10.犯人はお前だ
「御機嫌よう、ライニンゲン侯爵夫人!」
派手な音を立てて開かれた扉の向こうには、華やかな顔立ちの女性が青を基調とした紅茶のカップを手に座っていた。目を丸くしてジークムントとユリウスを見ている。
「え、な……ジークムント殿下……?」
あんぐりと開けていた口を一度閉ざし、ライニンゲン侯爵夫人は慌てて紅茶を卓上に置き、立ち上がった。芥子の花のような、鮮やかな赤の衣装が目に眩しい。
「ま、まあ殿下、今日は一体どうなさったのです」
王宮に戻ってきた二人は、真っ直ぐに彼女の部屋を訪れた。扉を開くところから、昨日とほとんど同じ光景が繰り返されているのだが、それを指摘するほどのんびりと構えた人物はいない。ジークムントに続き、制服の黒い上着をきちんと着込んだユリウスも部屋に入った。
「今日は何か変わったことはなかったか」
ジークムントの悪戯っぽい顔に、あからさまな警戒の色を浮かべながらも、侯爵夫人は微笑を絶やさない。
「いいえ、何もございませんでしたわ。宝石が見つかったという嬉しい知らせもありませんし」
「ご友人が訪ねてこられたはずだけど」
おかしいな、とわざとらしく首をひねってジークムントは続ける。
「モーリッツ・ベルトラムという男が来ただろう。彼があなたの部屋にいたというのは、我々だけでなく宮廷画家も見ている。確かなことだ。なぜ隠すんだ」
「あら、それは変わったことではありませんもの。友人が訪ねてくるのはありふれた日常ですわ。最も殿下がいらっしゃるのはそうではありませんが」
警戒から余裕へと口調の舵を切った侯爵夫人に気付き、ユリウスはジークムントをちらりと見た。だが彼の顔にも悲観は見られない。
「ふうん。他には誰か訊ねてきたり、あなたが部屋を出たりしなかったかい」
「――午後になって、女王陛下からお召しがありましたわ。ほんの三十分ばかり、今回の盗難事件のお話をさせていただきました」
「なるほど。では単刀直入に」
軽く咳払いをして、ジークムントは長い人差し指を侯爵夫人に突きつけた。
「『紫の淑女』を盗んだのはあなただ、ライニンゲン侯爵夫人!」
「まあ……何を仰るのです、殿下。私は被害者ですわ、『紫の淑女』を盗まれた側なのです」
顔を微かにしかめながら、彼女の口元はまだ笑っている。
「宝石が盗まれたことで得をするのは誰か。あなたはベルトラムに随分と援助をしていたようだ。彼と親しくなって以降、葡萄酒の収集もしていないようだし、長い付き合いの宝石商も切ってしまった。私がどういうことを言っているのか分かるな」
「援助などしていません。証拠はありますの? 葡萄酒は夫に叱られたから集めるのを控えています。宝石商は粗悪品を高値で売りつけようとしたので切ったまでですわ」
当然、そうやって否定されることはユリウスにも予想できた。ジークムントはどうするつもりなのか。彼の美しい横顔を見れば、そこには微笑が乗っている。
「あの宝石箱は二重構造だ」
突然壁際の金庫を指差し、ジークムントが自信満々に言った。
「昨日見せてもらったあの東洋風の宝石箱。開けたときにはただ底の浅い宝石箱だとしか思わなかった。だがよく調べて解体すると底の下に空間がある。そこに宝石を入れてしまえば外からは分からない」
「私が底に『紫の淑女』を入れて隠した、と?」
黒いレースの扇を開き、侯爵夫人は口元を隠した。くすくすと笑っている。
「でもそんなことをしても『紫の淑女』には魔術がかけられていますのよ。警備部も、そこの僕も、魔術でその反応がないことは充分に確かめたはず」
「うっ」
急に視線を向けられ、ユリウスの心臓は跳ねた。が、彼女の瞳はすぐさま口を開いたジークムントへと戻る。
「その宝石箱が、いわゆる対魔術素材で作られたものならどうだ。その中に『紫の淑女』を入れても魔術を跳ね返して宝石箱の外に漏らさないから、部屋に残っている魔術の痕跡を探っても引っかからない」
「ねえ、僕」
再び侯爵夫人が艶やかな笑みでユリウスを見つめた。
「あなた、あのとき魔術を使った後、宝石箱の中に『翠の騎士』の反応があると言ったわね」
「そ、それは、はい、確かに反応がありました」
嘘をつけず、ユリウスは侯爵夫人の言葉を素直に認めた。だがジークムントはそれに慌てる様子も怒る様子もない。
「私は箱が二重構造だと言った。下層部分の内側だけが対魔術素材であればそこに『紫の淑女』を入れても魔術では探れないし、対魔術素材でない上層に『翠の騎士』を入れておけばそちらは魔術に反応するはずだ。助手、さっきの箱を出せ」
言われたとおり、赤い絨毯の上で旅行鞄を広げ、布で包んだ宝石箱の残骸を取り出した。それを受け取ってジークムントが布を取り、卓上に置く。
「魔術で焼かれたものだが、見事に下層部の内側だけ跳ね返している」
侯爵夫人の唇が震えた。宝石箱の無残な姿を見て、ベルトラムの身を案じているのかもしれない。
ジークムントは卓上に右手をつき、身を乗り出す。
「侯爵夫人、宝石箱は二つあったんだ」
ユリウスは、ジークムントが倉庫から出たときに教えてくれた言葉を思い出した。二つもあると見つかったときに怪しまれるから返す。
ジークムントは指を二本立ててみせる。
「あの晩、警備部が通報を受けて駆けつけたとき、一つ目の宝石箱は金庫の中にあった。蓋を開けてすぐの上層部に『翠の騎士』と、怪盗ハーゲンからのカードを抱いて」
指を一本減らす。
「二つ目の宝石箱は下層部の、対魔術素材で作られた二重底の中に『紫の淑女』を抱いて」
「あのとき、警備部が部屋中くまなく探したのですよ。それでも二つ目の宝石箱など見つからなかったのに、どこにそんなものを隠していたというのです!」
僅かに荒くなった侯爵夫人の声を誘うように、ジークムントが立てたままの人差し指の先端を白い小箪笥へと向けた。
「下着の中だ」
「え!?」
意外な言葉に、ついユリウスは叫んでしまった。フリルやレースで飾られた白い下着を思い出して顔が熱くなる。一方でジークムントは箪笥に歩み寄り、平然とした顔で下着の入った抽斗を引いた。
「ちょ、殿下!」
「侯爵夫人、あなたは男ばかりの警備部がよく調べられないのを承知で、この『紫の淑女』の入った宝石箱を下着の中に隠した。あなたは私が下着を入れた抽斗を探ろうとするのを止めたが、あれはただ下着を見られるのが恥ずかしかったからではない。あの中を調べられるともう一つの宝石箱が見つかってしまうからだ」
口を開きかけた侯爵夫人を制するように、ジークムントは続ける。
「あの日の夕方、我々はあなたに下着の洗濯を命じられたという女中に会った。使ってもいない下着を大量に洗えと昨夕命じられた、普段はそんなことはないのにと彼女は言っていた。でもおかしいだろう、あのとき私が開けた抽斗は下着でいっぱいだった。他の抽斗もこの通り」
他の段を開けて見せるが、確かに彼の言葉通りどこも物が隙間なく詰まっており、下着を収納する空間はない。
「女中が持っていた下着はどこに収納するのか。それは難しいことではない。あの下着の詰まった抽斗から隠していた宝石箱を引っ張り出し、空いた場所へ入れればよかったんだ」
「言いがかりですわ!」
卓上へ乱暴に手をついた侯爵夫人に、ジークムントは静かに答える。
「今のところは」
それから歯を見せ、嫌な笑顔をした。
「だが我々が縛り付けてあるあなたのご友人は、あるいは一緒にいた魔術師の男はどうだろう。罪を軽くすると言ってやればすぐに自供するかもしれない。それに女王陛下は厳しい方だ。罪を隠そうとする者には、血の気もよだつ拷問の一つや二つ、平気でする」
ごくりと唾を飲んだのは侯爵夫人だけではない。ユリウスもだった。
「あなたももちろんご存知のはず。母なる女神の代理、地上で最も神聖なる魔術師としての、陛下のこれまでの恐るべき所業を」
ジークムントが声を低くして告げれば、侯爵夫人は顔を青くして瞳をさまよわせる。例えやましいことがなくとも、女王陛下というこの国最高の権威を持ち出されれば誰でもこうなるだろう。やましいことがあれば尚更だ、とユリウスは思った。
「ところで」
相変わらず冷静な声で、ジークムントが再び金庫を見つめて言った。
「金庫の中の宝石箱は、ずっとそこにあるのかな」
「……ええ、動かしていません」
侯爵夫人は顔を背けながらも素直に答えた。
「間違いはないか」
「間違いありません、ルートヴィヒ殿下にお見せしたとき以外、一切動かしていません。私以外誰も手を触れていませんわ」
「最後に開けて見たのはいつ」
「昼食が終わって、少ししてからです」
「ではその後、陛下からの呼び出しに応じてから、あなたは『翠の騎士』を確認したのかい」
「え?」
侯爵夫人が視線を金庫へと向ける。
「戻ってから一度も見てないはずだ」
「殿下、私には何を仰っているのか……」
「本当にその中にあるのか、『翠の騎士』は」
「…………」
侯爵夫人が目を見開く。その肩が小刻みに震え始めた。
「合鍵、すり替えられているだろう」
ジークムントの駄目押しに、彼女は俊敏な猫のように箪笥に飛びつく。一段目の抽斗にしまわれていた鍵を取り出し、それが自身の合鍵でないことに絶句した。偽の合鍵を床に叩きつけると、すぐさま箪笥の上の小物入れから本物の鍵の束を取り出し、金庫に駆け寄る。
一刻も早く開錠しようと震える手を押さえながら必死になる彼女の後姿を見つめ、ユリウスは心臓が早鐘を打つのを聞いていた。
(まさか……でも、殿下の言い方だと……)
侯爵夫人がやっと開けた金庫から宝石箱を――港の倉庫で見たのと、また昨日見たのと同じものを取り出し、卓上に載せる。焦げて無残に割れたもう一つの宝石箱の隣で、その鍵を開けて蓋を開いた。
「――!」
絹を裂くような悲鳴に、ユリウスは侯爵夫人の隣に駆け寄った。
開かれた宝石箱の中には、『翠の騎士』の姿はなく、また箱上層部の底もない。紺碧の布張りが施された深い底に、白いカードが入っているだけだ。
「ないな」
呟きながらジークムントが腕を伸ばし、カードを取り上げた。しかし侯爵夫人は石像になったまま宝石箱の中を凝視するばかりで言葉一つ発しない。
「なになに、『淑女の憂いは騎士の瞳にて晴らすべし、石は我が手に 怪盗ハーゲン』だそうだ」
「う……嘘でしょう!? 怪盗ハーゲンですって……? 本当に本物が――そ、んな、どちらもないなんて、それに上蓋まで、そんな」
おや、とジークムントはわざとらしく呟く。
「どちらも、とは? 『翠の騎士』と、もう一つは何だい、侯爵夫人」
侯爵夫人は赤い唇を噛み締め、震えた。
「助手、この箱の中を魔術で調べられるか」
「え、あ、はい、できると思います。対魔術素材で密封している間は外側からも内側からも魔術を透過しませんが、開いている中を調べるのは別に問題ないかと……」
「では、調べようと思えば、この中にどれくらい前まで『紫の淑女』が入っていたのか、分かるか」
あ、とユリウスは叫んだ。
「で、できます! 宝石の魔術が微弱なので僕一人では厳しいですが、何人かで細かく魔術を展開すれば、残留魔導力の濃度で、『紫の淑女』が一昨日の晩から既にこの中にはなかったのか、それとも今日の午後まであったのかくらいは」
「だそうだ。兄上に頼まれて見せたとき以外、この宝石箱はずっと金庫の中にあった上に、昼食後までは確かに宝石も中に入っていたんだったな。あなたの手元にずっとあった」
すっかり顔色を失った侯爵夫人に微笑んでみせ、ジークムントは手にしたカードをひらひらと振った。
「さて、我々は警備部へ行かないと。早くこの連続盗難事件を通報しないといけない。それに、一昨日怪盗ハーゲンが残したカードがこれと同じかどうか、合わせてみなければ」
侯爵夫人が息を呑む。一昨日のカードと今日残されていたカードが異なれば、両方の盗難事件の犯人が別だという可能性が出てくるのだと、ユリウスは気付いた。
ジークムントは侯爵夫人が叩きつけた鍵束を床から拾い上げると、ユリウスを促し、部屋の扉を開けさせる。
「侯爵夫人、何もやましいことがないのなら、ここで待っているように。逃げれば即、追っ手がかかる。今回の盗難事件で犯人に虚仮にされたと思っている警備部は、殺すつもりで追ってくるかもしれない」
宝石箱を見下ろしたまま微動だにしない侯爵夫人を残し、ジークムントとユリウスは部屋を出た。




