3.第一王子ルートヴィヒ
「え、えっ、盗まれたって……この、王宮で?」
「そう、この王宮で。女王陛下の懐刀、国中から選りすぐられたとても優秀な魔術師のみが所属している王都魔導保安協会警備部が厳重に警備する、この王宮でね」
ユリウスの制服をじっとりとねめつけながら、侯爵夫人は淀みなくそう言った。強烈な嫌味に返す言葉もなく、ユリウスはただたじたじとして俯く。
が、一方でジークムントは相変わらずの堂々とした、むしろ尊大とも取れる態度である。
「侯爵夫人、うちの助手もこうだし、私自身この盗難事件のあらましは人から聞いたに過ぎないので、あなたの口からお教えいただけないかな」
「ですが、殿下」
「これも早く怪盗を捕まえるため。あなたも早く怪盗が捕らえられ、宝石が返ってくるのを望んでいるだろう?」
それはそうですが、と口ごもった後、意を決したように息を吐き、侯爵夫人は応接椅子をジークムントに勧めた。
「宝石が盗まれたのは昨晩のことです。私は王配殿下主催の晩餐会にお招きいただいたので、それが始まる八時に間に合うようにここを出ました。その時従者は確かに施錠しました。私がここへ戻ってきたのは十一時過ぎでした」
「早いですね」
ジークムントの言葉に侯爵夫人は頷く。
「振舞っていただいた美味しい葡萄酒に酔ってしまいましたの。でも、酔いはすぐに醒めましたわ。従者と戻ってきたら部屋の鍵が開いていたのですもの。施錠しなかったのかと従者を叱りつけましたが、よく考えれば私、施錠するところを見たのに、おかしな話だと思いましたわ。それで中に入ってみると、真正面のその金庫が開いていて――」
侯爵夫人が手袋を嵌めた手で、一見ただの棚にしか見えない白く可憐な意匠の金庫を示してみせる。
「中にあった宝石箱も開いていたのです。そこに入れていたはずの『紫の淑女』はなく、対の『翠の騎士』と、あの怪盗のカードがそこに残っておりました……」
「カードとは、例の怪盗ハーゲンが盗みをした現場に残していくものだな。今回も他の事件同様、キザな口上が書かれていたのか」
「そうです。これくらいの大きさで、宝石はいただくという口上を蔦のような模様で囲った、凝ったものでした」
と言って、侯爵夫人は両手の親指と人差し指で長方形を作って見せた。ユリウスもそれは見たことがある。とは言え実物ではなく、被害者の証言を元に新聞に掲載されたものであるのだが。
「そのカードは?」
「昨晩、その後すぐに警備部に連絡して調べてもらいましたので、その時彼らが持って行きましたわ。今朝も引き続き調べるといって早くから部屋の中をあちこち掻き回されて、とても疲れましたの。とても」
だから早く帰れ、と言いたげな口調であるのだが、その侯爵夫人の思いはユリウスにしか届かなかったようだ。ジークムントは椅子から立ち上がり、微笑んで言った。
「ならばあなたはゆっくりと休んでいなさい。捜査は私と助手がするから」
「い、いえ殿下」
「助手、まずは金庫を調べるぞ」
「うえっ、あ、はい」
侯爵夫人の刺すような視線を背中に受けながら、ユリウスは手招きされるまま金庫の前、ジークムントの隣にしゃがむ。内心で侯爵夫人に謝罪しつつ同時に、協会員の立場としてはこうする外ないんです、と言い訳をした。
開かれた金庫の中には、宝石箱が一つだけ入っていた。赤茶けた木製のもので、蓋や底面の角、錠前部分など、ところどころが金で装飾されている。一見したところ、東洋風のものだ。
ユリウスの両手に乗せて一回りはみ出るくらいのもので、宝石箱としてそれが大きい部類なのか、あるいは小さい部類なのか、あまり女性に縁のない彼には判別しかねるが、しかし特別変わった様子はなさそうだ。
深さもせいぜい彼の手のひらの、指を除いた部分と変わらない程度だろう。
「中はどうなっているんだ」
言いながら金庫に手を突っ込み、勝手に宝石箱を開けようとしたジークムントだったが、蓋は開かなかった。鍵が掛かっているらしい。
「侯爵夫人、鍵を開けてもらいたい」
「……いえ、中には『翠の騎士』が入っているだけですわ。あの、私、本当に疲れていますの、ですので殿下には大変申し訳ないのですが」
「晩餐会に行ったときも、宝石箱に鍵をかけていたのか?」
「…………え、ええ。もちろんかけていました」
「それは厳重ですね。でも、三重の鍵が突破されてる」
ユリウスが思わず呟けば、ジークムントが立ち上がり、部屋から廊下へと通じる扉へと歩み寄る。
「三つのうち、一つ目の鍵がまずこの扉。しかし鍵が壊されている様子もない。合鍵か何かがあるのか?」
「合鍵はありますわ。昨晩は二つとも従者に預けていましたが、今は宝石のことが心配で、どちらも私が持っています」
そう言って侯爵夫人は壁沿いの小さな箪笥の上の小物入れから一組、箪笥の一番上の抽斗からもう一組の鍵束を出して、卓上に三本組みの鍵束を二揃え置いた。どちらも大きく長い鍵と小さな鍵二つの、三つの黄金の鍵が組になっている。その一組を手に取り、ジークムントは首を傾げる。
「この大きい方が扉の鍵だな。小さい方は?」
「金庫と、中の宝石箱の鍵です」
「それが二つ目と三つ目の鍵。やはり、どちらの鍵も壊された様子はない」
ジークムントが金庫を指差す。ユリウスは恐る恐る口を開いた。
「あの……もし鍵束を晩餐会の間だけ、誰かに盗まれていたとしたら。それで鍵を開けられて宝石を盗られ、鍵束をまた晩餐会が終わるまでに戻されたら気付かないのでは?」
「その可能性はないとは言い切れないわ。でも、そうだとしても鍵だけではなく、宝石箱の外側に魔術で封印もしていたの。私は魔術が使えないものだから、先日協会の警備部に頼んで、勝手に開けられないようにかけてもらったもので、解除せずに宝石箱には触れられないようにと。魔術を使えない殿下にも、その意味がお分かりになりますわね」
つまり犯人、怪盗ハーゲンはその魔術を破ることのできる人間、魔術師だと言いたいのだろう。ユリウスは魔術師そのものを悪く言われているような気がして、いささか肩身が狭い。
「ふうん、助手、確か魔術が使用された痕跡を魔術で辿れるんだったな」
「え、ああ、はい、それはできますけど」
魔術は個々人の持つ魔導力によって形作られるものだ。魔術を展開すれば、そこに少なからず魔導力の痕跡が残される。それを魔術によって追跡することが可能であった。
「じゃあ早速調べるんだ。宝石箱にかけられた魔術を破るのにも、魔術が使われているだろう」
侯爵夫人の鋭い視線を背中に受け、でも、と言いかけたユリウスだったが、ジークムントの端整な顔立ちが正面から真摯に見つめてくるので、つい頷いてしまう。
「……わかりました。少し下がっていてください」
ジークムントと侯爵夫人がユリウスから三歩下がるのを確認し、彼は一度深呼吸した。これから展開するのは、ユリウス程度の新米魔術師にとっても難しくない魔術だが、それでも多少の集中力は必要だ。そっと口を開き、詠唱を始める。
「第七十九の黄昏に留まる神の声を聞き――」
白色に発光する円形の紋様がユリウスの足の下に薄く浮かび上がる。それは赤い毛足の長い絨毯にじわじわと広がり、部屋の隅まで覆っていく。
「ここに標の光のあることを我に示したまえ」
たったそれだけの詠唱が終わると同時に、広がっていた輝く紋――魔導紋は瞬時に姿を消してしまう。
体に薄く蓄積された疲労を振り払うように、肩を大きく揺らして呼吸すると、ユリウスは固唾を呑んで見守っている二人に向き直った。
「どうだ、何か分かったか!」
ジークムントが少しばかり興奮したように頬を紅潮させている。
「はい。少なくともこの部屋に残っている魔術の痕跡は、宝石箱にかけられていたものだけです。残留魔導力の濃度からして数日前におそらく数人でかけたもので、侯爵夫人が仰っていた、警備部に依頼されたものだと思います。それ以外の痕跡は掴めませんでした。解除するのは強引にではなく手順を踏んできちんと解除しているようで、引っかかることは何も……手がかりらしいものは特には」
一人での詠唱だったので展開できた魔術そのものが小さく、あまり詳しいところまでは分からなかったが、それでも宝石箱にかけられていたのが数人による規模の小さくない魔術であるので、残っている魔導力の濃度で大体どれくらい前にかけられたものかということくらいなら把握できる。
ユリウスの言葉に侯爵夫人が進み出る。
「当然だわ。そんなことはもう警備部が昨晩も今朝も調べているのよ。扉と金庫、宝石箱の鍵は魔術に関係なく破られているけれど、宝石箱の外側の魔術については、自分たちでかけた魔術が破られて『紫の淑女』が盗まれたと彼らも認めたわ」
「いえ、でも魔術の痕跡はそれだけですが、宝石箱の中に別の魔術がまだ進行形で発生しているような感覚が少しだけ……」
「それは『翠の騎士』よ」
理解できないでいるユリウスに、侯爵夫人は言う。
「『紫の淑女』と『翠の騎士』は特別な宝石なの。古代にその宝石を指輪にした際に、魔術師であった時の国王陛下が、石に魔術をかけて光が当たらずとも自ら輝きを放つように、光が当てられればどのような宝石よりも美しく輝くようにしたのだそうよ」
「だったら、盗まれた『紫の淑女』が近くにあれば今のように魔術で追えますね!」
魔術がかかっているならば普通の宝石を捜すよりはいくらか楽なのではないかと思うユリウスだが、侯爵夫人は鼻で笑った。
「近くにあれば。でもあの指輪は怪盗が持ち出してしまったのよ。指輪の魔術も微弱だから、遠くに逃げてしまえば探れないと警備部の魔術師たちも焦っていたわ」
「あ、そうか」
肩を落とすユリウスを見て、ジークムントが腕を組む。
「なるほど。怪盗ハーゲンは魔術師でもあったのか。新たな発見だな」
怪盗ハーゲンは異常な身体能力を持っているとはよく言われており、走っている馬車を足場に、建物の屋根から広い通りを向かいの建物の屋根に飛び移っただとか、高い壁を一足で飛び越えただとか、手に金貨をいっぱいに持って一人で数人の警官を蹴りだけで気絶させて逃げただとか、嘘か本当か分からない話を聞くが、それがもし魔術を使ってのことだとすれば納得のいく話である。
しかしそうなると、怪盗ハーゲンの正体は国民のうちの誰かというところからもう少しは絞れるはずだ。魔術師は人口数百人に一人程度しか存在しないもので、しかも名簿への登録制度があるため名前や身体的特徴、住所など様々な事柄を届出なければならない。
つまり怪盗ハーゲン、『紫の淑女』を盗んだ犯人の名は魔術師登録名簿の中に掲載されているのだ。
(とは言っても、王都には魔術師が多いからなあ)
そこから調べるというのは難しいだろう。パン屋が怪しいから王都中のパン屋を調べると言っているのと同程度の問題である。
「ならばこの部屋をもっとよく探せば、他にも新たな発見があるかもしれない」
ジークムントがひとりごち、ふらりと白い小箪笥の前に立つ。おもむろに彼がその最下段の抽斗に手をかけると、侯爵夫人が悲鳴を上げた。
「まっ、お待ちになって!」
しかし時既に遅く、抽斗は勢いよく引かれ、中にしまわれていたものが白日の下に晒された。同時にユリウスは絶叫する。
「あああ殿下!」
「うわあ、助手、叫ぶから驚いたじゃないか。何だ下着か」
中にはレースやフリル、刺繍のあしらわれた真っ白な、しかし魅惑的な下着がぎっしりとつまっている。今にも抽斗から溢れんばかりだ。が、ジークムントは一切動じていない。まるで地面に転がったどんぐりでも見るかのような、どうでもよさそうな目つきである。
「う、わあああ! 殿下、閉めて! 早く閉めて!」
一方のユリウスは真っ赤になった顔を両手で覆いながら小箪笥へと駆け寄り、結果ジークムントに思い切り体当たりしてしまう。斬首刑という恐怖は今や忘却の彼方である。
「痛いな、何をするんだ助手」
「いいから、いいから早く閉めてください! し、ししし失礼ですよ女性の下着を見るなんて!」
「下着ぐらいで騒いでいたら怪盗など捕まえられるはずがない!」
「殿下、お願いですわ! 私からもお願いしますわ! 戸を閉めてくださいませ!」
侯爵夫人も駆け寄って、ジークムントに体当たりしているユリウスの背中に飛びつく。若い女性の肉感的な体が触れていることに益々顔を赤くし、ユリウスは喚いた。
「うわあ、侯爵夫人、ちょっ、ちょっと離れてください!」
「やめて、戸を閉めてください! 警備部ですらそこは探さない配慮をしてくれたのですよ!」
「どうしたんだい、何を騒いでいるんだ」
不意に投げかけられた柔らかな男声に、部屋の混乱した空気が突如打ち消された。毒気を抜かれたように誰もが動きを止めて口を閉ざす。
ユリウスが声のした方を振り返って顔を覆っていた指の隙間から見れば、薄い微笑を浮かべた、二十歳をいくつか過ぎたばかりらしい青年が扉を開けて顔を覗かせていた。
「殿下!」
侯爵夫人は姿勢を正し、片方の膝を曲げて挨拶をした。金髪碧眼の青年は御機嫌ようと挨拶をし、にこやかな表情で部屋に入ってくる。どこかで見たような気がしないでもない。
「殿下って……」
ちらりとジークムントを見上げれば、彼も少しばかり目を見張っている。青年はジークムントを見て困ったように眉尻を下げた。
「ジーク、またわがままを言って侯爵夫人にご迷惑をかけていたのではないだろうね」
「いいえ兄上、私は怪盗ハーゲンを捕らえるべく調査をしていたのです。夫人にとってもこれは宝石が早く戻ってくるよい機会となるでしょう」
ユリウスは再び緊張感に包まれた。
(兄上ということは、やっぱりこの人が――)
青年はジークムントの兄、ルートヴィヒ第一王子殿下だ。いずれこの国の王となるべき王太子である。
彼はジークムントに比べ、少しばかり背が低く――それでもユリウスよりは大きく、黄金の髪も若干色が濃く、瞳の色も緑がかっていて、その明るくも優しい色合いが気品ある顔立ちをとても穏やかそうに見せている。彼の発する声もまた、落ち着いたものであった。
「しかしジーク、いくら怪盗を捕らえるためとは言え、御婦人の箪笥を許可なく開けてはいけないよ。さあ、抽斗をしまいなさい」
「はい、兄上」
ジークムントは優しく諭す声に素直に返答し、零れそうになっていた下着を乱暴にぎゅうぎゅうと押さえつけてさっさと抽斗を閉めてしまった。
今までの騒ぎは何だったのかとユリウスが肩を落とさずに入られない、あっけない幕切れである。
「ところで殿下、本日はどのような――」
侯爵夫人の猫撫で声がジークムントに向けられるとは比べ物にならないほどの媚を含んでいる。
彼女の中では、ジークムントよりもルートヴィヒの方が重要な人物であるようだ。それはおそらくルートヴィヒが王太子であるからという理由だけではなく、ジークムントがこの通りやりたい放題の変人だからというのもあるのだろう。
ルートヴィヒは優しい声で答える。
「侯爵夫人の石が盗まれてしまったという話を耳にしたので、お見舞いに参りました」
「まあ、わざわざ申し訳ございません。すぐにお茶の用意を」
「いいえ、おかまいなく。すぐに失礼するつもりですので。それに、お見舞いなどと言っても野次馬のようなものです」
穏やかな口調でも言うことは案外軽い。
(うーん、この兄にしてこの弟だな)
少しばかり呆れたようなユリウスの視線に気付いたのか、ルートヴィヒは彼に微笑んでみせる。
「うっ」
美しい笑みに思わず後ずさり、ユリウスは口の中で小さく呻いた。ルートヴィヒは優しい顔つきに悲痛さを浮かべて侯爵夫人に向き直る。
「それにしても本当に残念なことです。『紫の淑女』は国宝級の石、それがまさかあの怪盗ハーゲンとやらに盗まれてしまうとは。ご心痛お察しします」
「国宝?」
呟いたユリウスに、ジークムントが囁く。
「『紫の淑女』と『翠の騎士』は、何代か前の国王から、二十年戦争で功績のあった時のライニンゲン侯爵に下賜されたものだ」
「七代前のオットー勇敢王からだね、ジーク」
ルートヴィヒが補足した。
「その美しさは見る者の心を捕らえて離さない、この国でも並ぶもののない石だとも言われる……そんな至宝が失われてしまい、陛下も心を痛めておられます」
「まあ、それは――」
侯爵夫人の言葉を遮り、ルートヴィヒは続ける。
「しかし『紫の淑女』以外、一切盗まれていないのが不幸中の幸いと言えるかもしれません。それに協会が手を尽くし、石と怪盗を捜索しています。無事戻るでしょう。今は一刻も早い石の帰還を願い、他の石や『翠の騎士』の美しさを堪能しませんか」
「は?」
侯爵夫人とユリウスは同時にぽかんと口を開けた。
「あなたがお持ちの石にぜひお目にかかりたい」
ルートヴィヒの言葉は穏やかさを装った、絶対的な命令であった。侯爵夫人はすっかり気圧されたようで、微笑を貼り付けて渋々ながらも金庫に向かい、中から宝石箱を取り出して応接机の上に置く。鍵の束のうち一組を手にし、開錠してふたをゆっくりと開いた。
「すごい……」
ユリウスの口から溜息が零れる。
宝石箱の蓋の裏側、側面、箱の深さの割りにひどく浅い底面には銀糸で刺繍された、深い海を思わせるような紺碧の布が張られている。底面の中央に横へ一直線に引かれた溝に輪の部分を沈めて、箱の左側で淡い翠の宝石が静かに四人を見上げていた。
大きな長方形の石は特に光を当てている訳でもないのにきらきらと煌き、ユリウスの瞳を輝かせた。
右側の何も置かれていない部分には、おそらく昨晩までは『紫の淑女』がその身を横たえていたのだろう。
「これが『翠の騎士』……綺麗な宝石ですね」
「そう言えば、私も本物を見るのは初めてだったな」
興奮して声が上ずるユリウスだったが、一方ジークムントは無感動な声で答える。宝石そのものには興味がないらしい。
「私もだよ。それにしても美しい。侯爵夫人、よろしければ指に嵌めて見せていただけませんか」
ルートヴィヒの依頼に侯爵夫人は小さな声で了承の返事をし、手袋を脱いで人差し指に嵌めた。それでも輪が大きいようで、すぐに抜けてしまいそうだ。ルートヴィヒは侯爵夫人の手を取り、目を細める。
「やはり、誰よりもお美しい女性の指に納まるのがその石の運命のようです。『紫の淑女』もまた対であるがゆえに、同じ定めを持つでしょう。すぐに彼女も本来の持ち主の元へ帰ってきますよ」
「まあ……」
侯爵夫人は頬を染め、うっとりとルートヴィヒの目を見つめる。
「しかし長く外に出していては、また悪い心を持つ者に狙われないとも限りません。騎士には、そろそろ金庫の中へとお戻りいただきましょう」
「ええ、殿下」
指輪を外し、侯爵夫人はいそいそと宝石箱にしまって鍵をかける。宝石箱を金庫へと入れ、扉を閉めてそこにも鍵をかけた。
ユリウスはじっとそれを見ながら、やはり顔立ちが整っているというのは何においても得なのだなあとぼんやり考える。自分ももう少し綺麗な顔をしていたら女性にももてただろうなあいいなあと、羨ましくなった。
「それじゃ、鍵もしまってしまおう」
ジークムントがいつの間にか、箪笥の隣に立っている。卓上に置いてあった合鍵を手に握りこんで、ひどく準備がいい。
彼は一番上の抽斗を開けて鍵束を収め、そちらに近寄った侯爵夫人の手から原型の鍵束を優しく取り上げて小物入れにしまった。
「ああ、ところで侯爵夫人、魔術が破られたままだが、またかけなくても構わないのかい?」
「……魔術をかけても破られたのですもの、またかけても同じことですわ。それに、一度盗みに入ったのに他の物を盗まず去ったのですから、またあの怪盗が来ることはないでしょう」
それもそうだ、とジークムントは歯を見せる。
「笑い事ではありませんわ、殿下。夫が隠居して田舎暮らしの私は、王宮であればさぞ安全でしょうと宝石を持ち込んだのです。それをこうも易々と怪盗の侵入を許すなど、警備の者は居眠りでもしていたのかしら。それともまさか警備部の中に怪盗がいるのかしら」
「まあ誰かがそんな風に言い出すことを見越して、盗難事件の後、すぐに聖教会と軍所属の魔術師をかき集めて警備部員も全て魔術で調べられたし、王宮全体の捜索も警備部員と他の魔術師が組になって行ったそうだから、『紫の淑女』を盗んだのは警備部ではないだろう。もちろん警備部に怪盗ハーゲンがいるかどうかはまた別の――」
ジークムントの言葉を遮るようにルートヴィヒが前に進み出る。
「侯爵夫人、どうかお気を静めてください。ご安心を、今に石は戻りますよ」
ルートヴィヒが挨拶を終えるのを待ち、ユリウスとジークムントも彼の後ろに付き従って侯爵夫人の部屋を出た。