プロローグ
山間の小さな村に、危急を告げる半鐘が響き渡った。
「なんだ? 何が起こったんだ!」
「騎士団だ! 騎士団が攻めてきたぞ!」
「バカな! なぜこの村のことが……」
慌てて家からとび出してきた少女を、怒号と悲鳴が包む。
武器の打ち合う音が聞こえる方へ顔を向けると、急峻な斜面にへばり付くように立ち並ぶ家々を打ち壊しながら攻め上ってくる集団が目に入った。
白銀に輝く鎧兜、まぎれもなく帝国の誇る神聖騎士団だ。
と、そのうちの一人が少女を指さして声を上げる。
「いたぞ! 目標はあの銀髪の娘だ! 必ず生かして捕えろ。他の者は一人残らず殺せ!」
「え……、私……?」
呆然としていた少女の腕が、不意に強く引かれる。
「アリシア、何ぼーっとしてるんだ! 逃げるんだよ!」
よろめきながらも走り出したアリシアが目を上げると、よく見知った顔があった。
「エミリオ……」
普段から何かと世話を焼いてくれる頼れる幼馴染の顔は、しかし恐怖と怒りに引きつっていた。
村の端まで来たところで、手を引かれながらもつい後ろを振り返る。
「ああ……」
アリシアの育った村は、一面火の海と化していた。
これまでの少女の人生が、その思い出の全てが、炎の中で灰になっていく。
「うう……どうしてこんな」
大きな瞳から、止めどなく涙があふれる。
「やつらが狙ってるのはお前だ、アリシア。真なる神の神子であるお前を、やつらに渡すわけにはいかない。なんとしても逃げるんだ」
止まっていた足を、エミリオの叱咤が後押しする。二人は再び駆けだした。
しかし。
「で、でも、村の出口は下にしかないよ? こっちに逃げても、すぐ行き止まりじゃ……」
アリシアの指摘は、すぐに無情な現実となって目の前に立ちはだかった。道が途切れ、切り立った崖に突き当たってしまった。見下ろすと、はるか下に流れが見える。そもそも村の唯一の出入り口である麓からの道を通って敵が攻めてきた時点で、逃げ場などどこにもなかったのだ。
「なんとか、あいつらをやりすごして……」
エミリオも辺りを見回すが、あいにく身を隠せそうな場所は見当たらない。
どうすることもできずに立ち尽くしている二人の背後から、大人数の足音が近づいてくる。
「どうした、もう逃げないのかね?」
嫌味な声に振り返ると、隊長らしき一際派手な鎧を着た男が、数名の騎士を従えて立っていた。すぐに半円状に二人を取り囲む。
「娘、我らはお前だけは生け捕りにし、他は皆殺しにせよと命を受けている。だがあまり追いつめて、足を滑らせでもされたら困る。そこでだ」
そこで一旦言葉を切り、いやらしい笑みを浮かべる。
「お前がおとなしく我々についてきてくれるなら、そちらの男も助けてやろう。どうだ?」
男の台詞に、アリシアは戸惑う。このままではエミリオも殺されてしまう。どうせ逃げられる望みがないのなら、自分が捕まってエミリオだけでも助けたほうがいいのでは?
「ほ、本当にエミリオを助けてくれるの……?」
「なっ、だめだアリシア、何言ってんだ!」
エミリオが慌てて制止しようとするが、男は笑みを崩さない。
「もちろんだとも。私も騎士だ。約束は守るさ」
その言葉に、心が決まらないままフラフラと数歩踏み出したときだった。
男が急に笑みを消し、短く「やれ」とつぶやいた。
「ぐっ」
背後から聞こえた声に振り返ると、エミリオの腕に矢が刺さっていた。
「エミリオ!」
「だ、大丈夫だ」
駆け寄ったアリシアに気丈にも笑みを見せるエミリオだが、その額には脂汗が浮いている。
「ちっ、下手くそが。きちんと仕留めんか。せっかく娘を引き離したというのに」
男は苦々しい顔でこちらを見ている。
「そんな、どうして! エミリオには手を出さないって言ったのに!」
「フン。なぜこの私が平民、それも汚らわしい異教徒との約束を守らねばならん」
そう吐き捨てると、アリシアに物を見る様な視線を向けて命令する。
「とにかく、これでその男はもうお前を守ることはできん。どうせ逃げられんのだ、これ以上手間をかけさせるな」
アリシアの足元から、じわじわと絶望が這い上がってくる。もう、どうしょうもないのか……
そのとき、エミリオが怪我をしていない方の手で懐から何かを取り出し、アリシアの手に握らせる。見ると、小さな袋だった。中身はわからない。
「これは……?」
「さあ、よくわからんが、お前にとって大きな意味を持つ物らしい。昔、お前の親父さんから預かったんだ。自分にもしものことがあったら、アリシアに渡したくれってな。しっかり持って、絶対なくすんじゃないぞ」
「え、でも……」
今、こんな物を渡してどうしようというのか。どうせ二人とも助かりはしないのに。
不意に、エミリオが無事な方の腕でアリシアを担ぎ上げる。
「きゃっ」
「最後の手段だ、しっかりつかまっとけ」
そして、背後の切り立った崖に向かって走り出す。
「なっ、いかん。矢を射ろ、止めるんだ!」
エミリオの行動に気付いた男のわめく声が聞こえる。数本の矢がエミリオの背に突き刺さるが、構わず走り続ける。
「行くぜ、舌かむなよ」
歯を食いしばってそう言うやいなや、エミリオは空中に身をおどらせた。小さな体を、庇うようにきつく抱きしめる。
アリシアはぎゅっと目をつぶり、幼馴染にしがみ付く。
(助けて……私はどうなってもいい、エミリオだけでも助けて!)
必死に祈るアリシアの手の中から、かすかな光が漏れる。目をつぶっている彼女は気付かなかったが、その白い光は次第に強まり、アリシアとエミリオの体を包み込んでいく。
まばゆい光に包まれて、二人は水面へと吸い込まれていった。