魔王と婚約者の一日(4)
それからずっと望まれるまま頭を撫でていると控えめに部屋の扉がノックされた。
ラオが軽く手を振れば扉が開き、彼の側近が目礼して入ってくる。
「申し訳ありませんが、そろそろ会食の御時間です。」
その言葉に面倒臭そうな顔をした魔王、側近にチラリと目配せをされて苦笑した。
「ほら、行ってきなさいよ。」
「だが…。」
「大丈夫。昼食食べたら書庫にいるし、もし何かあったらすぐ呼ぶから。」
渋るラオを諭せばちょっと不満そうに眉を寄せられたが、会食を欠席することも出来ないと分かっているからか「絶対呼べ。」と念押ししてから立ち上がった。
少し未練タラタラな様子の魔王をしっかり見送って漸く息を吐く。
「お疲れ様でした。」侍女がニコリと笑いながら隣室から入ってくる。
「少し御時間は早いですが昼食にされますか?」
「そうね…そうしようかしら。」
「では直ぐに支度致します。」
急がなくて良いと言えば、侍女は小さく笑って部屋を出て行った。
少ししてカートを押しながら戻ってくるとテーブルの上に料理を並べていく。何時もはテキパキとしていたが、あたしの言葉通りゆったりと準備を進める。
穏やかな日差しが差し込む窓を眺めている内に支度が整ったようで声をかけられた。
座り直してテーブルを見やれば野菜中心の見目美しい食事が並んでいて、一度手を合わせてから手を付ける。
そんなに多くない量なのであっという間に終わってしまったけれど、お腹はとても満足していて、侍女が淹れてくれた食後の紅茶を飲む。
「ありがとう、とても美味しかったわ。」
「料理長に伝えておきます。とても喜ばれますよ。」
「夕食も楽しみにしてるって伝えておいてね。」
「ふふっ、あまり褒め過ぎると夕食が凄い事になってしまわれますよ?」
気の良い料理長の顔を思い浮かべ、侍女と二人で噴出した。
前にも一度料理を褒めた時には余程嬉しかったのか、驚くほど大量の料理が夕食に出され、ラオが呆れてていたくらいだ。
あの時は本当に驚いた。
食べ切れなくて、侍女やラオの側近まで巻き込んで何とか消費できたけれど、またあったら堪らない。
料理長自身に悪気がないので怒るわけにもいかなかったが、ラオが困った顔で料理長に注意していたのも印象的だった。
「さて、あたしは書庫にでも行ってくるわ。」
「誰か傍に置かれますか?」
「止めておく。どっかの嫉妬深い魔王に睨まれたら、相手が可哀想だもの。」
書庫に行くまでには人気の多い場所を通るし、書庫にも司書や書を整理する人が何人かいる。
侍女ならまだしも護衛を付けるとなるとラオは嫌そうに顔を歪めてしまう。仕方がないと分かってはいても、気持ちをそこまで抑えられないようだ。
片づけを侍女に頼んで書庫へと向かう。
途中何人もの使用人たちと会い、その誰もが一人で歩くあたしを見ては「どちらに行かれますか」、「ご一緒しましょうか」と声をかけてきて断るのが大変だった。
何時もラオが傍にいるのに今日はあたしが一人だったのを見て気になるのかもしれない。
書庫に行くだけだから必要ないと言えば全員が「そうですか」と物言いたげな顔で離れたけれど、あたしが廊下の角を曲がるまで背中へ視線が向けられていた。
ラオに限らずこの城の使用人は皆、心配性な気がする。
書庫の少し重たい扉を押して開ければ古くなった書を修復していた司書が顔を上げ、あたしを見ると穏やかに目を和ませた。
「こんにちは。」
「こんにちは。今日は陛下がいらっしゃらないのですね。」
ほっほっ、と朗らかに笑う初老の司書にあたしも苦笑する。
「ラオは会食中ですよ。」
「おやおや、そうでしたか。陛下は常にリールァ様と共におられたので、貴女御一人ではどうにも違和感がありましてなぁ。」
「あたし一人ではそんなに変ですか?」
「えぇ。リールァ様御一人では何分心許無く思えます。」
なるほど、だから皆あたしに声をかけてきたのか。
書庫に着くまでの出来事を話すと司書は殊更可笑しそうに笑って何度も頷いた。
「皆同じだったのでしょう。」
「みたいですね。」
「羨ましいものです。さて、今日は陛下がいらっしゃるまで此方に?」
「はい、すみませんがお邪魔させてもらえますか?」
「邪魔だなどと、とんでもない。お好きなだけごゆっくりなさってください。」
お言葉に甘えて本の海へとあたしは足を踏み入れた。
頭上までそびえ立つ本棚にはギッシリ本が並べられ、文庫本のように薄いものから辞典並の厚さのものまで様々なジャンルの本がある。
そこから気になる本を数冊抜き取り、窓辺に置かれた小さな椅子に腰掛けた。
こまめに掃除されているのか埃っぽさの感じられないそこはとても居心地が良く、持ってきた本をテーブルに置き、一番上にあった一冊目を手に取る。
古いのだろう。少しボロくなった表紙を開くと手垢の染み付いたページがあった。新しい本も綺麗なのだが、こんな風に何度も読まれて古くなった本もそれはそれで味が出ていて好きだ。
この国の歴史について書かれた本は蔦が絡み合ったような文字で書かれている。
不思議なことにその文字を見ると頭の中で勝手に日本語に置き換わって内容が読み取れるのだ。活字を読む楽しさは少々半減してしまうけれど、内容を理解しやすくなって以前よりも格段に読書時間が増えてしまった。
何かの装飾にも見える文字をひたすら目で追っていく。
と、不意に本棚の向こう側から何かが落ちるような、倒れるような音が聞こえた気がした。
「?」
耳を澄ましてみたが特に何も聞こえなかったので空耳かとも思う。しかし一度気になってしまうと、なかなか読書に集中できなくなってしまう。
読みかけの本に栞を挟んで立ち上がった。