揚羽蝶《ラン》
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こいつ、名前はランっつうらしい。そのまま放っておいてもよかったんだが、そのままどこぞの誰かに食われたりしたら何となく目覚めが悪いんで、俺の寝床まで連れて来た。その道中で聞き出したんだ。
「ほら、まだ残ってたぜ。薬草」
「………」
保存しておいた薬草を放ってやると、ランは受け取りはしたが相変わらず俺を警戒しているようで、じっと俺を見ているだけだった。
俺も腰を下ろし、何となくランをじっと見つめる。暫く、俺もランもそのまま動かずにいた。やがて、それに飽きた俺は軽く散歩でもしようかと立ち上がった。その拍子に、ランはビクッと身を引いた。
「あのな…その反応、流石に傷つくぞ……」
苦笑いを浮かべると、ランは気まずそうに目を逸らし、じりじりと後ずさった。そんなランを置いて俺は外に出た。相変わらずの熱い日差しと、やかましい蝉共の鳴き声が、襲い掛かってくる。
「っくあ~! あっち~なぁ、おい!」
太陽に向かって文句を言ってやったが、それでこの暑さがどうにかなるわけでもなく、ただ無駄に叫んだだけに終わった。そのまま寝床に戻ってもランが俺を警戒するだけだから、仕方なく俺はもう暫く辺りを歩くことにした。途中、俺の目の前を横切った蛾を食った。そいつには悪いが、あまり美味くはなかった。
日も暮れてきて、そろそろ面倒な狸やらが動き出す時間帯になり、ようやく俺は寝床に戻った。
「ん? まだいたのか。とっくに逃げ出したのかと思ったぜ」
俺が出て行った時とまったく同じ場所で、ランは座っていた。薬草にも、手を付けていない様だ。
「……手、届かないの」
ここにきて、ようやく口を開いた。何のことを言っているのかは、どう考えても薬草のことだろう。
「そうだったのか。悪かったな、気が付かなくてよ。ほら、俺がやってやるから貸せ」
そう言って手を伸ばすが、彼女は暫く躊躇し、それからようやく薬草を手に乗せた。
「本当だったのね」
俺が磨り潰した薬草を羽に塗ってやっていると、ランはそんなふうに言い出した。
「何が?」
「噂。変わり者のセンは蟷螂なのに自分の寝床をもってるって」
「まぁ、何となく作ったらなかなかに居心地がよかっただけだ。ってか、なんで俺がセンだって知ってんだ?」
「さっきの奴がそう呼んでた」
そういえば、そんな気もするな。しかしまぁ、そんなことを話していても仕方がないので、俺は話題を変えてみる。
「ラン、お前はこれからどうすんだ?」
途端に、黙ってしまう。それも仕方ないことだろうな。
「羽が治るまではここにいてもいいが?」
そう言ってやると、彼女は驚いて顔を上げた。
「……いいの?」
「いいさ。別に迷惑でもなんでもない」
「そんなこと言って、お腹が空いたら私を食べるんでしょう?」
まだ言ってんのか……。
「食わねぇったら食わねぇよ。それとも、食ってほしいのか?」
俺が自慢の鎌を見せてやると、彼女は予想どおり青ざめて後ずさった。「冗談だって」と笑ってみせたが、それでも俺が寝るまでは、俺から逃げるように隅で小さくなっていた。