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15.護衛でありたい

 

「ジークムント、ここで何をしているの。約束の時間はとうに過ぎているわ」

 意外にも、女王の声に怒りらしいものは見当たらない。

「探偵ごっこは構わないと言ったけれど、人に迷惑をかけてはいけないとも言ったのを覚えているかしら。ルートヴィヒにあらぬ疑いをかけるのはやめなさい。それに私の呼び出しを無視するのもやめなさい」

 女王は足を進め、ジークムントの前に立つと背の高い息子を見上げた。

「し、しかし母上」

「今回の一連の事件であなたはあちこち引っ掻き回して、挙句自分の身と護衛を危険に晒した。百発叩いた程度で許されることではないわ」

「だって」

「だってではない」

 男のような口調で、しかし少女めいた顔で冷静に言い、女王は続ける。

「結果として侯爵夫人を捕らえ、彼女の罪を暴くことができたのは確かなこと。彼女とその恋人にはそれぞれ別の遠い修道院で女神への奉仕を一生かけてしてもらうことになったわ。他の者たちもそれなりの刑に服します。ベルトラム子爵もライニンゲン侯爵も社会的制裁は受けるでしょう。ただライニンゲン侯爵にはある条件と引き換えに彼自身への責任追及はしない約束となりました」

「条件?」

 女王は外套の袷から、右腕を差し出す。拳に握った細い指には二つの指輪が光っていた。

 五月の草原を行く騎士の儚い瞳、『翠の騎士』と、憂いを秘めた淑女が見上げる宵闇、『紫の淑女』である。

「ああっ!」

「怪盗ハーゲンから返還されたの。いつの間にか私の部屋の前に宝石箱と、『美しき貴婦人にこそ捧げられるべき石である』という気障(きざ)な口上を書いたカードが置かれていたわ。まさに神出鬼没ね。侯爵はこの宝石を王家に返還、いえ、献上すると約束したわ」

 ユリウスとジークムントは同時にルートヴィヒに視線を向けるが、彼は母親から目を離さない。

「怪盗ハーゲンに易々と王宮への侵入を許した点において、私と王都魔導保安協会はその矜持を傷つけられた。それでも侯爵夫人とその一味の犯罪を防いだという点において、怪盗ハーゲンは今朝正式に王家から発表されたこの事件のあらましの中で重大な役割を果たしているわ。新聞にも大きく扱われ、すぐに王都中がこの事件の話で持ちきりになるはず」

 女王はジークムントとユリウスを交互に見やる。

「ただそこに、あなたたち……ジークムントとユリウスが行ったことは一行たりとも書かれはしない。あなたたちは今回の件では、正式には何もしなかったことになっているの。侯爵夫人から宝石を盗んだのも、彼女を捕らえたのも怪盗が勝手にしたこと。確かに残されたカードから、あなたたちを襲ったのが怪盗ハーゲンだということは確かだわ。けれどそれはなかったこととされます。それだけでなく、あなたたちが今回の件で果たしたこと全てがなかったこととなる。だから私は正式にあなたたちに罰を与えることも褒美を取らせることもしません」

「それは……」

「あなたたちのおかげで侯爵夫人を捕らえたこと、あなたたちが周囲に迷惑をかけたこと、今回は相殺してお仕置きはなしにするわ」

 ジークムントの顔が歓喜に染まる。

「ほほほ本当ですか!」

「本当です。公務を放り投げたのも、次回汚名返上しなさい」

 そうして初めて女王はジークムントとユリウスへとにこやかに笑った。

「何よりあなたたちに怪我がなく幸いでした」

 その柔らかな笑みに見惚れていたユリウスだったが、不意に女王に呼ばれて我に返る。

「ユリウス、この子を守ってくれてありがとう。感謝するわ」

「と、とんでもございません!」

 激しく手を振り、つい後ずさってしまう。

「あ、あの、その、僕は護衛なので、殿下をお守りするのは当然のことですし……」

「そのことなのだけれど」

 つと声の調子を低くした女王に、ユリウスは自分の所属のことを言われるのだと気付いた。

 彼女が、ユリウスをできるだけ早急に異動させると言っていたのを思い出したのだ。

「ユリウス、あなたは――」

「あの! ぼ、僕にこれからもジークムント殿下の護衛をさせていただけませんでしょうか!」

 え、と目を丸くした女王に凝視され、ユリウスは頬を染めながら言った。

「その、確かに僕は見た目も実力も大したことなくて、王族の方の護衛には相応しくないかもしれません。でも、努力します! 魔術も武術ももっと上手くなるように頑張ります、あ、顔は変えられないですけどでも、殿下のご迷惑にならないように気をつけます。ですから」

「…………」

 女王は少し考えるように頬に手を当てる。

「この子のわがままにひどく振り回されたのに、いいえ、囮にまでされて危険に晒されたのに、どうして」

「それは、その、確かに振り回されましたし、危なかったですけど、でも……ジークムント殿下は同じくらい優しくしてくださって、しかもご自身で助けに来てくださったので」

 ユリウスは隣に立つ主を見上げるが、その横顔には何の表情も見て取れない。

「あなたがそう言ってくれるのなら。こんな子だけれど、どうかお願いね」

 女王はユリウスに微笑みかけ、ジークムントにも同じ顔を向けた。

「よかったわね、彼は自らあなたの下に留まると言ってくれたわ」

「助手が探偵である私と共にあるのは当然です」

 どこか拗ねたようにぷいと顔を背け、ジークムントは続ける。

「そんなことより母上、兄上が怪盗ハーゲンであるのは確かなことだと――」

「ジークムント、あなたはまだそんなことを……言い忘れていたけれど、もちろん探偵の話を出版するのは許されないわ。本に面白おかしく書こうとお兄様にそんな疑いをかけるのはよしなさい!」

 叱責の声を浴びせられ、ジークムントは身を縮こまらせながらユリウスの腕を掴んで走り出した。彼は体当たりするように大きな扉を開き、ユリウスを部屋の外に引きずり出す。



 ジークムントとユリウスが脱兎の如く走り去った部屋では、女王が深い溜息を吐いていた。

「全くあの子は」

「まあ母上、よかったではないですか。ようやくジークについて行ける子が見つかったのですから」

 ルートヴィヒの笑みに、女王はそうね、と同意した。オスカーが静かに扉を閉めるのを見ながら彼女は言う。

「初めてジークムントが選んだ護衛が、自らあの子の下にいたいと思ってくれた。本当に嬉しいことだわ。……あの子は独特だから、今まで仲良くできる相手も少なかったし、護衛をいくら選んでやっても上手く行かなかったから」

「ジークも彼には最初から随分と親切にしてやっているようです」

 ルートヴィヒは女王に椅子を勧め、訊ねた。

「ところで母上、なぜあの件をユリウスにお話にはならなかったのです」

「あの子が先に口を開いたのだから、異動先が見つからないからもうしばらく我慢して欲しいと、私が頭を下げる必要はもうなかったもの。全て彼自身の意志でジークムントの護衛を続けたいと願い出た形にしておいたほうが、彼にとっては後々嫌なことがあっても頑張れるはずだわ」

 女王は長椅子に腰掛けて微笑む。

「それに私はできるだけ他人に借りを作りたくないもの」

「それは私にも、でしょうか」

 冗談めかした言葉に笑うかと思いきや、女王が眉間に皺を寄せたのでルートヴィヒはわずかに驚いた。

「ごめんなさい、ルートヴィヒ。あなたは怪我をしてしまったわね」

「大したことはありません。オスカーがすぐに冷やしてくれたので、少し経てば元通りになるそうです」

「痛かったでしょう」

 包帯で巻かれたルートヴィヒの右手を取り、女王は悔恨の情をその蒼い瞳に浮かべている。できれば母にそんな表情をさせたくないものだ。ルートヴィヒは大げさに首を振って見せた。

「本当に大したことはないのです。それより、助かりました。ジークは疑り深いところがあるので」

「そうね、今後も何かにつけ同じ話を持ち出すと思うわ」

 もちろんそれは、怪盗ハーゲンについてである。

 ルートヴィヒは困ったように目を閉じた女王を見て苦笑する。

「仕方ありません。その度に根気よく否定してやりましょう」

「それでおとなしく引き下がる子ならばいいのだけれど。今回のこともまさかあの子がこんな風に首を突っ込んでくるとは思わなかったから……」

「ええ、それにしてもよい勘をしています。侯爵夫人が狂言をしているだろうと嗅ぎつけたのも随分早かったようだ。彼女の部屋を訪ねて、ジークがいたときは本当に驚きました」

 しかもジークムントはどこか彼女を疑ってかかっているような言動をしており、ルートヴィヒは面食らったものだ。

「合鍵をすり替えるのも先を越されて、冷や汗をかきました。申し訳ございません、母上、兄弟揃って手癖の悪い大人になってしまいました」

「少々あくどい人間でなければ王族なんて務まらないわ。でも、程々にしなければね、私を含めて」

 女王は微笑みを唇の端に乗せる。

「今回はジークムントのおかげで少し肝を冷やしたけれど、何とか落ち着いてよかったわ。毎回こうでは困るし誰かが怪我をするのも嫌なものだけれど、それがなければ少し騒がしいのも楽しいものね」

「本当に母上も程々に」

 ルートヴィヒは自身の後ろでオスカーが微笑む気配を感じていた。

 

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