甘い毒牙(10)
それから二日が過ぎて、とうとう夜会の前日になってしまった。
城は普段と違って朝から少しざわついているようだった。
何でも明日の夜会のために今日の朝からダンスホールの装飾や大量のデザート、料理を作らないと間に合わないらしい。
それもそうか。あのただっ広いダンスホールを更に磨き上げ、テーブルを並べて装飾を施す。
明日の夕方には庭園から生花を持って来て飾るとか。
ともかくかなり大変なようだ。
主役のあたしとラオは別にいつも通りの生活をしているけれど。
階下から響く微かな足音に耳を済ませて聞いているとラオに名前を呼ばれた。
「…リア。」
「ん?」
閉じていた目を開ければラオは何でもないと首を振って、また書類に視線を落とす。
多分、あたしが寝てしまったのかと思ったみたい。
側近が小さく笑ってラオに睨まれていた。
あたしは侍女だからと渋っていたエミリアを何とか説得して仲良くお茶を楽しんでいる。
ラオも側近も何も言わないところを見ると別に気にしていないみたいだ。
料理長お手製のジンジャークッキーを食べながら穏やかに過ごす。
きっと王妃になったらこんなのんびりとは出来ないだろう。
ラオの執務を手伝ったり、王妃の執務も行わなければならなくなる。
十八のあたしにそれが務まるのだろうか?
執務に励むラオの眺めながら紅茶を飲み干した。
「さてと、ダンスの練習に行こっか?」
ソファーから立ち上がれば頷いてエミリアも立ち上がる。
ラオの視線に先手を打って無理はしないわよと言えば、照れた様子であぁと返事が返ってきた。
それから偶然廊下を通りかかった侍女に申し訳ないがお茶の後片付けを頼んで小さなホールへ向かう。
ダンスホールはどうせ侍女や侍従たちでごった返していてダンスどころではないだろうし。
今日はリヴィアも忙しくて来れない。
エミリアにダンスを見てもらいながら練習することにしよう。
テンポを確認しながらステップを踏んで行く。
間違っていたりテンポからズレるとエミリアがすぐさま声をかけて修正してくれるお陰で、教えてもらった当初に比べて随分上達したと思う。
「リールァ様、そこはもっとしなやかに。そうですわ、女性らしさを強調して!」
…たまに変な指導も入るけどね。
三、四時間ほどダンスの練習をしてラオが迎えに来たところで終える。
運動してスッキリしたあたしを見て小さく笑った。
いつも通り先に入浴して汗を流してから夕食を食べ、ラオの私室に戻る。
あたしの部屋なんて着替えるときと、勉強するときくらいしか使ってない。
ちょっと勿体無い気もするが別々に寝ようなんて言えないから結局このままなんだと思う。
お腹いっぱいになって幸せ気分で着替えたあたしはベッドにダイブする。
ラオはふっと目元を和ませて、入浴してくると部屋を出て行った。
それを確認してからあたしはベッドから起き上がってネグリジェのまま覚えたダンスのステップを踏んで最後の練習をすることにした。
明日になれば夜会のために朝から色々しなければならず、練習なんてする暇もないから。
「1、2、3……1、2、3……。」
特にラオの大好きなワルツは完璧に踊れるようになりたい。
好きな人の好きなダンスで失敗するなんて恥かしいし、嫌だ。
何度も何度も踊っているうちに時間を忘れていたのか突然後ろから温かなものが覆い被さってきて驚いてしまった。
「きゃっ?!」
慌てて振り返ればラフな格好になったラオが抱き付いている。
「ラオ、ビックリさせないで!」
「すまない。」
低く笑いながら謝られても反省の色が見えない。
ラオはあたしの肩口に顔を寄せて囁く。
「ダンス、上手くなったな。正直驚いた。あの短期間で此処まで出来るようになるとは。」
「でもたった三曲しか踊れないわ。」
「三曲‘も’踊れれば充分だ。」
どこまでもあたしを甘やかすつもりのラオに呆れてしまった。
それでも今だけはその甘さに乗ってしまおう。
本当は明日の夜会のことを考えるだけでドキドキと胸が鳴って緊張してしまう。
だけどきっとラオが傍にいてくれるなら、頑張れる。頑張りたい。
「だがもう今日は休め。踊り詰めて明日の夜会の前に疲れてしまっては元も子も無い。」
優しい口調で手を取られてベッドへ誘われる。
履いていた低いパンプスが丁重にラオの手で脱がされ、シーツに寝転がれば、ラオも隣りに寝転んだ。
ふわりと香る南国系の少し甘い香りにふと疑問が湧く。
この匂いって香水かしら?それとも、あたしみたいに湯船に何か浮べてるとか?
フンフン香りを嗅いでいるとチョンと鼻先を突付かれる。
犬みたいだぞと茶化されて、それはラオでしょと言い返せば違いないと笑った。
「ねぇ、ラオってお風呂に何か浮べてるの?」
「否…何故だ?」
「んー、なんかすごくいい香りがするのよね。南国系のちょっと甘い匂い。」
「…そうか?」
自分の襟元の匂いを嗅いで、ラオは不思議そうに小首を傾げた。
それらしい香りは特にしないがと言われてあたしも首を傾げる。
というか、魔族はみんなお洒落なのか香水とか色々いい匂いがする。
あたしも香水とかつけた方がいいかしら?
なんて考えているとラオが優しく頭を撫でてきて、顔を上げれば紅い瞳と視線が合わさった。
「明日の夜会は楽しめ。」
「楽しむ?」
「あぁ。程好い緊張も大切だが、夜会は本来ダンスや他者との交流を楽しむ場だ。気を張り過ぎて楽しめなくては意味が無い。」
確かに、そうかもしれない。
リヴィアにもダンスは楽しんで踊れって言われたし。
「…そうね。せっかくだもの、楽しまないと損よね。」
「そう言う事だ。」
だから今日はもう寝てしまおう。
柔らかなシーツに埋まりながらやや眠たげにそう言ったラオに笑いつつ、頷いた。
ふっと明かりが消えて静かな闇が寝室に広がる。
逞しい腕に抱き締められながら目を閉じれば心地の良い眠気に包み込まれた。