隠れ家・説得
第六学園都市立大学付属高校――略称《第六付属》。
留学生たちが預けられた、それぞれの学園都市における最高峰とされた六つのエリート校の一つ――という扱いを受けているごくごく一般的な高校だった。
正確にいうと第六学園都市そのものが無能力者や、何らかの理由で能力が使えないもの。また、使えたとしてもかなり能力が貧弱なものたちが集まった落ちこぼれの学園都市だ。
法律の学生部本拠地にして、GTA総本部。そして、第六学園都市統括市長兼第六付属校長の執務室があるということで、便宜上エリート校と呼ばれているだけの学園だった。他の学園都市に行けばこの程度の偏差値の高校は、100は軽く超えるほどある。
そんな学園が学園都市トップとして祭り上げられなければならないことをかんがみるに、第六学園都市の超能力開発のランクの低さがどれほどの物かは押して知るべきだろう。
そんなエリートとは名ばかりごくごく平凡な高校に今……激震が走っていた。
「どういうことですか校長!! あの報道は!!」
明らかに憤懣やるかたないといった様子で、校長のデスクに両手をたたきつけダンッ!!という轟音を響かせたのは、髪がすっかり白くなっているが背筋はしゃんとのびかくしゃくとした姿を見せている老婆――GTA・山邑紫だ。第六学園都市一高齢な教師で、生徒や同僚からは山邑女史と呼ばれ――畏れられているベテラン教師だ。
「ま、まぁまぁ……落ち着いてください山邑先生」
対する校長――新敷矢敷は、血走った目で自分に食って掛かってくる山邑に顔を引きつらせながら、何とか落ち着くように説得しようとしているようだが、
「これが落ち着いていられますか!? うちの生徒が犯罪者だ! といわれただけならまだしも」
「ちょ、ちょっと待ってください……。それは許せるんですか?」
まちませんよ! と校長の疑問をぶっちぎり、山邑は怒鳴り声を響かせる。
「何の証拠もつかんでいない時点で、未成年相手に実名報道を行うなど……正気の沙汰とは思えません!」
「……」
若干危ないことを言っていた山邑の正論に、校長は苦虫をかみつぶしたような顔になった。
どの世界へ行っても少年犯罪はデリケートな問題だった。
まだまだ前途がある若者が罪を犯したからといって、将来を丸ごとつぶすようなまねをしてはせっかく罪を償って社会復帰しようとしても、社会そのものがその若者をつまはじきものにして再び犯罪者にしてしまう危険があった。
そんな常識すら無視しての今回の実名報道。この学園都市の治安を守るGTAたちは寝耳に水なその事態に驚愕し、こうして代表を第六学園都市全体の長である新敷校長へと送り込んだのだった。
「それに関してはもう放送局に抗議の電話を入れました」
「っ!? あなたの指示ではなかったのですか!?」
「もちろんですよ……。誰があんな真似を許しますか。ですが、テレビ局の返答は『私たちも正直どうかとは思いましたが……あなた方が命令してきたのでは仕方ないでしょう』とのことでした」
「命令? ですがさっき……」
「ええ。少なくとも私はやっていません……。そしてこの学園都市内で報道管制の指示を出せるのは私だけです」
では、いったい誰がやったと!? と、口に出しかけた山邑はそこである可能性に行きついたのか、思わず口を閉ざした。
「……まさか?」
「ええ。うちの学園都市内で報道管制を引ける人間は私だけ。しかし私は報道に関して指示は出していません。むしろ丁嵐健吾君が何らかの犯罪にかかわっているという報告自体聞いたことがありません。つまり、あの報道をする許可を出したのは我々とは違う外部からの圧力と考えるのが妥当……」
一息に言いきられた校長の考察に、山邑は先ほどまでの怒りを鎮め、今度は険しい顔で考え込む。
校長の考えが正しければ、今この学園都市に圧力をかけてきているのは、
「……あなたが言っていた、六花財閥暗部ですか?」
「確証はありませんが……それに近い組織が動いている可能性があります。おまけに、財閥おひざ元の第一学園都市の方から『犯人逮捕に協力せよ』と協力要請がきていますしね」
到底人にものを頼む態度ではありませんが……。と苦笑をうかべる校長に、山邑も大きく首を振り同意を示す。
あの学園都市の態度は本気でいけ好かない。礼儀というものがなっていない……まったく、どんな教師に教育を受けたのか見てみたいものだ。と、全盛期は第一学園都市で教鞭をとっていた山邑は憤る。
そんな山邑の態度にどことなく釈然としないものを感じるような視線を向けていた校長だったが、山邑の視線が「早く続きを」というものに戻るのを感じると、すぐに真剣な顔に戻り、山邑へ指示を出す。
「山邑先生。とりあえず今は生徒たちの混乱を最優先で鎮めてください。そして放課後になったら通常業務はほかの方たちに任せ《夜回り教師の会》を招集してください。丁嵐君と、おそらく彼を巻き込んだと思われる黒江とかいう女子生徒の捜索をお願いします」
「見つけたらどうします?」
「身柄はこちらで確保します」
「宜しいのですか?」
「かまいません。どうせ向うの追手は後ろ暗いところがある人間でしょう。そのような人間では公共権力に取れる手段に限度が出てきます。強硬的にこちらの権限を無視して犯人の身柄を引き渡すように言われるまではかなり時間があくはずです。それに、この学園都市を『自閉状態』にするように言ったのは私ですよ?」
第一の連中に好きなようにはさせません。と、言い切ってくれた校長に少し安堵しつつ、山邑は校長に敬礼する。
「了解しました。では、あちらが丁嵐たちを見つける前に、こちらで保護すればいいのですね?」
「……山邑先生。あくまで私たちは犯罪者の確保をするだけですよ」
「失言でした」
再び苦笑に表情を戻した新敷校長に、山邑はそっけなく返事を返し、身をひるがえす。
まったく、あのなっちゃってヤンキーが。不始末するのはかまわんが、ちゃんと教師がすぐに助けに行ける範囲でやれ。
と、普段から口を酸っぱくして言っている自分の教えを無視したヤンキーに苛立ちながら。
…†…†…………†…†…
「あ、あの……本当にこんなところに来て大丈夫なんでしょうか?」
「え? あぁ! 健吾が大丈夫言うてるんやったら大丈夫なんちゃう?」
「というかお前、であって数時間の相手を割とサラッと呼び捨てにすんなよ……」
夕刻。授業が終わったGTAや法律が学園都市のあちこちに検問や、見張りを立てて黒江と健吾を探す中、何とかその包囲網をくぐりぬけることに成功した健吾たちは、ひとまず追手がかからない安全な場所で落ち着きたいと判断し、とある学生寮へとやってきていた。
この学生寮は耐震強度の問題で今は使われなくなった木造の古い学生寮だったのだが、とある事情で健吾の知り合いが、買い取り私物化。以来、この場所は健吾やその知り合いの秘密の隠れ家的存在になっているらしい。
その話を聞いた黒江は心配そうな様子で、
「あの……その知り合いさんがいて、あなたたちのように巻き込まれるなんてことにはなりませんか?」
と聞いてみたが、健吾は笑って手を振り、
「あぁ、大丈夫大丈夫。あいつ高校上がってから自分の学生寮に引きこもったヒキニート不登校児だから。あいつが外へ出るときは、それはもうきっと、世界の終わりの日かあいつが光熱費払い忘れて、電気ガス水道止められたみたいな緊急事態な時しかないし」
まぁ、それはそれで不安を覚える話だろうけどな……。あいつ人間として確実に終わってるし。
と内心で呟きながら、健吾は到着した学生寮に何の遠慮もなく上り込み、ずかずかと廊下を進んでいく。
廊下の素材は今時珍しい木製の板張り。一歩踏み出すごとに軋む音が何とも郷愁の念をくすぐる音楽を奏でている。
「さてと、確か俺の部屋は……」
「部屋割りまであるんですか?」
「部屋数は6つしかないけどな」
「へ~。使われてへん学生寮やって聞いたからてっきりもっと汚いもんかと思てたわ」
「定期的に来る場所なんだから掃除しているに決まってんだろ。まぁ、最近掃除してんのは俺だけだけどな」
「見た目に似合わずマメやった!?」
「一言余計だ、コラッ!?」
畜生……。ヤンキースタイルかっこいいと思ったのにこうなると欠点ばかり目立ちやがる……。と、健吾が漏らしつつ、なんだか以前掃除したときよりもゴミが増えていることに気付き首をかしげる。
「それにしても立派な寮やんか? これ使わんって判断したんは惜しい気がすんな……」
「あぁ? あぁ~。まぁ~確かに見た目は立派だけど」
あいついっぺんここに来たのかな? と、内心で友人の訪問があったことを予想する健吾。そしてそんな彼の様子に気づくことなく、寮の柱をぺたぺたと触り強度確認していたシシンがもったいないといわんばかりに声を漏らす。が、それを聞いた健吾は何かを忠告しようと口を開き、
「っ!?」
忠告が終わる前に、ベキッという音と共に、床が抜けシシンの下半身がすっぽりはまり、上半身だけが床からはえているという緊急事態が起きてしまい、思わず額を抑えた。
「あちこちガタが来ているから気をつけろよって……言いたかったんだが」
「もっと早くに行ってほしかったんやけど……」
割と床下が深いのか足がつかないシシンはちょっと切なそうな顔をしてしばらくあがいていたが、その後ヒッパレ~ヒッパレ~と手をぶらぶらさせて完全に自力で出ることをあきらめた。
こりゃ本気でリフォーム考えた方がいいかな? と、健吾は考えながらも、黒江に協力を仰ぎ、ため息交じりに彼の体を引っ張ろうとした。その時、
「なんだ? なんだかうるさいんだな?」
突然廊下に面していた扉の一つが開き、
「ん? 健吾?」
「って……信玄!? なんでいんだ、お前!?」
そこから身長二メートル、腹回りも大体そのくらいあるんじゃないかと思われるデ――ぽっちゃりした少年が姿を現した。
「って、信玄が女連れ込んでるんだなぁああああああああああああああ!? そんな……そんな……信玄お前もか!? いっしょに魔法使いになろうって約束したじゃないか!!」
「してねーよ、そんな約束!? というか女子前にして下ネタ全開の話題ふってんじゃねーぞ、お前!!」
「黙れ、この裏切り者!! 童貞の神聖な領域をリア充力でけがして!! 天誅なんだなぁあああああああああ!!」
長いストレートの金髪をどこかのビジュアル系バンドマンのようにそのままにした巨漢の少年は――どういうわけか号泣しながら、健吾へと襲い掛かり、その体をいかんなく発揮したメガトンプレスを健吾に食らわせようとする。だが、
「おそいって……」
「ぶっ!?」
当然そんな巨大な体の攻撃が素早いわけもなく、健吾は割とあっさりとそのメガトンプレスを躱し、少年は木製の床へと叩きつけられ、
「「あっ……」」
「ほぶらばっ!?」
それに耐えきれなかった床が見事に抜け、巨漢の少年の形をした大穴を開け少年を床下にたたき落とした。
何とも言えない空気が辺りを漂いそして、
「て、手ェ伸ばしてほしいんだな……。手が届かないんだな……」
「お前……」
さっき敵といったやつに平然と救援要請って、情けなくないのか……。と、穴から聞こえてくる懇願にちょっとだけ切なそうな顔をする健吾に、床にはまったまま放置されたシシンはゲラゲラ笑いながら問いかける。
「ははははははははは!! で、そのオモロイの誰やの?」
「あぁ……わりぃ。どうやら俺の予想が外れたらしい……。どうやら明日は世界最後の日のようだ」
この筋金入りのヒキニートが、自分から外に出てくるなんて。と、健吾はそう前置きした後、黙って近くにかけてあった緊急用ロープを穴の中に投げ入れてやる。
「さっき言ってたこの寮を買い取った俺の知り合い……。俺達と同じ第六付属高校にかよう高校一年生の――越前信玄だ。基本重度のヒキニート兼オタクだから毒されたくなかったらできるだけ近づくなよ」
「人を歩く病原菌みたいに言うんじゃないんだな……」
健吾の真実味がこもった忠告に苦情を漏らしながら、ロープをたぐってえっちらおっちら登ってきた信玄は、今度は冷静になった瞳で健吾と床にはまったシシン、そしてびっくりしている黒江を見て一言。
「……あぁ、まあフラグたてたんだな、健吾。まぁ連れに男がいることがいままでよりもマシなんだな。でも、いったいこれで何人目だな?」
「ちょ、何変なこと言ってやがる!?」
「あぁ、やっぱりフラグ体質なんやこいつ……」
「あの、いったい何の話を……」
いくら家主が冷静なったといっても、いまいち話は進みそうになかった……。
…†…†…………†…†…
「床抜いたせいでほこりっぽ……」
「バタバタしすぎたんだな……。ハウスダストが半端ないんだな……」
「いや、どっちかっていうとふつうの埃だろこれ?」
「こんな状況になってまでけっこうマイペースですね、あなたたち……」
床が抜けたり人がドタバタしたりでほこりが舞い上がってしまい、到底人が過ごせる状態ではなくなってしまった旧学生寮。そんな中では落ち着いて話もきけないだろうと、黒江だけは狙撃などをされないように窓の陰に座らせておき、シシン、健吾、信玄の三人は寮中の窓を開けて寮の中の舞い上がったほこりを外へとだすことにした。
けっこう手際いいですね……。と、あくせく働きながら窓を開け、埃を出していく三人に、レインベルの付き人をしていて一般以上に家事ができる黒江は少し感心した。
そして現在、寮にある窓をすべて開け終わった三人は、信玄が使っていたおかげで一番きれいになっていた信玄の部屋へと訪れ、黒江にようやく事情を聴けるようになっていた。
「とはいえ……」
だが、床に座った三人のうち真ん中にどっしりと座り存在感を出しまくっている信玄を見て、黒江はちょっと事情を話すのをためらう。
もう指名手配されてしまった健吾や、自分たちを助けるために敵を脅しつけてしまったシシンに事情を話すのはもはや義務なのだが、この少年は先ほどあったばかりの一般人だ。それなのに、なんで健吾さんはこの人追い出そうとしないんだろう……。と、彼女は内心で首をかしげる。
そんな黒江の態度を見て大体何が言いたいのかわかったのか、健吾はため息を漏らし、肩をすくめた。
「こいつどうやら今、自分の寮に帰れないらしくてな……」
「ついうっかりお湯沸かしている間に小火を出してしまったんだな。おかげで現在うちの部屋は使い物にならないし……。仕方なくここに避難してきたんだな」
「んで、俺は正直ここ以外のいい隠れ場所を知らん。だからここを使わないわけにもいかない。だが、こいつを巻き込まないために追い出そうとしてもそれ相応の理由が必要だ。下手をすれば野宿を強いることになるわけだし。だったら」
「もうてっとり早く一緒に事情を聴いてもらおうと?」
「そういうこと! どうだ! 俺ってなかなかよく考えているだろう?」
とどこか自慢げな顔で鼻を鳴らす健吾に、黒江は思わず額を抑えた。
助けてくれたといっても、やっぱりこの人素人なんですよね……。
「事情を知ればもう逃げられない可能性だってあるんですよ? あいつにつかまって私たちの情報を聞き出すために拷問でもされたらどうするんですか?」
「っ!?」
それは考えていなかったのか、健吾の顔に一筋の冷や汗が流れた。彼の反対側に座っていたシシンは「なんや? そんな物騒な事情なん? ただのトリガーハッピーの商業戦士ちゃうの?」と、どこか緊迫感のかけた声で健吾に話しかける。
だが、その不安を払拭したのはなんと信玄自身だった。
「あぁ、それなら大丈夫なんだな」
「あなたは、あいつを知らないからそんなことが……」
「ブッチャケ拷問されそうになったりしたらすぐにここの場所を吐くんだな。というか捕まったらすぐに吐くんだな」
「………………………」
あれ? と黒江は思わず首をかしげる。そして、平然とした顔でその宣言を聞いていた健吾に『どういうことですか?』といわんばかりの視線を走らせた。
健吾の友人なら庇いだてしてくれると思っていたのだが、
「あ、あの……この人あなたのご友人なのですよね?」
「あぁ! ヘタレだからそういったことは一切期待していないけどな!!」
「……」
「最近のオタクのヘタレっぷりなめたらあかんで、黒江ちゃん! こいつら、アニメの女の子見て『ハァハァ○○タン萌え~!!』というか、ネットの匿名掲示板で『いや、あのアニメはクソアニメでしょ、JK~』って言う以外なんも使えへんしな!!」
「健吾……こいつ今サラッと全世界のオタク敵に回したんだな」
へらへら笑いながら毒を吐いたシシンに、これはもうホラーミステリーで有名な「その日暮らしが泣くころ」のスプラッタ殺人を犯さざるえない、といって青筋を浮かべる信玄を、健吾は何とかなだめる。
そんな真剣みの欠ける場の雰囲気に思わず脱力しながら、黒江は大きく息を吐きだした。
「……まぁいいでしょう」
そして、黒江はとりあえずと自分が置かれている状況を説明するために口を開き、
「私は天草大陸から日ノ本へと潜入させられた――スパイなんですよ」
「「「………………………………え?」」」
割とシャレにならないセリフから説明を始めた。
…†…†…………†…†…
黒江から事情を聴き始めてわずか数秒後、
「緊急会議!!」
その話をぶった切って健吾たち男衆は思わず頭を寄せ集め、黒江に背を向けた。
「おいおいおいおいおい!? どーすんの!? 人助けと思ったらとんでもないもの助けてたよ、俺!? 俺なんの言い訳もできないくらい犯罪者だった!?」
「健吾……いつかやると思っていたんだな」
「てめー!? 俺のことそんな風に見てたのか!?」
「いや、そんなヤンキースタイルやったらいつかやると思われてても仕方ない思うんやけど?」
「そういうお前はどうなんだよ、留学生さんよ!? あんたの国のスパイだろうが!? どうにかしろよ!?」
「はははは! 何をおっしゃるうさぎさん! ぶっちゃけ一般人の俺に『あなたの国がうちにスパイ送ってきているんですけど?』って言われても『へ~。そのごめんね?』としか言いようがないやんけ! というかそのスパイ本人に出てこられても反応に困るわ!」
「「確かに!!」」
シシンの筋が通り過ぎている正論に思わずうなずく二人。そんな三人の様子は大体予想していたのか、黒江は諦めきった顔で話しかける。
「あの……続けていいですか?」
「まて、早まるな!! 一寸血迷っただけなんだよな!? わかる、わかるよ……だからとりあえず、自首しような!?」
「最低なんだなこいつ!! 話聞いてものの数分で掌返しやがったんだな!!」
「これが最近のヒーローか……。もう、何も信じられへん!!」
「黙れ、バカども!? いま俺が本当に犯罪者になるかどうかの分水嶺だから本気で黙って!?」
「あの、ですから、それを決めるために話は最後まで聞いてください」
今度は割と強めの語調で告げられた黒江の忠告に、男衆はとりあえず黙って話を聞く体制に戻った。
もっとも内心では、どうやって彼女のすきをついて法律に通報するかを模索していたが。
「おっと……さっそくひとつ通報する手段を思いついたで!! ちょっとトイレいってきていい、黒江ちゃん?」
「そういわれて、おとなしくトイレに行かせる人がいるんですか?」
「というかなんで同じ国のお前が一番最初に思いついてんだ!?」
チッと舌打ちをしておとなしく座りなおすシシンを見て、黒江はコホンと咳ばらいをした後、ようやく話を再開することに成功する。
「といっても元なんですけどね。私は天草から送られた7人のスパイグループの一人だったんですが、この国の情報管理部にあっさりと正体を見破られ、散り散りバラバラに逃げました。当然本国に戻って保護してもらおうとも思ったのですが、天草大陸から帰ってきた本部の返答は『見つかったなら自決しろ。助けは出さん』の一言でして」
「要するに切り捨てられたんだな……」
「ひどいことする国やな!!」
「「「……………………」」」
「ちょ……なんでそこで俺のことそんな目で見つめんの……」
どの口が言う、どの口が……。といわんばかりの視線で健吾がシシンをへこませたあと、黒江は再び咳払いをして話を続けた。
「そんなわけで、見知らぬ慣れない土地で野垂れ死にしかけていた私は、ある少女に助けられました。それがシシンさん、あなたが言っていた人です」
「パツキンクロワッサン?」
「……レインベルと名乗っておられませんでしたか?」
「いや、あいつは自分のことちゃんと『パツキンクロワッサンですわ!!』っていってたで?」
「……」
お嬢様、何があったんですか? と、ちょっとだけ自分の主人が心配になった黒江のつぶやきを聞き、健吾は思わずシシンに視線を走らせる。当然今のはシシンのネタフリなのだが、どうやら真面目な彼女にはあまり通じなかったらしい
案の定ボケをスルーされたシシンは若干哀しそうな顔をしていたが、黒江がそれに気付くことなく話をつづけだしたので、強く生きろという視線を飛ばした後健吾は再び黒江に向き直る。
「ま、まぁ、とにかく、私はその人――レインベルお嬢様に救われたんですよ。どちらにしろ天草からは存在を抹消されていますし、お嬢様自身私の正体を知っても「昔がどうであれ、もう黒江は私の友達ですわ」といってくださったので、ここで第二の人生を歩むのもいいかと思って、お嬢様に恩を返すべく、それからはお嬢様の付き人をしていたんですが……」
そこで先の展開が予想できたのか、健吾は眉をしかめながら呟きを漏らした、
「あいつがやってきたと?」
「はい」
黒江は一つ頷くと、あの青年の正体を教えてくれた。
「彼の名前は東公浩。明確な正体はまだ口にしていませんが……おそらくは六花財閥直轄の情報管理部の闇――暗部組織に籍を置く一人だと思います」
「暗部……」
「まるでどこかの中二臭いラノベみたいな組織なんだな」
「とうとう組織が動き出したか……。エル・プ○イ・コン○ルゥ――ラグナロクの日は近い!!」
「バカ二人は黙ってような?」
真剣な空気に耐えきれない二人を黙らせ、健吾は黒江に話を続けるよう促す。
「当然相手は裏サイドとはいえ国家権力。お嬢様の保護があるとしても刃向うにはあまりに強大な組織でした。そこでお嬢様は私を連れて暗部の力が届きづらいここ第六学園都市に逃げてきたんですが……」
「ちょ、ちょっと待つんだな!」
「奴らはしつこく追って来ました!!」
「今度は真剣な話だから聞いてほしいんだな!!」
先ほどまでの態度を理由に、黒江にきれいに流されてしまった信玄が、真剣な抗議の声を上げる。
「レインベルって聞いて思い出したんだけど、それってもしかして第一学園都市のクラス5なんじゃ……」
「……ええ。お嬢様の名前はレインベル・ヒルトン。学園都市に4人しか確認されていないクラス5の一人にして、征圧力№1とされる《弾幕皇女》と呼ばれる能力者です」
「だったら、わざわざ第六学園都市から逃げなくてもよかったんじゃないんだな? クラス5は数千人近い軍隊と単騎で渡り合える能力者だったと思うんだな?」
「うそ!? うちの長老連クラスやんけ!?」
あの子そんなに強いん!? と驚くシシン。長老連とはたぶんうちのクラス5みたいな殲滅兵器級能力者のことだろうと、健吾はあたりをつけ、
「で、実際なんで、そんな奴の保護を受けているお前が逃げてんだよ?」
「ただの暗部なら確かにお嬢様でも守りきることができたのかもしれませんけど……。東公浩と聞いて思い出すことはありませんか?」
そう言いながら黒江の視線が健吾の方を向く。この時健吾はこう思った、
やっべ……あてられた。全然思い出せないのに!?
気分は教室で先生に名指しで当てられた時だ。せめてもの抵抗を行おうと、アイコンタクトで必死に救難信号を信玄とシシンに送ってみるが、
「あんなこと言うてるけど?」
留学生のシシンは最初から知らないので信玄たちに丸投げ、
「ごめん……思いださないんだな」
信玄は潔く負けを認めていた……。仕方がない、
「右に同じく」
「あなたたち本当にこの国の学生なんですか!?」
呆れきった視線を黒江から向けられバツが悪そうに視線をそらす健吾と信玄。
健吾に至っては内心で、ヤンキーに何求めてんだよ畜生! と逆切れしていた……。
だがその数分後、信玄はよっこいしょと立ち上がり、
「でも、こんな時のために便利な道具があるんだな!! ぱらぱらっぱぱ~!! 机型端末~!!」
ド○えもん? と、健吾が驚く中、信玄はだみ声で自分の部屋の机を指差しながら、その机に書かれていた電源模様をタップする。
すると机の天板が突如光だし、空中にホログラムの電子画面を展開した。
「あぁ、パソコン?」
「NO!! デスクトップ型端末《ネオフロンティア》なんだな!! 演算速度は従来のパソコンの一千倍!! スティック端末をはるかに凌駕するその演算速度を実現したこの端末のCPUは、かの有名なスーパーコンピューター『ラプラス・フラクタル』の構造を小型化したもので、現存する端末のすべてを置き去りにするハイスペックを実……」
「ハイハイ、そういうのはいいから。早く東公浩について調べろ、パソオタ」
「……ここからがいいところなのに」
と、自分のスーパー端末(だが置かれているのは廃墟に近い旧生徒寮だが)の自慢が区切られ、ちょっとだけ不満げな信玄だったが、目的は忘れていなかったのか立ち上がったネオフロンティア何某を操作しネットへと接続。検索サイトに東公浩の名を打ち込む。すると、
「っ!? 第5学園都市のクラス5!? 二か月ほど前に行方不明になっているようだけど……」
「その時に暗部へと入ったんでしょう」
「おいおい……そんな大物だったのかよ!? 能力は――千里眼の完成形態・《全知認識》か」
「それってたしか……目がよくなる能力やったっけ? 戦闘向きとは到底思えへんねんけど」
超能力者の中で最も多い能力の名前は、流石のシシンも抑えていたのか東の戦闘能力に首をかしげるシシン。しかし、それは彼がクラス5の恐ろしさを知らないがゆえに吐けた言葉だった。
「彼は自分の能力を使えば半径数100キロに及ぶ遠視が可能といわれています。また、その範囲内であるなら視覚対象を自由に選ぶこともでき、透視などはお手の物。その気になれば空気中の原子運動すら視認することができるとされています」
「それはまたなんとも……凄いってことはわかんねんけど、行き過ぎてちょっとギャグの領域やな」
「ふざけていい相手じゃありませんよ? こうしている間にも彼はしっかり私たちを補足しているかもしれないんですから。その上で、唇の動きを視認しつぶさにトレースされたら私たちが話している内容すら軽々と理解してくるでしょうし」
「うわっ……」
人権無視も甚だしいな……。と、健吾がややドン引きする中黒江はさらに続ける。
「それに彼の能力の恐ろしいところはそれだけじゃありません。原子単位で物を見ることが可能なうえ、360度すべての領域を抑えている視界を持つ彼に不意打ちは基本的にききませんし、正面から戦いに行っても彼は敵の筋肉の動きや呼吸音、周囲の環境を見て確実に相手の攻撃が通る軌道を先読みし、回避することが可能です。その気になれば紙一重どころか、原子一つ分の回避すら危なげなくやることができるらしいです。さらにそれは攻撃にも影響されていて、相手の動きをすべて読める彼は相手が確実に回避できない絶妙なタイミングで急所に向かって攻撃を放てます。私も、健吾さんが助けてくれなかったらあの時の戦いで頭と心臓を打ち抜かれて、もうこの世界にはいなかったでしょう」
「……」
「まぁ、クラス5って連中はそれくらいの化物だと思っておいた方が無難だろうな……」
説明を聞いたシシンの顔から血の気をひく。
ちょっと脅しつけすぎたか? と、震えるシシンを見て健吾は少し不安になったが、
シシンは、震える声で一言、
「が、学園都市はみんなそのくらいわけのわからん科学用語を操れるんか? やっば……俺もう学校の授業についていける気がせーへんわ」
「……」
もう無言になるしかない健吾と黒江だった。どこまでバカなんだ、こいつ! という視線も忘れない。
「でも、結局のところ同格なんやろ? クラス5どうしで。それにクラス5言うたら、この学園国家ではかなり優遇される階級みたいやん? 留学講習で聞いてんで? 年間数億近い助成金もらっているうえに、クラス5になればかなりの企業が後ろ盾としてついてくれるって」
少なくとも暗部に流れた男よりかは、公的権力は高いはずだ、とシシンは楽観的な笑みを浮かべた。だがしかし、その言葉も黒江は否定した。
「それができないのです……。そしてそれが、私がお嬢様から離れた理由でもあります」
「ん? どういうことなん?」
「おそらくこういうことなんだな……」
首を傾げたシシンに答えを提示してくれたのは、黒江ではなくネットサーフィンを続けていた信玄だった。
彼はホログラム画面を指で触れ移動可能にし、フリック。シシンに向かって画面を飛ばす。
便利やな~。と驚く、シシンと共に事情がまだ分かっていない健吾もその画面を覗きこむ。そして、そこに書かれていたネットニュースの見出しを見て驚いた。
「これ、パツキンクロワッサンやん!? なになに……能力劣化によってクラス4に降格。って、うわ~タイミング悪いな、クロワッサン」
確かにな……。と、あららといいながら笑みに若干苦いものを浮かべたシシンに、健吾は内心で同意を示す。
第一学園都市でクラスによって保護されていたレインベルは、黒江が東に追われ始めた直後に、もう一人のクラス5《氷河時代》との模擬戦によって判明した、能力の劣化によりクラス4へと降格されていた。
これでは確かに、暗部に落ちたとはいえクラス5の実力を持つ東を撃退するのは難しいだろうと、シシンが思っていると、黒江が震える声で、
「違います……」と、つぶやいた。
「違うって……なにが?」
「お嬢様は能力の劣化など起こしていません。《氷河時代》はもとより現状確認されているクラス5の中で最強といわれる能力者。もともと負けて当然の模擬戦でした。ですが、お嬢様が負けた途端無数の科学者が寄ってたかってお嬢様を調べ始めて……出した結論が、能力が劣化したから負けたのだ、というものでした」
「うん? それは当然なんと……」
「!?」
シシンがまだ首をかしげている中、健吾はようやく気付いたのか、その事実に息を飲み、その後強くこぶしを握り締める。
そこまでやるのか、六花財閥!! と、
「シシンはちょっと素直すぎるみたいなんだな~」
そんな健吾の様子を見ていた信玄があくまでバカなことを言っているシシンに対して歯止めをかける。
その代りに、今度は健吾が――答えは多分これだろう? と、問いかけるような視線を黒江に向けながら、
「上からの圧力で……検査結果を改竄しやがったんだな、その学者たちは」
正解を告げた。
「はい……。そのせいでお嬢様はバックアップを受けていた企業から縁を切られ、ご両親からも勘当されてしまいました……。すべて、私を守るお嬢様から力を奪うための、東の策だったんです!!」
悲痛な声でそう言い切ると、黒江は悔しそうに寮の床を殴りつけた。
ボロイ床に振動が走り、また埃を巻き上げる。
「私の……私のせいでお嬢様は、住み慣れた第一学園都市からも、まだ甘えてもいいはずだった親からも――逃げなければなりませんでした。私は恩人に受けた恩を――あだで返してしまった!! だからっ……」
悔し涙を流す黒江に、なんと言葉をかけていいのかわからない健吾と信玄はお互いアイコンタクトを交わしどうするか相談する。だが、
「だから? あぁ……君死のうとおもてたんや?」
「っ!?」
「「なっ!?」」
シシンが笑いながらあっさりと言った予想に、健吾は思わず息を飲んだ。
「なに、バカなこと言ってんだ!? 死んで誰かを助けるなんて、そんな前時代的考え方をするわけ……」
ないだろう! と言おうとしたところで、健吾はようやくある事実に気付いた。
黒江が一瞬息を止め、そのご「どうして……」とつぶやきながら、ぶるぶると震えはじめたことに。
「本当……なのか?」
「っ!!」
「お、その態度正解? 正解? おいおい黒江ちゃん。そういう悲劇のヒロインは小説の中だけにして~や。つい助けてフラグたててやりたくなるやん!」
「どう……して、わかったんですか?」
「え? いや、だってぱっと考えたらわかるやんか? 天草は頼れへん。日ノ本は元から敵地。唯一日ノ本の中で暗部の手が届かへんと思っていた第六にも結局権力の手は伸びていたわけやし、もう逃げ場なんて全然ないわけやん。孤軍奮闘にもほどがあるわけやん? そんな状態であの東とかいう商業戦士撃退しても、次の奴らが追ってくるだけやし? せやったらせめてあのお嬢様から離れて、自分はどこかでのたれ死ぬか暗殺される。そうすればお嬢様は、もともと能力そのものは失ってないわけやから実質クラス5のままなわけやし? 六花財閥もクラス5をみすみすなくすんは惜しいから、誤診やったことを世間に告げてレインベルを元の地位に戻すやろうし? そうなれば、お嬢様はふつうの生活に戻れるんちゃうかな~? と、考えるんが君らしいかな~って思って。ほんまはこいつに助けられた時も死んでもええと――むしろ自分は死ぬべきやとか思ってたんちゃう? 敵があやしまへんようにそれ相応の戦闘はしたみたいやけどな」
いやはや義理堅いな~。忠犬ハチ公バリに義理堅いな~。と、頷くシシンの予想に健吾は思わず絶句し言葉を失う。だが、
「でもさぁ、それはちょっとさびしい結末ちゃうかな?」
「っ……」
彼女を助けた健吾ですら口をはさめなかった状況を、シシンは軽く切り裂き、不真面目に笑いながら、黒江の決意を否定する。
「いやだってさ、君が守ろうとしているお嬢様かてそんな終わり方、望んでへんと思うんよ? こうして見ず知らずの俺に頼み込んでわざわざ君探してもらうくらいやし? それ無視して死ぬんはなんかちゃうやろ? なあ、黒江ちゃん?」
もうちょっと頑張ってみーひん? と、シシンは笑いながら告げる。だが、
「っ――!! ッ――!!」
帰ってきたのは、
「ふざっ――けるなっ!!」
怒りに満ちた黒江の怒声と、シシンの頬を張り飛ばした彼女の平手だった。
「あなたに何がわかるんですか!! 天草大陸で平和に生きていた普通の学生風情に、いったい何がわかるんですか!! わたしにはもう帰る場所がないんですよ! 帰る場所だった人も、私が傷つけてしまったんですよ!! だったら、もう私は死ぬしかないじゃないですか!! 死んで詫びるしかないじゃないですか!! 死んで、またあの人が笑って暮らせるように――消えることしか、できないじゃないですかっ!!」
泣きながら、叫びながら――黒江はそう言い捨てると、逃げるように部屋を飛び出した。
健吾はしばらくその光景に呆然とした後、
「いかんでええんか? あのままやと多分死ににいくで黒江ちゃん?」
張り飛ばされてもまだ笑顔を浮かべているシシンに背中を押され、
「――っ!! おい、待てよっ!!」
健吾は矢のように自分の部屋から飛び出した。
…†…†…………†…†…
張り飛ばされたシシンは、苦笑をうかべながらホホをさすり、
「あいたたたた~。失敗してもうた~。やっぱり女の子っていうのは難しいな~」
「月並みに恥ずかしいセリフ言ったのに残念だったんだな。フラグ立ちならず」
「攻略難易度高すぎんで、あの嬢ちゃん」
彼女いない歴=年齢のおれには厳しい相手やったわ。と、シシンは内心で肩をすくめた。
いつもと変わらない軽い雰囲気で、信玄と軽口を交わしながら肩をすくめた。そして、
「まぁ、あとはあの子助けたヒーロー君に任せよか?」
「君がなりたかったんじゃないんだな?」
「あいにく俺は根っからのモテへん男でなあ~」
女の子を口説き落とすんはめっぽう苦手や!! と、張り飛ばされたことなど気にしていない様子でシシンは明るく言い放った。
もとより彼自身も、シリアスなんて性に合わないことは自覚している。この結果はむしろ望むところや、とあくまで前向きに自己完結。
そして、
「俺はべつにヒーローになれへんくてもええねん。誰かが笑って、ハッピーエンド迎えられるんやったら、ヒーローなんて誰でもええんやし?」
ほんの一瞬、浮かべている笑みに真剣なものを浮かべた。
思い出すのは昔の記憶。ある事情で蔑まれ故郷にいる人間すべてから蔑まれ、同年代の連中には苛められ――泣いてばかりいた自分に父親が告げてくれたあの言葉、
『おーいシシン! とうとう俺の最強の魔剣ができたぞ!! 名付けて《笑刀・オオギリ》!! これに着られた人間はとにかく笑いが(死ぬまで)止まらなくなるっていう優れものだ!! これで相手を叩き斬れば大抵の事件はハッピーエンドにできるぜ!!』
『親父、親父、その刀見た人に笑顔に対してのトラウマ植え付けるぐらいにしか使えへんと思うねん』
『マジか!?』
あれ? 思い出す記憶を間違ったやろか?
「まぁええわ」
「??」
「さてさて……取りあえず黒江ちゃんたちが返ってくるまでやることないし、暇つぶしになんかオモロイゲームない?」
「あ、それならちょっと懐かしい対戦ゲームがあるんだけどやるんだな?」
「おぉゲームか。懐かしいな。ブラクラあるブラクラ。日ノ本から輸入されたカセットって聞いたことあんねんけど」
「ほう!? あの往年の名作をチョイスするとは、シシン――なかなかの通なんだな!!」
先ほどまで張りつめた空気が漂っていた部屋には、もはやそんな痕跡はみじんも残っておらず、シシンの周囲にいつも漂う楽しげな空気だけが満ちていた。
…†…†…………†…†…
「おい、待てって!! 待てよっ!!」
廊下を出てすぐに黒江に追いついた健吾は、玄関へと向かおうとする黒江の手を必死に捕まえて何とか彼女を押しとどめていた。
「はなして……離してください!!」
「……このまま俺が手を放したら、お前一体どこ行く気だよ!!」
「もういちど……《全知認識》に――東に挑みます。そうすればあいつは確実に私のことを殺す。そうすればお嬢様は元の生活に戻れるし……あなただって!」
「ふざけんじゃねェ!! だったらお前、どうしてあの時……あいつに殺されそうになっていた時、あんな悲しそうな声で……あんな悔しそうな顔で……泣きそうになっていたんだよ!!」
「っ!!」
健吾にそう指摘され、黒江は息を飲みようやく暴れるのをやめた。
「それ……は」
「本当は死にたくなかったんだろ!?」
「……」
「もっと生きていたいんだろ!!」
健吾の追及に、黒江はようやく健吾の方へと向き直り、小さく頷く。
そして、再び瞳から涙をこぼしながら、でも……。と自分の望みを否定した。
「……でも、もうこれ以外、どうすることも、できないんです。私が死ぬことでしか、もうこれを解決することは、できないんですよ」
苦しそうに泣きながら、黒江は悔しそうに自分の手を取ってくれている健吾の手を握り返す。
「もっとお嬢様と笑っていたかった。もっと、お嬢様と遊びたかった。あなたたちともいろいろ話してみたかった」
恩を返せていないとか、迷惑をかけてしまったからとか、そんな建前はどうでもよくて、彼女はただ、自分のことを友人と言ってくれたレインベルと、一緒に平和に暮らしたいだけだった。
だがもう遅い。すべてが遅い……。敵はもう、私が死ぬべきところまで私を追い詰め終えている。と、そう言って泣きわめく黒江の手が、力一杯健吾の手を握り締める。
死にたくない、と。手を離さないでと、そういわんばかりに強く握りしめてくる。その姿はあまりに痛々しく、元暗部とはいえ同い年の少女がそんな顔をするのは悲しすぎた。
畜生……ふざけんなよ……。と健吾は思う。
こいつが一体何をした。スパイをしようとしたことは確かに悪かった、不法入国もしたんだろう。だがそれだけだ。
スパイは事前に防がれ未遂で終わり、その後は祖国にも捨てられ、失意のどん底にいたところを一人の少女に救われ、ただ平穏な日常を望むようになった。
そんなこいつを、なんだってお前らはそんなに痛めつけようとするんだ!! と、健吾は本気で六花財閥暗部に対して憤りを覚える。
だから彼は言ってやった。
お前らの思い通りになんかにさせない、と。こいつは絶対殺させない! と、鋼の決意を胸に秘め、健吾は内心で宣戦布告する。そして、彼はまずその戦場に立つために、
「バカ野郎……俺だってそうだったさ」
「え?」
黒江の泣き顔を隠すかのように、自分より頭一つ分低い位置にある黒江の頭を抱きかかえ自分の胸へと抱きしめた。
「っ……」
「俺がサイボーグだってことは知っているな? そして、サイボーグはあいつの言うとおり《使えない技術》として学園都市に捨てられたものだ」
健吾の声に辛さはなかった。しかし、彼が語った過去はあまりに辛すぎるものだった。
「第三学園都市っていってな……今思い出してもあんなに腐ったところはなかったよ。失敗した被検体たちは『維持費に予算がかかるから』って、みんなみんな打ち捨てられていたんだ。俺もその一人だった。『誰もがまねできない、特別な存在になってみないか?』なんて言葉に踊らされて、サイボーグ化の人体実験に協力しちまった俺は、その研究が使えないと分かった途端着のみ着のままで研究所を追い出された。頼れる家族も親戚も友人も――いなかった。第三学園都市は孤児院の都市としても有名でさ。まぁ、目的は慈善事業なんかじゃなくて、人体実験の検体を手に入れやすいからなんて理由だったんだが。そんで、人体実験に協力したなんてことからわかるように――俺も孤児だったんだよ」
そこから先は地獄のような日々が続いた。生きるための水や食料にすら事欠き、通行人に汚いゴミだ――景観を損ねると虐待を受け、みじめな姿をさらし続けた。
だが、そんな日々の終わりは唐突にやってきた。
「その日は第六学園都市で教師やっていた人がたまたま第三学園都市に来ていてさ。その時――町の住人に虐待を受けている俺を見つけて助けてくれた」
その教師はそのまま健吾を第六学園都市へと連れ帰り、いろいろと面倒を見てくれたそうだ。
健吾でも入れる学生寮の確保に、第六学園都市の《孤児救済助成金》の申請。そして、第六学園都市の小学校に入るための編入手続きなど、健吾が学生らしい生活を送れるように、できることは何でもしてくれた。食うに困っているようならわざわざ仕事の時間を割いて、食材を買ってきて料理を作りに来てくれたりもしたそうだ。
「だけど、俺は不思議だった。なんでこんなに俺にやさしくしてくれるのか? と。俺は聞いての通りもう能力に目覚める可能性は皆無。終生落ちこぼれが決まっている出来損ないだ。おまけに、当時は可愛げのない薄汚いぼろ雑巾のようなガキだ。そんな奴に無償で、助けの手を差し伸べてくれるあの人が、どうしても理解できなかった」
だから健吾は聞いた。「どうしてこんなに自分によくしてくれるのか?」と。「助けたって何の価値もない……生きているだけで邪魔になる自分をどうしてそこまでして助けてくれるのか?」と。
対して、その教師が笑いながら返してくれた返事は、
『はぁ? ガキが一体何ぬかしてやがる? お前あいつらに苛められてた時『死にたくない』っていったろ? それが答えだよ。生きたいって言っている奴をみすみす見殺しにするような社会、あっていいわけねーだろ』
そして教師はさらに続けた、
『生きているだけで邪魔になる? 生きているだけで悪い? そんな奴は存在しねーよ。そこに存在したのはただの薄汚いガキだ。それ以上でもそれ以下でもねェ! だがな、いいか! 俺がお前を拾ったことは偶然じゃねェ! お前が生きたいと願ったから俺はお前を拾ったんだ! お前は俺に助けられたんじゃない! お前が生きたいといったから、お前がお前を助けさせたんだ!! 俺はお前を助けているんじゃない、お前が助かれるように力を貸しているだけだ!!』
なんという無茶苦茶な理論だと今思い出しても健吾は思う。あの女教師はガサツなうえに口まで悪かったと苦笑を浮かべる。そして、助けるという言葉をなにより嫌っていた。自分なそんな上等な人間じゃないと……常にうそぶいていた。
だから健吾も助けられたなんて言わない。助けてもらったなんて、口が裂けても言わない。
そして、だからこそ、健吾は何のためらいもなく、困っている人に手を伸ばす。
「お前が立っているところはつらいだろう? 苦しいだろう? でも、死にたくないんだろう? だったら諦めんな。必死にあがいて、もがいて、泣き叫んで、ちゃんと生きて笑えるようになりたいと言え!! お前自身がそれを強く望んでくれるなら、俺はあの人みたいに全力で力を貸せるんだから!!」
自分も誰かを助けられるような上等な人間じゃない。でも、そんな自分でも力を貸せば、助かることができる人が必ずいると、健吾は知っているから。
そして、そんな健吾の言葉を聞いた黒江は、
「う……うぁ」
今まで心の中にため込んでいたものを、小さく口からもらし、
「よ、よろしく、お願いしますっ!!」
「おう、任せろ!」
震える声で、かすれた声で、それでもしっかり健吾には届く声で――初めて頼ってくれた。
中盤突入。
それにしても、前と同じように健吾の主人公力がシシンをはるかに凌駕しているような……。