小説の技術、小説の感想
最近また「小説を読もう」で小説を読みはじめていて、同時に感想欄も見ていたりするのですが、どうも「技術」とか「書き方」とか言う人がとても多い気がしました。昨年も同じ様に感じ、しかしその違和感がよくわからなくて保留していました。
最近になって「こういう事なのだろう」と思ったので文に残そうと思います。
■フォーマット
感想欄でよく指摘されるのがフォーマットの部分、「行を空けすぎている」「一行毎に空行をいれるな」などなど。そこにおいてどこまで小説の「フォーマット」を指摘する必要があるのか?難しい所です。
確かに読みにくすぎるなというものも存在しますが、中には必要以上に指摘をし、揚げ足取りじゃないのか?と思われるものもチラホラ。
特にわかりやすいのが、よく見られる「三点リーダー」に対する指摘。
「三点リーダー」……あれは突き詰めれば「区切り文字」でしかないんです。
たとえば会社や行政機関などの書類においてフォーマットを整える事は重要なので、規定する必要が出てくる。だから用法が存在し、それに沿って文章を作る。
しかし、小説においてそれらの用法は作者に大きく委ねられる。
特に時間の経過をあらわす「……」「、、」「‥‥‥」とか本来の区切り文字の使い方じゃないんですよ。そこを勘違いしている人がいる。
小説のフォーマットにおいて、理解不可能だというレベルであれば問題になると思いますが、しかしそうじゃなく単に「こうするべき」というのは固定観念であり、一方的だと思うのです。
■小説の技術
「読む」「書く」「読ませる」
小説の技術は大きく分けるとこの3つにあると思う。
・「読む」技術はもっとも基本的なもの
言葉とはコミュニケーションの道具です。例えば相手の話を聞かない人の話す言葉が大抵拙いのは、「聞く」事を放棄した故の独り言だからです。「話す」為に「聞く」事は大事なんですね。
「読む」技術は「耳を澄まして相手の気持ちを汲み取る」事なのです。
「読む」技術は「感情を理解する」技術なのですね。
書く事において、自身の感情を言葉にどう置き換えるか?どう読者に伝えばいいのか?、それはとても根本的な問題です。そしてそれは色々な作品を読む事で学ぶ事ができます。…まず耳を澄ますのです。これはコミュニケーションという視点から考えれば明確です。
・「書く」技術は自己の感情の開放
人は何故書くのか?……簡単です「書きたい」からです。
「書く」を「話す」に置き換えればわかりやすいと思う。話したくないのに話すってとても大変でストレスが溜まるでしょ?わからない事を質問されて「話しなさい!」といわれたら困惑するでしょ?書くことも同じなんです。
「書く」技術において一番大切な事は自分自身が書きたいものを書く事です。自分の心を開放し、または見つめて、時には深く潜り、、気持ちを吐き出す作業なんです。
「書く」技術に必要なものは「気持ち」「イメージ」、、それだけです。でもこれを維持するのはとても大変な事です。単純であるからこそ難しいのです。
・「読ませる」技術は「読む」「書く」の技術の上に存在する。
一般的に言われる「小説の技術」とは「読ませる」技術だと思います。
でも前提があるんです……「読む」技術と「書く」技術がある事です。「小説を読もう」の感想を見ると、その前提を無視して指摘されている方が非常に多いように思います。
「小説を書こう」では小説を書きなれてない方が沢山いる訳で、そういう方に読ませる技術について語るのは、歩き始めてもいない赤ちゃんに走り方を指導する様なものだと思います。
そして更に言えば「読む」「書く」ができている人は「その人なりの読ませ方」を構築しようとします。なので「読ませる」技術というのも、やはりケース・バイ・ケースなのです。
つまり「読ませる」技術は そこにある作者の意図を汲み取って初めて指摘できるものであって、この作者の書き方が「自分の好みと違う」「自分の流儀と違う」だから駄目だ問題だ!、、という様な指摘は百害あって一利くらいあるかな?というモノだと思います。
■小説の感想は何を作者にもたらすのだろうか?
感想において、たぶん作者が求めているものは、読者が作品を「どう読んだか」という部分だと思います。つまり読者の「読む」技術が問われてもいると思う。そしてそれによって、その対になっている作者の「読ませる」技術が機能しているかのチェックが働くのだと思います。
読者の何気ない感想こそ、技術的な指摘が大きく働いています。
そして、読者のポジティブな反応は、作者の「書く」技術…気持ち、イメージ…を大きく高める要素になります。
「小説を読もう」は無料で読めるサイトです。読む事は任意であり、読む事によって精神的な被害が生じる可能性はありますが、経済的な被害はありません。そして精神的被害とはR指定などの規制によってある程度カバーされています。
読者の「詰まらない」という感想がもしあるとすれば、何故つまらないと思うのか?という部分も含めて、作者への期待があるべきじゃないかなと思うのです。フォーマットや技術に対しての指摘もそうです。何故読みにくいのか?こうしたら読みやすくなるのではないのか?という指摘であればポジティブですが、こうあるべき、こういう決まりだから、、というのは違和感があります。
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数多くの作品を無料で読める事、また書く人においては無料で多くの人に公開できる事。それは一昔前では考えられない環境です。そしてサイトがより機能する為には、そして多くの作品が集まるには、、それぞれの読者の読むスタンスが問われているのだと思うのです。