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第四話

 一人になった家の中で、レオはじっと座って、窓から見える空とのんびり横切っていく雲を眺めていた。さきほどの少女の悲しげな顔が、こぼれる涙が、なぜか頭から離れない。

 そうして数分たっただろうか。家の扉を叩く音でレオは我に返った。

「誰だろ」

 ローサならはノックなどしないし、村の人が訪ねてくるときも、こんな控えめな音ではない。

 訝しく思いながらドアを開ける。その場に立っていた人物を見て、レオの目が大きく見開かれた。

「失礼。昨夜、川で溺れた少女を保護したというのは、こちらだろうか」

 礼儀正しくかけられた言葉にも、とっさに反応することができない。

 五年ぶりだが、まちがいない。父が死んでから、レオが目標としてきた騎士。

「あ……アマデオ将軍!」

 今日は鎧姿ではなく、青を基調とした騎士団制服の腰に剣を差しただけの姿だが、流れるような金髪と鋭い視線は見間違いようもない。大陸西部を守護する神聖騎士団第四軍団長、アマデオ・セルバンテス将軍その人だった。

 驚きと感激の入り混じった目を向けてくるレオに、アマデオはしばし戸惑っていたようだが、レオの体と扉の隙間から見える壁に立てかけてある剣を見て、目の前の少年が誰か思い当たったらしい。

「君は、もしやジークフリート殿の……」

「はい、息子のレオンハルトです!」

 レオの返事に目を細め、改めて少年を眺める。

「そうか……大きくなったな」

 五年前の、父の剣にとりすがって泣く姿と重ね合わせているのだろう。

「俺、アマデオ様みたいな騎士になりたいんです!」

「ふふ、それは光栄だな。君はあのジークフリート殿のご子息。努力を怠らなければ、必ずや立派な騎士となれるだろう」

 あこがれの騎士からかけられた言葉に、レオは天にも昇る気持ちであった。

「あ、ありがとうございます!」

 満面の笑顔でこたえた後、いつまでも将軍を家の前に立たせていることの失礼に気付いた。

「あ、すみません。どうか入ってください。狭い家ですが」

 慌てて家の中に招き入れ、一番ガタの来ていない木の椅子をすすめる。

「ところで、今日はどうしてこの村に?」

 先に告げられた要件が全く耳に入っていなかったレオがたずねると、アマデオはそれまでのにこやかな表情を消し、どこか暗い顔で話し始めた。

「ああ、そのことだが。レオ君、昨夜、川で少女を助けなかったか? 村長にこの家だと聞いてきたんだが」

「少女? アリシアのことですか?」

 何気なく答えたレオに、アマデオは身を乗り出す。

「やはり、ここにいるのか? そ、その少女はどこだ?」

 急に声を荒げたアマデオにレオが戸惑っていると、ちょうど扉が開き、室内に向かって声がかけられた。

「アマデオ……?」


 戸口に立っていたのはローサ。驚いたようにアマデオを見つめている。そしてアリシアは、なかば隠れるようにその後ろに佇んでいた。

 レオは、その姿にしばし見とれた。さっきまで汚れて何色かもわからなかった髪が、日差しを照り返して銀色に輝いている。レオは初めて目にする色の髪だった。

 その間にアマデオは立ち上がり、ローサに丁寧に一礼する。

「ローサ殿、お久しぶりです」

 そして隣の少女に目を向ける。自分をじっと見つめるアマデオに、アリシアはなぜか怯えているようだ。

「その髪、その眼。まちがいない」

 アマデオは呟き、その場に膝をついて頭を垂れるそして

「お迎えにあがりました。皇女殿下」

 その一言で場の空気が凍りついた。レオとアリシアは言葉の意味がとっさに理解できず、彫像のように固まったまま言葉の主を眺めている。ローサだけがあまり驚いた様子もなく、沈痛な面持ちでアリシアをみていた。

「な……何言ってるの」

 震える声で問いかけるアリシアに、アマデオは顔を上げ、

「あなた様は十五年前、生まれて間もなく帝城より誘拐された、皇女殿下にまちがいありません。私は帝国の命を受け、あなた様を探しておりました」

 二人の会話を聞きながら、レオはぼんやりと以前母に聞いた話を思い出していた。現在十八歳の皇太子イグナシオには三歳下の妹がいたが、生まれてすぐに病気で亡くなったと。

(その死んだはずの皇女がアリシア? そんなことが……)

 レオの思考は、アリシアの叫びに遮られた。

「うそ! 騎士の言うことなんか信じられない。騎士団は、帝国は……」

 涙のたまった瞳でアマデオを睨み付ける。

「私の村を襲ってみんなを殺した、仇なんだから!」

 家じゅうに響くアリシアの声。しかしアマデオは少しも動じず、淡々と言葉を重ねる。

「殿下を危険にさらしたこと、まことに申し訳ありません。しかし、かの村の者どもは皇女殿下をさらった罪人。さらには教会の教えを踏みにじり魔王を復活させんとする邪教の徒です。神の裁きを下すことこそ世のためなのです」

 アマデオの目には一片の後悔や後ろ暗さも宿っていなかった。自分の言葉を欠片も疑っていないのだろう。

「山奥の村で暮らしている人たちを問答無用で皆殺しにすることが、世のためなの? ふざけないで! お父さんを、みんなを返してよ!」

 アリシアの血を吐くような叫びも、アマデオの表情に少しの波紋を立てることもできない。

 このときレオが受けていた衝撃は、かつて経験したことがないものだった。アリシアが皇女だと言われた時の方がまだしも冷静だった。

(騎士団が村を襲って皆殺し? そんな馬鹿な)

 しかし、アマデオは否定しなかった。必要なことだからと認めたのだ。

(そんな……騎士団がそんなことを……)

 小さな頃から、騎士とは全ての者を守れる存在であり、レオもそうなりたいと目指してきた目標であり夢そのものだった。その理想が脆くも崩れようとしている。何が真実で何を信じればいいのか。レオはもう何も考えられなかった。

「ご理解いただけないのなら仕方ありません。なんとしても、お帰りいただく」

 アマデオが立ち上がり、一歩前へ出る。アリシアは押されるように、家の外へと後ずさった。

「いや! 来ないで!」

 どこか遠くから聞こえる様なアリシアの声が、真っ白だったレオの意識に染み込んでいく。まだ出会ってわずかな時間しかたっていないが、その中で見た悲しげな寝顔、無理に作った微笑み、思わずこぼれた小さな笑顔、レオを見つめる青い宝石の瞳が浮かんでくる。

「助けて! レオ!」


 ふと気づくと、家の前の道で、鞘に入った剣を手に、いつの間にかアマデオと向かい合っていた。背後にアリシアを庇う形だ。

「レオ……」

 驚いたような小さな声が背中から聞こえた。

「レオ。どきなさい」

 アマデオの静かな声で我に返ると、全身から冷や汗が噴出してくる。今、自分の目の前にいるのは、あまりに大きな相手だ。帝国騎士団総勢の五分の一を束ねる、歴戦の騎士。立ち向かうなど、どう考えても無謀。それに、彼がレオにとってあこがれの存在であることも変わっていない。

 だが。

「いやです」

 今この場で、嫌がるアリシアを強引に連れ去ることを座して見ているわけにはいかない。アリシアが本当に皇女なら、帝都に帰ることが正しいのはレオもわかる。アマデオの言ったことが、帝国の常識から考えて正論であることも知っている。  

 それでも、アリシアを連れていかせたくない、この手で守りたいと、レオの中で何かが叫んでいる。子どものわがまま、つまらない意地と言われてもかまわない。相手がどんなに強くても、ここだけは譲れない。

「やめておけ。お前を斬りたくなどない」

 言いながら、アマデオがゆっくりと剣の柄に手をかける。それだけで腰が砕けそうになる。その恐怖をどうにかなだめすかし、レオは震える手で剣を鞘から抜く。

「そうか。ならば仕方がない」

 アマデオが悲しげにしばし瞑目し、自らも剣を抜こうとしたときだった。


「神よ、かの者に罰を!」

 という声が聞こえたと思うと、まるで見えない巨人の手で殴られたかのように、アマデオの身体が真横に吹き飛んだ。

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