本編後日:宰相の一日(1)
本編後、ちょろっとですがキアランのお話。
すごくどうでも良いかもしれませんが;
美緒は側近、側近言ってましたけどラオの宰相なんですよ彼。
晴れ渡った空を見ながら穏やかな気持ちが心に広がった。
魔王陛下の宰相にして唯一の側近である私の一日は、まず天気の確認から始まる。
幼い頃から御仕えしてきた陛下は他の魔族達からは残虐非道、冷酷無慈悲などと恐れられる存在であるだけに魔力が強く、あの方の気分次第で天気に影響が出てしまう程であった。
だが最近は全く天気に崩れはない。
ほど好く晴れ、雨が降り、干ばつも水害もなく過ごしやすい。
廊下に出れば侍女達が楽しげな様子で王妃の間へ向かっているのが見えた。
今日はどんな御召し物が似合うか、どんな装飾品が似合うか。
女性らしい侍女達の会話に苦笑しながら私は一足先に陛下の執務室へ向かった。
陛下が自ら異界より喚び寄せ、傍に置き、生涯の伴侶として愛した女性。
女性と言うよりは少女と表現した方がしっくりするくらい幼さの残る顔立ちの娘は人間だ。
だが陛下に媚び諂うことはない。
むしろハッキリ物事を口にし、陛下と真っ正面から向き合う気の強い方だ。
そして陛下が‘ラディオス’という一人の男として甘えることが出来る唯一の花嫁。
だが彼女は美しいドレスにも煌びやかな装飾品にも実はあまり興味を示していない。
それが余計に侍女達のやる気に火をつけていることにも、きっと本人は気付いていないのだろう。
執務室の扉を開けてみても案の定魔王陛下はいなかった。
別段執務を行う時間は決めていないので構わなかった。
ようやく婚姻を結べた愛する妻から離れ難いのだろう。
普段、私的な状況では呆れるくらい陛下は妻である彼女にべったりだ。
ちょっとでも離れようものなら不機嫌になるか、悲しげに眉を下げるか。彼女も時々呆れてはいるようだが満更でもないらしい。
最初の頃から陛下の扱いに慣れていたので彼女に任せておけば問題なく執務室に来るはずだ。
書類を整理していれば予想通り魔王陛下がいらっしゃった。
隣りには小柄で華奢な黒髪の少女。やや気の強そうなツリ気味の黒い瞳が私を見て緩く笑った。
「おはよう。」
「お早うございます、王、リールァ様。」
まだ整理が終わっていないことを告げると陛下はソファーに腰かけてしまう。
リールァ様が執務机に寄ろうとして、しかし陛下の手がそれを許さず彼女を引き寄せた。
「こら、離しなさい。」
「…嫌だ。もう少しリアと過ごしたい。」
「今日はあたしも執務室にいるって約束したじゃない。それだけじゃ不満なの?」
「執務中はリアに触れられない。」
残虐非道と謳われた魔王陛下に、まるで我が儘な子供でも諭すように話しかける彼女。
そんな彼女を手放したくないと駄々をこねる魔王陛下。
見慣れた光景と言えど、やはり不思議なものだと思う。
ロクに魔力もない少女だ。顔立ちも人間の中ならば普通だろう。細くも太くもない体型。
けれど自然と注目される理由は恐らく彼女の雰囲気だ。凜とした雰囲気と毅然とした態度、その中に女性特有の柔らかさがある。
それから周囲への気配りが上手い。
「ほら、もうすぐ書類整理が終わりそうだから机に行って。頭撫でていてあげるから。」
「本当か?」
「ほんと。休憩の時は一緒にお茶しましょう?」
私が執務を促す前に彼女が陛下を机へ導いてくれる。
執務を始めた陛下の椅子に寄りかかり、彼女は言葉通り陛下の髪を梳いたり頭を撫でたりと幼子を見守る母親のようだ。
嬉しげに書類に目を通す魔王陛下に私は苦笑した。
彼女を妻に迎えてからの陛下は以前にも増して国の情勢を気にし、政治面でも熱心に動くようになった。
それも全て愛する妻が穏やかに過ごせるようにするためだと言うのだから、現魔王は歴代の王の中でもかなりの愛妻家だろう。
そして残虐非道と謳われる魔王を甘やかしつつ、きちんと働かせる歳若い王妃には誰も頭が上がらない。
きちんとこなされていく書類の束を見ながら私は今日も恙無く執務が進むことに安堵した。
「―――…終わりだ。」
最後の一枚を終えた陛下がグッタリとした表情で書類を差し出してくる。
不備がないことを確認して全ての束に重ねる。
「お疲れ様でした。」
私の言葉に溜め息を零し、王妃を抱き締める陛下。
これ以上居ては邪魔だろう。
書類を持ち、私は執務室を退室した。
通りかかった侍女に執務室へティーセットを運ぶよう指示するのを忘れない。
愛妻家の魔王陛下が自ら妻に紅茶を煎れるからだ。
魔王陛下と王妃が婚姻を結ばれてからは、その仲睦まじさと縁起に乗ろうと貴族達の中でも婚姻するのが流行っている。
……私もそろそろ妻帯すべきだろうか。
書類を各々必要な場所へ渡して回りながら溜め息が漏れた。
「キアラン、何を溜め息なぞ吐いている?」
かけられた声に振り返ればセオフィラスが廊下を闊歩しているではないか。
「大元王、何時頃お戻りになられたのですか。」
自由気ままに魔界をウロつき回っているのは構わないけれど、戻ってくるなら手紙の一つくらい寄越して欲しいものだ。
何せ父である大元王が帰って来ると魔王陛下のご機嫌はすこぶる悪くなる。
彼の妻であるリールァ様が義父である大元王と大層仲が良い分、魔王陛下はその様子を見るのが酷く気に入らないらしい。
元々仲が良いとは言い違い親子なので仕方がないけれど緩衝材となるリールァ様は毎回大元王の悪戯に振り回され、そんな妻を見て激怒する魔王陛下を楽しむ父親という最悪な図が展開されるのだ。
「つい今し方だ。それより息子と可愛い義娘は執務室か?」
「えぇ、執務を終えたばかりですので恐らくは其方にいらっしゃるでしょう。……大元王、またお遊びをするのでしたら陛下とリールァ様に火の粉が降りかからぬものになさってください。」
「それではつまらぬではないか。」
陛下とよく似た顔でニヤリと笑う大元王に頭が痛くなってくる。
何故この人は己の息子に嫌われるであろうことを、ワザワザするのだろう。などという疑問は持つまい。この方は自身が楽しいと思えることならばどんな悪行でも笑顔でサラリとこなしてしまう人だ。
何やら鳥の羽根だかよく分からぬ仮面やらが詰め込まれた布袋を片手に愉快そうな笑みを浮べて執務室の方へ行ってしまった。
きっとこれから魔王陛下とリールァ様はセオフィラス様の悪戯の対象になるだろう。
鼻唄でも聞こえてきそうな背中を見送り、もう一度、肺の中身がなくなるほど溜め息を吐き出した。