の保安もしていない仕事。それがユリウスに与えられたことだ。やる気も起きるはずがない。

「あーあ、誰か代わってくれないかなあ」

 呟いてみたところで、周囲に誰もいなければ返事のあろうはずもなかった。ぼんやりと物思いに耽っている間に、いつの間にか随分と歩いてきていたようだ。気付けば庭はひっそりと静まり返って人影も見当たらない。

 と、右斜め向こうに白い外壁の小さな建物が姿を現した。おそらくあれが白百合館だろう。それを見つめ、ユリウスは考えた。

 この白百合館という建物は一体何なのか、と。誰が使っているのか、何のための建物なのか。あまり政治や王宮の事情に興味がなく詳しく知ろうとしなかったユリウスには、何一つ情報がない。いくら何でももう少し勉強しておくべきだったと後悔してしまう。

 ルートヴィヒが言ったとおり、すぐそばまで近付いてみても館の中から人の気配は感じられなかった。玄関の三段ある階段を昇り、そこでユリウスは躊躇う。

(……いいのかな、僕一人で勝手に入って)

 ジークムントを待った方がいいかもしれない。いや、しかしジークムントは既に到着していて中で待っているかもしれない。

「どうしよう」

 立ち尽くし、しばらく頭を悩ませた結果、生唾を飲み込んで叩き金に手を伸ばす。少し汗をかいた手のひらで握り、叩き金で扉を二度打つ。

「はーい」

 すぐさま、扉の向こう側で返事があった。近いところで返事があったことに驚きつつ一歩下がれば、扉が開いて五十代程度の男が姿を現した。

「あ」

 男とユリウスは互いの格好を見て、声を合わせた。二人は全く同じ、黒く裾の長い制服を着ていたのだ。

 男はにこやかに、仕草でユリウスを館の中へと招いた。

「やあ、こんにちは」

「あ、こ、こんにちは、あの」

「どうぞ、こちらへ」

 男に案内されたのは、玄関すぐ隣の応接間だった。少し待っていて、と言い残して男は姿を消してしまう。

「……あの人は、まさか、ということは、まさか」

 ぶつぶつ呟いていたユリウスは、突然息を殺して扉のすぐそばに直立不動の姿勢をとった。それから数分後、男が姿を消した扉が再び開かれる。思わず悲鳴を上げそうになるのを我慢して、緊張で体が震えるのを抑えようと更に姿勢を正す。

「あれ、座っていてくれてよかったのに。ごめんね、席も勧めないで出て行ってしまって」

「い、いえ!」

 一人で帰ってきた男が手にしているのは茶器の乗った銀色の盆であった。男は応接机の上に二人分の紅茶を用意しながら、ユリウスを不思議そうに見た。

「いいんだよ、座っても」

「し、しかし殿下が、殿下の」

 ユリウスのもごもごとした声に、男は微笑む。

「悪いけど、今日はここの主人はいないんだよ」

「え」

 だったら尚更、勝手に女王陛下の夫君の館で来客用の椅子に腰掛け、紅茶など飲めるはずがない! というユリウスの視線に気付いたのか、男は言う。

「ジークムントの新しい護衛にお茶も出さない、というのでは俺が後で主人に怒られてしまう」

「は、はぁ……」

 男の勧めに従い、ユリウスは佩いていた剣を下ろし、二人掛けの応接椅子に座った。黄金色の足を持ち薄い水色の布が張られた、見るからに高級なもので、しかしその座り心地のよさが逆にユリウスの居心地を悪くさせる。

「あの、すみません、失礼ですが……あなたはシュミット様でいらっしゃいますか」

 紅茶に口をつけていた男は一度カップを置いた。

「ああ、そうだ。君はユリウス・シェリング君だね。何でも今日卒業して護衛に着任したばかりだとか」

「はい! ……まさか、シュミット様にお目にかかれるなんて」

 ユリウスは喜び半分、緊張半分で頬を赤く染める。

「シュミット様のような方とお話させていただけて、その、本当に光栄です」

「大げさだな。俺のことはフランツでいいよ」

 そうフランツ・シュミットは笑うが、ユリウスからすれば彼もまた王族とはまた違う意味で雲の上の人物だ。

 庶民出身、王都魔導保安協会教育部に在籍中は目立つ生徒でなく、卒業後も数年はこれと言った功績もなかったが、時の保安協会会長に見出され、数々の難事件において重要な役割を果たすようになり、様々な要職を歴任、五十を過ぎた現在は王配殿下の護衛を務める――立身出世を夢見る若き協会員の憧れの的、それが今ユリウスの目の前にいるフランツその人だ。

 出世に興味のないユリウスだが、それでもシュミットのような有能な協会員に対しては少なからぬ憧れを抱いているし、相対せば緊張で体が硬くなる。一方でフランツは柔らかな雰囲気だ。

「ところで、ジークムントは一緒ではないの?」

 ユリウスの父親と年齢的には変わらないはずだが、それにしてはフランツの口調は若い。

「あ、はい、殿下にここで待つようにと……」

「ふーん。何かまたよからぬことを企んでたりしないだろうな、あいつ。――そう言えば、ライニンゲン侯爵夫人の宝石が盗まれたと聞いたけど、まさか」

「そうだ、その調査をしている」

 唐突に応接室の扉を開け放ったのはジークムントの長い腕だ。つかつかと部屋に入ってくると、ユリウスの隣に乱暴に腰を下ろす。ユリウスの前に置かれたカップを誰に断るでもなく手に取り、まだ湯気の立っている紅茶をぐびぐびと飲みだした。

 それ僕のですよ! と指摘したいのを堪え、ユリウスは口をつけていなかった香りのよい紅茶が白い喉に飲み干されていくのを恨みがましい目つきで見るしかできない。

「調査か。それはいいが、あまりユリウス君を振り回してやるなよ」

「振り回してなどいない。助手としての仕事を与えているだけだ」

 フランツの物言いに、ジークムントは腹を立てた風もなく、その友人のようなやり取りが二人の常であるとユリウスは悟った。

 空になったカップを皿の上に戻し、ジークムントは長い脚を組む。

「父上はいないのか」

「今日は朝からヘルネに。葡萄酒が飲みたいと言って急に出立されたよ」

「護衛も連れずに?」

 ユリウスの言葉に、フランツはにやりと笑う。

「宝石が盗まれて王宮がぴりぴりしているのが嫌になったんだろうな。それに俺は護衛とは名ばかりの雑用係なんだ。年がら年中奴隷のようにこき使って申し訳ないから、たまには休みでもやろうかという王配殿下なりのお心遣いさ」

「……年がら年中奴隷?」

 おうむ返しのユリウスに、フランツは笑ったまま続ける。

「護衛っていうのはそういう仕事だよ、ユリウス君。俺もオスカーもそういうのが苦にならない、むしろ嬉しくて仕方がないからやっていけるが、君にはなかなか厳しいかもしれないな。その上このジークムントが主人となると」

 ジークムントは口を尖らせた。

「私は助手を奴隷扱いはしない。助手は助手として扱う。父上と一緒にはするなよ」

「はいはい。別に俺も本当に奴隷扱いはされてないけど。……ところで、今日は何の用だ。父君でなくて悪いが、俺でできることなら聞くけど」

「お前でも父上でもどちらでもいい。ライニンゲン侯爵夫人の噂を聞ければそれで」

 フランツはゆっくりとした動作で紅茶を飲み、ジークムントを見た。

「噂ね。まあ色々あるけどさ。あの女は葡萄酒が好きだな。昨晩、ここで殿下の晩餐会があったんだが、とっておきの葡萄酒を出すからとあの女も招待した――のに、あまり飲まないので体調でも悪いのかと思ったんだが、そういう訳でもなかったようだな。それでもあまり長居せずに帰ってしまったよ。普段は遅くまで葡萄酒を飲みたがるんだが」

 フランツの話の大体の流れは、侯爵夫人自身が語っていたことと大きく変わらない。ただ、葡萄酒を好む彼女が普段より飲まなかったのに酔ってしまったというのは、ユリウスには少し不思議に感じられた。

「王配殿下と侯爵夫人は懇意にされているのですか?」

 ユリウスの問いかけに、フランツは一瞬目を丸くする。それからすぐに苦笑した。

「いや、普段と言っても毎回彼女を招待している訳ではないよ。誰々が呼ばれたのに私は呼ばれてない、誰々ばかり出入りしている、なんてうるさいのがいるから、ちょっとした晩餐会やら何かしらの催しには大体の有力人物が入れ替わりで満遍なく招待される。特別彼女が殿下と親しいということではなくね」

「あ、なるほど……」

「助手は学校を卒業したばかりだ」

 ユリウスは、いきなり意味の分からないことを言い出したジークムントの横顔を見つめるが、そこにどういった意図があるのか、表情のない美しい顔から何も読み取れない。

 はいはいとぞんざいな口調で流し、フランツは続けた。

「彼女と懇意にしているのは別にいる。モーリッツ・ベルトラムという若い男で、下級貴族の次男坊だ」

 意味を把握できないでいたユリウスに、フランツは声を潜める。

「愛人だよ」

「あっ」

 ユリウスは耳まで赤くなった。王配殿下と侯爵夫人が懇意なのかと訊ねた自身の言葉が、フランツには、二人は愛人関係なのかという問いに受け取られていたと気付いたのだ。

「す、みません!」

 が、ジークムントもフランツも気にする様子もなく話を進めている。

「その男は」

「顔がいいだけの遊び人さ。よくある金払いのいい奴の取り巻きというところだが、それが侯爵夫人との噂が出始めて急に自身の金回りが良くなっている。かなり援助を受けているようだな。ライニンゲン侯爵も相当の年で、田舎に引っ込んでしまったから、寂しい彼女が他の人間と懇意にするのも当然の成り行きだな」

「ふうん」

「一方で侯爵夫人はと言うと、宝石と葡萄酒がこの上なく好きで、よく自慢しては周りの連中にうっとうしがられていたのが、ここ最近はそういうこともなくなっている。特に葡萄酒の方は屋敷に客を集めて振舞っていたのも、その男との噂が出てからは回数も少なくなってここ最近は全く」

「男につぎ込んでいる、ってことですか?」

 ユリウスの言葉にフランツはただ笑うだけだ。

「それでも宝石の方はまだ興味があるようで、宝石商との付き合いもあるらしい。しかし、侯爵家が先代の頃から懇意にしていた宝石商を切って、最近こちらで商売を始めた、司教国に本拠を構える商人に乗り換えたようだな。王宮に出入りするのをよく見かけるそうだ。それにしても不思議なのは、自慢の好きな侯爵夫人が、新しい宝石を買ったと自慢をしないところだな。彼女に甘い侯爵は時々金を与えては宝石を好きに買うようにと言っているようだが」

(……何でそんなとこまで知っているんだ、この人)

 そもそもよく考えてみれば、フランツはユリウスが名乗る前から名を知っていた。ユリウスが着任したのはほんの数時間前だというのに、どれほどの情報通なのか。

 ユリウスの恐怖の混じった視線にもフランツは目もくれない。

「あとは、彼女があまり女王陛下と仲が良くないというところか」

「母上と仲のいいご婦人なんて聞いたことがない」

「陛下の方はどうでもよさそうだが、侯爵夫人は一方的に陛下を嫌っているようだ。何でも以前非礼を注意されたのを、恥をかかされたと思っているとか何とか。陛下に一泡吹かせてやりたいとでも思っていそうだとのことだよ。もちろん普段はそんな様子おくびにも出さないけど。昨日だってにこにこして陛下におべっかを言ってたよ」

 ジークムントは腕を組んだまま黙っている。

「さて、そんなところかな」

 フランツが話しの終わりを告げても、誰も何とも反応しない。ややあって、ジークムントが眉をひそめた。

「昼食がまだだ。何かないのか」

「はいはい、今日は料理人もいないから簡単なものしか出せないけど」

 言いながらフランツは部屋を出て行った。

「どう思う」

「え、どうって……」

 突然ジークムントに訊ねられ隣を見るが、やはり彼は正面を向いて腕を組んでいるだけでユリウスを見ようともしない。

「ライニンゲン侯爵夫人の噂をまとめると」

「愛人につぎ込んでいてお金がない……?」

「それから」

「ええ? ええと、陛下を嫌っている?」

「だから」

「えっ……ううん、うう……」

 懸命に頭を働かせようとするユリウスだが、それ以上にはまとめられない。その様に、尾の長い溜息が部屋の空気を揺らした。ジークムントは組んでいた腕を解き、ユリウスに向き直る。

「金がないから趣味の葡萄酒はやめた。だが宝石商との付き合いは続けている。しかし自慢はしない。つまり宝石は買っていないという可能性が高い」

「え、じゃあどうして宝石商との付き合いを?」

「買うのではなく売っている」

 ようやく彼の言わんとしているところを理解したユリウスは、口を押さえた。

「……それじゃあまさか、いや、でも、『紫の淑女』は国宝級の宝石なんでしょう、まさかそれを売るなんて」

「王家とも付き合いのある由緒正しい宝石商なら嫌がるはずだ。が、王都での商売拡大の足がかりを得たい新興の商人なら、ライニンゲン侯爵家のような名門と結びつく機会であれば危ない橋でも渡りたがるかもしれない」

「……いや、でも、待ってください。王家から下賜されたものですよ、侯爵家の家宝とも言えるような宝石じゃないですか、それを売るなんて」

 動揺を隠せないユリウスを、ジークムントは怪訝な顔で見る。

「別に夫人からすれば嫁いだ先にあっただけの宝石じゃないか。それに一つ売ってもまだもう一つ残っている。宝石を売れば金が手に入って男に逃げられないで済むし、おそらく宝石商から今後賄賂のようなものも貰える。しかも王宮内部での怪盗ハーゲンによる盗難ということにすれば、厳重に鍵をかけていた彼女にほとんど落ち度はない。完全な被害者として、警備の責任を持つ協会警備部、ひいては陛下に責任を負わせ、一泡吹かせてやることもできる。一石二鳥どころか三鳥だ」

 ユリウスは反論の言葉を持たない。

「確かに、殿下の仰るとおりです……」

「当然だ、私は探偵だぞ」

 と言いつつ、ジークムントの鼻息は少し荒い。

(あ、ちょっと嬉しそう)

 訳が分からないようで、案外分かりやすいところもあるようだ。と、彼を観察していたユリウスだったが、あることに気付いて体を震わせた。

「あっ! でも、待ってください。もしそうだとしたら宝石はもう売られてしまったかもしれない」

「その可能性もある。だが、そうでない可能性もある。君と別れた後、警備部で確認してきたが、宝石箱の魔術が破られてすぐ警備部が彼女の連絡を受けて現場に駆けつけ、王宮への出入りを制限している。特に出る人間は、体も荷物も魔術まで使って執拗に調べられている。そんな中で宝石を持ち出すよりは、少しばかり待ってからの方がいいと夫人も考えるはずだ」

 そちらの可能性に賭けるしかない、ということだ。

「でも、宝石が警備部の検査に引っかかるのを待つよりは、できるだけ早く犯人を捕まえたほうがいいですけど……証拠がないですよね。侯爵夫人が狂言泥棒をしたっていうはっきりとした証拠が」

「それは警備部もまだ何も掴めていないようだ。だから私がそれを調査するんだ」

 再び腕を組み、まぶたを閉ざしてジークムントが何度か頷いた。それからにわかに目を開き、拳を握って高らかに宣言した。

「怪盗との対決ではないが、この事件は私が解決する!」

「おまたせースープ温めるのに時間かかるから先にこれ食べてて」

 焼き菓子やパンなどを乗せた台車を押してフランツが部屋に戻ってくる。その笑顔に、ジークムントは悔しげに下唇を噛んだ。

「決まったと思ったのに台無しだ!」

 状況の分からないフランツはぽかんとしていたが、すぐに気を取り直して配膳を始めた。

 その後、彼の用意してくれた軽食で腹を満たすと、ジークムントとユリウスは白百合館を辞した。

 

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