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甘い毒牙(7)

 







柔らかな朝日が重厚なカーテンの隙間を抜けて部屋を薄く照らす。


真っ白なシーツの海に埋もれながら目を開ければ、恋人の安らかな寝息と共に美しい艶のある黒髪が視界に入る。


幼子のように自分の腕の中で眠る美緒のつむじに優しくキスを贈った。


きっと、美緒は知らないだろう。


毎朝目覚めて、その度に腕の中にいる恋人の存在に泣きたくなる程嬉しいと思っているだなんて。


愛しい人が傍にいる。ただそれだけで心満たされるのだ。


ずっと、一生、傍にいられる。


幼い頃は婚姻など如何でも良いものであったが、美緒と出会ってからラオにとってそれは特別なものになっていた。


愛する人と望む限り共にいられる儀式。


愛する人を自身のものとし、自身を相手のものとする儀式。


それは甘い誘惑によく似ている。


漸く婚姻することが出来る。早く早くと急く気持ちを押し留めるも、何とも表現し難い喜びに胸が震えた。


後一週間もしない内に夜会は開かれ、そこで美緒は己の花嫁として貴族たちの前に立つ。


不安がないと言えば嘘なのだろう。ダンスの練習途中に時折リヴィアから作法や礼儀を聞いている横顔が揺らぐのを知っている。


彼女は元の世界で極普通の人間として暮らし、生きてきたのだから不安を感じるのは当たり前だ。


(ただ)傍に居て欲しい。血生臭い政治に身を置く必要もない。


笑ってくれれば、幸せだと微笑んでくれるだけで良いのだ。


無理をしないで欲しい。


だがそう言っても美緒には笑って‘ラオの隣りに立っても恥かしくないようにしなきゃダメだもの’とはぐらかされてしまう。


そんな風に言われては強く言えないではないか。


シーツに散っている黒髪を整えるように指で梳けば、絹の如くさらりと纏まる。


瞼の裏側に隠れてしまっている黒曜石の瞳を想像しながら目元を優しく撫でた。


すると小さな唸り声を発して身動ぎ、己の手を掴んで頬を寄せてくる。


魔王である自分を恐れることも、忌み嫌うこともない。


何時だって見つめてくる瞳は温かく自分を受け入れてくれていた。


だからこそ、この恋人を守りたい。


強く、優しく…けれど弱い少女が自分を愛し続けてくれる限り、全力で彼女の願いに応えたい。


抱き締めれば身を寄せてくる愛しい人がずっと己を愛してくれるよう願いながら、ラオはもう一度眠りについた。
















































「どうして(わたくし)ではないの?!」




高いソプラノの声がヒステリックに叫び、派手な音を響かせながら美しい陶器のティーセットたちが床に砕け散る。


傍にいた侍女たちが小さく悲鳴を上げた。


しかし彼女にとってはそれすら苛立つ要素にしかならない。


絨毯に紅茶の染みが広がっていくのを睨み付ける彼女を侍女たちはオロオロとした様子で見つめている。




「下がっていなさい。」




幼い頃から彼女の侍女を勤めてきた女性が他の侍女に退室を促した。


それにどこかホッとした顔で侍女たちは部屋から出て行く。




「…お嬢様、どうぞ落ち着いて下さいまし。」


「うるさいわね!落ち着いていられる訳がないじゃない!!」




侍女の顔に叩き付けるように投げられた手紙。


それは魔王陛下の婚約者の披露パーティーの招待状だった。


しかし、それは彼女宛てに送られて来たものではなく、彼女の両親に送られたものである。


貴族の中でも高い地位にいる両親を無視するわけにもいかないが、彼女を招くつもりもないということだ。


地位も高く、品もあり、貴族としても淑女としても名高い自分を差し置いてあの平凡な少女が魔王の婚約者として発表されるだなどと耐え難い屈辱だ。


侍女は手紙を一読した後に恭しく彼女へ手紙を返す。




「こんな恥を受けたのは生まれて初めてだわ!!」




招待状をグシャグシャにして投げ捨てる。


苛立つ彼女を侍女は静かに見つめた。


御家の繁栄や魔王の地位もそれなりに魅力だったのかもしれないが、彼女は確かに魔王を愛していた。


彼女自身は一言だってそんなことを口にしたことはないけれど、長年付き従ってきたのだから主人の心の内くらい分かる。


愛してきた人から捨てられ、突然現れた己より優れた所のない者に横から奪われて我慢できるはずがなかった。


侍女はそっと彼女に肩に触れる。




「お嬢様、私めに出来る事が御座いますなら幾らでもお手伝い致します。」




主人であり、幼馴染であり、友人である彼女を侍女はとても大切に思っていた。


彼女は顔を上げると侍女を驚いた顔で見つめ、それから艶のある笑みを浮かべ、どこか苦しげに呟く。




「もし陛下に知られては貴女も私も無事では済まなくってよ?」


「心得ております。…何より私はお嬢様に御仕えする身、この命すらお嬢様のものでございます。」


「そう…。」




彼女は小さく笑って、貴女も物好きねと言い、部屋を出て行った。


その背を見送ってから侍女は床に散らばったティーセットの残骸を片付け出す。


主人のこれからすることは間違っているのかもしれない。


だがそれでも侍女は彼女に従うのだろう。


大切な人のためならば、何でもしたいと思うものだ。


以前見た魔王の婚約者である黒髪の少女を瞼の裏に思い出して、小さく息を零した。


気が強く、真っ直ぐで、外見では主人に劣るが幼さの残る顔立ちに凛とした雰囲気を持つ不思議な少女。


何故魔王があの少女をそこまで寵愛するのか侍女には解りかねた。


が、どちらにせよ自分がすべきことは主人である彼女の望むことだけ。


白い破片を手に侍女は立ち上がった。








 

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