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14.怪盗=?

 

 四章


 離宮に静かにして明るい朝が訪れていた。目もくらむような陽光が庭の清廉な白薔薇を包み込み、更に輝かせている美しい朝だ。

 窓外から聞こえてくる小鳥のさえずりは、まるで可愛らしい音楽会を開催しているかのようで、ユリウスはこの爽やかな朝を今まで生きてきて迎えた中でも最高のものかもしれないと思っていた。

 たった一つの騒がしいものを除いて。

「嫌だ行きたくない絶対に行きたくない!」

 寝台にもぐりこんでいる大きな塊が拗ねたような声を張り上げる。それを脇に立って見下ろし、ユリウスは困惑のままに言った。

「で、でも、行かないともっと怒られるじゃないですか」

「どちらにしても叩かれるなら今日は行かない!」

 ジークムントが寝台の中でもぞもぞと動きながら駄々をこねているのは、彼宛に届いた一通の手紙のせいである。

 昨日王宮から届けられたその手紙の差出人は女王陛下である。何と、わざわざ直筆で、明日の午前中、つまり今日これから参上するようにとのことである。

 もちろんジークムントいわく、拷問のためである。

 数日以内に呼び出してお尻を百発叩くというのはやはり冗談ではなかったらしい。

 それを恐れたジークムントは昨晩から嫌だ嫌だと喚いていたが、今朝ももう準備をしなければ女王指定の時間に遅れてしまうと言うのに寝台にもぐりこんだまま動こうとしないのである。

「あの、でも……今日行かないで後回しにしたらもっと叩く回数を増やされたりしませんか?」

 ユリウスの言葉に、ジークムントが寝癖で乱れた頭を寝台から突き出した。今にも泣きそうな顔でこちらを見つめる。その表情から、ユリウスの言ったことが図星であるらしいと容易に理解できた。

「それに侯爵夫人への処罰も聞きたいですし、今日すぐに行ってさっさと終わらせた方が……」

「確かにその話は聞きたい。よし助手、お前が行け」

 ユリウスは寝台から長い腕を出して東、王宮を指す。

「お前が行って代わりに叩かれて話も聞いて来い。助手ならそれくらいできるだろう」

「な、無茶苦茶ですよ! どうして僕が叩かれなきゃいけないんですか!」

 全くひどい扱いである。もっと文句を言いたくなるのだが、ユリウスはそれを飲み込んだ。ジークムントを不機嫌にすれば時間に遅れる可能性が高くなる。

 彼の思惑を知ってか知らずか、ジークムントは寝具から上体を出して座った。

「本当に最悪だ、怪盗ハーゲンには逃げられるし」

「そ、それは殿下が馬鹿みたいに死んだ振りなんかするから」

「馬鹿みたい? 馬鹿みたいと言ったか、今。ふうん、言うようになったな助手」

「う、す、すみません!」

 慌てて口をふさぐユリウスを睨みつけた後、ユリウスは手の甲を両目の下に持っていくとわざとらしい仕草で左右に動かした。

「えーんえーん殿下が死んじゃったあ」

「ちょっ、何ですかそれ! やめてください! ぼ、僕はそんなこと言ってないです!」

 侯爵夫人を捕らえた一昨日の午後の記憶が蘇る。羞恥で顔を真っ赤にするユリウスをちらちらと見ながら、なおもジークムントは泣き真似を続ける。

「えーんえーん」

「そ――そうやってからかいますけど、殿下だって今泣きそうだったじゃないですか!」

 ユリウスは唇を尖らせ、やっとの思いで反撃に出たのだが、ジークムントは逆にどこか誇らしげな表情でそれを肯定した。

「当たり前だろう、泣かずにいられるか。恐ろしい拷問が待っているんだ」

「拷問って、お尻を叩かれるくらい大したことないですよ」

「大したことがあるんだ!」

 ついさっきまで泣き真似をしていた手で頬を包み、ジークムントは蒼白になった顔を俯ける。

「ひどいぞ、皮膚が怨嗟に燃える紅玉のような色になるまで叩かれる」

「な、何ですかその大げさな表現は……さすがに、ルートヴィヒ殿下とご兄弟だけありますね」

「兄上?」

 きょとんと見上げてくるジークムントに、ユリウスは勇敢王の絵の前でルートヴィヒが言ったことを思い出しながら口にする。

「勇敢王の絵を見ながら、『翠の騎士』はまるで……ええと、五月の草原の騎士の瞳みたいで儚い、『紫の淑女』は憂いをもって淑女が見上げる宵闇の色って」

 改めて口にしてみるとやはり気障(きざ)な表現だ。ユリウスは少しばかり恥ずかしくなってしまう。あの人、よくこんなことさらりと言えるよなあ。

 だが、ジークムントは視線をユリウスの爪先に定めたままぴくりともしない。

「……殿下?」

 呼びかけると、それを引金として彼は飛び起きた。

「行くぞ!」

「うぇっ、どこにですか」

「王宮だ!」

 人差し指を鼻に突きつけられ、相変わらずの突拍子もない言動にユリウスは困惑するしかなかった。



「御機嫌よう!」

 ジークムントが勢い激しく扉を開け放つ。ユリウスはここ数日、彼の後ろで何度か同じ光景を見たが未だに緊張してしまう。

 王宮内の扉であれば、向こうにいるのがジークムントからすればともかく、ユリウスからすれば自分よりも目上の人間がいる可能性が高いからだ。

 そして今回もやはり、開け放たれた扉の向こうではユリウスが恐縮してしまう相手が椅子にかけて十一時の紅茶を楽しんでいるところであった。

 その人物は派手さの抑えられた、しかし趣味のよい調度品で飾られた彼らしい穏やかな部屋の中、微かに頭を傾ける。

「おや、どうしたんだいジーク。今日は母上のところに行かなくてもいいのかな」

 ルートヴィヒは包帯を巻いた右手から卓上に紅茶のカップを下ろし、弟であるジークムントに訊ねた。が、彼は首を振る。

「探偵である私には、拷問の前にやらねばならないことがあるのです」

「とは……?」

 ルートヴィヒの背後に控えていたオスカーが、お茶の用意でもするつもりだろうか、動こうとするのを手の動きで止め、ジークムントは息を吸い込む。それから机越しにルートヴィヒへと人差し指の先端を向けた。

「怪盗ハーゲンはあなただ、兄上!」

 その大声の余韻が消え失せると、耳の痛くなるような静謐が室内を満たす。

 指差されたルートヴィヒはジークムントを見つめ、その後ろのユリウスに視線を投げかけ、それから背後のオスカーを見上げて、再びジークムントに顔を向けた。

「ジーク、急に何を言い出すんだ」

「とぼけたって無駄です、兄上。あなたが怪盗ハーゲンなのです!」

「ちょ、ちょっと殿下!」

 ユリウスはジークムントの二の腕にすがって手を下ろさせようとする。

「何を急に言い出すんですか!」

「助手、お前まさか兄上に味方するつもりなのか?」

「いや、味方とかそういうことじゃなく、殿下がいきなり訳の分からないことを――」

「分からなくない!」

 ユリウスの手を振りほどき、ジークムントは再びルートヴィヒに指を向ける。

「証拠はある!」

「証拠?」

 不思議そうな面持ちでルートヴィヒが見つめてくる。

「そうです、いいですか兄上、怪盗ハーゲンは侯爵夫人から宝石を盗んだ。一度目の盗難は彼女の狂言だったが、二度目は本物の怪盗ハーゲンの仕業です」

 ルートヴィヒもその後ろのオスカーも、もちろん今ジークムントが言った事柄ついては知っている。一昨日侯爵夫人を捕らえた後、ジークムントは女王とルートヴィヒの前で今回の事件のあらましについて説明をしたのだ。ユリウスも同席して時折補足したし、オスカーもルートヴィヒの側に控えていた。また、これまでのいくつかの事件で怪盗が残したものと、二人が襲われた際、及び二度目の盗難の際のカードが同一のものであることも分かっている。だから改めてその事実を告げられたところで、それが一体どうして怪盗ハーゲンのルートヴィヒ説に繋がるのか彼らには、いやユリウスにも理解ができない。

 ルートヴィヒは弟の言葉にどう反応してよいか分からない様子で黙っている。しかしそれを気にした様子もなくジークムントは続ける。

「怪盗ハーゲンは盗んだものの代わりに口上を記したカードを置いていく。二度目の盗難の際に残されたカードにはこう記されてしました。『淑女の憂いは騎士の瞳にて晴らすべし、石は我が手に 怪盗ハーゲン』……この表現に聞き覚えは」

「あ」

 ユリウスは目を剥く。どうして今まで気付かなかったのだろう。

「あなたが勇敢王の肖像画の前でこの助手に聞かせた言葉に瓜二つです! それに石という言い方も、兄上がよく使う言い回しです。私たちは宝石と呼ぶ。こんなにも似た表現を別の人間が示し合わせず短期間に使えるものでしょうか」

「その表現が私特有のものだとは限らないよ。私も怪盗ハーゲンも何かの本で読んだのかもしれない」

 子供を相手にするように優しい口調でルートヴィヒが答える。

「逆にこうも考えられるだろう、ジーク。その表現を知っているのは私から聞いたユリウスも彼から聞いたジークも同じ。私一人だけではない。そうだね、ユリウス」

「あ、はっはい!」

 突然話を振られたユリウスは首が千切れるほどに頷いた。が、よく考えれば今の言葉、ユリウスもジークムントも怪盗ハーゲンの可能性があると言っているのだ。暴論だと思わないでもないが、ジークムントがそもそも暴論をふっかけているのだから仕方がない。

 そのジークムントはしかし動揺した様子もなく続ける。

「では兄上、あなたのその香りはどうですか」

「香り?」

 ルートヴィヒが紅茶のカップを持ち上げた瞬間、薄っすらと百合のような芳しい香りがユリウスの鼻をくすぐる。

「兄上のその香り、怪盗ハーゲンと同じものでした」

「ユリウス、君も同意見だろうか」

 ルートヴィヒに訊ねられ、ユリウスは突然のことに首を傾げるしかない。

「え、いや僕は……その、あまり香りとかそういうことに気がつく人間ではなくて、その……殿下の香りも怪盗ハーゲンの香りも分かりません、覚えていなくて」

 ユリウスは今まで香りなど一切気付かなかった。ルートヴィヒに対しているときは緊張で、怪盗ハーゲンに対しているときは必死で、それどころではなかったからだろう。

 だそうだ、と言ってルートヴィヒは一口お茶を飲む。

「それに同じ香りと言っても、これは特別な香水という訳ではなく、私が頼んで調合させたものではあるが、調合師が他の者にも売っているからいくらでも手に入れられるのだよ。もちろんそれはよく知られた話だから、敢えて私と同じ香りを身につける誰かがいても不思議ではない」

 言外に、怪盗ハーゲンがわざとその香水を使い、ジークムントに罪をなすりつけようとしたのでは匂わせている。確かにその可能性は否定できない。

 だが相変わらず平気な顔をして、ジークムントは兄の顔を見ていた。。

「ところで、お怪我をされたのですね、兄上」

 ジークムントが大股で歩み寄り、ルートヴィヒの右手を取る。指先には真新しい包帯が丁寧に巻かれていた。

「熱いお茶をこぼしてしまってね」

「それは確かです。(わたくし)が魔術で冷やし、治療を致しました」

 口を挟んだのはそれまで成り行きを見守っていたオスカーだった。が、その言葉に耳を傾けることなくジークムントは言う。

「怪盗ハーゲンもちょうど右手の指に魔術で火傷を負ったようです。ユリウスがライニンゲン侯爵夫人の凶弾から私を守るために魔術を使った際に、巻き込まれたようで」

「それは驚くべき偶然だ」

 ちっとも驚いていない顔でルートヴィヒは優しくジークムントの手をほどいた。

「その火傷は魔術で負ったものではないのですか?」

「なぜそう思うんだ。証拠があるのかい、ジーク」

 ジークムントの問いかけにルートヴィヒは堂々と答えている。そんな証拠はないだろうと言いたげである。

「魔術の痕跡を辿れば――」

「恐れながらジークムント様」

 オスカーはその言葉とは反対に恐れるような目つきはしていない。

「一昨日の話をお聞きする限りでは、怪盗ハーゲンが火傷を負ったのは彼に直接かけられた魔術ではなく、展開された魔術に触れたため、言うなれば間接的な負傷です。そういった場合の痕跡は非常に薄く、辿るのは困難です」

 オスカーの言う通りだ。ジークムントに確認するような視線を向けられ、ユリウスは口を開いた。

「その通りです」

「逆に言えば、オスカーがかけた魔術の痕跡でユリウスの魔術の痕跡が誤魔化されているということはないのか、助手」

「そ、それは……その、なくはないです、が」

 辿るのが難しい微弱な痕跡でも、数人がかりで調べようと思えばできなくはない。だが、もし火傷の上に新たな魔術を直接かけられれば更に追跡は難しくなる。

「あるということだな」

 ジークムントは兄から離れ、再びユリウスの前に背中を見せて立つ。

「オスカーの言うことが本当かどうかは後々調べるとして、まだあなたが怪盗ハーゲンだという証拠があります」

「まだあるのかい」

 苦笑気味に言い、ルートヴィヒは自身の頬に触れる。

「怪盗ハーゲンによる宝石の盗難、つまり二回目の盗難のことですが、そのとき怪盗ハーゲンは侯爵夫人が部屋を留守にした間に合鍵を利用して盗みを働いた。三つもある鍵を壊さずに開けて宝石を盗み、また元通りに閉めるにしては彼女が留守にしていた三十分は短すぎる。合鍵を使ったと考えるのが自然だ」

「それがどういう証拠に?」

「彼女の部屋の合鍵を持っていたのは私です。しかしそれは怪盗ハーゲンに襲われたときに盗まれてしまった」

「怪盗らしき男に襲われた話は聞いたが、鍵の話は初耳だね」

「言えば母上にもっと叱られますから」

 大真面目な顔でジークムントは言った。

「私がその合鍵を持ち出したのは、後で侯爵夫人の部屋を密かに調べようと思ったからです。合鍵は侯爵夫人が、兄上の命で出した『翠の騎士』をしまっている間にすり替えました。それを知っているからこそ、怪盗ハーゲンは私を襲ったのです」

 一瞬の沈黙が場を支配する。

「ですが、あの部屋には四人しかいなかった。あなた、私、助手、侯爵夫人。まず侯爵夫人は論外。助手は助手だから、私は私だから、それぞれ論外。私が鍵をすり替えたことに気付けたのも、それを盗めたのも、兄上だけです」

「私だから、助手だから論外というのも乱暴な話だね」

 ルートヴィヒは右手の包帯に視線を落として、しかし未だ微笑んでいる。

「そもそも本当に怪盗ハーゲンに鍵を盗まれたのかい。ジーク、君は私と別れた後、あちこち足を運んだのだろう。そこで落としたり、盗まれた可能性はないのかい?」

 彼の言葉どおり、侯爵夫人の部屋を辞してからジークムントは王宮を歩き回り、警備部にも白百合館にも足を運んだ。怪盗の襲撃後も歩いて馬車まで向かい、門で警備部に声をかけてから離宮へと帰った。その上、彼が鍵の紛失に気付いたのは翌日の朝だったのだ。そのうちのどこかで紛失した、あるいは盗まれたという可能性もないとは言い切れない。

「ジーク、君の出す証拠はどれも弱いものばかりだよ。一つとして私が怪盗ハーゲンであるという決定的なものはない。もし私が本当に怪盗ハーゲンだったとしても、そんな証拠で自白するはずがないだろう」

「ですが兄上――」

「ジークムント」

 諭すような声で彼を呼んだのは、落ち着いた女性の声である。

 振り返れば、開かれたままであった扉から外套を羽織った小柄な影が入室してくるところである。ジークムントが華やかな容貌から血の気を失ったのがユリウスの視界の端に映った。

「母上!」

 

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