永久の契約(4)
何度も練習すればラオだって上手くなれるわ。
そう言うと少しだけ笑ってそうかと頷く。
「…ねぇ、このバラもらっていい?」
「? 構わないが…其れで良いのか?」
少し不恰好なのを気にしているらしい。
「うん。これがいい。」
「なら俺はそっちを貰っても良いか?」
「もちろん。」
お互いに折ったバラを交換する。
他人から見たらきっとあたしたちのこういう行動は稚拙に見えるかもしれない。
折り紙なんてそもそも子どもの遊びだしね。
それでもこんな風に何も気にせず穏やかに話して過ごせる時間はあたしにとっては何よりも大事。
ラオはあたしの手に乗っていたバラと自分の持っていたバラを両手で包み込むとパッと消した。
持っていたら潰れてしまいそうだから寝室に移動させたと言い、あたしをまた抱えて執務室を出て行く。
開け放たれたままの扉の向こうでは可笑しそうに笑う側近の姿が一瞬だけ見えたものの、文句を言う前に歩き出したラオによって視界が移り変わる。
一瞬の浮遊感を残して訪れた場所は今まで入ったことのない部屋だった。
丁寧に下ろされ、上手く歩けないあたしをラオが支えてくれる。
やや薄暗い部屋は広く、壁にかけられた絵は全て肖像画ばかりだ。
右側には男性の肖像画が、左側には女性の肖像画が。どこまでも続いているのではないかと思うほど通路のように長い部屋の壁から静かに見つめてくる。
一番手前には見覚えのある顔があった。
「セスさん…?」
ラオと似た漆黒の服に身を包んだセスさんの肖像画は何時も彼が浮べているニヒルな笑みを湛えている。
「此処は歴代の魔王と、その配偶者の肖像画が保管してある。」
「え、じゃあこの綺麗な人がラオのお母さんなの?」
「あぁ。」
配偶者、と言って指差された左側にかけられていたすごく綺麗な女の人の肖像画に驚く。
モデルなんかと比較にならないくらい綺麗で、穏やかな笑みで見つめてくる女の人は、確かに全体的な顔の造りがラオによく似ている。
目元なんかはセスさんに似ているから結局は悪人面なんだけど、ね。
歩き出したラオに促されてあたしも肖像画を一つ一つ見ながら進む。
歴代の魔王はみんな美形。どうして魔族は美形率が高いのかしら?
時折女性の魔王なんかもいたりして、だけど不思議なくらい誰もが幸せそうに微笑んでいる。
長い長い通路のような場所を進んで行くと袋小路になった終点は少し広いスペースが設けられていた。
そこには他の肖像画よりも大きな絵が一つ、飾られていた。
描かれている全身真っ黒な男性と全身真っ白な女性は互いに寄り添い合い、まるで子どもの成長を見つめる親のように温かな瞳をしている。
「初代魔王とその配偶者だ。」
「…綺麗な人たちね。」
魔王は世襲制だと言う。
つまりここに飾られている人たちはみんなラオのご先祖様たち。
彼らがいたから、今あたしの隣りにラオがいて、こんな風に一緒に生きることが出来ている。
それは数え切れないくらいの偶然から生まれた奇跡なんだと思う。
「…美緒。」
「?」
「魔族の人生は長い。人間からすれば気が遠くなる程の時間だ。」
「…そうね。あたしの方が先におばあちゃんになっちゃうわ。」
だからあたしとラオでは、あたしの方が先に逝ってしまうのだろう。
見上げた先にある紅い瞳が静かに見つめ返してくる。
…この人を遺して一人で逝くなんて…。
そんな悲しいことはしたくないのに。
「…一つだけ、方法が在る。」
「え?」
「契約を深めれば良い。俺の血を美緒に分け与える…そうすれば美緒は俺と同じだけ生き永らえられる。」
だが選択するのは美緒だからとラオは初代魔王の肖像画を見て言った。
ラオの言う方法を使えばきっとあたしは長生き出来るのだろう。
けれど、それは同時に人間ではなくなると言うこと。
人間の生を捨て、ラオと共に永い時を生きるということ。
怖くないなんて虚勢は張れない。
せいぜい百年くらいしか生きられない人間と違って魔族、特に魔王はかなりの長生きだ。
そんなに永い時をあたしは生きていられるだろうか?
大切な人たちが逝くのを何度も看取ることが出来るだろうか?
もしも独りになってしまったら…そう考えるだけで永い時間を生きることがとても恐ろしいことのように思えてならない。
そっと逞しい腕に引き寄せられてラオに抱き締められる。
温かな体温に包まれるだけで胸が痛む。
この温かさから離れるなんて考えたくない。
考えて、考えて、それでもやっぱりあたしが帰る場所はもうここしかない。
「…あたしも、ラオと一緒に生きていたい。」
ぎゅっと抱き締めて来る腕に力がこもる。
「本当は怖いわ。永い時間を生きていけるのか、不安で仕方ない。…でもやっぱりあたしはラオが好きだから、一番大切な人を置き去りにして逝くなんて嫌だもの。」
「美緒、」
「ただし、条件を一つ付けて。もしもラオが死んだら、あたしも死ぬようにして。」
「…分かった。」
ラオがいなくなって、たった独りで生きるなんてきっと無理だから。
ゆっくりと体を離したラオは自分の右手首を切った。
溢れてくる血にビックリしたけれど、手を差し出すよう促され、あたしはラオに左手を差し出す。
ラオの傷よりもずっと浅い傷が付けられる。不思議だが痛みはない。
あたしの血が出ている左手首とラオの血が出ている右手首の傷が重ねられる。
よく分からない言葉をラオが呟くとピリリとした痛みと共にパッと光が弾け飛んだ。瞬間、全身を何かが駆け抜けていく感覚がした。
手首同士が離れるとそこには傷どころか血の一滴すら見当たらない。
「…これで、終わり…?」
「あぁ。だが此れは本来、婚姻を済ませてから行う。俺も美緒もまだ婚姻していない分少し不完全だが、婚姻の儀さえ済んでしまえば完全なものになる。」
「そっか。」
結婚したら本当にラオとずっと一緒に生きることになるのね。
傷のなくなった手首を見ていたら、ラオが腕を掴んできてキスをした。
嬉しそうに細められた紅い瞳にあたしも嬉しくなる。
何時まで続くか分からない永遠だけど、どちらかが死ぬその瞬間まであの肖像画のように寄り添っていられたらいい。
初代魔王の配偶者が浮べる幸せそうな笑みにあたしは笑い返した。