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林檎のリンゴ

作者: 犬骨

皆さんこんにちは、私は橘林檎。

突然ですが皆さん。今非常に面白いです。


 放課後、私はアルバイトの為、部活動の喧騒を背に下校していた。

 夕陽に赤く染まる通学路の坂道には人気がなく、秋風が寂しく吹いている。私のアルバイト先である『今昔古書新書店』はこの通学路に面した坂道の曲がり角にあり、立地条件にも恵まれてはいるのだが、扱う品々が際物すぎて学生たちは近寄らない。そのため儲けも少なく時給は500円と安いが、特にする事もないのでカウンターに座るだけの楽な仕事は気に入っていた。

 いつも通り角を曲がり店内に足を踏み入れようとしたところで、私はある異変に気がついた。


「桧……蜜柑?」


 入口付近の古びた看板の陰で、何やら気恥ずかしげに俯くクラスメイトがいる。腰まで伸ばしたロングヘアに、すらりとした高身長が特徴的。精緻な人形のような表情は、夕焼けの中でも解るほど真っ赤である。

校内ではクラス男子の注目を集める、その端麗な佇まいから発せられた清楚かつ高貴な雰囲気は、看板裏に納まりきらず周囲にその存在を訴えかけていた。


 確か蜜柑は茶道部の部長でこんなところで油を売っている暇はないはずだが……。


「蜜柑? そんなところで何してるの?」

「ひっ!? あっ、あっあなたっ!? たたた橘林檎!? どうしてここに!」

 私の声に驚き、顔をはね上げた蜜柑はわたふたと手をふり何やら否定の態度をとる。と、慌ただしく振った手から紙片がこぼれおち、風に乗って私の方へ舞ってきた。


「私ここでバイトしてるから……ってなにコレ?」

 私は無意識にそれを手にした。薄桃色の、ハートのシールで封がされた、一枚の封筒を。

「いやぁぁぁぁぁぁあああああ!」


 蜜柑は絶叫しつつ封筒をもぎ取ると、私の胸倉を掴み上下にゆすってきた。

「忘れなさい! 今見たものすべて忘れなさい! 他言無用です! いいですね!」

「別にいいけど……店長のどこに惚れたの? あの人オジサンだし結構なロリコンだよ」

「店長じゃないわよ! 西瓜くんよ!」

「へぇ……西瓜の事好きなんだ」


 柊西瓜。クラスメイトの一人で、我が今昔古書新書店のエースである。楽な仕事内容と給金を目当てに努める私とは違い、純粋に本が好きだから仕事に励む文学好きの男子生徒だ。

中肉中背、無口無感動と人に好かれる要素が何一つないこの男が、クラスのアイドルである蜜柑に思いを寄せられていると。これは一波乱が起きそうである。

 

したり顔で頷く私の前で蜜柑は自ら墓穴を掘った事に気づき、赤い顔を更に赤くして目に涙をためる。彼女は手に込める力をさらに強いものにして、ぐいっと私に迫った。

「ていうか今日西瓜くんがバイトの日でしょ! 何であんたが来んのよォ!」

「西瓜なら今日私用で遅れるから代わりに私がその間を埋める事になったの。ストーカー張りに行動チェックしてるねぇ」


「お黙りッ!」

 私を突き飛ばしぜぇぜぇと粗い息をつく彼女。暫く押し黙り息を整えると、両膝を軽く震わせて懇願するような眼で私を見つめてきた。

「お願いですから、この事は内密に……」

 私もこの事を種に蜜柑からたかるほど落ちていない。ただどうしても解せない事が一つある。


「別にいいけど……一つ聞いてもいいかな? アレの何に惚れたの?」

 真剣な面持ちで私は蜜柑を見つめた。あの朴念仁に心トキメク要素が欠片でもあったろうか? 蜜柑はそんな私に深いため息を漏らし、軽くはにかみながらもそもそと口を動かした。


「アレとか言わないで下さる……? あんたは知らないだろうけど、私あの人に結構助けられているのよ。あのさ、中学の臨海学校の時、あたし海で溺れたのよ」

「あ、知ってる。体育教師盛夫が活躍したあの事件でしょ」

「うん、そう……て、ええええええええええええ!? 何それ! 何の話!? 何で盛夫が出てくるの!?」


 蜜柑は目を白黒させて悲鳴に近い声を上げる。両手のこぶしを握りしめ、力むように顎の下に持って来ると力の限り否定した。私は昔聞いた噂を思い出そうと額に手をやり、やがて鮮明に浮かび上がってきた事件の全容を口にした。

「え? だって三年前の納定中学での話だよね。蜜柑が一人で勝手に遠くまで泳ぎに行って、足吊った所を盛夫が得意のクロールで助けたってお話。その時西瓜は保健委員だったから付き添ってただけだよ」


「何!? その知ってるようで知らない話!? え!? どういう事!? 私あの時西瓜くんに助けられたんだけど!?」

「えっ? 私が聞いた話だと盛夫にって言われてたよ。蜜柑、西瓜に助けられたの? その時の事はっきり覚えている?」

 問われて、蜜柑は口をいの字に押し広げたまま押し黙り、思案するように視線を左右へと這わせた。やがて強く握っていた拳の力を抜くと深く頭を垂れて、蚊の鳴くような声で言った。


「覚えてない。気付いたら助かってて、西瓜くんが看病してくれていたから……でも、それだけじゃないの。まだ他にもあるんだから」

 再び拳を握る彼女は、遠い過去を見るかのように遠い目で斜陽を眺めて、とうとうと語りを始めた。

「あれは去年の夏の事だったわ。夏季合宿で山のペンションに行った時よ。あの時皆で肝試しをやったの。その時、私ったら一人はぐれちゃって――」

「ええっ! 去年の日比谷山肝試し遭難事件で管理員さんに保護されたのって蜜柑だったんだ」

「ちょっとそれどういう事ぉぉぉぉぉ!?」


 またもや絶叫し、私に飛びかかってくる蜜柑。再び胸倉を掴まれ、今度は店の壁にへと押し付けられる。加減を知らない締め付けに、私の呼吸は荒いものに変わった。

「ちょっと痛いよ! 放して! 落ち着いてよ!」


「これが落ち着いていられるものですか! どうなっているの!? 一体何がどうなっているの!? 私助かったと思ったら緊張がゆるんで気を失って! 気付いたら西瓜くんが看病してて! 誰が助けてくれたのって聞いたら、西瓜くんだって管理員さんがァ!」

「魔の保健委員だね……。それ看病したのが西瓜だから、管理員さん西瓜が助けたって言っちゃったんだろうね」

 私の言葉を聞いて、みるみるうちに蜜柑の手の力が抜けていく。暫く呆然と虚を見るように彼女は眼球を動かしていたが、やがて落ち着きを取り戻したのか目の焦点を再び私に合わせると、柔らかな笑みを浮かべた。


「まだよ、まだあるんだから。今度は確実な奴。丁度去年の冬! バスの定期券を落とした私が困っていた時、西瓜くんが私の定期券を見つけてくれたのよ。これはちゃんと手渡しで受け取ったわ」

「ああ、苺が見つけたやつ。苺蜜、柑の事が嫌いだから西瓜に渡すように頼んだって――」

「やめろぉーーーーー!」

 蜜柑は拳を振り上げて力一杯看板を叩いた。派手な木の砕ける音に上下二つにへし折れる看板。路上に散る木端と共に涙の滴を落としながら、蜜柑は激しく地団太を踏み始める。


「ちょっとこれから告白って時に妙な告白しないでよ! どーしてくれんのよ! ここに来るまで散々もんもんして愛と苦悩で固めた決意が揺らぎに揺らいで最早原形止めてないじゃない! 私の恋が! 私の初恋がァ!」

「い、一度、考えなおしてきたら?」

 流石に気の毒になって来た私は、低い嗚咽をあげる蜜柑の背中をさすり、彼女の帰路の方へ体を向けさせた。

と、そこで背後に気配を感じた。


 も、もしや。

 引きつった笑顔が顔面を支配する。

 隣の蜜柑は私とは違い、恐怖と居た堪れなさに表情を歪め、オドオドと体を微かに揺らした。

 私と蜜柑は体を寄せ合ったままゆっくりと振り返った。


「何してんだ? 看板砕けてんじゃねぇか。おい」

 一人の男子生徒が訝しげにこちらを睨んでいた。中肉中背でここに極めりという仏頂面。表情のこもっていない眼は、私たちと看板を往復するうちに微かに怒りを秘め始めていた。


「随分早かったね……西瓜……」

「あァ。先方から用事をキャンセルしてきてな。それはそうとこれはどういう事だ? それに何で桧さんまでいる? 林檎、返事を――」

 いきなりだった。

 西瓜が言い終える直前、蜜柑の肘から先が消えて奇麗に彼の頬をとらえた。頬を張る小気味のいい音がすると同時に、蜜柑は身を返し自らの帰宅路を泣きながら疾走していく。

「馬鹿ァ!!」

 という言葉を残して。


 かくいう私も、胸の奥からむらむらとした赤い炎が沸き起こってくるのを感じた。腹から上がる灼炎はその内に納まりきらず燻ると、耐えきれずに言葉として吐きだされた。


「西瓜! あんたってサイテーだね! 気を引きたかったのか何だか知らないけど! あんたのその思わせぶりな態度のせいで一人の乙女が傷ついたんだよ! 今まであんたの事本にしか興味のない虫食い馬鹿だと思っていたけど違ったよ! あんたはとんだゲスヤローだ! バイト先でもあたしに話しかけるんじゃないよこのゲスヤロー! 死ねっ!」

 それだけ言い切ると、私も蜜柑の後を追って路地を駆けだした。


「俺が……」

 ぼそりと、呟く声が風にのって聞こえた。

「俺が……何をしたって言うんだ」


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