甘い毒牙(4)
「――ァ、リア…。」
「…ん…、」
静かに名を呼ばれ、頬を優しく撫でられる感覚に意識がゆっくりと浮上する。
重い瞼を開ければ横に座って腕を伸ばしてくるラオの姿があった。
ソファーの肘置き部分に寄りかかって眠ってしまったらしい。
ぼんやりとラオを見つめていると微かな苦笑と共に額にキスが一つ、落ちてくる。
「もう昼食の時間だが…起きれそうか?」
さらりと髪を梳いていく手が眠気を誘うくせに、起きろだなんて酷いじゃない。
目を擦りながら頷くあたしの手を取って「赤くなってしまうぞ。」と目元にまたキスをする。
昼食は食堂で食べるからソファーから起き上がらなければいけないけれど、寝過ぎたのか少し体がダルい。
それすら見越していたかのようにラオはあたしを抱き上げた。
昨日のような横抱きではなく、右腕に座らせられる格好はよく父親が小さな子どもを抱き上げるときのあの抱き上げ方だ。
横抱きも恥かしいけれど、これも微妙に恥かしい。
と言うか、片腕に人一人をよく乗せられるなぁと感心してしまう。
それなりに筋肉もあるラオだけれど細身でスラリとしているから、どこにこんな力があるんだと聞きたくなる。
ドアを開けるとき以外は背中に添えられた左手のおかげで安定しているし、一応ラオの首に腕を回しているため怖さはない。
ただ通りすがる使用人たちの穏やかな笑顔を目にするたびに羞恥心のボルテージが上がっていくが。
結局食堂まで下ろしてくれず、あたしは食堂のいつもの席に下ろされ、あたしの左斜め前にラオが座る。
そうすると給仕の侍女たちがせっせと料理を持ってくるのだ。
「いただきます。」
しっかり食事の挨拶をして料理に手を伸ばす。
ラオはいつもあたしが食べ始めるまで料理に手を出さない。
本人曰く一緒に食べたいからとか…本当にどこまで甘えたなんだか。
寝起きで沢山は食べられないが一口飲んだスープは熱過ぎず冷た過ぎず丁度いい温度で、寝起きの体には優しい。
ちょっと強面の料理長はなかなかに気難しいが、彼の手が生み出す料理は繊細で美しく、それでいて食事をする人への気遣いが行き届いている。
まさに一流の料理人だ。
文句なしに美味しい昼食を食べ終え、ご馳走様でしたと挨拶をするとそれを合図に皿が片付けられて行く。
「料理長に美味しかったって伝えてもらえるかしら?特にメインのチキンはバジルの香りと合ってて、とても良かったって。」
「はい、必ずお伝え致します。」
「ありがとう。」
給仕の侍女はニコリと笑って頷き、皿を持って退室していった。
代わりに出されたグラスには食後の飲み物として、ラオには赤ワインが、あたしには果実から作られたジュースが出される。
食事時は基本的にお酒を嗜み、あまり水は飲まないらしい。
未成年でお酒なんてほとんど飲んだことのないあたしにはちょっと無理なので、ジュースを用意してもらってる。
…子どもっぽいとは思うけど飲めないんだから仕方がない。
ラオは特に気にした様子もなく、あたしがお酒を飲めないと分かると勧めてくることもなくなり、逆にあたしの周囲にお酒を置くこともなくなった。
グラスの中身を飲み干して昼食はおしまい。
ラオは別の執務に行くために立ち上がった。
あたしはこれからダンスのレッスンがあるから今日はこれから別行動になる。
「練習、無理はするな。」
ちゅっと軽いリップ音を立てて頬にキスをしてくるラオに、あたしもお返しとばかりにキスをし返した。
「分かってるわ。ラオも執務がんばってね?」
「あぁ。」
嬉しそうに笑って上機嫌に食堂を出て行く。
そんなラオの後ろに側近が静かに付き従った。
魔王も大変ね。仕事に赴く二人を見送ってあたしも迎えに来たエミリアと共に食堂を後にした。
向かう先は城の中でもまだあたしの行ったことのない場所なのか、通る廊下は見覚えがない。
十数分程歩いてようやく辿り着いたのは広いダンスホールだった。
外へ出られるように大きな窓があり、そこからテラスへ続いている。
大きなシャンデリアも細やかな装飾が美しい。
まさにシンデレラなんかで出てきそうな舞踏会などにピッタリのホールにあたしはビックリしてしまった。
「ここで夜会をやるの?」
「えぇ。とても素晴らしいですわ。私も見た時には驚きのあまり声も出ませんでした。」
コロコロと可笑しそうに笑うエミリアに思わず頷いて同意してしまう。
一体どれだけお金がかかってるんだか。
一般家庭に生まれたあたしには豪華過ぎて少し居心地が悪いくらいだわ。
ダンスホールを眺めていれば一人の男性が入って来た。
「お久しぶり~、リールァ様。元気そうだねぇ。」
ニコニコ笑いながら手を振って歩き寄って来る姿は見覚えがある。
「あっ!」
インキュバスの長、リヴィアだった。
会うのはかなり久しぶりだが、相変らず女ウケしそうな甘いマスクで人懐っこい笑みを浮べている。
以前会ったのはラオとの会食のときだったし、あの時は何だかんだあってすぐにお開きになってしまったし。
リヴィアはあたしの前で立ち止まると胸に手を当てて礼を取った。
「王と婚姻するんだってー?遅いよ全く!」
「どうしてあなたが怒るのよ。…そういえば、あの人はどうなったの?」
「ん~?あー、アイツねぇ。大丈夫、生きてはいるよー。」
「生きて‘は’、ね。」
殺すなとは言ったけれど、その後どうなったは聞いていなかった。
が、この様子ではあまり口に出して言えない状況なのではと不安になる。
そんな気持ちが顔に出てたのかリヴィアは笑った。




