第二話
夜の空気を白銀の刃が切り裂く
すでに高く昇った月明かりの下、河原で剣を振るレオの姿があった。
さきほど見つけた少女は、今はレオの家で眠っている。大慌てで家まで運び、母に見せたところ、命に別状はないので、体を温めて寝かせておけば大丈夫だろうということだった。念のため村で唯一の医者でもある村長にも来てもらったが、母と同じ結論に達した。
彼女が何者なのか、どこから来たのか。訪ねたいことは山ほどあったが、本人の意識が無いのではどうしようもない。とりあえず様子を見る方向で落ち着いた。
レオもしばらくはベッドの横に付き添っていたのだが、だからといって少女が早く目覚めるわけでもないので、日課の鍛錬をすることにした。彼女の顔を見ていると、なぜかもっと見ていたいような、じっと見つめているのが照れくさいような、自分でもよくわからない気分になってくる、というのもある。
雑念を振り払おうと剣を握る手に力を込めるが、今度は昼間に戦った魔物のとが頭に浮かんでくる。
魔物との戦いは、そう頻繁にあるわけではない。年に数回といったところで、現れる魔物も単独なことが多い。今回のように複数の群れで襲ってきたのは、かなり珍しいことだった。また熊のような生命力の強い獣が魔物化することは少なく、レオが出会ったのは今日が初めてだ。
「あんな魔物一匹に手こずるようじゃ、まだまだだ。父さんみたいに村を守るには、もっと強くならないと」
レオは父の戦う姿を直接見たことはないが、他の村人に聞いた話ではとてつもない強さであり、今日レオが戦ったような魔物なら何の苦も無く倒せたという。
「父さん……」
レオの父は五年前、レオが十歳のときに死んだ。
その時、カーサ村を魔物の群れが襲った。複数で現れること自体が稀であるはずの魔物が、百匹近い数で村に迫ってきた。その中には狼や熊などの強力な個体も多数含まれていた。これは現在までに確認された中では最大の規模であり、原因は未だにわかっていない。
ゆっくりと近づいてくる絶望に村中が支配される中、父は自分が時間を稼ぐから皆はその間に避難するようにと申し出た。誰もが無謀だと思ったが、その強さは皆の知るところであり、座して全滅を待つよりはと、父の剣に賭けることにした。幼かったレオは村人たちの申し訳なさそうな表情の意味や母の涙の理由はわからなかったが、漠然とした不安を感じていた。
「レオ、お母さんをたのむぜ」
最後に見た父の笑顔、頭に乗せられた大きな手の温かさ、そしてその言葉はレオの心に深く刻まれた。
レオと母を含めた村人は魔物に襲われることなく、無事に近隣の町へと非難できた。けが人の一人もいない。そして彼らの要請をうけて騎士団が出動した。村に駆け付けた彼らが見たのは、全身を返り血と己の血で染め、村を背に庇って剣を構えたままこと切れている父の姿だった。
避難先のレオのもとに、騎士団の将軍自ら父の剣を届けてくれた。アマデオと言う名のその騎士は、かつて帝都で父の部下だったという。
「君のお父上、ジークフリート殿は私の理想であり目標だった。騎士団を離れてもなお、最期の瞬間まで本当の騎士だったよ」
言葉とともに差し出された剣にすがりついて、レオは大声で泣いた。喉が嗄れ、涙が涸れても泣き続けた。母も大粒の涙を流しながら、レオをきつく抱きしめてくれた。
それ以来、レオは毎日毎日剣を振り続けてきた。父と同じ騎士になり、父が愛したこの村と母を守るために。
少女を助けた翌朝、床に敷いた毛布で寝ていたレオは、顔に当たる朝日で目が覚めた。一瞬、寝ぼけてベッドから落ちたのかと思ったが、すぐに自分の寝台で寝ている人物のことを思い出す。
少女はまだ眠っていた。うなされている様子もなく、穏やかな寝息を立てていたが、頬には涙の跡が見える。
レオはその寝顔を見てなぜか胸に棘が刺さったような痛みを感じ、そっと彼女の目元から頬を拭う。その後自分の行動に気付いて無性に恥ずかしくなり、狭い部屋の中をうろうろと歩き回る。
「ううん……」
不意に聞こえた声に、レオの動きがピタリと止まる。そして息を詰めて見つめる中、少女の瞼がゆっくりと持ち上がった。
「あれ……?」
焦点の合わない眼でつぶやいた後、しばらくぼんやりとレオの顔を眺めていたが、やがて自分を覗き込んでいるのが見知らぬ少年の顔だと気付いたようで、目が大きく見開かれる。宝石のような青い瞳だった。
「ここは? 私はいったい……?」
上体を起こし辺りを見回す。自身の置かれた状況がわからず混乱している少女に、レオはできるだけ優しい声音で話しかけた。
「大丈夫だ、落ち着け。まだ動かない方がいい」
「あなたは……?」
少女の向けてくる怯えた視線に、レオの心臓が飛び跳ねる。
「お、俺の名前はレオンハルト。でもみんなレオって呼ぶ。えっと、昨日君が川辺で倒れてたのを見つけて、それで、」
しどろもどろになるレオだが、少女はその言葉で何かに思い当たったらしい。
「川……そうだ、村が襲われて、私は川に落ちて……、あ、エミリオ!」
レオに掴み掛らんばかりに身を乗り出してくる。
「あの、私と一緒に男の人もいませんでしたか? 一緒に川に落ちたんです!」
少女を落胆させたくはなかったが、ここでウソを言ってもしかたない。
「いや、俺が見つけたのは君だけだった。君をここに運んだ後もう一度河原に行ってみたけど、他の人は居なかった」
少女の瞳からみるみる涙がこぼれ出す。さきほどよりも強くなった胸の痛みを抱えて、レオは静かに嗚咽する少女を見ていることしかできなかった。