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第一話

 頭上から、巨大な爪が降ってくる。

「うおっ」

 身をかがめて躱した一撃は後ろの木に当たり、大人の胴ほどの太さがある幹を軽々とへし折った。

 動きの止まった相手の横を駆けぬけざま、胴体に斬りつける。

「グルアァァ!」

 痛みに怒りの咆哮を上げてゆっくりと振り返ったのは、巨大な熊だ。ただの熊ではない。全身の毛をざわめかせ、両の眼からは血のように赤い光を発している。

 魔物。

 かつて神によって地の底に封じられた魔王の憎悪や憤怒が瘴気となって大陸各地で地上に滲み出し、触れたものを異形の存在へと変える。浴びる瘴気の量によって差は出るが、魔物化した生き物は体が大きくなり、力が増し、さらに人間に対して強い殺意を持つようになる。

 人間が瘴気を浴びても魔物となることはないが、肉体に多大な損傷を受け、浴び続けると死に至る。これは魔王の憎悪が、神のしもべたる人間にも向けられているためだと言われている。

「効いたかな……?」

 魔物と化した熊と対峙する少年が呟く。

 その言葉の通り、向かってくる魔物の動きは明らかに鈍っている。脇腹の傷は致命傷ではないが、手応えからしてかなり深いはずだ。しかし、狂気に突き動かされている魔物が退くことは有り得ない。

 対する少年は、大きな傷は負っていないものの全身に無数の擦り傷や痣と作り、滝のような汗を流している。もう半刻ほども魔物と一対一で戦っている彼の体力は、そろそろ限界に近づいていた。

「ここが勝負所だよな。よし!」

 柄を含めれば自身の背丈ほどもある長大な剣を構えて、間合いを詰める。魔物熊の繰り出してきた前足を跳躍してかわし、剣を大きく振りかぶる。

「でやあぁぁぁっ!」

 気合とともに振り下ろされた刃は、骨と肉を切り裂きながら突き進み、心臓に到達した。

「グルゥオォォォ……」

 断末魔の声を上げて倒れた魔物の体から黒い煙のようなものが立ち上り、空に溶けるように消えた。後に残ったのは、一回り小さくなった熊の死骸であった。それども少年よりは遥かに大きいのだが。

「はあ……はあ……」

 体力を使い果たし、剣を杖にしてなんとか立っている状態の少年は、それでも他の魔物が現れないかと周囲を警戒していたが、

「おーい、レオー! 無事かー」

 自分の名を呼びながら近づいてくる複数の足音に安堵の表情を浮かべ、その場に座り込んで大きく息をついた。

 やってきたのは村の男たちだ。レオとは別の場所で、数人ずつで魔物を相手にしていたのだが、どうやら全員無事のようだ。手に手に兎や猪などをぶら下げている。彼らが倒した魔物だろう。

「おうレオ、無事だったか。よかった」

「お前が一番強いのを引き受けてくれたおかげで、助かったぜ」

「いくらなんでも無茶だと思ったが、本当に一人であんなのを倒しちまうとは、大したもんだ」

「さすが、ジークの息子だな」

 口々にレオを褒め称える男たち。

「へへ、俺は騎士になるんだぜ。これくらいどってことないよ」

 照れくさくなったレオは、口癖になっている自らの目標を口にして立ち上がった。

「それより俺、くたくたでさ。村までこいつを運ぶの、手伝ってくれよ」

 そう言って、先ほど倒した熊を見下ろす。魔物が死ぬと、体から瘴気が抜けて元の生き物に戻る。これだけ大きな獲物なら、村にとっては貴重なご馳走だ。

 協力して熊をはじめとした獲物を運び、しばらく歩くと森が途切れ、村が見えてきた。向こうからもこちらの姿が見えたのだろう、広場に住人が集まっている。やがて歓声に迎えられた。

 ミトロヒア神聖帝国の西部辺境にあるカーサ村は、人口百人ほどの農村だ。特産品があるわけでもなく、街道からも外れているこの村には、月に一度行商人がやってくる以外は訪れる者もめったにいない。

 先頭に立って広場に入ったレオに、人波をかき分けて駆け寄ってくる女性がいた。母のローサだ。

「レオ! 大丈夫だった? どこか怪我してない?」

 レオの体を触って確かめ、心配そうに顔を覗き込んでくる。

「ただいま、母さん。大丈夫だよ、ちょっと擦りむいたくらいさ」

「そう……よかったあ。レオが怪我でもしたらと思うと心配で心配で」

 ほっと胸をなで下ろしてから、思い出したようにニッコリと微笑む。

「おかえりなさい、レオ」

 もともと帝都に住む貴族だったという母は、騎士だった父と駆け落ちしてこのカーサ村にやってきたらしい。二十年たった今でも、若々しい美貌を保っている。

「そんなに心配しなくても平気だよ、母さん。俺ももう十五だし、毎日鍛えてるんだ。もう父さんの剣だってちゃんと使えるんだぜ」

 そう言ってレオは背負っていた剣を抜いて目の前に掲げる。父の形見である大剣は数多くの戦いを耐え抜いてきたのがウソのように刃こぼれ一つなく、日の光を反射して輝いている。長大な剣は重く、自在に振るえるようになるまでには長い鍛錬が必要だった。

「あと二年たてば、騎士登用試験を受けられる。父さんと同じ騎士になって、ずっとこの村を守るんだ」

 何度となく口にしてきたレオの言葉を聞くと、母はいつも誇らしさと悲しみが同居したような複雑な表情を浮かべるのだった。

 住民みんなで分配した獲物を持って、家路につく。レオは一人で熊の魔物を倒した功績で、その肉の半分をもらった。母と二人なら、かなりの期間食事には困らない。

 レオの家は、村の外れにあった。両親が帝都から来たよそ者ということに遠慮して、この場所に家を建てたのだ。村の人たちはそんなこと初めから気にしなかったのだが、川に近くて便利だったこともあり、そのまま現在もこの家を使っている。

「レオ、お水を汲んできてちょうだい」

 母に言われて、桶を持って家を出る。

 数分も歩くと、川辺に出た。

 西の山脈から流れてきたこの川は下る程に川幅を広げ、大陸を貫く大河となる。

 源流に近いこの辺りではまだそれほど広くはないが、穏やかな水面は夕日に照らされて、黄金色に輝いている。レオはこの眺めが好きだった。小さな頃、よく父に肩車してもらって、沈んでいく太陽をいっしょに見ていたことを思い出す。

 感慨にふけりながら水辺に近づいていくと、何かが岸に引っかかっているのが見える。はじめ布の塊のように見えたそれは、よく見ると人間ではないか。

「うわ、人だ!」

 慌てて駆け寄り、抱き起す。長い髪に隠れていた顔があらわになる。あまりの美しさに、一瞬見とれるレオだったが、ハッと我に返る。

「おい、しっかりしろ!」

 空は紅から藍へと移ろい、星が瞬き始める中、レオの声だけが川面に響いていた。

   

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